報労記62話 そして、こうなる -2-
まぶたを開けると、よ~く見知った天井が見えた。
俺の部屋だな。
体を起こすと、ぎしぎしとあちらこちらが軋みをあげた。
俺……どうしたんだ?
………………あぁ、そうか。
メンコを作ってた時にぶっ倒れて、そのまま寝ちまったんだな。
船で夜更かしして、帰ってきてから徹夜なんかしたから。
…………なんか、今思い返すと、俺ずっとテンション高かった気がする。
なんか、しなくてもいい大盤振る舞いしてたかも!?
技術も、褒め言葉も!
「くわっ! なんか損した!」
もっと出し惜しみしたら、もっと金を巻き上げられたのに!
あぁ、口惜しい!
あぁ、悔しい!
仕方ない。
昨日あの場にいた連中の後頭部を鈍器で殴って回らなければ。
記憶って、案外すぐに消えるって話だし。
それで、俺はどれくらい寝てたんだ?
窓を開けたら真っ昼間~とか、笑えない状況じゃないだろうな。
鉛でも載っているのかと思うほど両肩が重い。
あと、腰回りがズドーンと重い。
ベッドから降りるとヒザから「かくんっ」と力が抜ける。
これはあれだな。旅行の疲れが全然取れてないんだろうな。
「くぁ…………~あっ」
デッカいあくびを漏らして、窓にハマった木板を押し上げる。
「……真っ暗じゃねぇか」
まだ日の出前か。
よかった。
中庭を覗き込めば、厨房から微かに灯りが漏れている。
ジネットは、もう起きているようだ。
倒れるように眠っちまったから、きっと心配をかけただろう。
起きたことを報告に行くか。
部屋を出ると、廊下はしんと静まり返っていた。
マグダはまだ寝ているらしい。
起きたら、盛大に甘やかしてやらないとな。……いや、違うぞ? 俺がどうこう言う前に、マグダの方から突進してきて盛大に甘えてくるだろうなぁっていう、ただの予想だ。
「別に俺が甘やかしたいとか、罪悪感とか、そういうアレじゃない」
声に出して否定したので、もう大丈夫だ。
そんな世迷い事を信じるヤツは、どこにもいない。
階段を降り、中庭を進み、……顔はまたあとで洗うとして、厨房へ続く廊下へ入る。
一切軋まなくなった廊下を進むと――ん?
「風呂……の、匂い?」
風呂場から、湯の匂いが漂っていた。
珍しいな、朝風呂なんて。
もしかして、ルシアか誰かが泊まってったのか?
それで、朝シャンがしたいとかわがままを?
「……え? もしかして」
いやいや、まさか、そんな。
ふと脳裏をよぎったあり得ない想像を振り払うように手を振り、嫌な予感をかき消す。
が、首の後ろあたりに得も言われぬ寒気が残る。
気持ち早足で厨房へ向かうと、そこにはジネットがいて――
「……ジネット」
「ヤシロさんっ!」
――物凄く心配した顔で駆け寄ってきた。
……うわぁ……マジかぁ。
「えっと…………今って、朝……じゃ、ないよな?」
「はい。今、閉店作業が終わって、そろそろ寝ようかと思っていたところです」
「ちなみに、俺が倒れたのって……?」
「昨日です」
くわっ!?
丸一日寝ちまった!
「すまん! すげぇ迷惑と心配をかけたな」
「いえ。ヤシロさんがご無事なら、それで……」
『ご無事なら』なんて言葉が出てくる時点で、物凄ぇ心配かけたってことじゃねぇか。
あ、よく見たら、ジネットの髪が濡れている。
もう風呂に入った後なのか。
「今日の営業大丈夫だったか?」
「はい。デリアさんとノーマさんがお手伝いに来てくださいましたので」
「あいつらにも迷惑をかけちまったか……」
「お礼だと伝えてくださいとおっしゃってましたよ」
「礼?」
「はい。素敵なメンコの」
そのメンコのせいでぶっ倒れたんだけどな。
いや、それだけじゃないけども。
「ちなみに、このパジャマって、……ジネットが?」
「い、いえ! ベッコさんとウーマロさんが着替えさせてくださいました」
あいつらにも世話をかけたのか。
うわぁ~……情けねぇ。
「あっ、ヤシロさん。お腹は空いていませんか?」
「え?」
意識した途端、腹の虫が「ぐぎゅるるるぅぅぅ~ん!」っと鳴りやがった。
「……このっ。教会のガキどもみたいに、ジネットの顔を見た瞬間はしゃぎ出しやがって」
「ふふ。では、今のは『ジネットお姉ちゃ~ん』と言ってくださったんですか?」
「腹の虫を敬う必要はねぇだろ」
「もう少し待っていてくださいね。今すぐご飯の用意をしますから」
「いやいやいや、いいって!」
ジネットは今日一日働いて、風呂にも入って、後片付けを終えたところだ。
俺の飯なんか、あり合わせのモノで適当に自分で作ればいい。
「勝手に何か漁って食うから、お前はもう寝ろ。マグダももう寝てるんだろ?」
つまり、もうそんな時間なのだ。
ジネットは夜更かしが得意な人間ではない。
早く休ませてやらないと、今度は明日ジネットが倒れちまう。
だというのに。
「そんなのはダメです。ヤシロさんは、昨日のお昼から何も食べていないんですからね?」
そういえば、昨日の夕飯を食う前に寝ちまったのか。
くっそ。美味そうな肉だったのになぁ。
「ガロニ、適当な味付けにしちまったけど、大丈夫だったか?」
「評判よかったですよ。ハム摩呂さんがおかわりしていました」
「ガロニのパスタをか? 肉を食えよ、育ち盛りは」
「あ、そうでした。昨日、ウッセさんがいらしたんですよ」
「ウッセが?」
「はい。昨日はお客さんが少なくなりそうだという話を聞いて、少しでも貢献をと顔を見せてくださったんです」
ウッセがそんなタマか?
何か裏がありそうだな。
マーシャが陽だまり亭に留まっているなら、あわよくばマリン主任もいるんじゃねぇか? とか。
「それで、ヤシロさんを探されていたので、無理が祟って寝込まれたとお伝えしたら、すごく心配してくださって」
ジネットが言うには、俺が倒れたと聞いたウッセはひっくり返って椅子から転げ落ちたのだそうだ。
そして盛大に狼狽したかと思ったら、急に店を飛び出していって――
「こんなに大きなお肉を持ってきてくださったんです。お見舞いだと言って」
「……あいつ、倒れた人間に肉の固まり持ってくるとか、看病って言葉聞いたことないのか?」
「これを食べて元気になってほしいと、おっしゃっていましたよ」
ウッセのことだから、「いいか、倒れるってのは体力がないからだ! とにかく肉を食って体を鍛える! そうすりゃ、金輪際倒れることなんかなくなるだろうよ!」とかなんとか言ったのだろう。
……お前と一緒にすんな。
こっちはもっと繊細に出来てるんだよ。
けどまぁ……
「明日にでも礼を言いに行ってくる」
「はい。そうしてあげてください。とても心配されていましたから」
言いながら、件の肉を切り始めるジネット。
いや、だから。
「自分でやるからお前はもう寝て来――」
「ダメです」
肉を切りながらきっぱりと言って、俺に視線を向けてにこりと笑う。
「わたしが作る料理を食べてください。これは心配をかけた罰なんです」
罰って……
世にこんな罰が蔓延したら、世界中が犯罪者だらけになっちまうぞ。
「じゃあ、粛々と」
「はい。刑の執行をそちらでお待ちください」
言って、厨房の休憩椅子を指さす。
せめて何か手伝わせろっつーのに。
「その前にお顔を洗ってきますか?」
「あぁ、そうだな」
どうあっても手伝いはさせてもらえそうにないので、大人しく顔を洗いに行く。
改めて外に出てみると、空気の冷たさが明け方じゃなくて夜のソレだ。
落ち着いて感じると分かるんだけどな。
「ま、朝でも夜でも水は冷たいんだけど………………なんじゃあれ!?」
顔を洗い終え、中庭から厨房の方を見ると、見覚えのない建造物が隣接していた。
塀の側まで行って覗き込むと、なんか蔵みたいなデカさの建物が厨房に寄り添うように建っていた。
……え?
俺、実は半月くらい寝てたの?
こんなもん、一週間やそこらで建つもんじゃないだろう?
つか、アッスントの持ってきた簡易氷室はどこに…………氷室か、これ!?
「ジネット! なんか外に氷室っぽいのが!?」
「はい。ウーマロさんが超特急で建ててくださいました」
「いやいやいやいや! あんなもん一日二日で建つもんじゃないだろう?」
「一日で作り上げてくださいましたよ。すごかったんですから、トルベック工務店さん大集結で。カワヤ工務店のみなさんもたくさん集まってくださって」
何やってんだよ、あいつら?
テーマパークをほっぽり出してよ。
「マグダさんの添えた『急いでくれると嬉しいにゃん』の効果でしょうか?」
すげぇな、マグダ。
効果絶大じゃねぇか。
「みなさん、ヤシロさんが倒れるほど頑張ったんだって、負けていられないっておっしゃっていましたよ」
「いや、俺は……自業自得の自爆だしなぁ」
誰かのために頑張ったわけじゃなく、自分でやり始めてついつい夢中になって、寝不足で倒れただけだ。
うわぁ……改めて考えると恥ずかしい。
「でも、みなさん喜ばれていましたし」
手を拭いて、俺の前に来て、別の新しいタオルで俺の前髪を拭く。
「いつも、ヤシロさんは拭きが甘いですね」なんて言いながら。
「この数日で、一体どれだけの人が笑顔になったでしょう」
俺の前髪を摘まんで整え、そんなことを言う。
「ヤシロさんは、やっぱりすごいです」
「…………たまたまだよ」
喜ばせようと思ってやったわけじゃなく、なんというか……なるようになったら、そうなってた、みたいな?
だから、別に俺がどうとかいう話じゃない。
「では、もう少し待っていてくださいね」
言って、ジネットが厨房を出て行こうとする。
中庭の方へ。
「食料庫か?」
「いえ。ヤシロさんが起きたら、どんな真夜中でも起こしてほしいとお願いされていましたので」
嬉しそうに言って、ぱたぱたと駆けていく。
マグダがジネットにお願いしたのだろう。
マグダにも、謝らないとな。
「今日は、謝罪行脚、かな」
それも自業自得だな。
なんて思っていると、ばたばたと駆けてくる音が聞こえてきた。
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