報労記46話 救国の -3-

 時間がないので手早くやっちまおう。


「給仕長と給仕たち、集合!」

「整列致しました、カタクチイワシきゅん」


 ずらっと、給仕たちが並ぶ。

 たぶん、おそらく、俺がアルシノエの――貴族令嬢の部屋に入ったり、密室で貴族令嬢の髪に触れるとかメイクするとか、そういうことをしたりするのはアウトなのだろう。

 四十二区でならともかく、三十五区ではやめておいた方がいい。


 なので、衆人環視の元、さくっとやっちまう。

 デパートの化粧品売り場でメイクするようなもんだ。

 何もやましいことなんぞないので堂々としておく。

 給仕たちにしっかりと見せてやれば、今後メイクをしてやることも出来るだろうし。


「まず髪を切るぞ。雑過ぎるんだよ、この切り方」

「アルシノエの髪はボリュームがあり過ぎて切りにくいのわ」


 母親が切ってんのかよ。

 職人を呼べよ、貴族なら……あぁそうだった。この家には余分な調味料を買うような余裕もないんだった。


 髪を切ると言えば、給仕たちがすぐさま庭で散髪の準備を整えていく。

 毎度家で切ってるってのがよく分かる手際の良さだ。


 髪のチェックをしつつ、アルシノエの準備が整うのを待つ。


「大方、くせっ毛が広がるからって短くしてんだろ?」

「そうなのわ。そうしないと、本当に広がって大変なのわ」


 そう答えたのはアルシノエ。

 本人が短くしてほしいと注文していそうだな、これは。


「くせっ毛は、軽くし過ぎると逆にまとまらなくなるんだぞ」

「そうなのわ?」

「そうなのわ」


 いっけね。

 口調伝染うつっちまった。


「長さは仕方ないから、毛先が暴れないようにまとめていくぞ。給仕長――」

「シュレインです」

「じゃあ、シュレイン。俺のハサミの使い方を見て、可能なら覚えてくれ」

「努力してみます」


 外へ外へ広がろうとする毛先を、内側へまとめるようにハサミを入れていく。

 余分な部分はカットして、適度に梳いて。


「レジーナがいれば、ヘアワックスをもらうんだが……」

「はい。ボクのヤツでよければ使いなよ」


 もはもはの髪の毛をどうしたものかと思っていると、エステラが小さな缶のケースに入った整髪料を寄越してくる。


「用意がいいな」

「ナタリアがね、いつも持ち歩いてくれてるんだよ。他にメイク道具もね」


 いつも軽装に見えるナタリアが、一体どこに……はっ、そうか!


「すげぇな、谷間って」

「そんなとこには何も入れさせてないよ!」


 なんか、目立たないところに小さなカバンを仕込んでいるらしい。

 なんだよ。この缶も谷間から出てきたのかと思って、ちょっとテンション上がったのに。


「じゃ、借りるぞ。代金はルシアに請求してくれ」

「それくらい、言われんでも支払ってやるから、さっさとやれ、カタクチイワシ」

「いえ、ルシアさん。これくらいは請求しませんから」

「いや、しかし、三十五区のために三十五区の貴族をメイクしてもらっているわけだからな」

「まぁその辺は、あとで話しましょう」


 金銭のやり取りをなるべくやりたくないみたいだな、エステラは。

 あいつ、友人間でもお金の貸し借りはダメだとか言いそうだもんな。


 デリアもそんなこと言ってたっけ。

 だから、荒れ狂う川にオメロを沈めなきゃいけないんだって。……何その理論。怖いんですけど。

「大雨で漁が出来ないから荒れ狂う川で泳ぎのコーチしてやるよ。だから金払え」って、拷問をチラつかせてカツアゲしてるようなもんじゃね?

 被害者がオメロじゃなかったら大問題になってたかもしれないよなぁ。



 とか、昔のことを思い出している間に、もはもはと暴れ回っていたアルシノエの髪の毛はすっきりとまとまり、ふんわりパーマみたいなフェミニンな印象に変わった。


「ほぅ、変わるものだな」

「確かに、これはすごいね」

「え、あの……そんなに違うのわ?」

「ストップだ、アルシノエ。感想を聞くのは、メイクが終わってからにしてくれ。シュレイン、いつも使ってるメイク道具を持ってきてくれ」

「すでに、こちらに」


 給仕を動かし、メイクの準備も完了していたか。

 なかなかいい動きをするな、ここの給仕も。


「じゃ、今してるメイクを落としてくれ」

「アルシノエ様、こちらをお使いください」

「わ、分かったのわ……」


 戸惑いながらも、アルシノエは用意された水の入った桶で顔を洗う。

 その間に俺は並ぶメイク道具を確認する。


「……色が重いな」


 そういう色味が好きなのか、濃い青系の化粧品が多かった。


「エステラ、悪い。メイク道具も貸してくれ」

「いいよ。ナタリア」

「はい、すぐにご用意します」


 ナタリアが腰に付けたカバンからメイク道具を出して並べていく。

 エステラに似合いそうな、明るく華やかな色合いのメイク道具たち。

 ファンデもリップも、明るい色味だ。


「アルシノエみたいなタヌキ顔には、明るめの色合いで柔らかい印象のメイクの方が似合うぞ」

「た、たぬ……たぬき、ですか?」


 顔を拭きながら、ちょっとショックを受けたような顔をこちらへ向ける。

 悪口じゃねぇよ。


「幼く可愛らしいっていう……まぁ、誉め言葉だ」

「そ、そう……なのわ?」

「そうだ」


 丸顔にややタレ気味の丸い目。

 ぷっくりとした唇とふっくらしたほっぺたは、まさにタヌキのような小動物感を醸し出している。

 そこへ、色のくっきりとした濃いメイクを載せると、キツい印象になってしまう。

 どうしても色っぽい路線で行きたいというのであれば話は別だが、自分に自信が持てずに迷走しているのであれば、まずは万人受けする愛されメイクを試してみればいい。


 さささと、ファンデを載せていく。

 会話をしながら、どんどんとメイクを仕上げていく。


「あの化粧品の配色、ベッカー家のロリーネを意識して集めたのか?」

「えっ!? …………そう、なのわ」


 だろうな。

 こういう色合いなら、ロリーネによく似合いそうだ。


「彼女に近付けば、ワタシも、もしかしたらって……思った、のわ」


 なるほど。

 トラウマになるほどショックを受けると同時に、あの自信たっぷりなロリーネの容姿に憧れてしまっていたわけだ。


 だが。


「顔の系統が違うから、同じようなメイクじゃ似合わないぞ」


 ロリーネはキツネ顔で、アルシノエはタヌキ顔だ。

 まるで違うし、真逆といってもいい。

 ロリーネはキツい印象の美人系で、アルシノエは柔らかい印象の癒やし系だ。


 同じメイクをしたって、似合うはずもない。


「お前はお前の美しさを追い求めればいい。そうすりゃ、誰もマネできない、オンリーワンの存在になれるだろうよ」

「ほんと……なの、わ?」

「俺が信じられないなら、自分の目で確かめてみろ」


 ぽんっと、背を押し、椅子から立たせる。

 アルシノエはゆっくりと移動して、給仕長シュレインの待つ鏡を覗き込む。


「……これが、ワタシなのわ?」


 そこに映る自身の顔を見て息を飲むアルシノエ。

 というか、お前の家族はさっきから言葉を失ってお前のことを見てるぞ。


「見違えた……のわ」


 こちらを振り返ったアルシノエは、素晴らしく垢抜けていた。

 さすが俺だ。

 俺がその気になれば、そこらの田舎娘をファッション誌の表紙を飾るトップモデルに変えてしまうことだって可能だろう。

 さす俺!


「すごく綺麗だよ、アルシノエ」

「うむ、見違えたぞ」

「ホント~。その姿で街を歩いたら、よくない虫がいっぱい寄ってきちゃうかもね~☆」


 エステラたちの反応を見て、アルシノエが照れたように頬を押さえる。

 シュレインが動き、アルシノエの前に鏡を差し出す。

 もう一度鏡を覗き込むアルシノエが嬉しそうに笑みを浮かべる。


「お父様、お母様…………ワタシ、綺麗のわ?」

「あぁ……。あぁ、もちろんだとも! 可愛過ぎて言葉が出ないくらいだよ、アルシノエ!」

「えぇ、本当にそうなのわ!」


 父ヨルゴスが両腕を広げて、アルシノエを抱きしめ、母エカテリーニがその隣へと駆け寄る。


「正直、今までのメイクはちょっとブッサイクかな~って思ってたけど、今のメイクは本当に可愛いのわ!」

「おい、そこの猛毒母親!」


 折角盛り上がりかけた自信を土足で踏み砕こうとするんじゃねぇよ!

 俺の努力を無に帰するようなことすんな、マジで、な!?


 とことこと、弟のタキスがアルシノエに近付いていく。


「ワタシも驚きましたよ、姉上。本当にお可愛らしくなられました。まぁ、ワタシの方が可愛いですけども」

「弟もハウス!」


 他人への気遣いって言葉を知らんのかね、この一族は!?


 で、残った兄貴パキスはというと……


「カタクチイワシ様!」


 なんでか俺の前に来て、涙ながらに俺の両手を握ってきた。


「後生だ! ワタシの髪もカットしていただきたい!」

「いや、伸ばしてんじゃねぇのかよ、その鬱陶しいロン毛?」

「違う! 母上に頼むと、タキスのような頭にされるから拒否し続けているだけなのです!」


 タキスのような……あぁ、前髪ぱっつんのおかっぱ、つーか坊ちゃん刈りな。

 なるほど、エカテリーニは散髪がことごとく下手なんだな。

 でも金がないから床屋にも行けないと。


「給仕長にやってもらえばいいんじゃないか?」

「ふん! 並以下の女がワタシのキューティクルに触れるなど、罪なのですよ、カタクチイワシ様? あんだーすたん?」

「――というイラッとすることを言われますので絶対にやってやるものかと給仕一同で結託しておる次第です。ダッサいぱっつん前髪にされてしまえばいいのですとは、口に出して言えませんが常々思っております」

「口からぽろぽろ出ちゃってるよ、給仕長!?」


 ベテランの出来る給仕長だと思ってたのに、買いかぶり過ぎだったかなぁ!?


「なんにしても、時間を食い過ぎた。髪を切ってほしいなら、後日四十二区まで来い。今日は無理だ」


 俺たちは、港で人形劇をして、その後寿司職人に寿司を教えて、可能なら噴水設置予定地を見て、夕方までに四十二区に帰らなければいけないのだ。

 オッサンのロン毛を切っているヒマなどない!


「分かった。では、それは後日の約束といたしましょう」


 素直に引いてくれてよかった。


「あの兄上が、ご自分の髪を任せたいと…………もしかして、相当イケてるのわ、この髪とメイク!?」


 うん。なんかアルシノエも自信ついたみたいだな。

 なんか、早まって面倒くさい予約を受け入れてしまったが……今日を円滑に終えるためだと思えば……致し方なしか。

 切ってやるよ、髪くらい。


 その代わり――水路と人形劇に関しては一切の反論を許さねぇからな?

 こちらの要望を丸呑みさせてやる。


 イヤなら髪を切らないと言えば、あのロン毛はこちらの味方になるだろう。

 ふっふっふっ。






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