報労記36話 それぞれの客室にて ヤシロ -1-
甲板での夕食兼大宴会プラス夜釣りin釣り堀大会が終わり、客室へ戻ったころにはそこそこくたびれていた。
なんか、妙なテンションでいろいろ料理しちまったせいか、体も頭も適度に疲れてふわふわしている。
「さすがに食い過ぎた……腹が重い」
着替えるのも億劫で、着の身着のままベッドへと横たわる。
酒気にあてられたか、今日一日の疲労か、まぶたを閉じればじんわりと溶けていくようなまどろみが襲ってくる。
このまま眠れば、きっと明日の朝まで泥のように眠れるだろう。
「……寝るか」
この船のクルーが点けておいてくれたのであろうランタンの火が、まぶたの向こうで揺れる。
赤い、柔らかい光は心地のよい薄暗さで、ガキのころ暗闇を怖がった俺のために女将さんが点けておいてくれた豆電球の弱い光を思い出す。
……ふふ、親方は「真っ暗じゃないと眠れないのに」って文句言ってたっけな。
でも結局、薄明りに慣れちまって、いつだったか行った旅行先で「部屋が暗過ぎて落ち着かない」って、間接照明をつけて寝てたっけ。
今思えば、随分と俺を中心に生活を変えてくれていたんだなぁ。
あのころはそれが普通で、当たり前で、そんなこと全然気が付いていなかった。
無理をさせていたのだろうか……
――いや。きっと、カンパニュラが来てからマグダやロレッタが自分の立ち位置を微妙に変化させたように、無理にではなく自然と変わっていったものなのだろう。
少し前までなら、罪悪感なんてもんを抱いちまったかもしれないが……
今は――
「ありがとな、親方、女将さん……」
申し訳なさよりありがたさを感じる。
きっと、ジネットや、今の俺のように、身の回りに生じた変化を好ましく思い、歩調を合わせて変化してくれたのだろう。
カンパニュラに、「私のために生活を変えさせてしまって申し訳ありません」なんて言われたら、ちょっと寂しい気がするだろうしな。…………ジネットは。
俺はともかく、ジネットは寂しがるだろう。俺はともかく。
あぁ、ダメだ。
体は疲れ果ててるのに頭が冴えている。
割とどうでもいいことをぐるぐると考えてしまっている。
この状態になるとなかなか眠れないんだよなぁ。
何も考えないようにしても、脳が勝手にいろいろ考えちまって、考え始めると結論が出るまで思考が止まらない、にもかかわらず体が寝ようとしてるから思考は鈍り堂々巡りを始めてしまい、なんとも言えない気持ち悪さだけが延々と続く。
考えるのをやめても、空回ってる脳が過去の情景なんかをまぶたの裏に浮かび上がらせる。
ほら、今も親方と女将さんがにこやかに手を振っている情景が浮かんできている。
これは、旅行に行った時の思い出かな。親方たちの向こうに海が見える。
親方たちのことを思い出したせいか? ……あぁ、違うな。
きっと室内のプールが水音を立てているから海のイメージが浮かんでくるんだ。
ちゃぷちゃぷと、船の揺れに合わせてなのか海の波に合わせてなのか、水面が揺れて微かな波音を立てている。
ちゃぷん……ちゃぷん…………ちゃぷん…………
いや、水音怖っ!?
断続的に聞こえる小さな物音って、やたらと耳について睡眠を妨げるよね!
よし、気にしないようにしてさっさと眠ろう。
ちゃぷん……ちゃぷん…………ちゃぷん…………
あのプール、深くて、底の方暗かったよなぁ…………仄暗い、深い、深い、海の底…………底へ繋がる、室内のプール…………得体の知れない者が水路を通って…………
いや、待って待って!
なんか怖い想像が――
ちゃぷん――
ひぃいい!?
水音、怖いっ!?
なんか這い出してきそうで、めっちゃ怖い!
あぁ、いかんいかん。
こういう時は寝返りを打てば、体の動きに合わせて思考が一時中断されて…………くぅっ! 体が疲れ過ぎて動かない!?
完全に寝に入ってるな、この体!?
いやいや、大丈夫大丈夫。
まだ慌てる時じゃない。
こういう時は、一回目を開ければ、室内という現実を目の当たりにして、脳内に湧き上がってきた恐怖心が霧散するもんなんだよ。
脳と肉体の齟齬を解消するには一度起きるのがベスト!
さぁ、起き…………くっそ、まぶたが開かない!
まぶたが開かない時は、体を、少しでもいい、指の一本でもいいから動かす!
体が動けば精神と肉体が繋がり、この意識だけが無駄に空回りする苦痛の状況から抜け出せ…………指一本も動かないいぃいい!
ぁぁああぁあああああ、金縛りだぁぁああ!
怖いぃぃいいい!
いや、待て、違う!
これはオカルトチックな現象ではなく、科学や医学でも証明されている事象で、別に霊的な、オバケ的な要因ではなく、ただ単純に肉体の疲労が脳内分泌物とバランスの取れない状況に陥っているだけで…………ひぃいいいっ、脳内で手を振ってた親方と女将さんが、いつの間にか「おいでおいで」してるぅぅううう!
いやぁあああ、めっちゃいい笑顔ぉぉおおおっ!
ちゃぷん……
今の音何!?
いや、ただの波音だよ!
本当に!?
なんか水面から出てきてない!?
目ぇ開けたら、水面から鼻より上だけを出したびしょ濡れの女がこっちを「じぃいい……」って見てたりしない!?
うぎゃぁぁあああ!
鼻から上だけのびしょ濡れ女、めっちゃリアルに想像しちゃったぁぁああ!
えげつなく怖いぃぃいぃいいいいっ!
金縛り怖っ!?
身動き取れないのに怖い想像だけが加速度的にぃぃいいいい!
声!
声出そう!
体が動かないなら声を出せば意識と体がリンクして………………使い古しのノートパソコンより動作重いな、俺の身体!?
なんかずっとアイコンがくるくる回ってる感じだわ!
ローディング時間長過ぎませんかねぇぇえ!? ねぇぇええ!?
「…………」
声も出ないよねぇー!
うん! なんかもう分かってたけどねー!
えぇい、ちきしょう!
こうなったら無理やり寝てやる!
ヒツジが一匹ヒツジが二匹ヒツジが…………ウクリネスがいい笑顔でお仕事始めてるぅう!? 俺の脳内でもにこにこお仕事始めちゃってるぅぅうう! めぇぇええ!
「………………ん…………んんんっぬゎああああ!」
もがいてもがいて、なんとか声を出して跳ね起きる。
「……はぁ……はぁ……はぁ」
ばくばくと、静かな部屋の中で心臓の音だけが聞こえる。
……起きた。
起きられた…………
「怖…………かったぁ……」
どっと疲れが押し寄せて、頭が勝手に項垂れた。
あぁ、ごめん、親方、女将さん。
目が覚めてみたら全然怖くなかったわ。
なんか、あの状態の時ってなんでも怖く感じちまうんだよ。
いや、でもこれは心理学的にも医学的にも報告されている事象で、割とよく起こる現象なんだよ。
別に親方たちのことを怖がっているとかそういうんじゃなくてな。
海外では、寝ていると自分の体が物凄く小さくなって、どんなに手を伸ばしても枕元の時計や抱いて寝ていたぬいぐるみに手が触れなくて、怖くなって起き出して部屋を出ようと駆け出すも、どんなに進んでも部屋から出られない、ドアにたどり着けない――という物凄くリアルな夢を見て現実と混同してしまったという体験談が報告されている。
確実に起きた、と自覚する夢を見ることがあるんだよ、こういう状況の時には。
まぁ、それは自覚ではなく錯覚なんだけどな。
……とにかく、体だけが疲れ切って脳を置いてけぼりに先に寝ようとすると、金縛りだと言われている状況に陥り、非常に恐ろしい体験をした――と錯覚してしまうことがある。
これ全部科学で証明されていることですから!
ゆーれーとかおばけとかじゃないからー!
……が、今寝ると絶対同じ状態に陥るだろう。
「……意識失うまで、なんか作業するか」
スイートルームに避難する手もあるだろうが……ハビエルのヤツ、結構飲んでたしなぁ。
ウーマロとベッコはもう寝ちまってるし、セロンとオルキオはどっちも夫婦で過ごすだろうし、ハビエルが酔いつぶれて部屋で寝てたら…………ここより広いスイートルームで独りぼっち?
絶対怖い!
絶対イヤ!
ちゃぷん……
ちゃぷんじゃねぇよ、プール!
さっきからずっと怖いんだよ、その音!
「あぁ、そうだ。花咲か爺さんの語り手をやるロレッタだけ、本番で手に付ける自分専用のパペットがないんだっけな……」
なんか作ってやるか。
必要はないが、全員がパペットを持ってスタンバイしている時に自分だけ何もないとか、ロレッタは寂しがりそうだからな。
そうだ。
シェイクスピアみたいに語り手を役として登場させてやればいいんじゃないか?
シェイクスピアでは吟遊詩人だとか森の精霊なんかが最初に出て来て物語の説明をするんだよ。
だから、最初に出て来て説明をする語り手のキャラ――初見でも受け入れられ、愛着を持ってもらえるような、人懐っこくて話し上手なキャラを…………
「それもう、まんまロレッタじゃねぇか」
じゃあもう、ロレッタのパペットでいいか
冗談で作ったミリィのパペットもあるけど、ロレッタがやるならロレッタのパペットを作ってやってもいいだろう。
というか、作業をしたい!
ミリィパペットがあるからいいやとか、一切思えない!
仕事をください!
疲れ果てて眠ってしまうまでやり続けられる手仕事を!
「あ、でもそうすると……マグダが寂しがるな」
ロレッタだけあってマグダがないとか、絶対拗ねる。
でもマグダの分まで作るとなぁ、ジネットやカンパニュラは自分から何も言ってこないだろうが、やっぱ寂しいんじゃねぇかなぁ……
「しゃーない。ジネットたちのも作るか」
花咲か爺さんチームは全員…………ってなると、絶対パウラやネフェリーがうるさいから……
「えぇい、分かったよ! 全員分作ってやらぁ!」
無理やり跳ね起きた影響か、きっと脳も少し寝ぼけてたんだろうな。
思考が雑になって、気が大きくなったというより大雑把になっている感じだ。
「さて、布は何がどんだけ残ってたかな~っと……」
重い体で余った布を木箱から引っ張り出し、がさごそと物色していく。
途中途中で、「俺、何やってんだろうな?」って思考が浮かぶが、やり始めたことは最後までやらないと気持ちが悪い。
使わんでいいところにまで気を遣って、自分で自分の首を絞めるように苦労を背負い込んで……それで、案外悪い気がしていないところが始末に負えない。
「やっぱ……俺って親方と女将さんの子なんだろうなぁ……よく似てるわ」
そんな愚痴ともつかない呟きを漏らし、回転の鈍い脳みそを動かして頭の中に設計図を組み立て、布をがさごそ、がさごそと物色した。
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