報労記35話 それぞれの客室にて その2 -3-
【客室G イメルダ・エステラ】
室内へ入り、ワタクシは「ぶゎっさ!」とドレスを翻し、敗残兵へ向かって高らかに勝利宣言をいたしますわ。
「さぁ、崇め奉りなさいまし、勝者たるこのワタクシを!」
「うん、オメデト。奥のベッド使っていいよ。じゃ、ボクはスイートルームに行くから」
「お待ちなさいまし!」
食事のために持ち出した簡単な手荷物を置くや否や、部屋を出て行こうとするエステラさん。
まったく、なっていませんわ。
「そのように大急ぎで行って、万が一にも一番乗りになって御覧なさいな……『うわ、あの人たちスイートルームが珍しいんだ……ぷくすっ! 貴族さんって意外と庶民派なんですねーぷぷぷー!』――と思われますわよ!」
「そんなこと言うの、ヤシロと君くらいだよ」
「ナタリアさんも言いますわ」
「もういいよ、そこら辺の人には好きに言わせておけば」
「ぺったんこ!」
「だからって許容するとは一言も言っていないけどね!」
「好きに言わせておけ」と言ったそばから怒りをあらわにする。
まったく、レディとしての基本がなっていませんわ。
「エステラさんには、レディとしての教育が必要そうですわね」
「えぇ……ヤだよメンドクサイ。それなりの場でそれなりに振る舞えればそれでいいよ、ボクは」
「おシャラップなさいまし!」
「不思議な言葉を作らないように!」
ガツンと叱ればキャンっと吠える、まるで小やかましいワンコですわ。
「まるで日焼けしたメス犬ですわね!」
「日焼けしてるのは君もだよ。……ほんと、真っ黒だよ」
「釣りをしながら差せる日傘がないことがイケナイのですわ」
ワタクシには、日傘を差すつもりも、日焼けを避ける心づもりも、しっかりとございましたのよ?
けれど、竿を両手で持てば日傘は差せず。代わりに持ってくれるような給仕もここにはおらず。
つまりは、釣りをしながら差せる日傘が存在しないこの世の中が悪いのですわ。
「釣りをしながら差せる日傘かぁ。それはいいね。明日ヤシロに考えさせよう」
ころころと、上機嫌に喉を鳴らすエステラさん。
ほのかに酔っているご様子ですけれども――
「随分と気安く使いますのね、ヤシロさんを」
「だってさ、昨日からずっと知識と技術の大盤振る舞いじゃないか。なんだか、この船に乗っている間に言ったお願い事は、みんな叶えてくれる気がするよねぇ。言わなきゃ損だよ、絶対」
「見返りを要求されたら、きっと返しきれませんわよ」
「その時は、踏み倒す!」
「……ヤシロさんを相手に、ですの?」
「まぁ……無理だよね、絶対」
ヤシロさんが本気になれば、地獄の果てまでも追いかけてきますわよ、絶対に。
「支払いに窮すれば、体で払うしかなくなりますわね」
「ふぇい!?」
ぼっと顔中の血液を沸騰させ、赤く染まるエステラさん。
まぁ、見事な染め物ですこと。
「か、から、からだでって……体でって、な、なな、なにをバカなここここここっこっこっこっこっこっ!」
ニワトリになってますわよ。
むね肉に期待が持てないチキンに。
手羽とモモだけで勝負するしかないチキンに!
「陽だまり亭のまな板がエステラさんになる日も、そう遠くはありませんわね」
「誰がまな板になるか!?」
「『もうすでになっているからね☆』」
「言わないし、似てないにもほどがある! 悪意しか感じない!」
「では、大皿に?」
「ならない!」
「そうですわよね。エステラさんなら小皿が精々……」
「小鉢くらいはあるから!」
「『精霊の――』!」
「張り倒すよ!?」
指さしたワタクシの手をぺしりと叩き落とし「くわっ!」と、目を見開いて牙を剥くエステラさん。
まぁ、怖い。
殿方にはお見せできない顔ですわね。
「もういい。準備する」
興味を失ったように言って、エステラさんはカバンを漁り始めましたわ。
あら、お揃いのパジャマですわね。
以前、素敵やんアベニューへ赴いた際、みなさんと一緒に買ったお揃いのパジャマ。
みなさんは何色にしようかと悩み、相談し、検討されていましたが、ワタクシは一目で買う色が決まったので先に購入いたしましたの。
ですので、他の方はワタクシが何色を購入したのか、ご存じないかもしれませんわね。
ではでは、お披露目して差し上げますわ!
「御覧なさいまし! ワタクシのはゴールドですわ」
「うわぁ……『こんな派手なの誰が買うんだろう』って思ってたのを買った人がいたよ……たしか君は、迷いなくいの一番で買ってたと思うんだけど……?」
「ワタクシに相応しいゴージャスさでしたので、即決でしたわ」
「そっかぁ、ウクリネス、狙い撃ちしたんだろうなぁ、きっと」
「夜の闇の中で、最も輝くのはこのワタクシですわ」
「いや、たぶんウェンディが一番だよ」
「自力で発光されている方はプロと見做して除外ですわ!」
「……ウェンディは、そんなプロを望んではいないと思うけどね」
いやしかし、ウェンディさんの隣にいれば、金色が光を反射して美しいかもしれませんわね。
「少々ウェンディさんのお部屋へお邪魔してみましょうかしら?」
「いや…………夜間は、近付かない方がいいんじゃない、かなぁ? 知らないけど」
なんだか気まずそうに顔を背け、手のひらをこちらに向けて制止してくるエステラさん。
一体何を想像されていますの? いやらしい。
夫婦なのですからそれくらいのこと……それ…………この船の上でそのようなことを!?
「破廉恥ですわ!」
「うん……だから、お邪魔するのは、ね、やめとこう」
「ヤシロさんを送り込んでやりましょうかしら?」
「やめたげて。暗い海の中をセロンが漂うことになっちゃうから」
確かに、光るレンガはこの先も必要ですわね。
職人を失うわけにはまいりませんわ。
「パジャマに着替えたらスイートルームに行こう。そしたら、ナタリアかジネットちゃんがお茶を入れてくれるよ」
「お待ちなさいまし」
服を脱ぎ、いそいそと着替えようとするエステラさん。
……女性同士だからといって、羞恥心がなさ過ぎませんこと?
まぁ、今さらですけれども。
そもそも、貴族令嬢が使用人の手も借りずに召し替えをするなどと…………まぁ、ワタクシも他人のことは申せませんけれども。
それでも、譲れないところはありますわ。
「体も拭かずにパジャマに着替えるおつもりですの?」
「え、だって、お湯がないじゃない?」
「沸かしますのよ。そのために各部屋に簡易的なカマドが設置されているのですわ」
「えっ、お茶用じゃないの、これ!?」
「それに使っても問題ありませんけれども、メインは湯浴み用ですわ。ほら、部屋の隅に衝立が用意してあるではありませんか」
「あ、そのためなんだ。仲悪い場合、ベッドの間に衝立を立てるんだと思ってた」
なぜ分からないのでしょう?
外泊をすればこういう仕様の宿は他にいくつでも…………あぁ、そういえば、あまり外泊をなさらないんでしたわね、この領主様は。
特に、高級宿なんて、泊まったことすらないのではなくて?
……今度、無理やりにでも連れ出して経験させるべきですわね。
他区の貴族に侮られてしまいますわ。
設備もろくに使えない田舎者だと……
「恥をお知りなさいまし、田舎者!」
「急に盛大なケンカを吹っ掛けてきたね!? 受けて立つよ!」
上等ですわ!
では、覚悟なさいまし!
――っと、その前に。
「ワタクシが、宿の設備の使い方を教えて差し上げますわ!」
「えぇ……いいよ。たぶん、ナタリアが知ってるから」
「知識としてご自分の頭にも入れておきなさいまし!」
「なんかイメルダが母上みたいなことを言い出した!?」
まったく、世話の焼ける娘ですこと!
「怠慢な者の望みは叶いませんわよ。すなわち、一生ぺったんこのままですわ!」
「そこまで母上と似たようなこと言わなくていいから!」
どのような母娘関係ですの?
まぁ、それはよろしいですわ。
「さぁ、お脱ぎなさいまし」
「ぇえっ? な、なんでさ?」
「体を拭くのですわ」
「い、いいよ、自分でやるから」
何を急に恥じらっていますの?
ついさっき、恥じらいもなく着替えようとしていた人が。
「遠慮はいりませんわ。このワタクシが、特別に背中を拭いて差し上げますから」
「と言いながら、君が拭くジェスチャーをしているそこは胸だよ!」
「あら、いけない。間違えてしまいましたわ」
「絶対わざとだよね!?」
「よく似ていましたもので」
「悪意の塊か!?」
薄い胸元を隠し、乱雑に脱ぎ捨てた上着で下着を隠す。
……なんでしょう?
エステラさんのこの姿…………剥きたくなりますわね。
「お覚悟!」
「護身術!」
「護身術返し!」
「護身術返しは変質者が体得するモノだよ!?」
ギャーギャーと喚くエステラさんと取っ組み合い、ベッドに押さえつけて衣服を脱がせ……くっ、反撃とは小癪ですわ!
ワタクシの衣服をそうそう容易く剥ぎ取れると――妙に手慣れてませんこと!?
「貴女、どこで令嬢の衣服を剥ぎ取る練習をなさったの!?」
「人聞き悪いな!? ボクは自分で着替えることが多いから、君よりも慣れているだけさ! あと、教会で女の子たちの着替えの手伝いもよくしているしね!」
くぅ、まさか、エステラさんがそこまで庶民じみた方だったとは……
「田舎生まれはズルいですわ!」
「四十区もそう変わらないよ! 失敬な」
今でこそそうかもしれませんが、ワタクシたちが幼少の頃では比ぶべくもなかったはずですわ!
だからこそ、エステラさんは貴族令嬢らしからぬ器用さでこんなにも手早く他人の服を――あ~れぇ~!
「……ご無体ですわ」
「先に脱がせようとしてきたのはそっちじゃないか! 下着を残してあげたボクの優しさに感謝するんだね」
あっという間に下着姿ですわ。
これが殿方でしたら、責任問題どころか、賠償請求をしているところですわ!
「……くっ、目の当たりにすると、改めて……っ!」
まぁ、とある部分をご自分のと比較して精神的大ダメージを負っているようですので、多少は留飲が下がりますけれども。
自業自得ですわ。
「では、お湯を沸かしますわよ」
「順序が逆ぅ!」
えぇ、そうですわね。
揉み合っている最中からうすうす「あれ、お湯沸かしてなくね?」と感じておりましたわ。
ですが、負けるわけにはいかぬ淑女の戦いの最中、そのようなことにかまけている暇などありませんでしたのよ!
なぜなら、エステラさんの脱がせテクが凄まじかったから!
「エステラさんが、令嬢を剥ぎ慣れているのがイケナイのですわ」
「君は、人聞きを悪くしないと物が言えない病気なのかい?」
「そもそも、エステラさんがさっさと脱ぎ始めてしまったがために、このようなことになったんですのよ? 脱ぎたがりも大概になさいまし」
「君の病は深刻なようだね。そのうち訴えるよ?」
こちらを睨み、「バカなことやってないでさっさとお湯を沸かすよ」と、水瓶から鍋へと水を汲むエステラさん。
「がんばっ、ですわ」
「せめて手伝って! 君だからね、体を拭くって言い出したの!?」
言い出しっぺがどうとか、関係ありませんわ。
貴族令嬢であるならば、毎日体を清く保っているのが常識ですの。
先とか後とか、そんな些末なことに気を取られている暇があるならば、早くお湯を沸かしてくださいまし!
「イメルダは、冷たいのと温かいの、どっちが好き?」
「温かいのですわ」
「じゃあ、カマドに火を熾しといて」
「ワタクシ、火つけ布は苦手ですの」
「じゃあ、水瓶からタライに水を汲んでおいて」
「冷たいのも嫌ですわ」
「……水で体を拭かせるよ?」
「殺す気ですの!?」
日が落ちて、気温がぐんぐん低くなっている今、水で体を拭くなど自殺行為ですわ!
いいえ、ワタクシはエステラさんに背中を拭いてもらうつもりですので他殺ですわ!
「殺人鬼ですの!?」
「なら手伝え」
まぁ、怖い顔ですこと。
仕方ありませんわね。
苦手といえど、火つけ布で火をつけるくらい造作もありませんわ。
特殊な薬品が塗布されている布と布を張り合わせ、それを引っ張り剥がして摩擦すれば火が――
「きゃああ! ものっすごい火が出ましたわ!?」
「……君は、ヤシロ並みに下手だね」
「ヤシロさんも苦手ですの?」
「そうなんだよ。何回やっても火柱上げちゃうんだよね。なんか、自分の故郷にはもっと便利なものがあるって変な負け惜しみ言ってたけど」
「そうですの……」
では。
「ヤシロさんレベルですわ」
「いや、それ自慢になる時と恥になる時の両極端だから」
ヤシロさんがもっと便利な道具を知っているのでしたら、早晩四十二区にも登場しますわね。
今から楽しみに……いいえ、いっそのことせっついておきましょう。
「あとはお湯が沸くのを待たなきゃいけないんだけど……寒っ!」
確かに冷えますわね。
かといって、一度脱いだ服をもう一度身に纏うことには抵抗がありますわ。
貴族令嬢は、基本的に侍女に衣類を着せてもらうものであり、その侍女がいないところで服を着るという状況は、つまりその……侍女にも言えないような相手と衣類を脱ぐような行為をした時だと思われても致し方なく、つまり貴族令嬢が自分で服を着るというのは、そのような目で見られる危険もないとは言えず……もし自分で着て、着付けのルールから逸脱した部分――たとえばボタンの掛け違えやプリーツに妙なしわがついていたなどを目撃されようものなら…………大問題ですわ!?
「服を着るくらいなら、下着姿でいた方がマシですわね!」
「……その謎理論には到底頷けないけど、汗をかいた服をもう一回着るのは躊躇われるよね」
「そもそも、エステラさんが剥ぎ取ったのがいけないのですわ!」
「そっくりそのままお返しするよ、その言葉」
「誰がエステラさんですの!?」
「一言一句違えずにとは言ってない!」
そっくりそのままとおっしゃいましたわ!
「あぁ、もう。こんなバカなことして風邪でも引いたら一生蒸し返されて笑われ続けるよ」
言いながら、エステラさんはベッドへと潜り込みます。
下着姿のままで。
「うわ、布団冷たっ」
それはそうでしょう。
素肌にシーツなど、冷たいに決まっていますわ。
ですので、ワタクシは温まった布団にもぐりこむのですわ。
これが、頭脳派というものですわ!
「ってぇ!? なんでボクのベッドにもぐりこんでくるのさ!? 君は奥のベッドがよかったんだろう!?」
「奥とか手前とかしゃらくさいですわ! 冷たいか否かが重要なのですわ!」
「じゃあ、なんだったのさ、今日丸一日かけた釣り対決は!?」
「そんなことはいいから、ちょっとそっちへズレてくださいまし。シーツが冷たいですわ」
「ちょっと、押さな……冷たっ!? 君の体、なんでそんなに冷たいのさ!?」
「エステラさんは温かいですわ」
「わぁ、くっつくなぁ! 冷たぁい!」
ほかほかと温かいエステラさんの体にしがみつき、お湯が沸くまでの間暖を取る。
これはこれで、なかなかに心地よい温かさですわね。
「勝者の言うことに従いなさいまし、敗残兵」
「も~ぅ! この次は絶対ボクが勝つからね!」
その後、沸いたお湯で体を拭いて、ワタクシたちはスイートルームへと向かったのですわ。
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