報労記35話 それぞれの客室にて その2 -2-
【客室F ギルベルタ・ジネット】
「それじゃあ、じねっとさん、ぎるべるたちゃん、おやすみさない」
「おやすみなさい、ミリィさん」
「楽しみにしている、私は。明日も続く船旅を」
可愛いの化身ミリィに就寝の挨拶をし、私と友達のジネットは私たちに割り振られた部屋へと入る。
船室のドアが閉まると二人きりの空間。
途端に、空気が柔らかくなったような気がする。
思わず抱きつきたくなる。友達のジネットに。
「友達のジネット」
「はい。なんですか、ギルベルタさん」
「抱きつきたい、私は」
「ふふ、構いませんよ」
「ほら」と、両腕を広げて迎えてくれる。
胸に飛び込めば、優しい力で包み込んでくれる。
今まで生きてきた中で、このように抱きしめてくれたのは母親だけだった。
「柔らかい、友達のジネットは」
「へぅ……っ!? あの、それは……お腹付近でしょうか?」
「ううん。おっぱい」
ぱっと、友達のジネットが離れていく。
……寂しい。
「あの……そういうことは、女の子が口にしない方がいいですよ?」
「口にしてもいい、男の子は?」
「えっと……男性の方には、もっと慎んでいただきたいですね」
「友達のヤシロも?」
「ヤシロさんには……あの…………今後も、根気強く説得を試みるつもりです」
友達のジネットが拳を握ってきりっと眉を吊り上げる。
「手伝う、私も」
「それは心強いですね。ヤシロさんも、ギルベルタさんのような可愛らしい女性に言われると、日ごろの言動を顧みてくださるかもしれませんし」
期待された。
嬉しい。
「張り切る、私は! 実行する、折檻を、おっぱいと口にする度に、友達のヤシロが!」
「あのっ、暴力はいけませんよ」
「では、呈する、苦言を」
「そうですね。注意してあげてください」
「伝える、友達のヤシロに。嫌われる、友達のジネットに、おっぱいと口にする度に」
「いえ、嫌うなんてことはありませんよ!?」
「何をされても?」
「えぅ…………ヤシロさんは、優しい方ですし、お世話にもなっていますので、…………そうですね、嫌いになることは、おそらく、この先もずっとない、かと…………い、いえ、あのっ、忘れてください!」
「伝えてくる」
「忘れてください!」
友達のヤシロが喜びそうな話を伝えれば、友達のヤシロは喜んでくれると思うのに、友達のジネットが困ったような顔で私を止めるので、友達のジネットのお願いを聞くことにした。
……うむ。
分かりにくい、我ながら、自分で言っていることが。
「言われた、私は。言えと、結論を先に。父から」
父は三十五区の街門を守る兵士だった。
規律を重んじ、厳しく躾けられた、私も。
「分かりにくい、私の言葉は。叱られた、昔、父に」
「そうなのですか」
目線を合わせ、じっくりと話を聞いてくれる。
急かすことなく、静かに。
「かかる、時間が、私がしゃべると。かかっている、迷惑が、きっと」
「そんなことはありませんよ」
もう一度、友達のジネットが抱きしめてくれる。
祖父も祖母も厳しかった中で、唯一優しくしてくれた母親のように。
「わたしは好きですよ、ギルベルタさんのしゃべり方が。とても可愛いですから」
「……なら、よかった」
報われる。
友達のジネットがそう言ってくれるなら。
そう思ってくれているのなら。
「ギルベルタさんは、ギルベルタさんのままで十分素敵な方ですよ」
「ルシア様よりも?」
「それは難しいところですね。お二人とも、それぞれに素敵な部分をお持ちですから」
まだ超えられてはいない。
壁は、果てしなく大きい。
「主を出し抜いて優位に立つことこそが給仕長の誉れ!」
「そうなんですか?」
「――と、言っていた、ナタリアさんが」
「そう、なん……でしょうか?」
小首を傾げる友達のジネットも可愛い。
長い髪がふわりと揺れる。
「むぎゅっ、ふわっ、すんすん」
「あの、ギルベルタさん?」
「――と、伝える、友達のヤシロに」
「やめてください! ダメですからね!?」
肩を持って、顔を覗き込まれながらきつく言われた。
ダメらしい。
喜びそうなのに、友達のヤシロが。
「お部屋を整えましょうか」
「やる、私が。休んでいてほしい、友達のジネットは」
「いえ、私たちはお友達ですから、一緒にやりましょうね」
お友達だから、一緒に……
「嬉しい思う、私は、一緒が」
「では、一緒にお部屋を整えましょう」
「了承する、私は!」
友達のジネットと二人で部屋を整える。
とはいえ、シーツも綺麗に敷かれ、掃除も行き届いているため、自分たちの荷物を片付けるだけで終了する。
呆気ない。
もっと協力したかったのに。
「お茶にしましょうか」
「飲んでほしい、私は。友達のジネットに、私のお茶を」
「ではお願いします。その間、私はお茶請けを用意しますね」
小さな炊事場に二人で並ぶ。
一つしかない簡易カマドは、私が湯を沸かすのに使用する。
友達のジネットは持ち込んだ布袋からクッキーを取り出し、皿へと並べる。
「ではいただきましょうか」
「いただく、私は」
お茶が入り、二人でテーブルを挟む。
「美味しいです、ギルベルタさんのお茶」
紅茶に口をつけて、友達のジネットが笑ってくれる。
こんなにも嬉しい気持ちになったことは久しい。
「仕えたい、友達のジネットに」
「えっと……ルシアさんを支えてあげてくださいね」
「了承する、私は」
「でも、わたしにも、たまにこうしてお茶をご馳走してくださると嬉しいです」
「する! いつだって」
「はい。いつでも遊びに来てくださいね」
「行く! 毎日!」
「毎日……ですと、またヤシロさんに叱られますよ?」
確かに。
給仕長の仕事を全うすると誓った、友達のヤシロには。
「では、たまに」
「はい、お待ちしています」
たまにならば、こんなにも喜んでくれる。
私は先日、とある筋から貴重な情報を得た。
世の中には――『適度』という言葉があるらしい。
この『適度』を把握し、巧妙に操れる者こそがこの世で天下を取ることが出来ると、永遠のライバルマグ――とある筋の者が言っていた。
情報源は極秘にすると誓っているので教えることは出来ない。
「適度」
「そうですね。適度がいいですね」
やはり!
さすが我が永遠のライバル。
彼女の言うことに間違いはない。
……と、いうことは。
『友達のジネットは、友達のヤシロが絡むと少し面白いことになる』
という話にも信憑性が出てくる。
なんでも、我が永遠のライバルマグ――情報提供者曰く、双方ともに心配になるレベルの天然なので偶発的な事故によって「なんでそうなる!?」という事態に発展することがしばしばあると。
そしてもう一つ。
友達のジネットが面白くなるキーワード、それは――『こっそり』。
友達のジネットは、何かを隠そうとするほどに自分から秘密をバラさずにはいられなくなると聞いた。
『こっそり』と『友達のヤシロ』…………ふむ。
頭の中に、船内の地図を思い浮かべる。
あみだくじの際、友達のヤシロが地図に記入した文字。
私と友達のジネットの部屋は『F』だった。
そしてその隣は、「俺はここ」と友達のヤシロが書き込んだ『ヤシロ』という字が書かれていた。
すなわち、この部屋の隣は、友達のヤシロの部屋。
「あててみる、壁に、耳を」
「え? 壁に耳をですか?」
向かい合い、二人で壁に耳を当てる。
「…………」
「…………」
しんと静まり返る空間。
「……あの?」
「しっ……静かに」
「……はい、すみません」
「…………」
静寂に耳が慣れてくると、壁の向こうの物音が聞こえるようになってくる。
――ガサ、ゴソ。
「……動いている、部屋で、友達のヤシロが」
「はぅっ!? そういえば、こちらはヤシロさんのお部屋ですね!?」
「……衣擦れ? 思われる、着替えていると」
「だ、だだ、ダメですよ、こんな盗み聞きのような真似は!」
「しかし、聞こえる、館では、こうしていると、ルシア様の声が、――はぁはぁ、ミリィたん、あぁ、ミリィたん――と」
「それは……聞いていないで注意してあげるべきではないでしょうか?」
「そう思う、私も。しかし、否定される、先輩給仕たちに」
「どうしてでしょうか?」
「曰く、『悪いことをした時にご褒美をあげると増長しますよ!』――とのこと」
「なぜ、ギルベルタさんが叱ることが、ご褒美になるのでしょう?」
「それは謎、いまだに、私にとっても」
私がルシア様を叱る時、先輩給仕たちがしょっぱい目で見ていることがある。
そういう時、ルシア様の表情筋はゆるゆるに緩んでいる。
匙加減が難しい。
「さぁ、こんなことはやめて、お茶をいただきましょう」
友達のジネットは立ち上がる。
……が、気になる。
「長い、随分と。聞こえてくる音が、友達のヤシロの部屋から」
隣からは、ずっとガサゴソした音が聞こえてくる。
着替えるにしても時間がかかり過ぎている。
「……忘れた可能性、何かを? たとえば……パンツとか」
「えっ!? それは大変ですね」
慌てた様子で友達のジネットが壁に耳を付ける。
微かな音から情報を得ようと。
「あぁ、そう言われてみれば、ヤシロさんは探し物をする時、カバンや引き出しの中の物をすべて外に出して、物と物の間に挟まっていないかなど、事細かにチェックして、ずっとごそごそしていることがたまにありますね」
「では、高い、その可能性が」
「どうしましょう……下着であれば、替えの物をわたしが持ち合わせているのですが……」
ん?
「パンツをか、友達のヤシロの?」
「い、いえ! 新品の物ですよ!? 一度もヤシロさんが使用されていない、わたしが勝手に買ってきた物です!」
「勝手に買って所持するのか、友達のヤシロのパンツを、友達のジネットは?」
「いえ、あの……いざという時のために、と、思いまして……」
「持っている、友達のヤシロも? 友達のジネットのパンツを」
「持ってませんよ!?」
「可能性はある、勝手に買って所持の」
「いえ、でも、ヤシロさんはそのようなことは……」
「しているのに、友達のジネットは?」
「これは、その………………わた、わたし、もしかして、とても破廉恥なことをしているのでしょうか!?」
真っ赤に染まった顔を両手で覆い、友達のジネットは体を「うにうに」させ始める。
一方、友達のヤシロはずっとガサゴソしている。
「ずっと探している、パンツを、友達のヤシロは」
「はっ!? そ、そうですね。もし下着がないのでしたら一大事です! そ、その、は、穿か、穿かないと、風邪を引いてしまいますよね!」
「平気と言っていた、ナタリアさんは」
「えっと、それは…………ヤシロさんは、慣れておられませんから」
なるほど、慣れは重要。
さすがナタリアさん。プロである。
「行く、届けに? 隣の部屋へ」
「そ、そうですね。もしその通りなら、きっと今頃困っておられるでしょうし」
「ただ、可能性がある、ドアを開けた時に、穿いていないという可能性が」
「それは困りますね!?」
頭を抱え、部屋の中を「一体どうすれば……やはりここは……いや、でも……!」と歩き回る友達のジネット。
「待ってください! 別に下着を探していると決まったわけではありませんよね?」
真っ赤に茹で上がった顔で、友達のジネットがこちらを向く。
「もしかしたら、まるで違うことをされているかもしれませんよ」
「…………たとえば?」
「たと、えば……ですか? そうですね、たとえば…………」
腕を組んで、頬に手を添えて、上を見上げ、下を向いて、頭を抱えて――
「……思いつきません」
泣きそうな顔で言う。
「いえ、違うんです。なんかこう、思いつきそうなんですが、先に提示された可能性が脳裏をチラついてしまって、それにヤシロさんが探し物をされる時の状況とも合致しているせいかなおのことそのイメージが払拭できず……」
真っ赤だと思っていたのは、まだまだ序の口だった。
友達のジネットの顔は、二段階ほど限界を超えた赤色に染まる。
「では、届けに――」
「あのっ!」
動き出そうとした私を止め、友達のジネットは言う。
「ご本人は知られたくないことかもしれません。ですので、こっそりと、余計な気を遣わなくて済むように部屋の前に置いておくというのはどうでしょうか?」
「…………パンツを?」
「もちろん、袋に入れてです! 不審物だと思われないように、短い手紙を添えておけば、きっとヤシロさんなら分かってくださいます!」
「……『パンツ在中』?」
「いえ、あの……『必要があればご使用ください』とか……ですかね?」
それなら、必要なければ使用しなければよいだけで、友達のヤシロの負担にはならない。
さすが、友達のジネット。気配り上手。
私も見習いたいと思う。
「いいと思う、私は、友達のジネットの案を」
「では、お手紙を書きますね」
「確認できる、聞き耳を立てていれば、真相を、きっと」
「あのっ! 荷物を置いたら、スイートルームへ行きませんか?」
「なぜ?」
「いえ、あの……ヤシロさんは律義な方ですので、本当に困っていた場合、きっとお礼に来られるのではないかと……そうなったら、家に買い置きしていただけでなく旅行にまで勝手にヤシロさんの下着を持ち込んだのだとバレてどのような目で見られることか……あ、いえ、そうではなくて、ヤシロさんに気を遣わせないように…………あぁ、そうです! きっとみなさんスイートルームに行かれますから、わたしたちも行っておしゃべりなど楽しいひと時を過ごすのがいいと思います!」
「素敵な提案思う、それは! 是非行きたい、私は!」
「で、では、行きましょう」
ぱぱっと準備して、そそくさと部屋を出て行く友達のジネットについて行く。
友達のヤシロの部屋の前に袋と手紙を置いて、私たちは三階のスイートルームへと向かった。
階段を上る途中、背後から「うぅ……すみません、ヤシロさん。……懺悔します」という呟きが聞こえてきた。
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