報労記35話 それぞれの客室にて その2 -1-
【客室E ノーマ・カンパニュラ】
「さぁ、カンパニュラ。お入りな」
ノーマ姉様がドアを開け、私を室内へと招き入れてくださいます。
少々お酒が入っているためか、いつもより上機嫌でにこにことされており、頬にはほんのりと朱が差して、いつにも増して魅力的に見えます。
「ありがとうございます、ノーマ姉様。失礼します」
「なに言ってんさよ。ここはあんたの部屋でもあるんだから、そんな畏まらずに楽におしよ」
「はい。私とノーマ姉様、二人のお部屋ですね」
共同ということがなんだか嬉しく、少しはしゃいでしまいました。
子供っぽいと思われてしまったでしょうか?
「…………くっ、可愛いさね」
ノーマ姉様がまぶたを押さえて、噛みしめるように呟きます。
感情をみだりに乱れさせない。私は、こういう大人の女性を目指したいと思います。
「カンパニュラは奥のベッドを使いなね。万が一にも不審者が侵入してこないとも限らないからねぇ。……ヤシロとかハビエルとかキツネ大工がさ」
「ウーマロ棟梁様は、そのようなことはなさいませんよ」
「他二人はあり得るって判断なんさねぇ。……くくっ、今度言っといてやるさね。『そんな目で見られるような行動は慎むんさよ』って」
決して、ハビエルギルド長様やヤーくんがそのようなことをするとは思っておりません。
ですが、そうやって冗談を言い合える関係に、私は強い憧れを抱いておりますので、ここはノーマ姉様のイタズラに便乗させていただこうと思います。
お叱りを受けるとしても、ノーマ姉様と一緒なら心強いです。
「ですが、侵入を警戒するのでしたら、ノーマ姉様こそが奥のベッドをお使いになるべきです」
私のような子供を襲う殿方は少ないでしょう。
それならば、立派に成熟されたノーマ姉様こそが危険と言えます。
……ヤーくんですら、ふと魔が差してしまいかねないほど、ノーマ姉様はお綺麗で、そしてとても魅力のある女性ですから。
胸元も、大層ヤーくんの好みに合致いたしますし。
「くふふ。アタシに手を出そうなんて度胸のある男は、この船には乗ってないさね。返り討ちに遭って痛い目見るのが目に見えてるからねぇ」
確かに、ノーマ姉様はお強いです。
「それでも、ハビエルギルド長様が本気を出されれば、ノーマ姉様といえど抵抗が難しいのではないでしょうか?」
「大丈夫さよ。この船にはハビエルキラーが乗ってるからね。……侵入した瞬間に斧がどこからともなく飛んでくるさよ」
けっけっけっと、魔性の女性のように笑うノーマ姉様。
決してそのようなことはあり得ないと確信しているからこそ、こういったご冗談が言えるのでしょう。
「では、ヤーくんの場合はどうされますか?」
ヤーくんは、力こそハビエルギルド長様やノーマ姉様には敵わないものの、それを補って余りある知略知慮があります。
油断をすれば、きっと後れを取ってしまいます。
防衛戦において、最も危険視すべきはヤーくんのような優れた頭脳と、類まれなる度胸と、何物にも怯まない勇気と、迅速かつ冷静な決断力を持ち合わせた存在なのです。
おそらく、ヤーくんならば、百の兵が待ち構える砦ですら、その知略知慮を持って攻略してしまうでしょう。
ノーマ姉様も、力だけでは抵抗は難しいでしょう。
……という趣旨の質問だったのですが。
「ぇ、……あ、いや、……やし、ヤシロが……アタ、ア、アタシを? ……って、いや、その場合は……その…………」
「ノーマ姉様?」
「も、もちろん返り討ちにしてやるさね!」
ノーマ姉様、お顔が真っ赤です。
「大丈夫ですよ。ヤーくんは、そのようなことをなさる方ではありませんから」
「そう…………さよ、ねぇ」
おや?
なんだかがっくりと項垂れてしまわれました。
「紳士的な男性は素敵ですよね」
「そ、そうさよ! 紳士的じゃない男なんて論外さね。いいかぃ? カンパニュラも、ダメな男には十分気を付けるんさよ!」
「はい。気を付けます」
「よろしい」
にこっと微笑んで、ノーマ姉様のお顔に元気が戻りました。
なんだか、とても可愛らしい笑顔です。
年上の女性にこのようなことを思うのは失礼かもしれませんが。
「カンパニュラは、どんなパジャマを持ってきたんだい?」
「皆様と行った素敵やんアベニューで購入したお揃いのパジャマです」
ヤーくんやジネット姉様と行ったお買い物はとても楽しく、私はついたくさんお買い物をしてしまいました。
ですが、いただいたお給料でお買い物をするのは、なんだか大人になった気分でわくわくします。
マグダ姉様に、「自分へのお土産を買って自室の棚に思い出の品を一つずつ増やしていくのはとても楽しい」と教わりましたので、私も実践しています。
今回の船旅でも、素敵なお土産を買って帰ろうと思います。
「あ、ノーマ姉様はミリィ姉様とお揃いの色なんですね」
「え? あぁ、まぁね。ミリィが、アタシに似合うなんて言うからさぁ……」
ノーマ姉様のパジャマは、私のパジャマとは色違いですが、同じお店で買ったお揃いです。
私は大好きな空と海の青。
ノーマ姉様は薄桃色の、とても可愛いパジャマです。
きっとミリィ姉様にもノーマ姉様にもよく似合います。
「あれ? ノーマ姉様。その襟元は……」
同じ型のパジャマのはずなのに、ノーマ姉様のパジャマの襟にはとても可愛らしいお花の刺繍が施されていました。
「もしかして、ご自分で?」
「まぁ、ちょっと時間が余っちまってさぁ。暇つぶしに、ね?」
「ご趣味で刺繍だなんて、とても素敵です。私はまだまだへたっぴなので、憧れます」
「こ、これくらい、カンパニュラならすぐ出来るようになるさね」
「少し見せていただいてよろしいですか?」
「そんな大したもんじゃないけど……見たいなら、見てもいいさよ」
「ありがとうございます!」
パジャマをお借りしてじっくりと拝見します。
綺麗に整った刺繍は、惚れ惚れするくらいに美しく、まるで本当にお花が咲いているようにすら見えました。
指でなぞれば均整の取れた凹凸の心地よい感触が伝わってきます。
「はぁ……素敵です」
「なんなら、カンパニュラのパジャマにもしてやろぅかい? 刺繍」
「よろしいのですか?」
「あぁ。二~三日貸してくれりゃ、やってきてやるさね」
「すごく嬉しいです! ですが、お手間ではありませんか?」
「気にすんじゃないさね、そんなこと。あんたの頼みなら、どんなことだって聞いてやるさよ」
その言葉は、まるでヤーくんに言われたように頼もしく、とても感動しました。
「私、ノーマ姉様に出会えて幸せです」
「きゅんっ!」
ノーマ姉様の尻尾が大きく膨らみ、ベッドへと倒れ込んでしまわれました。
……大丈夫でしょうか?
「……ヤバいさね。一瞬、ハビエルの気持ちが分かりかけちまったさよ……」
ぺちぺちとご自身の頬を叩き、ノーマ姉様は深呼吸をなさいます。
ゆっくり、大きく、何度も。
息を吸う度に、ご立派な胸元がことさら強調されます。
「ノーマ姉様は胸も大きいですね」
「ごふっ!」
深呼吸されていたノーマ姉様が口からしぶきを上げ、咽てしまわれました。
だ、大丈夫でしょうか?
とりあえず背中をおさすりします!
ですが、背に添えた手をガシッと掴まれ、真剣な瞳でノーマ姉様が私の顔を覗き込んでこられました。
「いいかい、カンパニュラ。ヤシロとしゃべった後は、手洗いうがいをしっかりとするんさよ。感染力が強いからね、アレは!」
アレとは、おそらくヤーくんのご趣味、ご嗜好のことでしょう。
手洗いうがいで予防できるということは、飛沫感染の恐れがあるのでしょう。
だとしたら、みなさん揃ってヤーくんと同じご趣味なられるかもしれませんね。
街中、総ヤーくんです。……ふふ、それは少し楽しそうですね。
「確かに、ヤーくんは少々女性の胸元への執着が過ぎる傾向にありますが――」
「『少々』じゃないさね。『かなり』か『異常に』さよ、あれは」
「それでも、女性を傷付けるようなことはなさいませんよ」
「まぁ……見て、はしゃいで、叱られて、思春期の坊やみたいで、呆れるけれどちょっと可愛いところもあるからねぇ」
「ではきっと、ヤーくんは他の方より思春期が長いのですね」
「長過ぎるけどね」
「少年の心をいつまでも忘れない、無邪気な方なのでしょう」
「オッサン心が加速してる可能性もあるけどね」
ぽんっと、ノーマ姉様がご自身の胸元を叩くと、柔らかそうな双丘がゆさりと揺れます。
いけませんね。どうしても視線がそちらへ向いてしまいます。
女性から見ても、ノーマ姉様のプロポーションはお美しいです。
「ま、ヤシロ以外も見てくるからねぇ、この胸は。……まったく、男ってのはどーしよーもない生き物さね」
そう言いながらも、ノーマ姉様はいつも胸元の大きく開いた服を着用されています。
「視線が気になるのでしたら、もう少し胸元を隠すような服を着られてみては?」
そうすれば、幾分かは改善されると思ったのですが、ノーマ姉様は小さく首を横に振ります。
「この格好は、アタシの意地なんさよ」
「意地……ですか?」
心の奥底で古い傷が疼くような……なんとも言い難い難しい表情で、ノーマ姉様はため息を一つ落とされました。
「鍛冶師ってのは男社会でね。今でこそ、女の鍛冶師も増えてきたけど、アタシが見習いだった頃には、周りは全部男だった」
そんな中、ノーマ姉様は自分の力を認めてもらおうと男性以上に努力を重ねたそうです。
「『女は雑用してろ』って風潮がムカついてねぇ。実力でその口を閉じさせてやったんさね」
その努力の結晶が、今のノーマ姉様なのでしょう。
ヤーくんがおっしゃっていました。
『ノーマは大胆で繊細な、比類なき技術の持ち主だ。あいつに任せておけば間違いはない』と。
ウーマロ棟梁様と同じくらいに、絶大なる信頼を寄せておいでのご様子でした。
「だからね、今でも意地になっちまってんさよ。『アタシは女の鍛冶師だ』ってさ。『男の真似して、男に混ざったんじゃない。女のアタシが最高の鍛冶をしてみせてやるんさよ』って……はは、ガキっぽいだろぅ?」
だからこそ、ノーマ姉様はいつも美しく、体のラインがはっきりと出る妖艶なお衣装を身に纏われているのだそうです。
それが、ノーマ姉様のプライド。
「いえ、とても素敵だと思います。やろうと思って、簡単に出来ることではありません。それを成し遂げたノーマ姉様を、私は心より称賛いたします」
「カンパニュラ…………くふふ、そう言ってもらえると報われるねぇ」
嬉しそうにころころと喉を鳴らして、ノーマ姉様が無邪気な笑みを浮かべました。
それは、幼い少女のように無防備で、とても可愛らしく見えました。
「それにね、……くふふ、ウチの馬鹿どもは、アタシがこういう服を着てると、チラチラこっちを見てくるんさよ。ガキだ、半人前だと散々馬鹿にしたアタシの胸元をさ。ふっ、男って生き物は、揃いも揃ってバカなもんさね」
今のノーマ姉様を半人前と呼べる方は、おそらくもう存在していないでしょう。
実力も、成長しきったその美貌も。
ついつい目を奪われてしまう殿方たちのお気持ちは、少しだけ分かります。
いつか、私も――
「ノーマ姉様のような大人の女性になれるでしょうか?」
自分の努力を誇り、何物にも揺るがない自信を纏った余裕のある大人の女性。
そうなれれば、私も自分をもっと好きになれるかもしれません。
ノーマ姉様には見習う部分がたくさんあります。
もっとそばにいて、たくさん勉強させていただきましょう。
……と、ノーマ姉様を見ると。
「それは……ヤシロ的な意味で、かぃね?」
なんだか複雑そうなお顔をされていました。
ヤーくん的な意味、とは?
「私も、出来ることなら、ノーマ姉様のように、何物にも揺るがない誇りと自信を持てればいいなと」
「アタシはそんな大したもんじゃないさよ」
「それはご謙遜というものでは?」
「ホントに大したことはないんさよ。ただ虚勢を張ってただけなんだからさ……つい最近までね」
自嘲するような言葉を口にされつつも、ノーマ姉様のお顔はとても穏やかで、心の奥から嬉しさが滲み出しているようなキラキラした表情をされていました。
きっと、素敵な思い出があるのでしょう。
まだまだだと、ご自身がおっしゃる自分を変えるきっかけになった大切な思い出が。
「意地を張って、自分を曲げず、自分は間違ってない、自分は正しいって周りに見せつけて、認めさせて、それでいい気になってたアタシがさ……ある一人の男にコテンパンに打ちのめされたんさよ」
ふと目を細め、遠い記憶に思いを馳せるようにノーマ姉様は口元を緩めます。
「自分のことしか考えてないから、大事なもんを見失っちまうんだ――って、そう思い知らされた気になったんさよ」
きっと、その思い出はノーマ姉様にとって、とても大切なモノなのでしょう。
宝物に触れるように大切にされているのがよく分かります。
「あの頃のアタシは、高慢ちきで、自惚れて、優しさの欠片もないような女だったからねぇ」
「では、その出会いが、ノーマ姉様を今のように優しくて温かい方に変えてくださったのですね」
「…………くふ。そうかも、しれないさねぇ」
胸元から煙管を取り出し、指でそっとなぞる。
そんな仕草は、本当ならとても妖艶に見えるのでしょうが、今に限ってはもじもじと指先を絡める恋する少女のように見えました。
ノーマ姉様、可愛いです。
「それが、ヤーくんなのですね」
「ふぇえい!?」
煙管が飛びました。
ぽーんと。
危うくプールへ落ちそうになり、ノーマ姉様が物凄い反射神経でそれをキャッチされます。
お見事です!
「い、いや、べ、別に、誰だとは言ってないさね! いやまぁ確かにそれはそのとおりなんだけどさ……と、とと、というか、あの水害の頃はみんな心が荒んでて、お先真っ暗で、それをさ、こう、なんというか、自ら立ち上がって街を救おうって根性が見上げたものだっていうか、それに比べてアタシは小さいハムっ子たちにキツく当たっちまって恥ずかしいというか……いやだから別に、ヤシロだからどうとかってわけじゃなくて…………ぅぐゎぁああ……ごめんさね、ちょっとの間こっち見ないでおくれでなぃかい」
顔を覆い、背を丸め、ノーマ姉様が部屋の隅で小さくなってしまいました。
丸まるノーマ姉様も、とっても可愛いです。
もう少しノーマ姉様が落ち着いたら、スイートルームへお誘いしましょう。
大勢の方とお話をすれば、ノーマ姉様も気分が晴れるでしょう。
それまでは、この可愛らしいノーマ姉様を独り占めさせていただきます。
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