報労記34話 それぞれの客室にて その1 -3-
【客室C ロレッタ・パウラ】
「奥のベッド、とっぴです!」
部屋に入るなり、ロレッタが奥のベッドに向かってダッシュする。
けど、甘い。
「ぬわぁあ!? もうすでにベッドの上に荷物が置いてあるです!?」
そう。
お昼を食べた後、一度ここへ戻ってきて、ベッドの上に荷物を置いておいたのよ。
エステラとイメルダがベッドの使用権を賭けて勝負してるって話を聞いた時に、「あ、ロレッタは絶対奥のベッドを使いたがるな」って分かったから。
「ズルっこいですよ、パウラさん!」
「あたしは、あんたと違って容量がいいの」
あとになって奪い合いになるなら、先手を打って勝利を確定させておく。
それが頭のキレる人間というものよ。
「あたしはね、この奥のベッドを死守するために、アップルパイを一切れ犠牲にしたのよ!」
「はっ!? ご飯の後、アップルパイが出てきた時に姿が見えないと思ってたですけど……あの時準備をしてたですか!?」
「そうよ。そして、あたしがいないのをいいことに、あんたはあたしのアップルパイを奪った!」
食堂に戻ったら、あたしの席に空いた皿が残ってたのよ。
隣には、見るからにご機嫌なロレッタ。
問い詰めたら、いないからってあたしのアップルパイを食べてたの、こいつ!
「だから、死んでも奥のベッドは譲らない」
「パウラさん根に持ち過ぎです! もう済んだことは仕方ないじゃないですか!」
「そうやって、一切反省してない態度がムカつくのよ!」
「それに、あとで店長さんから残ってた一切れもらってたですよね!?」
「それとこれとは話が別!」
悪事がバレても悪足搔きするのがロレッタの悪い癖。
本当に改善させなきゃ!
「手を突いて謝るなら譲ってあげてもいいわよ」
「手を突いて……? ちぇすとー!」
「痛っ!? こんの、バカロレッタ!」
「うきゃー! パウラさんが怒ったですー!」
あたしの手に手刀を突き入れてきたロレッタに飛びかかる。
ベッドの上に押し倒して頬袋をみょいんみょいん引っ張ってやる。
「いはぃ! いはぃれふ! はうふぁふぁん!」
「まったく、少しは反省しなさい」
懲りただろうと頬袋を解放してあげた。
……のが、間違いだった。
「よぉし、今度はこっちの番ですよ~!」
「ずっとこっちの番なのよ……そう、あんたがちゃんと反省するまではね!」
「いたたた! 痛い、痛いです、パウラさん! 今回のはマジです!」
鼻を摘まんでねじってやると、ロレッタは涙目であたしの腕をぺしぺし叩いてきた。
「反省した?」
「したです! アップルパイ取ってごめんなさいです!」
「よし」
反省したら罰は終わり。
それが、ウチのカーチャンの教育方針。
あたしも、それは見習おうと思う。
ロレッタも、ちゃんと話せば分かる子だしね。
「お詫びに、明日ルシアさんのところで店長さんがアップルパイを焼いてくれる時、あたしがパウラさんに美味しいコーヒーを入れてあげるです!」
コーヒー……は、苦いのよねぇ。
「あたし、コーヒーはあんまりかなぁ」
「ぷっ……おこちゃま舌ですね、ぷぷぷー!」
よし、シメよう。
「わぁ、待ってです! 武器はっ、武器はシャレにならないです!」
ベッドのそばに木製の椅子があり、それがなんとも持ち上げやすい形状だったため振りかざしてみたところ、ロレッタが逃げていった。
……仕留め損ねたか。
椅子を床に置くと、ロレッタが嬉しそうな顔で戻ってくる。
ホント、年中楽しそうな顔してんだから。
「そうです、パウラさん! あたし、いいこと思いついたです!」
「大丈夫。あんたはいいことなんか思いつかない」
「どっから来る確信ですか、それ!? 失敬ですよ! あたしほど妙案、名案を思いついてる人物そうそういないですからね!?」
あんたが思いつくのは、いっつもろくでもないことでしょうに。
「一緒のベッドで寝れば、二人とも奥のベッドを使えるです!」
「却下。狭い」
「じゃあ、ベッドを二つ合わせればいいです!」
「なんでそんな面倒なことをしなきゃなんないのよ?」
「パウラさんだって、くっついて寝るの好きじゃないですか。ウチに泊まりに来た時も、妹たちに埋もれて寝てましたし」
「あれは、あんたんとこの妹が勝手に乗っかってきたのよ!」
下ろしても下ろしても、次々と上に乗っかってきて……
「ロレッタより可愛いから許しちゃったけども」
「そんなことないですよ!? 長女たるあたしが一番可愛いです、我が家は!」
「誰が決めるのよ、その順位?」
「あたしです!」
「長女は最高権力者ですからね!」と胸を張るロレッタ。
――を、棒で突く。
「あぃた!? どっから出てきたですか、その棒!?」
「棒遣い人形の余り。ノーマにもらったの」
「ノーマさーん! パウラさんは意外とお子様で、棒とか武器とかすぐ振り回す危険人物ですから、余計な物与えちゃダメですよー!」
と、各部屋に繋がっているらしいプールに向かって叫ぶロレッタ。
「よし、落とそう!」
「ダメですよ!? この船、お風呂ないですから!」
「お湯は用意してくれてあるでしょ?」
「かぁー、分かってないです! 陽だまり亭や我が家のお風呂に慣れると、タライにお湯を張って体を拭くなんてやってられないですよ! カンタルチカももうちょっと頑張って、お風呂付けた方がいいですよ?」
「ウチはもうそんなスペースないの!」
めっちゃ頑張ってるわよ!
で、お風呂工事の費用くらい出せるわよ!
ただ、土地がないの!
大通りに面した人気の土地だから、値段は高く面積は狭いの!
あんたんとこみたいに、何もない場所にどーんと建てた家じゃないのよ、ウチは!
「じゃあ、いつでもウチに泊まりに来てです! お風呂使い放題ですよ!」
「お風呂はいいけど……あんたんとこで寝ると、余計に疲れるのよね……」
寝てる時も、寝る前も。
……なんであんなに元気なのよ、あんたんとこの弟妹。
「あ、そういえば。この前あんたんとこのお母さんがウチに来たわよ」
「えっ!? ……お母さんが…………えっ!?」
いや、驚き過ぎでしょ。
「な、なななな、なに仕出かしたですか、ウチの母!? どんな無礼を働いたですか!? 謝るです! 母に代わってあたしが、誠心誠意謝るです!」
……どんな親だと思ってるのよ、自分の母親を。
「何も変なことしてないわよ」
「そんなわけ、あるわけないじゃないですか!? ウチのお母さんですよ!?」
だから、どんな親だと思って……っていうか、娘にこうまで言われる母親って、どうなのよ?
何したら、こんなに信頼なくすわけ?
「何しに行ったですか? というか、あの人、なんで外出たですか!?」
「いや、外くらい出るでしょう、普通?」
「あの人は、普通とは程遠い、真逆にいるような人なんです!」
「あんたはすごく普通なのに?」
「あたし普通じゃないです! 可愛いです!」
うん、それは誤評価。
「別に普通だったわよ。『娘がお世話になっております』って」
「カンタルチカに、ウチの母がご挨拶を…………今さらですか!?」
うん、それは、まぁ……あたしも思ったけどさ。
とっくに辞めてるし、行くなら陽だまり亭じゃないのかなって。
「なんかさ、娘の人生を変えてくれた人だから――って言ってたんだけど?」
「はぅ!? お、お母さんめ、余計なことを!?」
え?
なに、その動揺っぷり?
あたしはてっきり、陽だまり亭とカンタルチカを勘違いして、ヤシロやジネットに言うべきお礼を言われてるのかと思ってたんだけど……
「あんた、家であたしのこと、何か話したの?」
「あぁ……いや、まぁ……それはその……なんといいますか……」
「白状しなさい!」
「うぐ…………分かったです」
ベッドの上に座り、ヒザに置いた拳を握りしめて、ロレッタが重い口を開ける。
耳が真っ赤に染まっている。
「あの……実は…………パウラさんは覚えてないと思うですけど、あたしがカンタルチカの面接に行った日……」
「覚えてるわよ。土砂降りなのに外套も纏わず飛び込んできて、店内の香り嗅いで盛大にお腹鳴らした変なヤツのことなら」
「そ、そんな昔のこと、いちいち覚えてないでです!」
ロレッタがカンタルチカに『働かせてください』とやって来たのは、大雨が続いて水害が起こる少し前。
あの日も雨が降ってたっけ。
「今じゃ考えられないくらいに覇気がなかったよね、あんた」
「それは、だって……ハムスター人族だってバレると問答無用でクビにされると思ってたですし……実際、そういうことが続いてたですし……あの頃は、なんかもう……ダメなのかなって、ちょっと諦めかけちゃってた時だったですから」
ロレッタたち姉弟は、その昔スラムの住人だと、差別を受けていた。
……あたしも、あんまりいい印象は持ってなかった。スラムの住人は怖い人たちだって聞いていたから。
けど、会ってみたら噂とは全然違う、底抜けに明るくて可愛い弟妹だったけどね。
「ずっとず~っと仕事がなくて、お金もなくて、でも弟妹にはちゃんとご飯食べてほしいから、自分の分を削っちゃってて……」
本当に、初めて会ったロレッタは、今とは別人みたいに大人しかった。
「そしたら、面接前にお腹、鳴っちゃって……」
あの当時、四十二区には貧しい人が多くて、お腹を空かせてる人がたくさんいた。
この娘も、そんな中の一人だと思った。
だから、ちょっとサービスしちゃったんだよね。ウチだって、その頃全然余裕なかったのに。
「そしたら、マスターが魔獣のフランクを出してくれて……。本当に美味しかったです。あの時の魔獣のフランクは、たぶんあたし史上一番美味しい食べ物だったです」
「え? ヤシロやジネットの料理よりも」
「もちろん、お兄ちゃんや店長さんの料理はすごく美味しいです。本当にこの世のものかと疑いたくなるほど美味しいです。……でも」
えへへと、ロレッタは鼻の頭を掻きながら、恥ずかしそうに言う。
「あの日食べた魔獣のフランクが、やっぱりあたしの中では一番です」
胸が、きゅっとなった。
……そっか。
一番なんだ。……へぇ。
…………くっ、鎮まりなさい、尻尾!
こんなので喜んでるなんてバレたら、ロレッタがまた調子に乗る!
「それで、パウラさんはあたしに言ったですよ。覚えてるですか?」
『この店は美味しいお酒と美味しいソーセージと、元気いっぱいの笑顔が売りなの! ここで働きたいなら、あたしみたいに元気いっぱいに接客しなさい!』
「――って。あたし、もともと元気はあったです。弟妹が多くて、いっつも大きな声出してたです。でも、いつの間にかそんな元気を見失っちゃってて……だから、パウラさんにそう言ってもらって、もう一回、元気出そうって思えたです! ロレッタちゃんが大復活した瞬間だったですよ、実は!」
……うん、覚えてない。
あ、いや、待って。
今、ちょっと思い出せそう…………あ、そうだ。
うん、言った。言ったわ、あたし。
そしたら、ロレッタが、もうバッカみたいな大きな声で『私、がんばるですぅう!』って叫んで、それで父ちゃんが気に入っちゃって、雇うことになったんだよね。
……って、あれ?
「ねぇ。あんた昔はさぁ、自分のこと『私』って言ってなかった?」
「え!? ぁあ……いや、それは、まぁ……そのぉ……」
いっつも騒がしいロレッタが、妙にそわそわして、口をもごもごさせて、人差し指と人差し指をツンツンつんつん突っつき合わせながら、小さな声で呟く。
「あの頃、自分に自信がなくて……そんな時、自信満々のパウラさんを見たら、その……なんというか……カッコよかったんで……真似、してみようかなって……」
え?
じゃあ、なに?
ロレッタが自分のことを『あたし』っていうの、あたしの真似なの?
「っていう話をお母さんにしたから、だからたぶん、人生を変えてくれたって……家でのしゃべり方も、ちょっと変わったですし」
「あんたさぁ……どんだけあたしのこと好きなのよ」
さすがに照れるわよ、バカロレッタ。
そういうのは、もっと小出しに、分かりやすくアピールしなさいよ。
突然だと……胸が、きゅってなるのよ。
あと、尻尾が……尻尾がっ!
「そ、そそ、それは、パ、パウラさんだって……お互い様です!」
「いや、あたしは別に好きじゃないし」
誤魔化そう!
素知らぬふりを貫こう!
――ってしてるのに、食い下がってくるんだよねぇ、ロレッタは。
「いいや好きです! 好きに決まってるです! お泊まりした時、いっつも引っ付いてくるですもん!」
「引っ付いてない!」
「寝たら引っ付いてくるです!」
「無意識でしょ? 寝相が悪いだけよ」
「深層心理であたしを求めちゃってるです!」
「あ、でも、寒い日にロレッタのパジャマの中に足を突っ込むのは好き」
「あれ、本気でやめてです! 背中に氷のように冷たい足張り付けられると、心臓が『きゅっ!』ってなっちゃうですからね! 死ぬですよ、最悪の場合!」
「ロレッタは子供体温だからねぇ」
「あたしは大人です! ヒューイット家随一のレディに向かって、失敬ですよ!」
「レディはそんな大声出さないわよ」
結局、いつものように騒がしいロレッタと言い合いになる。
けど、ホントのこと言うとね、あたしもこの言い合い、結構好きだよ。
本人には絶対内緒だけど。
「そういえば、あんたのお母さん美人よね」
「はいです! あたしに似て!」
「いや、次女に似てる」
「次女に似てたらあたしにも似てるですよ! ほとんど一緒です!」
「それ、自分で言っちゃっていいの?」
「まぁ、長女は一歩抜きん出てるですけど」
「はいはい。そういえば、お父さんは誰に似てるの?」
「そーですねぇ……三男が一番似てるです」
「そっちこそみんな同じ顔じゃない」
「弟は個性豊かな顔してるですよ!? まず、毛並みが違うです!」
「『まず』の段階で見分け不可能よ」
「あっ、それじゃあ、簡単に見分ける方法教えてあげるです!」
「いらない」
「そう言わずに、とりあえずベッドくっつけてお布団に入ってお話しするです」
「あたし、スイートルーム行こ~っと」
「ちょっと待ってです、パウラさん! もっとお話ししてです!」
あたしが動けばついてくる。
ホント……こんな妹だったら、ちょっと欲しかったかもなぁ。
……うるさ過ぎるけどね。
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