報労記34話 それぞれの客室にて その1 -2-

【客室B ルシア・マグダ】



 ――ぱたり。


 と、ルシアが後ろ手にドアを閉める。


「……ふっふっふっ」


 マグダを先に室内へと誘い、退路を断つように出口を塞ぐ。

 その行動、まさにハビエル!


 ……は、言い過ぎなので、変質者あたりに留めておこう。


「さぁ、マグまぐ! これから朝までは密室で二人きりだ! 泣こうが喚こうが、助けは来ぬ!」


 いや、たぶんマーシャが来てくれる。

 マーシャ、ないし、この船のクルーが。


「覚悟するのだ! もはや私からは逃げられぬぞ!」


 おそらく、パンチ一発で黙らせることが可能。

 ミゾオチ、ないし後頭部への強打が有効的。

 アゴを左右からタイミングよく二連撃すれば、脳が揺れて一瞬で脳しんとうを起こさせることが可能。

 これはヤシロに原理を教わり、森の魔獣で実戦したから効果は折り紙付き。


 ……しかし、ルシアは魔獣ではない。


 それに、ルシアに危害を加えようとしたら、きっとギルベルタが割り込んでくる。

 ギルベルタと正面からぶつかった場合…………苦戦を強いられる可能性がなくもない。

 ナタリアほどではないにせよ。


 ただし、ギルベルタは店長と同室であることを喜んでいた。

 おそらく、ルシアを守ることなど忘却の彼方。

 ギルベルタが助っ人に飛んでくる可能性は低い。


 ……なら、確実に狩れる。


「……おそらく、自力で脱出できる」

「長々と考え込んでいると思ったら、そのようなことを考えていたのか!? 考えるまでもなく、マグまぐの圧勝であろうに」

「……けれど、マグダはルシアを傷付けたくはない」

「くはぁあ! 可愛い! 思いやりが胸をキュンキュンさせる!」


 ドアの前で身悶え始めたルシア。

 昔ヤシロが言っていた。

 ヤシロの故郷には、音に反応して動くオモチャがあると。

 たぶん、こんな感じ。


 しかし、このテンションで一晩中同じ部屋はおそらく疲れてしまう。

 なので――


「……マグダは、エレガントなレディを目指しているので、ルシアをお手本にしたいと思っている」

「わ、私をお手本に!?」

「……そう。憧れと羨望と尊敬の念を込めて」

「ふぉおお!? なんだこれ!? 物凄く嬉しい! いと嬉しっ!」

「……お手本に、なってくれる?」

「もちろんだ、マグまぐ。今宵は、私と二人でエレガントな夜を過ごそうではないか」


 ルシアの、こういう単純なところが、マグダは割と好き。

 あと、全身全霊で褒めてくれるところと、こっそりとお菓子をくれるところも。


「……お酒は抜けた?」

「うむ。カタクチイワシがしつこく水を飲めと言ってきたのでな。多少は残っているが、足元がふらつくほどではない」

「……では、ルシアさん。お茶を入れてくださる?」

「え、私が入れるのか?」

「……マグダは今、お嬢様ごっこの真っ最中」

「なるほど。しかし、すまぬな。私はお茶をいれる技術を持ち合わせてはおらぬのだ」


 なんと!?

 まさか、そんな領主が存在するなんて……


「……領主とは、頼みもしないのになんでも自分でやりたがる人種だと思っていた」

「いや、マグまぐよ……、領主は基本的に自分では動かぬ。雑用は下働きの者にやらせるものだ」

「……え、でも、みんな率先して雑用をやっている」

「誰の話をしておるのだ?」


 あほの――


「……リカルドとか」


 あほの――


「……ゲラーシーとか」

「あの辺は、特殊な存在だ」

「……トレーシーも、皿洗いをやりたがっていた」

「ミズ・マッカリーか……ふふ。まさか、あのような人物であったとは思わなかったな」


 ルシアが笑ってベッドに腰掛ける。

 マグダも、隣のベッドに腰掛けて向かい合わせで座る。


「かつては、それほど会う機会もなく、会えば会ったで癇癪を起こす姿ばかりを目にしてな……随分と危ない人物だと思ったものだ」

「……いえいえ、ご謙遜を」

「いや、私よりもはるかに危険人物だったのだぞ? というか、私は危険人物ではない」

「……いえいえ、ご謙遜を」

「頑なだなぁ、マグまぐは!?」


 四十二区の子供たちにはよく言い聞かせるようにとお触れが出ている。

『ハビエルとルシアを見かけたら、大人を呼びに行くように』と。


「ふっ……かくいう私も、随分と変わったと、我ながら思うよ」


 どこか自嘲するように、ルシアは笑う。


「昔は、誰かと協力するだとか、誰かを信用して任せるなどということはしなかったからな。いくら利害が一致しようと、所詮は他人。いつ敵に回ってもおかしくはない……いや、いつかは必ず敵に回る。他人とはそのように接してきていた」


 それが事実だとして……マグダは、ルシアのそういう寂しそうな顔は好きではない。


「……お茶を入れてあげる」

「マグまぐが入れてくれるのか?」

「……陽だまり亭のティータイムでは、マグダの入れる紅茶が大人気。紅茶はマグダの聖域」


 最近、店長やヤシロだけでなく、ロレッタもコーヒーを入れるようになった。

 マグダは、あの苦い汁の存在意義が分からないので、紅茶を担当している。


「……オーウェン流紅茶術、とくとご覧あれ」

「ナタリアたんの教えか。ならば、期待しておこう」


 ただし、ナタリアからまだ合格はもらっていないけれども。

 ナタリアが合格を出したのは店長とヤシロくらい。

 かなり厳しい。

 ……が、マグダはきっと八割くらい達成している気がする。しているはず。うむ、している。


「変わるというのは、面白いものだな」


 スイートルームほどではないが、この客室にも小さなカマドがついている。

 鉄の囲いに五徳が置かれ、お湯を沸かせるようになっている。


「自分以外の口から、自分が考えた物以上に興味深い案が出てくるのは爽快で、快感すら覚えるほどだ」


 マグダがお茶の準備をする間、ルシアは一人でしゃべっている。

 おそらく、ヤシロのことだろう。

 ルシアは、ヤシロといる時、いつも楽しそうにしている。


「だから、どんどん聞きたくなって、つい過剰な期待を寄せてしまう」


 そうして、ヤシロはいつも愚痴を言う。

 愚痴を言いながらも、その期待に応え続ける。


「しかし、それに依存してしまっていると気付いた時には愕然とした……まさか、この私が――とな」


 火を熾しているから、ルシアの顔は見えない。

 けれど、どんな顔をしているのかは分かる。

 マグダが、あまり好きじゃない顔……


「なんでも自分で決定を下していた、下すしかなかった時には考えられなかった。……どうしていいか分からなくなって、他人に助けを乞うなどと……」


 三十五区の港の件で、ルシアはヤシロに助けを求めた。

 ルシアにしては、随分と素直に頭を下げたと思った。……らしくないと、思った。


 でも、それほど切羽詰まった状況なのだろうと思えた。

 なら仕方ないと。

 だったらしょうがないと。


 けれど、ルシア自身が、そんなルシアを許せていなかった。


「今回の件が終われば、私はしばらく考えてみようと思う。かつての自分と、何が変わってしまったのかを」


 それは、四十二区を離れ、ヤシロから距離を取るという宣言に聞こえた。

 ヤシロを頼ってしまう自分を恥じ、ヤシロを頼らない強さを取り戻すのだと……


「かつての強さを取り戻さねば、あやつと対等には……」

「……それは違う」


 ケトルを火にかけ、ルシアの前へ戻る。

 勘違いしているルシアに、間違いを教えてあげるために。


「……マグダはかつて、仕事の出来ない無能だった」

「そんなわけがあるまい」

「……いや、そうだった」


 そして、あの時のマグダは、それでもいいのだと思っていた。

 仕事で結果が残せない。

 けれど、自分の目標のために、そのためだけに生きていくのだと、決めていた。


「……今にして思えば、あれはただ寂しさを紛らわせたかっただけ。ただの、わがままだった」


 戦っていれば孤独を忘れられた。

 強くなれば、両親を迎えに行けると信じ込もうとしていた。


「……そんなマグダに、ヤシロは優しくしてくれた」


 狩りも、接客も、料理も、その他の何も出来ないマグダを迎え入れてくれた。

 そして、出来ないことを責めなかった。


「……マグダも甘えた。盛大に甘えてしまっていた。今のルシアが10だとすれば、マグダの甘えは1万」

「それはまた、盛大に甘えたのだな」

「……そう」


 両親がいない寂しさを、ヤシロと店長が埋めてくれる。

 それでいいと、思い始めていた。


「……マグダも、甘え過ぎて、自分が弱くなったと思っていた。けれど、それは違った」


 ヤシロは、誰よりも甘やかしてくれるのに、誰よりもマグダを強くしてくれた。


「……ヤシロは、他人を甘やかしながら強くする名人」

「甘やかしながら? 甘えは人を弱くするのではないのか?」

「……普通はそう。だけど、ヤシロは達人」


 とても心地のいい温かさを与えてくれる。

 それに包まれていると、不思議と前を向いて歩き出せる気がしてくる。

 10のアドバイスをもらって一歩進めたら、今度は8のアドバイスで一歩。

 5で一歩、3で一歩――


「……そうして、気が付くと自分の足で歩けるようになっていた」


 そして、そうなった後も、ヤシロはまだ甘やかしてくれる。


「……ヤシロが与えてくれるのは、一時凌ぎの安らぎではなく、確固たる居場所」


 居場所があれば、人は強くなれる。


「……何があっても、『帰る場所がある』と思えれば、マグダはなんだって出来る気がする」


 どんな困難に直面しても、ヤシロがいれば大丈夫。

 ヤシロに任せるのではなく、ヤシロに助けてもらって自分自身で乗り越えていける。

 一度越えた困難は、いつの間にかいつでも越えられるものになっている。


 ちょっと驚くくらいに、自分が成長していると、あとになって気が付く。


「……どうしようもない困難に立ち尽くす自分を想像してみて」

「む? ……こうか?」


 ルシアがまぶたを閉じて想像を働かせる。

 眉間に、軽くしわが寄る。


「……そうしたら、自分の隣にヤシロを立たせてみて」

「…………ふっ」


 しばらく考えて、ルシアが笑う。


「あの間抜け面を思い浮かべると、悩んでいるのがバカバカしくなるな」

「……そう。ヤシロがいれば、困難を困難だと感じなくなる」


 言葉とは裏腹に、ルシアの顔はそのことを肯定している。

 ヤシロは、いてくれるだけで安心感を与えてくれる。

 メドラママとは、まるで異なる安心感を。


「しかし、そこまで頼り切ってしまうと、ヤツへの負担が増してしまう。……どうせ、私のいないところで愚痴をこぼしておるのだろう?」

「……肯定」


 ヤシロはよく、ルシアの悪口を言っている。


「……だから、大丈夫」

「ん? 悪く言うのは、煩わしいからではないのか? 度が過ぎると、愛想を尽かされてしまうであろうに」

「……ヤシロは逆」


 ヤシロはいろんな人の悪口を言う。

 けれど、決してその人たちを見捨てはしない。


「……ヤシロが悪態をつく相手は、ヤシロが気に入ってる者だけ」


 事実、ウーマロやベッコは悪口……というか弄り倒されている。

 親友なのに。


「……ヤシロは、本当に嫌いな者の悪口は絶対に言わない」

「嫌いな者への悪口を、言わない?」

「……そう。ヤシロは嫌いな相手には、面と向かって意見を言う。『気に入らない』と、はっきり伝える」


 本人がいないところで悪く言って憂さを晴らしても、事態は何も変わらない。

 ヤシロなら、事態を変えるために堂々と不満を突きつける。

「俺はテメェが大嫌いだ」と態度に示す。


「……ヤシロ検定一級のマグダが保証する。ヤシロはルシアのことが、かなり好き」


 だからこそ、こんなにも世話を焼いている。

 そして、文句を言いながらも、決してそれを責めない。


「……なかなか大した男、ヤシロは」


 マグダが言うと、ルシアは「……ふっ」と息を吐いて――


「知っている」


 ――と、自信に満ちた笑みを浮かべた。

 マグダは、ルシアのこういう表情が、割と好き。


「……む? 何やら焦げ臭くはないか?」

「……すんすん」


 ――はっ!?

 慌ててカマドへ向かうと、ケトルが黒い煙を吹いていた。

 おぉう、がっでむ。


「……火が強過ぎ、水がいささか少なかった模様」

「私に付き合って長話をさせてしまったからな……これは、私がマーたんに弁償しておこう」

「……ごめんなさい」

「なぁに。ケトルはダメになったが、私は元気をもらった。感謝しかないよ、マグまぐ」


 そう言って、ルシアはマグダの失敗を許してくれる。


「……では、スイートルームに行ってお茶を入れてもらおう」

「うむ。それはよい案だな。オーウェン流紅茶術の本家に頼めるやもしれん」

「……善は急げ」

「では、まいろうか」


 元気になったルシアと二人、手をつないで、マグダはスイートルームへ向かった。






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