報労記32話 あっという間に日が暮れて -1-
「は~い、みんなそこまで~☆」
ぱんぱん!
と、マーシャが手を叩いて一同の手を止める。
「そろそろ時間だよ☆」
とウィンクを寄越してくるマーシャ。
何事かと思ったが、あぁ、そうか。もうそんな時間なのか。
「それじゃ、みんな練習はここまでにして、甲板に出よう」
「何かあるんですか?」
「そろそろ日没だ」
今甲板に出れば、真っ赤に染まった海と空を見ることが出来るだろう。
海に沈む太陽は、荘厳なまでに美しく輝き、そして儚く消えていく。
「日の出に負けず劣らず、綺麗だぞ」
「それはぜひ拝見しないといけませんね」
ジネットがパペットと脚本を置き、みんなに片付けを指示する。
ナタリアたちも支度を整え、みんなでスイートルームを出発する。
「少し肌寒いでしょうか?」
「そうだな。外套を持ってきた方がいいかもしれん」
「では、みなさんのお部屋に寄ってから甲板に向かいましょう」
二階へ降り、それぞれが自室から外套を持ってくる。
ナタリアはエステラとイメルダの部屋へ寄って二人の外套も持ってきたようだ。
ネフェリーが自分の分と一緒にデリアの外套を持ってくる。同室だからな。
「おぉっ、赤いな」
甲板に出ると、空は赤く染まっていた。
随分と長い時間練習していたようだ。
「私は、ミリィ姉様と一緒に、お部屋の窓から少し眺めていました。徐々に赤く染まっていく様は美しかったです」
「ぇへへ……練習、ちょっとサボっちゃった」
「まぁいいさ。本来は、そういうのを楽しむために船に乗ったんだからな」
しまったな。
みんな、船旅を全然満喫してないんじゃないだろうか?
「すまなかったな。諸君らは本来なら、もっと自由に船での時間を過ごせたはずであったのに」
一番後に甲板へと出たルシアがしおらしく謝罪を述べる。
「我が区のいざこざに巻き込んでしまって、折角の船旅の時間を大幅に奪ってしまった。申し訳ない」
そう言って頭を下げる。
隣でギルベルタも頭を下げる。
「何言ってんのよ、ルシアさん」
そんな二人を取り囲み、パウラはルシアに飛びつく。
「滅多に経験できないことに参加させてもらってるんだよ? 感謝してるくらいなんだから」
「パウラたん……」
「なんだかんだ、みんな忙しいからね。仲良くはしてるけど、こうしてみんなで一つのことに打ち込むのって、実はなかなか出来ないでしょ? だから、私も今すごく楽しいし、すっごく嬉しい。みんな、ルシアさんのおかげ! ……って言うと、ちょっと言い過ぎ? えへへ」
「ネフェリーたん。……そうか、ありがとう」
パウラとネフェリーに両手を引かれ、ルシアが歩き出す。
「早く早く」と急かされ、手すりまで移動する。
俺の隣を通り過ぎる際、物凄く小さい声で「そなたらもな」と呟いていった。
聞かせるつもりがあるとは思えない小声だったな。
ま、ばっちり聞こえたけど。
「ルシアがありがとうってよ」
「はい。わたしにも聞こえました」
ジネットにも聞こえ、マグダたちにもルシアの意思は伝わったようだ。
なんか今回、あいつは妙に殊勝だな。
そんなに焦ってんのかねぇ、人魚の港離れ。
「ヤシロ~!」
甲板を進むと、エステラが駆け寄ってくる。
……日焼けしてんじゃねぇよ。日傘はどうした日傘は?
「聞いてよ! イメルダがズルいんだよ! ボクが先に見つけた魚を釣り上げちゃったんだ。それがこーんなに大きい魚でさぁ!」
「釣り上げたなら、イメルダのもんだろうが」
「でも、ボクが最初に見つけたんだよ、大きい魚影!」
「こんな、海面から8メートルもある甲板から見えたのかよ?」
釣り上げたってことは、デカいといってもそこそこの魚だろ?
サメやイルカでも、8メートル上からだったら魚影を見つけられるかどうか……
「ボクには分かるのさ。プロの目ってヤツでね」
「いつプロになったんだよ、お前は」
「マーシャと一緒に漁に出た時にさ」
こいつの自慢はしょーもないなぁ。
それだって、マーシャにおんぶに抱っこでお手伝いしてただけだろうに。
「で、逆転されたのか?」
「ふふふ、そうそう簡単には覆らないよ。ボクもね、大きい魚を釣り上げたんだよ!」
「デリアは?」
「…………あれは、別枠だよ。プロだもん、だって」
お前もプロなんじゃねぇのかよ、お前基準じゃ。
ズルっこいんだよなぁ、こいつのジャンル分け思想。
自分が有利になるカテゴリーでしか物を語らない。
威張りたいなら、全体でトップに上り詰めてからにしろ!
「大丈夫だ。真っ平らの部だったら、お前は何をやってもナンバーワンだから」
「嬉しくないよ、そんなの」
釣り大会真っ平ら部門では、大会開始直後から永年ナンバーワンを維持できるだろう。
「エステラさん、海の変化はご覧になりましたか?」
「うん。青から少しずつ赤くなっていく空はすごく綺麗だったよ。でも、海はちょっと暗くなったくらいで、そこまで変化はなかったかな」
「そうですか。空をのんびり眺めるなんて、普段そうそう出来ませんよね」
「だねぇ~。そう言われてみると、贅沢な時間を過ごせたのかも」
にこ~っと笑みを交わすエステラとジネット。
エステラもジネットも、この二人の時にしか見せない表情ってのがあるんだよな。
エステラに関しては、完全に無防備な、子猫が母猫に向けるような顔だし。
やっぱ、特別な存在なんだろうなぁ。
領主代行として四十二区を守りながらも、一人の友人として必死に守り続けてきた幼馴染は。
「お腹は空いていませんか?」
「空いたぁ。ジネットちゃんの夕飯が楽しみだよ」
「みなさんが釣ってくださったお魚ですから、腕によりをかけてお料理しますね」
「うん! 楽しみにしてる」
……ただ餌付けされてるだけかもしれないが。
ジネットも、エステラの前では安心した表情を見せるんだよな。
守られてきたって自覚があるのかもしれないな。
「ほらほら~、みんな! 早くこっちに集まって~☆」
マーシャが船首側で手を振っている。
あの辺が、一番綺麗に夕日が見えるのだろう。
「海と空と、夕日しかありませんね」
手すりに手を添え、ジネットが呟く。
目の前には何もない景色。
何もない……じゃ、ないか。
「それだけで十分だな」
「はい。むしろ、他に何もないからこそこれだけ美しいのだとすら思います」
まったく贅沢だ。
まるで白紙のキャンパスのような、この世界の生まれたままの姿。誰にも汚されていない、まっさらな景色がそこにあった。
「あっ! 海が光り始めたです!」
日が傾き、薄暗くなっていた海。
太陽が水平線に近付くと途端に光が拡散して輝きを放つ。
波が立つにつれきらきらと水面を輝かせる。
「光の道が……」
カンパニュラが水平線を指さす。
夕日が水平線に触れると、まっすぐに光の道が浮かび上がった。
「昔、母様から、精霊神様が人間たちへ光をお与えくださったと伺いました。……それは、このような神秘的な光景だったのでしょうか」
なんか、ベルティーナから似たような話を聞いた気がするな。
それで、光を精霊神にお返しするってコンセプトで光の祭りを企画したんだっけ。
「この世界は、本当に美しいのですね」
夕日を見て世界を語るとは。
この子は将来皇帝にでもなるのではないだろうか。
はたまた神の代弁者か。
あんま重過ぎるもんは背負うなよ。
「……ヤシロ、手を」
「ん?」
「……なんだか、海が寂しそう」
マグダが俺のズボンを掴んできた。
夕日が沈む速度は速く、先ほどまで溢れていた光はどんどん細く小さくなり、空も海も黒く塗りつぶされていく。
この風景は、確かに少し物悲しい気持ちになる。
この海の向こうへ行ってしまった両親を思い出してしまったら、きっと寂しいよな。
「そうだな。けど、明日の朝になればまた日は昇る」
「…………うん」
見えなくなってしまっても、また必ず会える。
そう言って手を握ってやると、マグダが力強く握り返してきた。
みんなが無言で見つめる中、太陽はあっけなく海の中へと姿を消し、夜がやってきた。
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