報労記28話 ベッカー家の過去 -4-

「ひゃうっ!?」


 少し岬を見てみようと港を歩いていると、なんにもないところでジネットが転んだ。

 ここ、アッスントとセロンが転んだところだな。

 地面を見てみるが、何もない。


 ……まさか、心霊的な?

 目に見えない何かが足を掴んで……


「エステラ、逃げるぞ!」

「何を想像したのか、大体分かるけど。こんな昼間っから幽霊なんか出ないよ」


 分かんないだろうが!?

 生前、昼夜逆転生活してた幽霊だったら、そのまま昼夜逆転して昼間に出てくるかもしれないだろう!?


「夜更かしばっかりして死んだ人の霊がぁぁあ……」

「たぶん、その人は死んだ後も夜更かししてるから今は大丈夫だよ」


 なんの根拠もない気休めを!


「あれ、ここ……ちょっと傾いてるッスね」


 そう言って、ウーマロが懐から鉄の球体を取り出して足下のレンガに乗せる。

 小さな鉄球はコロコロと転がっていく。

 ほんとだ。水平じゃないんだ。


「これ、向こうから歩いてくると、視線からの情報と実際足を突く地面の傾きにズレが生じて躓いちゃうかもしれないッスね。ほら、少しだけレンガが持ち上がってるんッスよ。同じ歩調で歩いてると、こういうちょっとしたところで躓いちゃうもんなんッス」


 なるほど。

 ほんの少しだけレンガが持ち上がっていて、そこまでと同じ感覚で足を上げてるとつま先が引っかかると。

 それでアッスントもセロンも同じところで躓いたのか。


「……で、ジネットはアッスントたちとは逆方向から歩いてきて、同じ場所でこけたわけだが?」

「それは……店長さんッスから」

「はぅっ!?」


 ジネットが転ぶのは当然、そんな論調に軽くショックを受けるジネット。

 いや、事実だろうに。


「ほれ、手、貸してみ」

「あ……すみません」

「どこかぶつけてないか?」

「はい。ちょっと驚いただけです」


 見てたけど、ヒザを打ったり擦り剥いたりはしていないだろう。

 だが、危険だな。


「この辺も直すように言っとけよ」

「はい。申し伝えておきます」

「よろしくな」

「……ヤシロ。当たり前のように領主に指示出さないように」

「どこまで横柄なのだ、貴様は」

「お前らに合わせて、他の区の領主の対応を決めているんだよ」

「それが問題なんだよ、君は……」

「我々のことも少しは敬ったらどうなのだ、カタクチイワシよ」


 なぜ俺が?

 エステラとルシアに?

 ご冗談を。


「というわけで、岬まで来てみたが……デカいな」


 人魚が削って生まれたという『ユ』の字型の岬。

 こうして近くで見てみるとかなりデカい。というか、長い、か。


「セロンはともかく、オルキオはよくこの距離を走りきったもんだな」

「君がやらせたんじゃないか」


 シラハを焚き付けてオルキオを走らせてみたのだが、俺ならここに立った時点でお断りだな。

 灯台までまっすぐ延びる直線は、優に800メートルはある。

 人魚酒場がたくさん作れそうだなぁ、こんだけあると。

 岬と港の間も100メートルほどあるし。

 飲食店を作って、その後ろをボートが通っても問題は起こらないだろう。


「お兄ちゃん! あたしもボート乗ってみたいです!」

「ボートの上? 下?」

「下は乗ったことにならないですよ!?」


 でも、お前なら泳げるじゃん。

 へーきへーき。


「それで、走ってるお兄ちゃんを眺めたいです」

「……では、その次はマグダが」

「私も見てみたいです、ヤーくん」

「お前ら、俺に何往復させるつもり?」


 死ぬわ。

 800メートル走るのすらめんどいのに。


「それじゃあ、みんなでボートに乗せていただいて、一緒にヤシロさんを応援しませんか?」


 と、ジネットが提案する。


「そうすれば、ヤシロさんが走るのは一度だけで済みますよ」


 だからさ、俺はその一度だって……はぁ。


「……走りゃいいんだろ、走りゃ」


 そんなきらきらした顔で見んな。

 ズルいんだよ、お前のここぞという時のスマイル!


「それじゃ、ボクもボートに同乗させてもらおうっと」

「では、私も行こう。ギルベルタ」

「お供する、私も」

「ボート沈むぞ、さすがに」


 ベッカー家が用意したボートは、どう見繕っても四人乗り。

 そんな大勢乗れるものではない。


「では、分乗すれば問題ありませんわね」

「水上で追突して事故るなよ?」

「ヤシロ! このおっちゃんが大きめの船貸してくれるって!」

「お前のコミュ力凄まじいな、デリア」


 横幅は十分あるし、中型の漁船でも航行は余裕だろう。

 じゃあ、それにみんなで乗ればいいだろう。


「ウーマロとベッコは一緒に走るよな? な?」

「いや、別に走るくらいはいいんッスけど……オイラたち、邪魔じゃないッスかね?」

「然り。みな、ヤシロ氏の勇姿を見たいのでござろうし……」

「……ウーマロ、がんば」

「オイラやるッス! ほら、ベッコ! きちんと準備運動しとかないと筋を切るッスよ!?」

「その変わり身の早さ……ウーマロ氏は、もうすっかり四十二区の領民でござるな」

「それはどーゆー意味なのかな? ベッコ?」


 エステラがベッコに圧をかけている。

 いじめんなよ。


「ベッコ、早くしろ。筋を切るぞ」

「ヤシロ氏のは、ウーマロ氏の親切心からの忠告とは意味がまるで違って聞こえるでござる!」


 筋を切るぞ(忠告)。

 筋を切るぞ(予告)。


 似たようなもんだって。


「マーシャ~。優勝者に何か美味い海鮮をプレゼントしてくれ」

「い~よ~☆ 伊勢エビとかど~かな~?」


 やっぱあるんだなぁ、伊勢エビ。

 伊勢はないのに。


「伊勢エビでござるか? 美味しいのでござるか?」

「美味いぞぉ~。身が締まってて、もう、ぶっりんぶりんで、口の中でむちっと弾けて最強に美味い海老だ」

「そ、それは、期待が高まるでござるな!」

「オイラも、ちょっと食べてみたいッス!」

「……美味しそう」

「オイラ、絶対優勝して、マグダたんに伊勢エビを捧げるッス!」

「ベッコさん。ワタクシに献上なさいまし」

「いや、拙者は自分で――」

「お黙りなさいまし! あなたに拒否権があるなどと思い上がらぬことですわ!」

「なんかめちゃくちゃ酷いこと言われたでござるな、拙者、今!? お願いする者の態度とはとても思えぬ所業でござる!」


 という感じで煽ってやれば、先頭集団のデッドヒートに意識が向いて俺には注目されないだろう。

 獣人族相手に競争なんかやってられるか。

 精々、二人のデッドヒートを追いかけて、見物船も先行すればいい。


「では、僭越ながら。スタートの合図を出させていただきます」


 ナタリアが中型船の船首に立って腕を上げる。


「エッチに突いて――」

「ぃや~ん、やね☆」

「何してんのナタリア、レジーナ!?」

「『位置について』さよ!?」


 悪乗りシスターズがエステラとノーマに取り押さえられる。

 ルシアの合図で、ナタリアに代わってギルベルタが船首に立つ。


「つく、位置に」


 おぉう、そこが逆になるの、ちょっと違和感。


「よーい、ドンと腕を振り下ろす、私は」


 おぉおう、出遅れたわ!

 出るタイミング、ムッズ!?


「うぉぉおお! 伊勢エビを、マグダたんにぃぃーッス!」

「負けられぬでござるぅうう!」


 ウーマロとベッコが全速力で駆け出す。

 さすがに速い。

 が、ロレッタやナタリアほどではない。

 運動会とかで「うっわ、速っ!」って驚く程度だな。

 常軌を逸した速さではない。

 あいつらの能力は、スピードには特化されていないようだ。


「えっほ、えっほっと」


 そんな二人のデッドヒートは置いといて、俺は俺のペースで走る。

 レースの行方を見守る中型船も、二人のデッドヒートに釣られて先行している。


 あとは、ゴールして、「遅いぞ、カタクチイワシ!」とか悪態を吐かれて終わりだな。



「ヤシロさ~ん、頑張ってくださ~い」



 横を見れば、四人乗りのボートに陽だまり亭一同が乗って、俺と同じペースで水路を進んでいた。

 お前ら、中型船に乗らなかったのかよ?


「お兄ちゃんはお兄ちゃんのペースでいいですよー!」

「ゴールはすぐそこです、頑張ってください、ヤーくん!」

「……走れ、ヤシロ」


 ……ったく。


「俺の計画を狂わせるのは、あいつらが一番多いよな」


 ひっそりやり過ごそうとする俺を、いつも輪の中へと引っ張り込みやがる。

 ホント……


「ヤシロさ~ん! ファイトです~!」


 ……お節介焼きめ。


「へ~いへい」


 手を上げて声援に応え、ほんの少しだけやる気を出して、800メートルを走りきった。

 あ~ぁ、やっぱやるもんじゃねぇな800メートル走なんて。

 ホントしんどいわ……


 張り切らせるなっつーの。






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