346話 想定の範囲 -4-

 何が起こっているのか、確認しようと窓に視線を向ける。

 ……ちっ! そういやここには窓なんかないんだった。


「表に出てみるか」

「待て! 貴様らが手引きした兵であろう! これは宣戦布告だぞ!」

「テメェごときを潰すのに、わざわざ奇襲なんかかけるかよ、バカ」

「なんだと!?」


 いきり立つウィシャート。

 だが、事実俺たちは兵を招集などしていない。


「エステラ、行くぞ」

「うん」

「では、先導致します」

「待てと言っている!」


 執事ウィシャートが駆け寄ってくるが、それを無視して応接室を飛び出す。

 部屋の前にいた兵に行く手を阻まれるが――


「そっちに行ったぞ! 館に入るつもりだ!」


 その直後、館の外から聞こえてきた声に兵は意識を玄関へ向ける。

 その隙に、ナタリアが兵を押しのけ道を開ける。

 俺とエステラはその道を通り外へと飛び出した。



 外に出て視界に飛び込んできたのは、真っ白な世界だった。



「これは……」


 呟いたエステラの口から白い息が吐き出される。

 かなり寒い。

 豪雪期に逆戻りしたような気温だ。


「エステラ様!」


 玄関前で立ち尽くす俺たちの前に、ナタリアがすごい勢いで回り込んでくる。

 その直後、ナタリアの目の前を黒い人影が凄まじい勢いで通り過ぎていった。

 とても人間のものとは思えない動きで。


 ……今のは。


「おい! 今賊がこちらへ来なかったか!?」


 視界を覆う濃い霧の向こうから光が近付いてくる。

 1メートルを切るくらいまで近付いて、ようやくそれが鎧を纏った兵士だと分かった。

 二人一組で巡回でもしているのか、槍を携えた兵士と光を手にした兵士が前後に並んでやって来る。

 光は、兵士が持つカンテラのものだ。


「むっ? 貴様らは……」


 玄関の前に立っているのが俺たちだと悟った兵士は槍を構える。


「貴様らが手引きをしたのだな!?」

「お前らが来るまで、ここには誰も来てねぇぞ」

「嘘を吐け!」

「『精霊の審判』をかけてみろよ」

「あぁ、かけてやるさ! 『精霊の審判』!」


 俺たちが仲間を引き入れ、この館に襲撃を仕掛けたのだと信じて疑わない兵士は相当頭にきていたのだろう。

 なんの躊躇いもなく、俺に『精霊の審判』をかけやがった。


 俺の全身が光に包まれる。

 その瞬間、深く濃い霧の中に無数の人影が出現する。


 霧の中で急に何かが発光したため、外にいた兵が集まってきたのだろう。

 ぐるりと俺を取り囲むように無数の兵が集まり、そしてその異変に気付いて声を上げる。


「な、なんだ、これは!?」


 兵士たちがきょろきょろと辺りを見渡す。

 狼狽え、顔色を青くして。


 光を発する俺を取り囲むように集まった複数の兵士。

 その背後に、ゆらゆらと揺れ動く無数の人影が出現していた。


「……これは」


 背後からウィシャートの声が聞こえる。

 いいタイミングだ。


「これが、ブロッケン現象だ」


 振り返り、霧の中を指さして言ってやる。

 視界を遮るような深い霧の中で、こんなまばゆい光を放てば、光と霧の間に立つ者の影を浮かび上がらせるのは当然。

 そして、霧の濃淡、風により揺らめく霧の状況によって、浮かび上がった影は不気味に揺らめき、一瞬で遠のき、次の瞬間には眼前に迫るという予測不可能な動きを見せる。


 目の前で起こった現象を脳が処理し切れていないのか、呆然と濃霧の中で踊る影を見つめ続けるウィシャートと兵士。

 そうこうしているうちに、俺を包み込む光は消え失せた。


「今日は随分と冷えるな。こんな日は、空気中の水蒸気が水滴となって深い霧になる。こんな日に強い光を受ければ、当然影が出来る。影を映しているのは水蒸気で出来た不安定な霧の上だから、風なんかで簡単に影は形を変える――と、先ほど説明したのが嘘でないと、これで理解してもらえたかな?」


 呆然と濃霧を見つめるウィシャートに尋ねる。

 これでもかと、十分に念を押して。


「こんなことが……こんな現象、今までは一度だって……」

「だぁかぁらぁ、大工どもも見間違えたんじゃねぇか。こんな現象が起こるなんて、誰も信じられなかったんだから」


 今、玄関前に集まっている兵士の誰もが目の前で起こった現象に呆然としている。


「この兵士が追いかけてきた人影は、この兵士自身の影だ。後ろのヤツがカンテラで照らしてたからな。人間とは思えない動きをしてたんじゃないか?」

「そ……そうだ。やけに素早く動くヤツで……かと思ったら目の前に接近してきて……でもまた逃げて……」


 信じられない現象を目の当たりにして心臓が暴れ狂っているのだろう。

 敵である俺の質問にも、素直に答えてくれた兵士A。

 自身の館の兵の言葉に、ウィシャートも反論は出来ないようだ。


「さっきまでお前らの後ろにいた人影は一瞬で消え失せてしまったな。こんな短時間で、誰にも見つからず、気配もさせずにあれだけの人間が消失するなんてことがあり得ると思うか?」


 挑発するように執事ウィシャートに聞いてみる。

 だが、執事ウィシャートは返事を寄越さなかった。

 まぁいいさ。


「これでもまだ、洞窟にいたのがカエルだったと言うのなら、俺が全区の領主に触れ回ってやるよ。『ウィシャートの敷地内にとても人間とは思えない動きをする不審な人影が大量に現れ、突然姿をくらませた。……あれは、カエルだったんじゃないか』ってな」


 未知のものを都合のいい悪意に変換するのは、解決を望まないクレーマーのよくやる手段だ。

 言い様はいくらでもある。

 だが、そういった連中は、自分のやった手口がおのれに返ってきた時に何も出来ない。対処はもちろん、反論も反応も出来なくなるのだ。

 なぜなら、「そんなことあり得るわけがない」と、他ならぬ自分自身が一番よく分かっているからだ。


「まだ何か聞きたいことはあるか? 敷地内でカエルを大量発生させたミスター・ウィシャート」

「……ぐっ。本日の会合は以上とする。速やかに退去されよ」

「だ、そうだぞ、エステラ」

「では、明日から工事を再開させます。いやぁ、誤解が解けて本当によかった」


 したたかに笑って、エステラが右手を差し出した。

 それを憎々しげに見つめ、握手することなくウィシャートは館の中へと帰っていった。

 最後に、執事ウィシャートが俺たちを射殺す勢いで睨み付け、荒々しく館のドアが閉じられる。


 感じ悪ぅ~。


「帰るか」

「だね」

「では、先導いたします。足下にお気を付けください」


 1メートル前も見えないような濃霧の中、ナタリアを先頭にゆっくりと歩き出す。


「……邪魔です」

「お、……おぅ」


 呆然と立ち尽くす兵士へ、ナタリアが冷たい殺気を向け、道を空けさせる。

 数歩進み、ふと立ち止まる。

 そして後ろを振り返って、その兵士に言う。


「館の主に伝言を。『出迎えから見送りまで最低のもてなしをありがとうございます』と。それから――『我らに「精霊の審判」を実行したこと、決してお忘れなきように』と」


 ウィシャートがやったわけではないが、ウィシャートに呼ばれて訪れたウィシャートの館で、ウィシャートの雇っている兵士が客人である俺に『精霊の審判』を行使したのだ。

 それは、ウィシャートの失態として判断される。



 ウィシャートはエステラに対し、覆しようのない無礼を働いたことになる。



 そこまでやられるとは想定外だった。

 そんなことを考えつつ、ウィシャートの館を後にする。


 そして、館を出たところで馬車に拾われる。

 マーゥルが貸してくれた馬車だ。

 これでマーゥルの館まで戻り、そこからニューロードを使って四十二区に戻ることになる。


 途中、約束していたポイントに着くと、そこにマグダとリベカが立っていた。

 酷い濃霧ではあるが、御者はきちんと見落とすことなく二人を拾ってくれた。

 そして、道中も安全運転で馬車を進めてくれる。



 これも、予定通り。想定内。

 今回は八割想定内というところか。

『精霊の審判』をかけられたのは想定外だった。

 だが、それよりも、一番想定外なのは――


「なんじゃ、この霧!?」


 この霧だ!

 なんで!?

 いや、ずっと雨は降っていたし、今日は寒くなるってナタリアに聞いてはいたけど、こんなに霧出る!?

 しかも、昼過ぎだぞ、今!?

 山奥の早朝ならまだしもさぁ!


「むふふ~! なんも見えんのじゃ! 四十二区に来ると面白いことがいっぱい起こるのじゃ!」

「四十二区のせいじゃないですよ、リベカさん。豪雪期でもないのに、こんな濃霧が発生するなんて、ボクは生まれて初めて経験したよ」

「……豪雪期でも、ここまでの霧は前回が初めて」

「ですがまぁ、期せずしてブロッケン現象の実証が出来たのは僥倖だったのではないでしょうか」

「まぁ、そうかもね……」


 エステラがぐったりと座席の背にもたれかかる。


「まさか、ヤシロが何か仕組んだんじゃないだろうね?」

「アホ。天候なんかそう都合よく操れるか」


 それが出来るなら、四十二区の説明会の時にもやってたっつーの。


「本当にビックリしたよ……」

「そうですね。途中まではヤシロ様の想定通りに事が運んで『ぷぷぷ、こいつ虚栄ばっかり張ってるくせに実はバカなんじゃねーのー』と鼻で笑っていたのですが、まさかの事態に肝が冷えました」

「よかったよ、ナタリア。君の本心が欠片も体外に滲み出さなくて」


 ナタリアも、俺と同じようにウィシャートを小馬鹿にしていたようだ。


「でも、よくこの状況を逆手に取ったよね、ヤシロ」

「濃霧を見た瞬間に、外で騒いでいる理由が分かったからな」

「よくもまぁ、あんな咄嗟に理解できたもんだよ」

「二度目だったしな」


 謎の人影を見て誰かが飛び込んでくるのは、豪雪期でも体験している。

 人間、二度目ともなれば耐性が出来ているものだ。


「ボクなんか、事態が飲み込めずに放心しちゃったよ。ヤシロの説明を聞いているうちに『あ、そういうことか』って分かったけどさ」

「ヤシロ様に『精霊の審判』がかけられた時点で、私は平静を保つことが出来なくなっておりました」

「あ、ボクも。あれは焦ったよ」

「嘘を吐いてないんだから、何をされても平気だろ」

「……君の心臓には、絶対毛が生えていると思う」

「羨ましいだろって、デミリーに手紙を書いておいてくれ」

「やだよ」


 エステラは随分と緊張していたようで、ぐったりしたままずるずると座席に沈んでいった。


「……ヤシロ、『精霊の審判』をかけられたの?」


 くいっと袖を引かれ、隣から無表情な半眼が見上げてくる。


「ん? あぁ、ちょっとな。大したもんじゃなかったが――」

「……潰してくる」

「まぁ待て、マグダ! 今日は霧が深いから、また今度な!」

「……平気。視界が奪われても音とニオイで獲物の位置は把握できる」


 まぁ、なんて暗殺向きなスキルをお持ちだこと。


 この霧に乗じれば、マグダなら兵士を暗殺できるのかもしれないが、それでは「やっぱり敵がいたのではないか」と相手に反論の余地を与えることになってしまう。

 今回は、あくまで『誰もいないのに不気味な人影が踊っていた』という状況の方が好ましい。

 これで、もう誰も洞窟で目撃された人影をカエルだとは思わないだろう。

 それはとても都合がいい。



 ……実際、俺は目撃された人影はカエルだったのではないかと思っている。



 だから、偶然の代物とはいえ、一番面倒なウィシャートがすべてをブロッケン現象のせいだと思い込んでくれることは喜ばしいのだ。

 この件に関しては、こちらから下手に突かない方がいい。


 明確に敵対しているウィシャートまでもが洞窟内の出来事をブロッケン現象のせいだと言えば、もう誰もそれを疑うことはないだろう。

 たとえ、同じ現象が二度と起こらなくとも、「あの時はたまたま条件が重なったレアな状態だったのだろう」と思ってくれる。



 これで、『あれはカエルだった』と嘘を吐いたエステラに『精霊の審判』をかけるヤツは現れない。



 おそらくな。


 その安心を得るためなら、兵士の無礼くらい大目に見てやる。

 あの兵士が暗殺されても、こっちにはなんのメリットもないからな。

 むしろ、あの短絡的な兵士のおかげでブロッケン現象がより克明に連中の頭に刻みつけられたと喜ぶべきだろう。

 不発確定の『精霊の審判』をかけられたくらい、大目に見てやるさ。



「怒ってくれてありがとな」

「……ヤシロがいいなら、マグダも、いい」


 マグダの頭を撫でてやる。

 ついでに耳の付け根をもふもふと揉んでおく。


「……むふー!」

「むぅ! 我が騎士よ、わしも我が騎士のことをちゃんと心配しておったのじゃぞ! 怒っておったのじゃぞ!」

「はいはい。リベカもありがとよ」

「むふふ~、じゃ」


 両サイドに陣取るお子様二人の頭を撫でて機嫌を取っておく。

 俺、気遣いのプロじゃね?


「……プロ幼女使い」

「おい、やめろ、エステラ」


 そんな不名誉な称号を得たら、四十二区に帰った瞬間懺悔室行き確定だ。

 こんな寒い日に懺悔室は、普通に死ねる。


 少々の想定外はありつつも、俺たちは無事に任務を遂行し、四十二区へと帰ったのだった。






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