347話 濃霧の中 -1-

 マーゥルの館に着くと、頼んでもないのにマーゥルが出迎えに外へと出てきた。

 キラキラした瞳で「これがブロッケン現象?」と俺に詰め寄ってくる。

 四十二区での説明会を受け、そのような発想になったのだろうが、残念だったな。これはただの濃霧だ。

 ブロッケン現象というのは、霧が発生した際に背後から日光などの光源に照らされて影の周りに虹のような光の輪が浮かぶ現象で……あ、いや、たしか影だけでもブロッケン現象と呼ぶんだっけか? じゃあ、これもブロッケン現象でいいのか?

 まぁ、いいか。オールブルーム流のブロッケン現象ってことで。


 俺がそんなことを考えている間も、マーゥルは濃霧と戯れくるくる舞っている。

 落ち着きのないオバサンだな、まったく。

 うきうきわくわくしているマーゥルは、「楽しいことしてくれたら今後もいろいろ融通しちゃうわよ」的なにっこにこ顔をこちらに向けてきていたので、しばし『ブロッケン現象体験』という名の影遊びをさせてやった。

 濃霧の中にマーゥルを立たせ、後ろからカンテラで霧の上にマーゥルの影を浮かび上がらせる。

 霧が揺らめくと、マーゥルの影が不気味に踊っているように見えた。


 ……いや、違う。濃霧の中でマーゥルが不気味な踊りを踊っていた。

 これがベルティーナやミリィなら幻想的な、もしくは妖精的な神秘的風景に見えたのかもしれないが、マーゥルなので妖怪的な恐ろしさを感じる。

 妖怪・濃霧踊り。

 俺たちはいつまでこの踊りを見せられるのか……


「陽だまり亭できっと心配しているだろうから」と、適当なところで切り上げマーゥルの館を後にする。

 切り出さなきゃ、霧が晴れるまで付き合わされかねない勢いだった。

 さすがジネット。どこに行っても免罪符になってくれる。

「そうね。店長さんが心配しているわね」と、マーゥルもすんなりと納得してくれたし。


 そうして、ニューロードを通って四十二区へと舞い戻る。

 ……が、ニューロードの中まで霧が立ち込めて、もう、危ないやら怖いやら。

 壁に手を付けながら慎重に歩を進める。

 長い長い下り坂を、ゆっくりゆっくり下ってく。


「こりゃ、下手したら遭難しちまうぞ……」

「……大丈夫。マグダがついている」


 耳をぴこぴこ動かして「……においを辿れば帰れる」と頼もしいことを言うマグダ。……耳、関係ないじゃん。


「陽だまり亭に戻る前に、教会へ寄ってもらっていいか?」

「うむ、そうじゃの! お姉ちゃんが心配じゃからの!」


 リベカが嬉しそうに食いついてくる。

 まぁ、ソフィー『も』心配、というか。


「ベルティーナに話を聞いておきたくてな」

「ウィシャート自らがブロッケン現象を目撃したんだから、教会に誰かを派遣することはないんじゃないのかい?」


 あいつがそんなに素直な性格ならいいのだが……


「一つ気になっていることがあってな」


 俺は、会談中のある場面を思い出して語る。


「会談の途中で執事ウィシャートが下っ端に合図を送っただろ?」

「……いつのこと?」

「ブロッケン現象の話をした時に、紅茶を入れてた給仕に合図を送ってたんだよ」


 どうにもそれが気になってな。


「まさか、この濃霧の中、あの会談の途中でウィシャートが確認させに人を派遣したっていうのかい?」

「それを確認しに行きたいんだよ。思い過ごしならそれでいい」


 一応、注意するように言った手前、会談がどうなったかの報告もしておきたい。

 一寸先が見えないようなこんな濃霧は、それだけで十分不気味だ。

 ガキどもが不安がっているかもしれない。

 そんなガキどもを守る立場のベルティーナは、もっと気分が滅入っているかもしれない。

 なので、ウィシャートが自分で踊る影を目撃したこと、その影響で子飼いが来る可能性が低くなったことくらいは伝えておくべきだろう。

 不安なまま夜を迎えるのは心労を伴う。疲れることは、なるべく少ない方がいい。


「むふふふん。我が騎士は、わしのお姉ちゃんにも優しいのじゃ」


 いや、だからソフィーじゃなくてベルティーナな?

 ソフィーはついでだ。


 考え過ぎならいいと思いつつ、視界の悪い中マグダを先頭に教会へと向かう。

 そこで、俺は予想通りというか、やっぱりかと呆れる思いというか、ウィシャートという人間の小物っぷりを再認識させられた。


「ブロッケン現象に関して、子供たちに話を聞きに来られた方がいましたよ」


 教会に着いた俺たちを迎えたべルティーナに話を聞けば、そんな答えが返ってきた。

 ……やっぱり、即実行してやがったか。


「なんというか、凄まじい行動力だね」

「あの時点で、ウィシャート側はかなり苦しい状況だったからな」


 説明会へ偵察に差し向けた子飼いが誰一人として帰ってこず、横柄な態度で出迎えて萎縮でもさせてやろうと目論んだエステラにはカウンターを喰らわされ、あの手この手で足を引っ張ってやろうと準備していたであろう難癖すらろくにつけられない状況だった。

 だったら、とても信じられないような、見たことも聞いたこともない現象を「嘘だ」と暴き、立場を一発逆転させてやろう。――そんな発想になったのだろう。

 あのまま、エステラ優位の状況で帰したくなかったウィシャートは、すぐさま偵察を放ち、自分に有利な情報を得ようとした。

 で、大急ぎでこの教会までやって来たわけだ。


「随分と乱暴な男でしたよ!」


 ぷりぷりと思っているのはソフィーだ。

 談話室の奥では、寮母のオバサンたちが困ったような顔で身を寄せ合い、あいまいに微笑んでいる。

 ソフィーの荒れ具合にドン引きでもしてるのか?


「ブロッケン現象などというものは到底信用できぬと、その方はおっしゃいまして」


 怒り狂うソフィーを宥めつつ、ベルティーナが当時の状況を説明してくれる。


「私は、この目で確かに目撃しましたと、当時の状況を説明したのですが――」

「その輩は、あろうことかベルティーナさんに『ブロッケン現象など存在しないと認めろ』と脅しをかけたのです!」


 嘘を吐かない教会のシスターが、俺たちにとって都合がいい――言い換えればウィシャートにとって不都合な証言をした。

 それを受け入れられないウィシャートの子飼いは、ベルティーナの証言を捏造しようとした。

 力で脅し、ベルティーナに嘘の証言をさせようとしたのだ。


「子供たちがどうなってもいいのかなどと抜かしたので、私は愛用のモーニングスターを持ち出し、威嚇しました」

「椅子が一脚壊れたわ」

「それは、後程弁償いたします」


 寮母のオバサンがぽそっと被害状況を教えてくれる。

 ……ソフィー。椅子、壊すなよ。


「そうしたら、あろうことか、ベルティーナさんに『精霊の審判』をかけるなどと抜かしやがったのですよ、あの【自主規制】男!」


 おぉう……シスターが絶対言っちゃいけない発言が飛び出したぞ、今。

 ベルティーナがめっちゃ困り顔だ。

 あとで懺悔室へ連れて行くといい。

 子供たちを守ろうとしてくれたから、今回は不問に……なんて甘いことを言っていてはソフィーの矯正は出来ないぞ。

 とりあえず、すぐに鈍器を持ち出そうとするあの性格を矯正してほしい。教会が責任を持って。


「ところが、その最中に子供たちが騒ぎ出しまして」


 と、ベルティーナの声が柔らかくなる。

 現在、霧に包まれた庭先でわーきゃー騒いでいるガキたちの方を向いてにこりと笑う。


「急に霧が深くなったと思ったら、子供たちが『影が出てる』と」


 ウィシャートの子飼いがいる最中に濃霧が発生し、ブロッケン現象が起こったらしい。

 もちろん、偵察に来ていた【自主規制】男もその現象を目撃したのだろう。


「ベルティーナさんを嘘吐き呼ばわりした恥知らずな【自主規制】男は、真実を目撃して鼻水を垂らしながら退散していきましたよ! ザマァミヤガレ【自主規制】野郎です!」

「ベルティーナ。累積アウトだろ、これはもう」

「困りましたね」


 勝ち誇り、男が逃げていったのであろう方向へ『お子様には見せられないジェスチャー』を決めるソフィー。

 俺、そーゆーの、悪党の手下しかやらないもんだと思ってた。


「とにかく、こちらは無事でしたよ。椅子一脚以外は」


 あ、ベルティーナもきっちり怒ってるっぽい。

 ん。じゃあ、お説教は任せた。

 残念だったな、リベカ。お姉ちゃんはもうちょっと教会に居残りだ。

 そうだな、たぶん小一時間くらいだろう。


 しっかり反省しろよ、ソフィー。


「とりあえず、シスターたちに危害が及ばなくて安心しました」

「ありがとうございます、エステラさん。きっと――」


 深い霧が覆う窓の外へ視線を向け、ベルティーナは胸の前で手を組む。


「精霊神様が私たちを守ってくださったのでしょう」


 ベルティーナは、それが真実であるかのように語る。

 おそらく、一片の迷いもなくそう信じているのだろう。

 祈ったくらいで助けてくれるような、慈愛に満ちたヤツじゃないと思うけどなぁ、精霊神は。


 とはいえ、精霊神は依怙贔屓の塊みたいなヤツだから、お気に入りのベルティーナを守ったというのであれば、それはなんとなく納得も出来る。

 もしくは、今さらになってようやく俺の素晴らしさに気が付き、遅まきながらも協力する気になったとか? ……ま、それはないな。


 神の御力か偶然の産物か。

 異常気象によりオールブルームを覆った深い霧は、今回の騒動を手早く解決させるのに一役買ったのは事実だ。

 こいつがなきゃ、もう一手二手余分に手駒を討つ必要があっただろう。

 だからと言って精霊神の加護だと妄信して感謝する気にはなれないが……



 もしかしたら、今回の騒動の成り行きをどこかで見ているのかもしれないなと、そんなことを頭の片隅で少しだけ考えてしまった。






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