346話 想定の範囲 -3-

「貴様ら、アレに何かを吹き込まれたのか?」


 探るような、油断のない視線が俺たちに向けられる。


「アレ、とは?」

「とぼけるということは、認めることと同義であるぞ、ミズ・クレアモナ」

「では、今後あなたがとぼけた時は『イエス』であると解釈させてもらいましょう。……それで、『アレ』とは?」

「ちっ! ……ベックマンだ」

「べっく、まん……」


 うまい。

 ベックマンの名前が出たら、ゆっくりと復唱しろと伝えておいたのだ。

 それで相手の耳には疑問形に聞こえるからと。

 で、続け様にこう言うのだ。


「それが、外で騒いでいる賊の名前なのですか?」


 そすると、「あれ? 知らないの?」とちょっとした焦りが芽生え、続いて自分から相手の知り得なかった情報をもたらしてしまったという焦りが追いかけるように湧いてくる。


「……まぁ、あの者には長らく迷惑を被っておるのでな」


 そうすると、しなくていい言い訳をしてしまうわけだ。

『あいつはノルベールの付き人で、自分とも面識がある』って事実を、なんとなく隠したくなるからな。

 そこは隠そうが隠すまいがどうでもいいのだけれど、焦りが芽生えた状態では、少しでも不利になりそうな情報は秘匿したいという心理が生まれる。


 浮気男がカマをかけられてうっかり彼女の知らない情報を漏らしてしまい、慌てて取り繕おうとしている心理に似ている。

 その先に待っているのは『ドツボ』だというのに。


「でしたら、ここにはいないとはっきりお伝えになればよろしいものを」

「伝えても、アレは信用せぬのだ」

「領主の発言を嘘だと? とんでもない暴論ですね」

「まったくだ。教養のない者を説き伏せるのは不可能に近い」

「いないものはいないのだから、それ以上説明のしようがありませんからね」

「その通りだ。それが分からぬからアレは程度が低いというのだ」

「一般的な知性と理性を持つ者であれば、そのような暴論はみっともない難癖だと理解できるはずですが」

「それが出来ぬ者もおるのだ。話すだけ時間の無駄だ」

「確かに」


 言って、エステラがにっこりと笑う。


「では、洞窟内にカエルはいなかったということで、明日から工事を再開させますね」

「なっ!?」


 先ほど、ベックマンの騒動で有耶無耶になっていた議論に終止符を打つ。


「いないものはいないのだから、それ以上説明のしようがありません。それが分からないのは程度が低い者だけ、ですよね?」

「ぐ……」

「それに、領主の発言を嘘だと決めつけるのはとんでもない暴論であり、そんな教養のない者を説き伏せるのは不可能に近いんですよね?」

「……貴様」

「ですが、一般的な知性と理性をお持ちのミスター・ウィシャートであれば、そのような暴論はみっともない難癖だと理解できますよね?」


 今さっき、ノリノリで賛同していたエステラの発言が自分に返ってきてぐうの音も出せなくなったウィシャート。

 ここで難癖を重ねれば、自分は外で騒ぎ立てる賊と同レベルだと宣言するようなものだ。


「あぁ、よかった。ミスター・ウィシャートが教養のある理性的な方で。おかげで、話し合いをスムーズに終えることが出来ました」


 言って、エステラは立ち上がる。


「さ、行こうか」

「待たれよ、ミズ・クレアモナ! まだ話は――」


 と、そこで外の状況に変化が起こる。


「うわっ!? なんでありますか!? 私はただ、ノルベール様を返していただきたく……痛い痛い痛い! 乱暴は辞めていただきたい! う、訴えるでありますよ! この区の領主様に、暴行の罪で訴え、一人残らず重い罰を科してもら……っ、ぎゃぁあぁああ! 痛ぁぁああい! ちょ、それは、ちょっと冗談では済まな……うわっ、待って! 待つであります! 落ち着いて! 落ち着いて話し合えばきっと分かり合えるであります! 落ちつ……うわぁあ! 待って待って待って! 腕が外れ……ヒジはそっちには曲がらないでありますよー!?」


 ぎゃーぎゃーと騒がしく、ベックマンの悲鳴だけが室内まで響いてくる。


「あれ? 捕まえたのかな?」

「へぇ、だとすればなかなかやるじゃねぇか」

「ふん。当然であろう」


 俺たちが褒めてやると、ウィシャートは口元を緩めた。

 あらあら、素直な顔しちゃってまぁ。


 まぁ、なかなかやるんじゃないの、本当に捕まえられていたなら、な。


「じゃ、説明も終わったし、ぼちぼち帰るか」

「そうだね」

「だから、待たれよと申しておる!」


 俺とエステラが揃って立ち上がると、ウィシャートが再び声を上げる。

 まぁ、当然そうなるわな。

 ただ、ウィシャートに残された選択肢は多くない。

 あと出来る悪足掻きといえば、ブロッケン現象という未知の現象について「本当にそんなことあり得るのか」と話を延ばすくらいだろう。

 だから、「それはシスターベルティーナに確認をしてください」と言ってやればそれ以上の追求は出来ない。


 実際その目で見るまで信じないと言いそうではあるが、「では、教会のシスターが虚偽の証言をしていると?」と切り返してやればいい。

 ついでに「それは、教会を嘘吐き呼ばわりすることになりませんか?」と、「教会への宣戦布告ですか?」とでも煽ってやればいい。


 なんなら、今から一緒に教会へ行こうかと誘ってやってもいい。

 ちょうど今四十二区の教会にはソフィーがいる。

 教会の、過激派シスターが。

 あいつは、ベルティーナを貶められたらマジでモーニングスターを持ち出すだろうし、脅しとしては十分機能するだろう。


 さぁ、ウィシャート。

 無駄な悪足掻きをしろ。

 それすら俺の想定内だ。


 いくつも状況を思い描いてすべてに対策を立ててきてある。

 ここまでは俺の想定内に収まっている。

 こちらの予想の範疇を超えるような隠し球もなく、こちらをねじ伏せるような展開もなかった。

 想定外の状況に陥って、俺が前へしゃしゃり出る必要もなかった。

 こちらの想像を上回るようなことがあれば、エステラには黙らせて俺がしゃべるつもりでいたのだが……というか、きっとそうなると思ってエステラには「なるべくしゃべるなよ」と言っておいたのだが……

 まんまと想定通りにことが運んで、ほとんどエステラがしゃべって終わってしまった。


 ウィシャートは、臆病で慎重なだけで、特別頭が切れる相手というわけではないということか。

 こんな男が三等級貴族に取り入り、バオクリエアとオールブルームの王族を手玉にとってうまく立ち回ろうと考えていたとはな。

 完全に役者が不足している。


 大方、欲望だけは人一倍でオツムの方は常人並みのこいつは、狡賢い貴族の手のひらの上で踊らされていたのだろう。

 二国の王族を手玉に取っていると思い込み、おのれにそれだけの実力と価値があると勘違いしてしまっているのだろう。


 有事の際には、双方からあっさりと切り捨てられるとも知らず、他人の権威で格下相手に尊大な態度を取り続ける。

 実に滑稽。実にみっともない。

 そして、実に危うい。

 こんなヤツがオールブルームの門番をやっているという事実が、俺の背筋を寒からしめる。


 唯一想定外だったのはウィシャート、テメェが俺の想定以上に無能だったってことだけだよ。


 もはや、話す価値もない。

 踵を返し、出口へ向かう俺とエステラの背に、ウィシャートの張り上げた声が届く。


「待て。まだ話は終わって――」



 そこから、俺の想定外の展開が始まった。



「お館様っ!」


 ウィシャートの言葉を遮るようにけたたましい音を立てて、執事ウィシャートが部屋へと駆け込んできた。

 ナタリアなら絶対にしないような取り乱しようだ。


「……まさか、本当に捕まっちゃったのかな、ベックマン」


 エステラが耳打ちしてくるが、それはない。

 ベックマンは1km先まで声を届けられるという能力を持っている。

 その能力を最大限利用し、今回ベックマンにはこの館から遠く離れた場所に身を潜めつつ、先ほどの一人芝居をやってもらっていた。

 そう。さっきの捕らえられたようなセリフは、俺が事前に覚えさせた一人芝居だ。

 時間も臨場感もバッチリだった。

 ま、俺はアレを聞くのが二回目なんで、もはやうんざりだけどな。

 エステラは三回目か。俺が最初にしゃべったのを含めると。


 とにかく、館のそばをいくら見回ろうが、ベックマンを発見することは出来なかっただろう。


 では、一体何があったのか――



「や、館が何者かに包囲されております!」

「なんだと!?」


 ウィシャートが焦った表情でこちらを睨む。

 ……が、こっちにとっても寝耳に水だ。

 館が包囲? なぜ? 一体誰に?


「……どういうこと?」

「俺に聞くなよ」


 エステラに尋ねられても答える術を持ち合わせてはいない。

 そんなもんは、俺だって想定してない。


 一体、今ここで、何が起こってるんだ?






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