346話 想定の範囲 -2-

 突然響き渡ったベックマンの声に、ウィシャートが苛立たしげに舌を鳴らした。


「あのオウムめ……」


 呟いて、背後に控える執事ウィシャートに視線を向ける。


「黙らせろ」

「はっ」


 短く言って、執事ウィシャートが部屋を出て行く。

 応接室には俺たちとウィシャートしかいなくなった。

 ま、ドアの向こうには兵が控えているだろうから、ウィシャートが一人になったからって襲いかかったりはしないけど。


 それよりも、やるべきことがあるからな。


「ノルベールと言えば」


 俺が呟くと、ウィシャートはあからさまに嫌そうな顔をした。


「そんな名前をどっかで聞いたことがあるな」


 エステラに視線を向けると「いたっけ、そんなの?」みたいな顔で小首を傾げる。

 これも演技だ。

 急に出てきたノルベールなんてマイナーな名前を全員が知っていたら「何かあるな」と思われかねない。

 あくまで、今名前を聞いてふと思い出した、そんな雰囲気が重要だ。


 覚えていない風を装うエステラから、ナタリアへ視線を向ける。


「貴族邸で窃盗を働き、国外追放処分となった行商人が、そのような名前であったと記憶しております」


 ナタリアはデキる給仕長なので覚えていて当然。

 そして、ナタリアの話を聞いて「あ~、あったね、そんな事件」とエステラがたった今思い出した風な演技を見せる。

 これで、この場にいる者全員がノルベールの名を思い出したことになる。


「あれ? たしかその貴族邸って……」

「はい。こちらですね」


 エステラの問いにナタリアが答え、ウィシャートを強引に会話に巻き込む。

 ナタリアの答えを聞き、さも不思議そうにエステラがウィシャートへ視線を向ける。


「なぜ、追放処分になった者の名を叫ぶ者がいるのでしょうか?」

「それはこちらが聞きたいくらいだ」

「追放したと見せかけて、実は匿ってたりして?」

「滅多なことを口にするな、平民!」


 俺が茶々を入れると、ウィシャートがすごい剣幕で俺を怒鳴りつける。

 それを、若干『いらっ☆』ってするような笑顔で迎え撃つ。


「うふっ」

「馬鹿にしておるのか!?」


 おっと、『若干』の匙加減を誤ったか。

 まぁいい。

 こっちは笑顔で続ける。


「まぁ、泥棒を匿っておくメリットなんかないしな」

「そうであろう」

「いや、待てよ。あるんじゃね?」

「知るか」


 おぉ、慎重だ。

 メリットがあるから匿ってるんだもんな。

 自分の口で「メリットなんかない」とは言えないよな。

 少なからずこの件に関しては、お得意の「『俺は』知らない」作戦が使えないもんな。

 バオクリエアとの交渉材料だ。お前の知らないところで勝手に、とはいかないよな?


「案外、この館の地下牢にでも幽閉してたりして?」

「くどい!」

「お、否定しないな」

「何が言いたい?」

「秘密と謎の多いウィシャート邸なら、それくらいは余裕で出来るだろうな~ってよ」

「出来るとやっているはイコールではない」

「えっ!? やっぱ地下牢とかあんの!」

「――っ!?」


 ノルベールなどいない。

 そちらへの誘導に忙しかったようで、ウィシャートは地下牢の存在を否定しなかった。

 そっかそっか、地下牢があるんだ、この館。


「エステラの館に地下牢ってないよな?」

「ないよ。牢に閉じ込めておかなければいけないような人物を、ボクの館に留め置く理由がないからね」

「いや、あるだろう。外に漏らされたら困る秘密を知られりしたら」

「始末すれば済む話です」


 話に割り込んできてさらっと恐ろしいことを言うナタリア。

 まぁ、普通はそうだわな。


「エステラ様の、決して他人に知られてはいけない危険極まる常識外れで理解が追いつかないアブノーマルなご趣味を知った者の口は即座に塞ぎます」

「そんな危険極まりない趣味なんか持ち合わせていないよ!?」

「えっ!? 『あのこと』を口外してもよろしいと?」

「さも何かありそうな雰囲気を捏造しないように!」

「そなたらは何の話をしておるのだ!?」


 じゃれ合うエステラとナタリアに、ウィシャートが苛立ちを露わにする。

 それが撒き餌だとも知らずに。


「お見苦しいところをお見せしました」


 苛立つウィシャートに困ったような笑みを向けて、エステラが肩をすくめて言う。


「うちの給仕長は、ボクに対する忠義が強過ぎるきらいがありまして」

「とてもそのようには見えぬがな」


 主をおちょくる給仕長なんて、忠義の欠片もないように見えるだろう。

 しかも、人前で。こんな畏まった場で。

 だが。


「そうですか? 少なくとも、あなたの執事よりは主思いだと思いますよ」

「我が執事は、そのような品性の感じられぬ戯れなどせぬ」

「しないのは戯れだけではないでしょう?」

「……なんだと?」


 ウィシャートの表情が険しくなり、比例するようにエステラの顔に強気な笑みが広がっていく。


「外で騒いでいた者は何者です? 『あのオウム』とおっしゃっていたので、相手をご存じなんですよね?」

「ふん……、それがなんだ」

「追放処分になった賊を様付けで呼ぶような者が、我々よりも等級が上の貴族だとは思えない……我々より立場が下の貴族ですらないでしょうね」

「アレは貴族などではない。あるはずがなかろう」

「では、平民の、しかも賊と関係のある、それどころか賊の手下のようなどうしようもない人間、なのですね?」

「そうだ」

「……ふっ」

「何がおかしい!」


 わざとらしく鼻で笑ったエステラに、ウィシャートは激昂し声を荒らげる。

 テーブルを殴りつけデカい音を立てる。

 それでもエステラは余裕の態度で、ソファにもたれかかり、ウィシャートを見下すように口元に笑みを浮かべて言い放つ。


「では、なぜ未だ始末していないのです?」


 すべてを知った上で「理解できないなぁ~」というわざとらしい、貴族がよくやりそうな『いかにも』な笑みを浮かべて、エステラがウィシャートを煽る。

 演技がうまくなったな、こいつも。どんどん貴族っぽくなっている。


「とうに処分をした賊の残党が、ありもしない難癖を付けて館の周りで騒いでいるのですよね? これほど不名誉なことがありますか? 『処分を下した』というあなたの発言を『嘘だ』と言っているようなものでしょう? 言わせたままにしている意味が、ボクには理解できないな」


 背もたれに身を預けたまま、アゴを持ち上げて後方へ顔を向ける。


「ナタリアはどう思う?」

「おそらく、ここの執事が無能なのでしょう。兵の熟練度を上げる訓練を怠っているから賊の一人も捕まえられないのです。お仕えする主は、我々使用人にとっては神にも等しい存在。その主に狼藉を働く不届き者を野放しにしておくなど考えられませんし、私であれば少なくとも五日で確実に亡き者にしてみせます。どれほどの遠方へ逃れようとも、です」


 一切の表情を変えず、当然のことを語るように淡々と説明をするナタリア。

 こいつなら、馬車に乗って国外逃亡を謀った相手であろうと、本当に五日以内に仕留めそうな気がする。


「だろうね。そしてボクは、君なら必ずそれを成し遂げてくれると信じているよ」

「ありがとうございます」

「だからこそ――」


 ナタリアへ向けていた微笑みをウィシャートへ向けるエステラ。

 その瞬間に、微笑みは嘲笑へ変化する。


「――あなたの執事は無能だな、と」

「貴様……っ」


 ウィシャートが奥歯を噛みしめる。

 ウィシャートの額に青筋が浮かぶのと同時に、後方のカーテンが微かに揺れた。

 へぇ、あそこにも出入り口があるんだ。


「言うまでもないことでしょうが」


 俺と同じことにナタリアも気が付いたようで、事態が起こる前にいち早く口を開いた。


「この部屋へ不要な兵が踏み入れば、それは宣戦布告と見做します。言う必要のないことであると確信はしておりますが」


 俺が言おうと思ったんだが、まぁ、出来る給仕長としては言わずにはいられなかったんだろうな。

 あのカーテンの向こうには兵が控えていて、ウィシャートに無礼を働いた者を取り押さえる役を担っているのだろう。

 だが、エステラに兵を差し向ければ、それは宣戦布告に他ならない。

 いくらエステラが目標でないと言い張ろうが、エステラのいるこの部屋に兵を入れればそんな主張は通らない。

 全裸のオッサンが女性専用車両に乗り込んで「痴漢するつもりなんかなかった」と主張するようなものだ。


 ……いや、ちょっと違うか?

 でも、完全武装って意味では似たようなもんか。

「いや、お前、やる気満々じゃん!」って感じで。


「そのようなことをするつもりはない」


 つもりはなくとも、今後の展開によっては強行するかもね――という余地を残した返答だな。

 まぁ、いい。あらかじめ宣言はしておいた。

 踏み込めば、力で潰す。

 そこんとこ、肝に銘じておけよ、控えてる兵士ども。

 お前らの短慮で、ウィシャートの首が晒されることになるってな。


「ノルベールさまぁぁああ!」


 相変わらず、ベックマンの叫びが聞こえている。

 ……もうそろそろかな。


「それにしても、やかましい声だな」


 そんな呟きは、エステラへの合図になっている。

 ぼちぼち仕掛けていい頃合いだ。


「本当に、聞くに堪えない。仮にあれが目上の貴族の関係者で手出しが出来ないというのであれば、歯を食いしばって我慢をするしかないでしょうが……そうではないんですよね?」


 貴族ではないと、先ほどウィシャートが自分で証言した。

 撒き餌に食いついて。


「姿を隠し、巧妙に攻撃を仕掛けてきている切れ者なら苦戦もしそうですが……相手の素性もご存じの様子だ」


 相手がオウム人族だということまで、ウィシャートは知っていると自白している。


「それでも放置されているということは、使用人がことごとく無能揃いなのかなと、そう思った次第ですよ」


 満面の笑みで、ウィシャートを嘲る理由を説明してみせたエステラ。

 ウィシャートの顔が血管でぼっこぼこになっている。

 わぁ、顔が赤黒ぉ~い。

 鼻から熱風吹き出しそう。

 タービン回したら発電できんじゃねぇの?

 怒髪天発電っつって。ぷぷぷっ。


 散々煽って、重要なキーワードをここでぶち込む。


「そうでないなら……何か、始末できない理由でもあるんですか?」


 エステラの声を聞きながら、しっかりとウィシャートの顔を観察する。



「たとえば、本当にノルベールを匿っていて何かを企み、交換条件として外で騒ぐあの賊に手出しが出来ない――とか?」



 赤黒く染まっていたウィシャートの顔色が、すっと元に戻った。

 それが意味するところは一つ。

『こいつ、何かを知っているな』と悟り、頭の中で冷静に対応を模索し始めた。


 だがそれは同時に、この館のどこかでノルベールが生きているという確信を俺に与えるのに十分な情報だった。






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