345話 凍てつく一日の始まり -4-

 ウィシャートの館に初めて足を踏み入れる。

 ベッコの模型のおかげか、なんだか既視感がある。相変わらずよく出来た模型だったんだな。実物を目の当たりにしたらそっくりでビックリだ。


「こちらでお待ちを」


 エントランスまで来て、そこで待たされる。

 玄関を入ると少々広いエントランスがあるのだが、その先は噂通り扉で塞がれていた。


 中央に大きめの両開きの扉があり、左右にそれぞれ一枚のドアがある。

 長方形のエントランスの各面に扉が一つずつある感じか。

 北が大きな二枚扉。南は玄関。東西にある扉の向こうは廊下なのだろう。


「お待たせしました。主様の準備が整いましたので、こちらへ」


 北側正面の両開きの扉から下人が出てきて俺たちを扉の奥へと誘う。

 執事ウィシャートが出てきて対応するようなことはないようだ。

 格下扱いだな、明確な。


 両開きのドアを抜けると、すぐにまた扉があった。

 15メートルほどの廊下が左右に延び、向かいの壁に扉が三つ並んでいる。

 どれも同じ部屋に入る扉だ。

 この先は応接室になっており、領主や取引のある者が通される部屋になっている。

 応接室は玄関側に三つ、左右にそれぞれ二つずつ、そして部屋の奥に一つ、出入り口が設けられている。

 応接室で何か有事が起こった際、各扉から兵を投入しすぐさま鎮圧するためだ。

 そして、万が一の際は主であるウィシャートを逃がすために扉がいくつも用意されている。


 模型を見ながらウーマロが説明してくれた。

 応接室の奥にワンランク上の客間があるのだが、今回俺たちはこの応接室までしか入る許可が下りないようだ。

 客間へは、懇意にしている貴族が案内されるらしい。


「よく来た」


 応接室に入ると、先に来ていたウィシャートがソファに腰掛けていた。

 座って出迎えるのかよ。何様だ、このオッサン?

 ウィシャートの後ろには、執事ウィシャートが涼しい顔で立っている。


 あぁ、この感じ。

 リカルドのところに初めて行った時に似てるなぁ。

 器が小さいから『こっちの方が上だから』って意地になって見せつけてくる感じ。

 ……だっせ。


 そういうヤツは、おちょくるに限る。


 俺は何かを言われる前にずかずかと進み、ソファに腰を下ろした。


「どっこいしょっと」

「貴様。まだ座れとは言っていないぞ。無礼者」

「お? じゃあ摘まみ出すか?」

「それが望みならそうしてくれる」

「んじゃ、報告はこれで完了だな。帰ろうぜエステラ」

「帰るのは貴様だけだ!」

「あ? ……もう忘れたのか? 当事者である俺の話を聞きたくないということは、説明を聞く権利を放棄したと見做すと言ったよな?」


 エステラだけを残して俺が帰るわけないだろう。


「真実を知りたいのか、しょうもない難癖を付けたいのか、どっちなんだ?」

「貴様! 主様に失礼であるぞ!」

「だったらくだらない見栄に固執してないで時間を有用に使えよ。そうしたらさっさと帰ってやるよ」

「貴様……貴族に対する態度というものを知らぬと見えるな」


 あぁ、知らねぇよ。

 特に、テメェみたいに尊重できるところも尊敬できるところも一切ない名ばかりの貴族に対する礼節ってヤツはな。


「俺が気に入らないようだからエステラの方から説明してやれ」

「分かった。あれはカエルではなかった。以上です」


 端的に言って踵を返すエステラ。

 なんの挨拶もせずにスタスタと部屋を出て行こうとする。


「待たれよ! そのような一方的な発言で納得するとでもお思いか、ミズ・クレアモナ!」

「ですが――」


 足を止め、ゆっくりと振り返りながらエステラが冷たい声を発する。


「この部屋に入って随分と経ちますが、椅子の一つも勧められておりませんので。時間を割くつもりがないという意思表示だと受け取ったのですが?」


 本来なら、部屋に入るなり椅子を勧めるのが常識だ。

 いつまで他区の領主を立たせておくのだという話だ。

 それを怠った自分たちを棚に上げ、こちらを非難するなど恥知らずもいいところだ。


 ナタリアに視線を送る。

 ついでだ、言ってやれ。


「エステラ様。どうやらこの館の者たちは『貴族に対する態度というものを知らぬ』ようです」


 さっき自分が言ったことを、イヤミたっぷりに即叩き返されるのは屈辱だろう。

 ダッセェ。

 お前、ダッセ!


「どうする、ウィシャート。先に座って俺たちを招き入れた時点で、テメェらは友好関係を毀損したんだ。その行動の意味が分からないほどバカじゃないし、それを笑って許してやるほどテメェらに対する思い入れもない。このまま物別れになってもこちらは一向に構わない。ただし、そちらから一方的に話し合いの場を乱してきたんだ、そちらが権利を放棄したと見做しこちらは説明責任を果たしたと判断する。明日より港の工事は再開する。文句があるなら統括裁判所にでも提訴するんだな」


 俺が言うと、ナタリアが『会話記録カンバセーション・レコード』を呼び出す。


「そちらの非礼は、明確に記録されています。まさか、同じ五等級貴族である我が主を不当に格下と見下し侮辱する行為を正当化するおつもりですか? 仮にそうであれば、我が主の尊厳を守るために我が区はいかなる行動も辞さない覚悟が出来ておりますが――」


 ナタリアが全身から全力の殺気を迸らせる。

 ぅぉおおうっ。部屋の酸素濃度が急激に下がった!

 呼吸が、苦し……っ!


 いまだ立ったままのエステラ。


 この状況こそが、ウィシャートが他区の貴族に非礼を働いている動かぬ証拠だ。


 エステラはただ立ったまま、静かに口を閉じている。

 そして俺とナタリアがはっきりそれと分かるくらいに臨戦態勢を取っている。

 この意味が分かるなら、次にやるべきことは分かっているよな、ウィシャート?


「……はぁ」


 眉間に深いしわを刻み、ウィシャートがため息を吐く。


「少々誤解があったようだ」


 ウィシャートが一歩退いた。


「こちらはそちらを卑下する意図など持ち合わせてはいない。ただ、深刻な状況故しっかりと議論をするつもりで着席していたに過ぎない」


 だが、決して謝らない。

 あからさまに格下扱いをしておいて、「そう感じたのはそちらの勘違いだ」と放言する。


「少々、常識外れな平民が先走っただけのこと。互いに不幸な行き違いがあったようだ。不問に付そう」


 要するに、「こっちには悪意などないのに、そこの平民が勘違いして無礼を働いただけだ。まぁ許してやるから落ち着けよ」ってことか。


 あくまで俺のせいなんだな。


 だが、ウィシャートは一歩退いた。

 四十二区と全面戦争は避けたいようだ。


「それでは、着席しても?」

「もちろんだ。今、茶を用意させている」


 エステラのイヤミたっぷりの問いに、イヤミたっぷりで返すウィシャート。

 茶はすぐに出すのが当たり前なので、「すぐに出てくる茶を用意する間すら我慢できないのか」とエステラを粗忽者扱いしているわけだ。


 裏を返せば、そんなイヤミを言うくらいしか反抗できないってことではあるが。

 今のは、完璧にこちらが正しく、非はウィシャート側にしかない。

 それを強引な論調で「どっちもどっち」に持ち込んだだけだ。

 第三者が見ていたら「いやいや、それは無理があるだろう」と苦笑を漏らしているところだ。


『認めなければ負けじゃない』

 そんな生き方は、自分の価値を地に貶める惨めな生き様だぜ、ウィシャート。


 澄ました顔でエステラが俺の隣に腰掛ける。

 三人掛けのソファの、結構真ん中寄りに俺が座っていたので、エステラが窮屈そうだ。

 気を利かせて尻を半分だけずらす。

 すると、エステラがその分をこちらに詰めてくる。

 腰を浮かせ、半歩俺に近付く。

 尻をソファに降ろす直前、前傾姿勢のまま俺の耳元に小さな声で囁く。



「……君の読み通りの展開だったね」



 そう。

 ここまでは俺が予想した通りの展開だ。

 いくつか想定したパターンの中で、最もしょーもない展開といえる。

 リカルドがやったことでもあるし、この街の貴族に限らず、おのれの権威を示したいケツの穴のちいせぇヤツがやりがちなことだ。


 なので、エステラが冷ややかにキレるのも、ナタリアが殺気を迸らせるのも、みんな計画通りだ。


 ただし、軌道修正しなければいけないことが一つ。



 ウィシャートは、俺が思うよりもずっとしょーもないレベルの貴族のようだ。



 見栄と自己顕示欲、欲望と妬みに取り憑かれたクズの中のクズヤロウ。

 だからこそ、このタイプは自分が不利になると後先考えずに強硬手段に出やがるので注意が必要だ。


 俺は、ウィシャートに対する警戒レベルを一段階上げることにした。






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