345話 凍てつく一日の始まり -3-

 昼過ぎになり、エステラとナタリアが陽だまり亭へやって来た。


「ルシアさんへの手紙、今日中に届けるように手配しておいたから」

「悪いな。こんな悪天候の中」

「この霧よりも深くて危険な『もや』を晴らすためだよ。多少は無茶もするさ」


 ウィシャートを野放しにすることは、この先ずっと四十二区が先の見えない靄の中に取り残されるようなものだ。

 それを晴らすために、今は多少の無理はしようということか。


「私の部下を特使に任命致しましたので、問題はありません」


 ナタリアが直接鍛えた部下が責任を持って手紙を届けてくれるのだそうだ。


「ついでに、アッチの連中への連絡役も指示してあります」


 ベックマンとゴッフレード。

 この二人のもとに連絡係が行っているらしい。


 ナタリアの部下ということは女子か。……大丈夫か?

 ベックマンはともかく、ゴッフレード担当の女子が気の毒過ぎる。


「全部終わったら、労ってやるよ」

「では、祝勝会を盛大に行いましょう」

「気が早いよナタリア」


 気の早いナタリアを諫めるエステラ。

 だが、勝ち気な笑みを浮かべて大きく頷く。


「けど、その案には賛成だね。陽だまり亭で、盛大な祝勝会を執り行おう」


 気が早ぇっつの。


「今日は探りを入れるだけだからな?」

「分かってるよ。第一目標は港の工事を再開させること」

「そして、隙があれば背後から『さっくり♪』と」

「おい、そこの過激派。置いていくぞ」

「大丈夫です。証拠は残しません」


 エステラが訪ねた日にウィシャートが『さっくり♪』やられたら、証拠がなくてもエステラのせいにされるわ。


「今日は、予定していたとおりの行動を取り、予定通りにことを進める」


 エステラもナタリアも、ウィシャートやゴッフレードに対してかなり怒りを覚えているようで、こいつらが最後まで冷静でいられるかどうかちょっと不安なのだ。

『湿地帯の大病』が連中の悪意によってもたらされたテロ行為だと分かってしまった後では、冷静に対応しろってのは難しいんだろうとはいえ。


「エステラは決められたこと以外口にするな。連中は、どこに毒針を仕込んでいるか分からんからな」


 俺なら回避できることでも、エステラならうっかり引っかかるかもしれない。

 何気ない言葉のやり取りで言質を取られたら、連中はためらいなくこちらをカエルにしてくるだろう。

 状況が不利と見るやすぐにでもな。


 忘れてはいけない。

 連中は、すでに何人もの人間を害しているのだ。

 ゴッフレードのような人間を使って、邪魔者を排除し続けてきたのだ。


 外交ルールに則れば大丈夫だなんて保証はどこにもない。

 連中は身勝手な裁判を密室で行い、都合よく事実をねじ曲げ真実を隠蔽し続けているのだ。


 エステラが館に乗り込んだ直後に暗殺して「四十二区領主は説明に来なかった」と白を切ることくらい連中なら平気でやってのける。


 ほんの些細な隙も見せてはいけない。

 本当なら、エステラを置いて俺一人で行きたいくらいだが、さすがにそれは出来ない。


 だから、エステラにはしゃべる言葉に制限をかける。


 何パターンか想定した受け答えに対し、俺が回答例を口頭で伝えた。

 そのセリフを一語一句違えずに口にする。

 それ以外のことはさせない。


「もしパターンにない事が起こったら?」

「俺がなんとかする」


 大丈夫だ。

『ボロを出さないように』と守りをガッチガチに固めるヤツは、手強そうに見えてその実テメェ自身の行動の幅も狭めているのだ。

 今のエステラ同様、『絶対に隙を見せないため』にお決まりの言動に終始するしかないのだ。


 少なからず、まだ『領主として』外交を行うつもりがあるなら、俺の想定を超えてくることはないだろう。


 それを超えてきやがったら、死に物狂いで撤退して、四十二区に戻るや否や一斉蜂起だ。



 向こうも、そうなることは予想が付いているだろうから下手なことはしてこない。

 いや、出来ないだろう。

 三大ギルド長を味方に付けた四十二区を武力侵攻するには準備が圧倒的に足りていない。

 お得意の毒も、レジーナレシピで無効化してやる。


「ヤシロ様」


 頭の中を整理していると、ナタリアが俺を呼んだ。


「もしかして、緊張されているのですか?」

「そう見えるか?」

「はい。少々」


 そうか。


「じゃあ、ナタリアは冷静だな。その通りだよ」


 エステラを連れて敵の本拠地に乗り込むのは、弱点を頭上にぶら下げて敵陣地に攻め入るようなものだ。

 そりゃ多少は緊張する。

 本当なら隠しておきたい物をさらけ出すのは、人間に限らず生物が無意識のうちに忌避する行為だからな。


「いうなれば、エステラを連れて行くのは、全裸で大通りを練り歩くようなものだ」

「どういうことかな!?」

「つまり、日常茶飯事――ということですね」

「それが日常なら今すぐ投獄が必要だよ!」

「……緊張するな」

「実は、私も」

「本当に!? 君たちはいたって普段通りに見えるけれど!?」


 エステラは元気だなぁ。

 こいつ緊張とかしないのかなぁ。

 羨ましい性格だよ。


「それじゃ、行くか」

「うん」

「ご安心ください。今日という日においては、お二人の命はこのナタリア・オーウェンが命に代えてもお守りいたします」


 先のことは分からないが、今日だけは何がなんでも死守する。

 こいつはそれを毎日行っている。

 だが今日、敢えて名を掲げて宣言したということにナタリアの決意を感じた。


「さっさと行って、サクッと終わらせよう」

「そうだね。そして、さっさと戻ってこよう。この陽だまり亭に」


 出発する俺たちを、頼もしい仲間たちが見送ってくれる。


「みなさん。美味しいお夕飯を用意して、帰りをお待ちしていますからね」


 代表して、ジネットがそんな言葉をくれた。


「マグダ。そっちも気を付けろよ」

「……まかせて。リベカは、必ず守りきる」

「お前も、無茶はするな」

「……平気。ヤシロを悲しませるようなことはしない」


 マグダに何かあれば俺が悲しむ。……ということにしておいてやるから、絶対無事に帰ってこい。


 俺たちは傘を持ち、マグダとリベカはフード付きの外套を羽織り、共に出発する。

 マグダたちとはニューロードを超えて二十九区を通り過ぎ、三十区領主の館の近くまで一緒に進む。そこから別の方向へ向かって歩き出す。

 俺たちはウィシャートの館の正門へ、マグダとリベカは裏門側へ。


 雨は降っていないが、細かい霧雨のようなものが舞っていた。

 視界は悪い。

 気温も低い。

 普通なら、出歩きたくもないような天候だ。


「ナタリア、砂時計は?」

「問題なく。時間に狂いはありません」


 昼の鐘と同時にひっくり返した砂時計。

 これと同じ物を、ゴッフレードとベックマンにも渡してある。

 この砂がなくなると同時にベックマンが騒ぎ出す。

 ゴッフレードはそれを見越して砂が落ちきるより少し早めに行動を起こし、俺たちはかなり早めに行動を開始する。

 移動の振動で多少砂の落ち方に変化は出てしまうが、その誤差はなんとか自前の口八丁で誤魔化す。


 マグダたちと別れて少ししたころ、俺はエステラとナタリアに二つの薬を手渡す。


「事前に飲んでおけ。抗睡眠薬と抗麻痺薬だ」


 ウィシャートの館に入ると同時に毒薬を吹き付けられるなんてこともないとは言えない。

 毒の種類は多岐にわたるが、一瞬で行動不能になってしまう睡眠と麻痺さえしのげれば、それ以外の毒物なら俺がその都度対応できる。

 出来なくても意地で対応してみせる。


「どうしてこのタイミングで……あぁ、そういうことか」

「ヤシロ様は、みなさんに心配をかけたくなかったのですね」


 陽だまり亭で飲んでおくのが楽ではあったが、そんな危険があると予想もしていない連中の前で対策を取るのは憚られた。

 無駄に心配を募らせても疲れるだけだ。

 そんな毒物なんか、仕掛けられていない可能性も十分あるのだし。


「念のための用心だからな。下手に騒がれると居心地悪いだろ?」

「確かにね」


 俺はもとより、エステラやナタリアだって、あまり他人に心配をかけたくないタイプの人間だ。

 それが不要な心配ならなおのことだろう。


「連中が毒を得意としているとはいえ、その毒はほとんどがバオクリエア由来だ」


 連中が独自開発した毒なんてものは皆無だろう。

 他人から借り受けた力でふんぞり返りやがって。


「バオクリエアの毒なら、レジーナが完封できる」


 レジーナの薬に関する知識は巨大な図書館の蔵書並みだ。

 バオクリエア産の薬なら、そのすべてを熟知していると言っても過言ではない。


「レジーナノートに書いてあったよ。バオクリエア由来で効果が高く、輸出されている毒物のリストと、その毒物の対処法が事細かにな」

「さすがレジーナだね」

「それに対応できるヤシロ様がいてこそ、ではあるのでしょうが」


 まぁ、確かに少々専門的なことが書かれていたので、それをちゃんと理解できないと解毒は難しいだろうが。


「なんにせよ、連中の切り札である毒物は一切恐れなくていい」

「ふふ。心強いよ。ヤシロとレジーナが付いていると思うとね」


 俺とレジーナが守ってやる。

 そんな保証が、エステラの心にゆとりを与えた。


「普段はおっぱいとパンツで大はしゃぎしているお二人ですが」

「……ホント、しょーもないよね、君たち二人は」


 なんか一瞬で信頼が損なわれた気がする!?

 やる時はやるタイプなのに、俺!

 やらない時は徹底してやらないけども!


「解毒パンツっていうのがあったら、エステラ、お前は穿くか?」

「キリッとした顔でくだらない質問をしてこないように」

「Tバックで――」

「まだ続くのかい、この話!?」

「おまけにTフロントだ!」

「ヒモだよ、それは!」

「分かりました。穿きましょう」

「穿かせないよ!?」

「解毒はさせないわ、丸出しを強要するわ、ドSですか、エステラ様?」

「普通のを穿いて!」

「普通の定義が曖昧ですので、少しミーティングを――」

「水出して、ナタリア! 薬飲むから! そしてさっさと行くから!」


 ナタリアの持っていた小さな水筒を奪い取り、二つの薬を一気に飲み干すエステラ。

 俺たちもそれに続き、パンツのミーティング――『パンミー』は後日へ持ち越しとなった。






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