345話 凍てつく一日の始まり -2-
「そうじゃ! 我が騎士よ!」
リベカがぴょいこらぴょいこらと跳ねながら近付いてくる。
「まだ試作品なんじゃがの、こういう物を作ってみたのじゃ」
「これは?」
「塩麹じゃ。塩麹自体は前から作っておったんじゃが、今回は試行錯誤を繰り返して香りに深みを持たせてみたのじゃ。なかなかの一品じゃぞ」
有田焼のような手触りの小さな壷を渡される。
蓋を開けてみれば、濃厚な麹の香りが鼻孔をくすぐる。
「うん。いい香りだな」
小指の先を付けて味を見る。
「んっ! 美味い!」
「じゃろ!? のー! やっぱり我が騎士は物をよく知ってるのじゃ! この塩麹の良さが分かるとは、さすがは我が騎士じゃ!」
相当な自信作なのだろう。リベカがすこぶる嬉しそうだ。
だが、この塩麹なら自慢したくなるのも頷ける。
麹の甘みの中に混ざる絶妙な塩辛さが味をキリッと引き立たせている。
リベカが持ってきたということは、この塩麹を使って何か料理を作れということなのだろう。
ちょうど、試してみたいものがあったんだよな。
「ジネット、鶏ガラスープってあるか?」
「はい。今朝仕込んだものがありますよ」
今日も今日とて、ラーメンの研究をするようだ。
俺と一緒に各区にラーメンの作り方を教えて回ると決まったこともあり、他人に教えられるラーメン作りに勤しんでいるようだ。
ちなみに、塩ラーメンも味噌ラーメンも一応教えた。
納得できるものが出来れば、試食会が催されるだろう。
「この塩麹で、塩麹ラーメンを作ってみよう」
「塩麹ラーメンですか?」
作り方はそこまで複雑ではない。
塩ラーメンの塩を塩麹に代えるだけだ。
醤油や味噌も、大体そんな感じで出来る。
ただ、相性を見極めてスープとタレを調整するのが難しいだけで。
こだわらなければ、それっぽいものは簡単に出来る。
醤油ダレを鶏ガラスープで薄めれば醤油ラーメンに。醤油ダレを塩ダレにすれば塩ラーメンに。味噌ダレにすれば味噌ラーメンで、塩麹ダレにすれば塩麹ラーメンだ。
もっとも、そんな簡単なものだとジネットの合格が出ないだけで。
「んじゃ、ちょっと作ってみるな」
俺は基本の形を教えるだけ。
味の昇華はジネットが勝手にやってくれるだろう。
なんなら、「ここから先はお前らで研究しろ!」って各区に丸投げでもいいしな。
「……で、こうすると。ほい、完成」
さっくりと塩麹ラーメンを作る。
麹の香りがたまらない。
甘酒のようにどろっとした塩麹を溶かしたのに、スープは澄みきって美しい。
「……ん。あっさりしていていい感じだな」
試しにスープを飲んでみると、あっさりとしていて実に飲みやすい。
「美味しいです、ヤシロさん!」
「中に入れる具材とか、いろいろ研究しがいがあるだろう?」
「はい。あっさりとしたスープですので、葉野菜……ほうれん草とか? でも、味の濃い煮卵を入れてみるのもいいかもしれません。もっと味のしっかりとしたものでも……」
「塩麹に漬けた鶏肉を焼いて入れても美味いぞ」
「塩麹に漬けた鶏肉ですか!? それは試してみたいです!」
幸い、塩麹はまだ残っている。
鶏のもも肉を平皿に出して塩麹を塗り込んでおく。
ここに冷蔵庫でもあれば三時間くらい入れておきたいところだが、まぁ今日はクッソ寒いので厨房で寝かせておけば十分だろう。
「で、寝かせたら塩麹をしっかりと取り除いて焼くだけだ。塩麹が残ってると焦げるからな」
「はい。……でも、あえて少し焦がしたい、ですよね?」
なかなか粋なことを言う。
まさにその通りだ。
焦げは、適量なら食欲をそそるからな。
「我が騎士よ!」
試しに作った塩麹ラーメンを試食して、リベカが肩を怒らせている。
口に合わなかったか? ……いや、逆だな。
「この塩麹ラーメンは二十四区が取っぴなのじゃ! 他所の区に教えてはならんのじゃ! 約束なのじゃ! 約束を破ったら、もう四十二区には塩麹は売ってやらんのじゃ!」
出たよ、恫喝外交。
「じゃあ、他のレシピは教えない」と言えば、秒でヘタレるのは目に見えているがな。
「まぁ、麹を使ったラーメンは二十四区以外には難しいだろうしな」
「そのとおりじゃ! ふむ、これはラーメンに適した麹を研究せねばならぬの! すぐに帰って
「こっちの用事が終わってからにしてくれ」
「もどかしいのじゃ!」
「鳥肉の塩麹焼きも食わせてやるから」
「なら我慢するのじゃ!」
危うく帰られるところだった。
危ねぇ……怖ぇ、お子様の発想、怖ぇ……
「ソフィー、俺たちが出発したらベルティーナと一緒に教会に留まってくれないか」
ブロッケン現象の証人として最も効力を発揮するのはベルティーナだ。
俺たちがブロッケン現象を理由に洞窟の影をカエルではないと証言すれば、連中はきっとベルティーナに真実を確認しに来る――くらいなら問題はないが、自分たちにとって都合が悪い証言者を排除しようと考える可能性が無いではない。
おそらくそこまで性急にことを大きくすることはないだろうが、念には念を入れておきたい。
「教会へウィシャートがちょっかいをかけてくる可能性が高い。ベルティーナを守ってやってくれ」
「はい。ベルティーナさんの身は私がお守りします」
「ベルティーナへの説明は飯の時でいいよな?」
「大丈夫だと思いますよ。シスターも、ソフィーさんのことは大好きですから。歓迎されると思います」
「くふっ! 大好きですか!? そう見えますか!?」
「はい。わたしもソフィーさんが大好きですから」
「ありがとうございます、店長さん!」
「まっ、わしの方がもっとお姉ちゃんを大好きじゃがの」
「むはぁぁああ! やっぱりリベカが一番可愛い!」
ちょっとしたヤキモチに血を吐くソフィー。
なんでこんなに血の気が多いんだろうか、こいつは。
その血の半分でもミケルにやれば、あいつのスタミナも普通の人間レベルになるんじゃねぇの?
……あ、たぶんミケルに興味なさ過ぎて誰も覚えてないと思うけど、モコカの兄でソフィーが片思いしている相手で、スタミナが常人の三分の一くらいしかない、妹の仕送りで生きているヒモみたいなダメ兄貴だ。おまけに重度のシスコンで……こんなヤツばっかりだな、この街。
「で、リベカ」
「なんじゃ、我が騎士よ」
ソフィーに後ろから抱きしめられ、二人羽織みたいなもっこもこした状態でこちらを向くリベカ。
「お前は、三十区に入ったらマグダと一緒に行動してくれ」
「分かったのじゃ! 作戦通りに、じゃな」
一応、作戦は昨日のうちに話してある。
万が一のことを考えて、マグダを護衛に付けておく。
「ジネット」
「はい。鶏肉に塩麹を塗っておきました」
うん、作業してたんだ。
待ちきれない子か、お前は。
「午後からデリアとノーマが来てくれるから――」
「はい。各種ラーメンの試作を進めますね」
いや、そうじゃない。
そうじゃないんだが……まぁ、ジネットはそれでいいか。
もし万が一、俺やエステラが留守の時にウィシャートの子飼いが四十二区にちょっかいをかけるようなことがあれば……俺がこの手でウィシャート家を潰す。
一族郎党、縁切りしたルピナス母娘を除いて、一人の例外もなく血祭りに上げてやる。
そっちがその気なら、とことんまでやってやるぜ。
ま、俺の予想では、偵察を放って探りを入れてくる程度に留めるだろうが。
ウィシャートは危険だ。
そして、四十二区は完全にウィシャートにロックオンされてしまっている。
軽くお灸を据えただけで、連中が手を引くとは到底思えない。
だから、かなりの大改革が必要になる。
それで、迷惑をかけちまう連中もいる。
そう、たとえば――
「カンパニュラ」
「はい」
「少し、話を聞いてくれるか?」
「はい」
カンパニュラは、渦中に放り込まれることになる。
それなのに、カンパニュラは俺ににっこりと笑いかけてくれる。
「私は今日、憧れていた職業を体験できました。ですので、私の未来予想図は今また真っ白になっているんです」
おそらく、すべてを悟った上で俺に微笑みかけてくれているのだ。
「私は、ヤーくんのやろうとしていることを支持いたします」
話を聞く前から、そんなことを言ってくれる。
「……そうか」
「はい」
「なら、今度一緒に三十五区へ行こう。明日にでも」
「明日ですか? 母様に会えるのは嬉しいです」
ルピナスにも会わなければいけない。
そしてオルキオにも。
とりあえずルシアに手紙でも出しておくか。
ゴッフレードと会ってから、俺の中で固まった答えをしっかりと伝えるために。
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