343話 この日常を守るため -2-

 キンキンと、甲高い音が響く。


「ヤシロ。ねぇ、ヤシロ」


 3センチ四方の小さな鉄板に緻密で精密で密度がもうみっつみつな彫り物をしている俺に、エステラが囁くような声で話しかけてくる。


「どうした?」


 俺は鉄板から視線を上げないまま返事をする。

 するとエステラは困ったような声で言う。


「飽きた」

「帰れ。そして働け」


 つか、なんでお前いんの?

 いる必要ないよな?

 ここはノーマの工房で、作業するのは俺なんだから。

 え、なんでいるの?


「明日、ウィシャートのところへ乗り込む予定でさ、そのための準備を君がやっているっていうのに、のんきに仕事なんかやってられないよ」

「のんきにやってられないなら、死ぬ気になって仕事してこい」

「気になって仕事なんか手に付かないよ! 絶対署名しちゃいけない書類にうっかり名前を書いちゃったらどうするのさ!?」

「指さして笑い飛ばしてやるよ、『バッカでー!』ってな!」


 何が気になるんだ。

 なんでいちいち俺のやることを全部お前に事前告知しなきゃなんねぇんだよ、面倒くせぇ。

 結果を見て「あーそんなことしてたのかー」って思っとけよ。


「ノーマぁ。エステラにナイフの研ぎ方でも教えてやってくれよ」

「なんなら、自分で作ってみるかぃね? ナイフ好きのあんたがどんなデザインをするのか興味があるし、自分で作ったとなれば愛着も湧くさよ」

「いや、ボクはボクが好きなものはその道のプロに作ってほしいタイプだから」

「……謙虚なのかズボラなのか、判断に困るさねぇ、エステラは」


 こいつ、本当に好きなものには妥協しないんだよなぁ。

 俺以上に努力や過程を重要視しない人間なんじゃねぇのか?

 プロが確かな技術で作ったものしか認めやがらねぇ。


 そして、自分の手作りへの評価が物凄く低い。

 まぁ、いつも隣に完璧超人がいるんじゃ、それと比較してしまうのかもしれないけどな。

 なんでも出来るナタリアに、料理の天才ジネット。


「そして、世界の美を集約したようなイケメンの俺」

「あぁ、ヤシロ。いくら退屈でもそーゆーボケは求めてないから」


 ボケてねぇわ!

 なんなら『精霊の審判』かけてみるか!?

 へそ曲がりの精霊神といえど、普遍的な美に関しては認めざるを得ないだろうよ。


『オオバヤシロはイケメンである!』


 そう宣言して『精霊の審判』を受け――それでもしカエルになったら、どこに逃げ隠れしようと必ず見つけ出して息の根を止めてやるからな、精霊神!


「ほら、ヤシロ。邪念が槌に出てるさよ。手元を乱しなさんな」


 煙管で手首をぴしりと叩かれる。

 っと、いけないいけない。精霊神へ対する日頃の恨みがついぽろりしちまったぜ。


「ぽろりしちまったな」

「えっ!?」


 と、咄嗟に胸元を確認するノーマと、一切反応しないエステラ。

 うん。日常からぽろりの可能性がないと、こういう時に焦らなくていいよね。


「ヤシロ、そのにやけた瞳の意味を声に出して説明してくれるかい? ただし、確実に刺すけれど」

「じゃあ、言わにゃ~い」

「よし、刺そう!」

「うちの工房ではやめとくれ」


 エステラが取り出したナイフをするっと没収するノーマ。

 おぉ、なるほど。ノーマのそばにいれば、エステラのナイフも怖くないのか。

 つまり――


「おっぱいは俺の味方というわけだな!」

「ヤシロ。刺すさよ?」


 エステラのナイフを鞘から引き抜くノーマ。

 なぜだ。味方が一瞬で刺客に!?

 そして、エステラよりも強そうに見えるな、ノーマ。

 ナイフ術はエステラの方が上のはずなのに。


「へぇ、いいナイフさね」

「分かるかい? これはね、行商人が持ってきた異国のナイフでね、ここの作り込みがさ――」


 なんか、女子二人が物騒な話を始めた。

 ナイフで盛り上がる女子ってどうよ?

 つか、どう持てば殺傷能力が上がるとか、そんな情報、共有する必要ある?


 いつかノーマとお付き合いするかもしれない男子に告ぐ。

 ……浮気したら刺されるぞ。そして、その一撃は確実に命を刈り取る必殺の一撃だ。

 ノーマと付き合うならば、命をかける覚悟を持て!


「――っと。ノーマの将来を心配している間に、完成だな」

「なに勝手な心配してんさね」

「将来の旦那が浮気しても、滅多刺し事件とか起こすなよ」

「大丈夫さね。……一突きで亡き者にしてやるからね」


 親方、女将さん。

 この街の死神はふわっふわのキツネ尻尾を生やした巨乳美女の姿をしていました。


「完成したの? 見せて」


 ナイフの刃をギラつかせるノーマの隣から、のんきな顔でエステラが手を伸ばしてくる。


「重いぞ」

「わっ、本当だ」


 手のひらに乗せてやると、その重量に驚いていた。

 小さくとも、しっかりと熱に耐えてくれる頑強な鉄の焼き印だ。

 ずしりと存在感のある重さをしている。


「何か書いてあるけど、反転しているから読めないね」

「まぁ、焼き印だからな」

「これって、バオクリエアの紋章だよね?」


 そうだ。

 レジーナの家で何度か見たことがある。

 国……というか、王族が管理するような貴重な物資にはバオクリエア王家の紋章が付けられていた。

 布の袋にしっかりと縫い付けられた何かの革に。

 手触りは牛革っぽかったけれど、きっと魔獣の革なんだろうな。


 革の袋では蒸れて中に入っている物に影響が出てしまうことがある。

 香辛料の中には、湿気に弱いものもあるしな。

 なので、通気性のよい布袋にわざわざ魔獣の革を縫い付けているのだ。


 布に焼き印をするわけにはいかないし。

 破れちまう。最悪、燃える。


 で、その縫い付け方や縫い付ける場所、革の大きさ、焼き印の大きさもしっかりと把握している。

 今俺が作ったこれは、まさにそのバオクリエア王家の紋章にそっくりな、寸分違わぬ――こともない――焼き印だ。


「……また、他家の紋章を捏造して」

「人聞きの悪いことを。俺がいつそんなことをした?」

「以前、ボクの家の紋章をコピーしたじゃないか」

「バカだなぁ。あれは、ちょこ~っと似てただけで、ちゃんと別物だったろ?」


 以前、何かに使えるかと領主の紋章そっくりな俺のエムブレムを作ったことがあるのだが、あまりに似過ぎているため使用禁止を言い渡された。

 ちゃんと名前も付けておいたのになぁ。ぱっと見では分からないように。

 じっくり見ても、言われなきゃ分からないレベルで。


「今回も、ちゃ~んと名前を彫ってあるだろ? 名前を彫ってあるんだから、これをバオクリエアの紋章だと間違う方がどうかしている。だって、名前彫ってあるし」


 本家では『バオクリエア』と書かれているその場所には、俺が考えた架空の国名が刻まれている。

 もし実在するなら是非行ってみたい。

 そして長期滞在してみたい。

 そんな夢のような国の名前が。


「ん……逆さ文字だと読みにくいなぁ。文字も小さいしさぁ」

「そんじゃあ、エステラ。この粘土判を使うさね。ここに押しゃあ、正しい向きの判子の柄が確認できるさよ」


 ノーマが差し出した粘土板に、エステラが焼き印を押しつける。

 粘土が凹んで、押印した時の図柄がはっきりと浮かび上がる。

 ……まぁ、凹んでるんだけども。


 そこには、バオクリエアの紋章にそっくりな絵柄が描かれており、その下に小さな小さな文字で、夢の国の名が刻まれている。




『パイクリエア』




「ようこそ、おっぱいの街パイクリエアへ!」

「しょーもない!」


 人が苦労して彫り上げた焼き印を床に叩き付けるエステラ。

 コキーン! と盛大な音を響かせて焼き印が跳ねる。


 何しやがる!?

 まぁ、こんなこともあろうかと、実は最初に別のタイプのヤツも作っておいたんだけどな。


 そっちは、『パイクリエア』よりもさらに攻めたネーミングになっている。

 是非とも、よく見比べてほしい。




『バオクリエア』

『パイタッチサ』




 遠目で、かつ、細目で見ればそっくり!

 ただしカタカナ!

 さぁ、どう翻訳する、精霊神!?


「くぅ……! ちょっと字面が似てるのがムカつく!」

「ヤシロ、あんた……ど~して、こうもしょーもないところにばっかり才能を発揮するんさね……」


 どうやら、意味も字面もいい感じに伝わったらしい。

 すげぇ、すげぇよ、精霊神。

 お前の遊び心、天井知らずだな。


「んじゃあ、このプロトタイプの方を使って袋に焼き印を――」

「せめてパイクリエアの方で!」


 エステラが、先ほど叩き付けた焼き印を差し出してくる。

 恭しく、両手で包み込むように持って。

 そうか。

 領主様がそう言うなら仕方ない。


「領主命令でパイクリエアの焼き印を使用するよ」

「それじゃ、なんかボクが変な命令したみたいじゃないか! 消去法だからね!」


 騒がしいエステラの後ろで、ノーマが『パイタッチサ』の焼き印をまじまじと見つめてぽつりと呟く。


「ホント、真面目にやりさえすれば、うちのギルド長にでもなれる腕なんだけどねぇ」



 まぁ、俺の作る物は流通しちゃマズい物も多々あるからな。

 健全なギルド運営のためには、もっとまっとうな人間を選ぶべきだと御進言差し上げておくとしよう。






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