318話 裏切り者の末路 -1-

 テンポゥロに『精霊の審判』の構えを取るタートリオ。


「き、貴様!? 何をするつもりだ!」


 慌てて後ずさり、後方にあった椅子に蹴っ躓いて転倒するテンポゥロ。

 ガタタンと、派手な音を立てて椅子が横転する。


「ワシらはの、役員になる時にその志を発行会のために捧げたんじゃぞい。役員になる際に、規約を朗読させられたじゃろう? あの規約こそが、情報紙発行会の役員であるワシの志じゃぞい」


 それは、とても簡単な内容であり、ずっと抱き続けるのが困難なものだった。



『一つ。情報紙は、人々の生活を豊かにするために存在する。これをいつも心に刻み、反する言動は慎むべし』

『一つ。発行会はもう一つの家族である。権利を認め、厳しく温かく見守り一人一人を育むべし』

『一つ。同じ志を持たぬ者に、発行会の権利を与えてはならぬ。誇りを持ち守り抜くべし』



 扇動や誹謗の道具に情報紙を使わない。

 仲間を虐げ不当な扱いをしない。

 よそ者を誘致し乗っ取らせない。


 当たり前のことだが、それを守り続けるのは難しい。

 こと、大金や利権が絡み始めるとな。


「さて、志を同じにする同志テンポゥロ・セリオントよ」


 タートリオが、一枚の紙を懐から取り出す。


「この紙は、見たことがあるよのぅ?」


 それは、発行会が記者や編集者を採用する際に交わす契約書だった。

 そこには『知り得た情報を口外しない』という守秘義務や、『取材のために第三者に著しい被害を与えない』という社会通念や、『契約者はその尊厳を保護され、決してその尊厳を踏みにじられることはない』という従業員の保障制度について書かれている。

 その中には、はっきりとこう書かれているのだ。



『従業員は正当に評価され、相応な報酬を受け取るものとする』



「テンポゥロよ、貴様――記者や編集者、従業員に給与を渡しておらぬそうだな?」


 それは、歴とした規約違反だ。


「いや、それは違うぞ! そ、そちらに固まっておる者たちは、記事を書いておらんのだ! 仕事をしていない以上、報酬は出せぬ。これは正当な評価である!」

「じゃがの、そこの編集長は記事を公平に評価することすら出来ぬボンクラじゃと、先ほど自白しとったぞい。のぉ、編集長よ」

「ひぅっ!?」


 タートリオが視線を編集長に移すと、編集長が脂汗を浮かべながら自身の正当性を訴え始める。


「そ、それは……デスクが上げてきた記事が、たまたま、特定の者たちの記事ばかりだったのです! そうですとも、そちらの者たちの記事は、そもそも私の手元にまで上がってこなかったのです! これは紛れもない事実ですぞ!」


 デスク……つまり、ド三流チーフデスクのバロッサが記事を上に上げないのが悪い、と。

 俺は呆れて、思わず一言言葉を漏らす。


「そこに疑問を抱かないってのは、責任者としてどうなんだって話だけどな」

「やかましいですよ、そこ! 部外者は口を挟まないでいただきたい! だっ、大体っ、身内の話し合いをすると言ったのはそっちじゃないか! 何を当然という顔をしていつまでもここにいるんですか!?」

「ここは、今現在ボクの所有物件だからね。どちらかというと、君たちがボクの所有する物件に居座り続けているわけだけれど?」

「は、話し合いが終われば出て行きますよ、そりゃ! 少しくらい気を利かせてくれてもいいじゃないですか! あなた領主でしょ!? 微笑みの領主だかなんだか知りませんけどね、こっちは全然笑えませんよ!」


 恐怖と緊張からなのか、日和見、事なかれ、柳に風、のらりくらり編集長がキレた。

 額に青筋を浮かべて、ツバをまき散らしながら吠えている。


 あまりの醜態に、俺の口からこんな言葉が飛び出していく。


「能力もないくせに、上司に媚びへつらうだけで編集長なんかになるからそんな目に遭うんだぞ。今後は、分不相応な役職は辞退するように心がけるんだな」

「失敬だぞ、君! 私は能力を買われて編集長に上り詰めたのだ!」

「ほぉ……そうかい。じゃあ、その能力を試させてもらおうか」


 と、『事前に』用意していた物を取り出す。

 こら、エステラ。「……本当にヤシロの言うとおりになり過ぎて怖い……」とか呟くな。

 こうなるように持っていってるんだろうが。

 大まかな予想を立てたら、あとはそれに沿うように現場で微調整するんだよ。場の空気と、相手の感情と、オーディエンスの心をこっそりと操ってな。


 俺、ゲラーシー、タートリオがそれぞれ、短い文章の書かれた紙を手に持ち、編集長の前に立つ。


「これは、四十二区で売っている綿菓子のキャッチコピーだ。編集長、どれが一番優れているか判断してみろ」


 タートリオが持つ紙には『口に入れると儚く消える綿菓子――でも、甘さはいつまでも口と心に残る』と書かれている。

 ゲラーシーの持つ紙には『毎日を特別な日に変える、食べられる雲――綿菓子』と書かれている。

 そして俺の持っている紙には『ノーマのおっぱいはもはや綿菓子』と書かれている。


「くだらない。こんなもの、考えるまでもなくコーリン役員の書いた物が一番に決まっているでしょう!」

「え? どれだって? 俺の持ってるヤツが一番だって?」

「どんな耳をしているんだ、君は! これだ! コーリン役員が持っているこのコピーが一番優れていると言っている!」


 ぴしっと、タートリオが持つ紙を指さす編集長。

 俺はもう少し食い下がってみる。


「もう一回よく見て見ろよ。これとか、心にぐっとこないか? 情報紙に載せたいな~って思わないか?」

「くどい! そんな素人が書いた文章は情報紙に載せられるか! 情報紙に載せられるレベルなのは、コーリン役員のこのコピーだけだ!」


 編集長が言い切ったのを聞き届け、俺はエステラたちに向かって自慢げに言う。


「……な? 言ったとおりだろ」

「そうね。さすがヤシぴっぴだわ」


 マーゥルが感心してくれる。


「口と目がここまで矛盾するってことは、お前が無能だって証拠だよ、編集長」

「なんだと!? それでは君は、そっちの、エーリン卿の持つコピーの方が優れているというのか!? 確かに、一見綺麗にまとまっているように見えるが、言葉には奥行きというものが必要なのだよ。そのコピーには、その奥行きがない!」

「はは、辛辣だな」


 あまりに綺麗にハマってくれた編集長の自爆に思わず笑ってしまい、密かにしょげるタートリオに励ましの言葉をかける。


「奥行きがないってさ。もっと精進しろよ、タートリオ」

「むぅ……こうもはっきり言われるとは、思わんかったぞい」

「……え?」


 ここに来て、ようやく異変に気付いた編集長。

 そう。実に単純なトリックだ。


「誰が、いつ、書いた本人が紙を持っているなんて言った?」


 タートリオとゲラーシーは、互いが書いたキャッチコピーを交換して持っていたのだ。

 つまり、今編集長にこき下ろされた奥行きのないコピーはタートリオ作ということだ。


「つまりお前は、目で見た情報に後付けしてるだけなんだよ」


 タートリオが持っているから。だからこのコピーは素晴らしい。それ以外はダメだと、判断基準が逆転してしまっているのだ。


「権力のある者に阿り過ぎた結果だな。お前に本物を見抜く力はねぇよ」


 ゲラーシーの考えた文章は長く、間延びしていて、口に出した時にちょっとした違和感がある。

 なんとなく綺麗にまとめようとしている感が見えて逆にイヤラシイ。

 実にゲラーシーらしい文章だと、俺なら酷評するけどな。


「ちなみに、俺が持っているこのキャッチコピーは俺自身が考えたものだ!」

「それは言わなくても全員が分かってるよ。君以外にそんなくだらない文章は考えないから」


 分かってないなぁ。

 これはふわふわの柔らかさと甘さ、そして白さとわくわくする胸のときめきを複雑に絡め合った絶妙な比喩表現だというのに。


「で、つまり――」


 まんまと罠にはまった編集長へ向かって俺は落伍者の烙印を押してやる。


「今こっち側にいる記者たちの記事は、見る目も矜持も志も何もない無能が依怙贔屓して没にしていたってわけだな」


 そして、お前が直面している危機を教えておいてやる。


「それは、不当に彼らの評価を下げていたってことになり――彼ら、彼女らの利益をお前が独断で奪い取っていたってわけだ」

「ちっ、違う! 私じゃない! デスクが……チーフデスクが悪いんだ!」


 頭を抱えてうずくまり、もう何も見ない聞かないしゃべらない体勢を取る編集長。

 まぁ、お前はそうしてろよ。


「――だ、そうだけど、何か意見はあるか? ……もう、とっくに目が覚めてるよな、チーフデスク?」


 タートリオが椅子に座ったあたりから、バロッサは目を覚ましていた。

 だが、分が悪いと悟り気絶した振りをしていたのだ。

 呼吸の仕方が変わっていたし、同じ体勢がつらかったのか微妙に動いていたぞ。


 ……な? こういう小さい変化に敏感でいると、いろいろ見えてくるものがあるだろう。



「……アタシ、悪くないもん」



 むくりと起き上がり、バロッサが不貞腐れて呟いた。


「アタシは言われたとおりにしていただけだし! アタシに責任とかないし! そもそも、記事だって、いいか悪いか決めるのはデスクの権限なんだし、デスクのアタシが気に入らなかったら、それはダメな記事なんだよ! そうよ、あんただって、これまでアタシの記事を全部没にしてきたじゃない! ねぇ、そうでしょ、コーリン!」


 そんな逆ギレをするバロッサに、タートリオはため息を一つ吐く。


「お前さんの文章にはな、品がないんじゃぞい」


 バロッサの顔が真っ赤に染まる。

 怒り、羞恥、悔しさ、そんな感情からか瞳まで赤く染まっていく。


「駄文はの、どんなに書き連ねようと駄文のままなんじゃぞい」


 奥歯を鳴らし、バロッサが立ち上がる。


「だ、だったら! さっきあんたらがやったみたいに、アタシが書いた文章当てられるの!? 試してみなさいよ!」


 バロッサがテンポゥロ派の記者たちを呼び集めて、遠くで何やら文章を書き始める。

 何やってんだかなぁ。


 まぁ、時間をかけてくれるのはありがたいけどな。



 お前が時間をかければかけるほど、悪あがきをすればするほど、醜態をさらせばさらすほど、権力に当てられ萎縮していたタートリオ派の記者たちの心は感情を取り戻し、そして怒りに燃えてくれる。


 なんでこんなヤツらにいいようにされていたんだろうってな。



 そのエネルギーが、この次の段階に必要になる。



 さぁ、あがけド三流。

 そもそも、毛嫌いしている俺がやったことの二番煎じを自ら進んでやるとか……




 お前、それって完全に負けてるって気付こうぜ。な?




 それから五分ほどして、得意満面のバロッサが「情報紙のキャッチコピーだから!」と提示した五枚の紙。

 俺とタートリオとマーゥルとエステラが「せーの」のかけ声と共に一枚の紙を指さす。

 五枚の中で一番気取って、取り繕って、品のない文章を指さしたのだが、それがまんまとバロッサの書いたものだった。

 全員正解。

 これは恥ずかしい。



 うん。

 やっぱ品がないなぁ、ド三流の文章は。






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