318話 裏切り者の末路 -2-

 俺やエステラでさえ、その文章を見れば書いた者が何を思っていたのか、どのような意図をもってそれを書いたのか、その延長でどういった思想の持ち主でどんな性格のヤツなのか、それくらいは読み取れる。


 それすら出来ないってことは、著しく努力を怠っていたか、努力しても身にならない無能かのどちらかだろう。


「さて……たった今証明された通り、編集長とチーフデスクは文章を見る目がない。おっと、チーフデスクは『見る』検査はしていないが『書く』センスがアレな時点でお察しだろう」


 肩を揺らして言ってやると、バロッサは鼻から蒸気を噴き出しそうな勢いで顔を赤く染め上げ目を血走らせた。

 なんか、あと十秒もすれば自爆しそうな勢いだな、あいつの顔。ボンッて。


「なんだっけ? 文章の奥行き……だったか?」


 鼻で笑ってやると、編集長は床にうずくまったまま、ぎゅっと身を縮めた。


「いい文章を見落とすだけでなく、駄文を却下できないってだけでもその無能さに疑いの余地はないだろう」


 情報紙の違法販売により身柄を拘束した売り子女子ことカーラの証言によれば、ここ最近の情報紙はチーフデスクと編集長、この二人が載せる記事を決定し発行していたらしい。

 というか、バロッサが一人で決め、編集長はそれをノーチェックで発行するという流れだったそうだ。

 ザルどころか、穴だな。

 バロッサの言いたいことをそのまま紙面に載せていたわけだ。

 ウィシャートの意を汲んで……と、いうより、最後の方は個人的な恨みによるヒステリーに近いんだろうが……四十二区を口汚く罵り蔑む文章は、そうして量産されていたわけだ。


「無能どもの独断と偏見により、本来活躍できるはずだった場と機会を奪われ、それをもって成果なしと判断されるのは、決して『正当な評価』とは言わない。管理職が、上層部が、役員の息のかかった責任あるポジションにいた者が、規約で定められている『正当な評価』を放棄し、彼ら、彼女らが順当に受け取るはずであった報酬を支払っていないこの状況は明確な規約違反であり、平たく言えば――『嘘』だ」


 従業員契約をする際、雇い主と求職者の双方が規約を確認し、そこに記されている通りの契約を結ぶことを合意したうえで契約書にサインを行う。

 読んでなかった、知らなかったは通用しない。

 当然、「あの契約は無効だ」なんて身勝手は言語道断。糾弾される行いだ。


「お前たちも知っているだろうが、たとえ口に出していなくても契約の書類に違反すればそれは『嘘』とみなされ『精霊の審判』の対象となる」


 そもそも、『精霊の審判』とは、狡賢い悪党に騙されて人々が不利益を被らないように施されている――と、教会が言っている――ものだ。

「言ってないから嘘じゃない、セーフ!」なんてことにはならない。


 過去に、その手口で人を騙そうとした悪党がカエルにされたらしい。

「口にしなければ嘘にはならない」と高を括って、偽の契約書を量産し貴族連中から金品を巻き上げ、そして『精霊の審判』にかけられた。

 男は余裕の笑みを浮かべたまま白い光に飲み込まれ、カエルの姿になったそうだ。



 もっとも、この話も教会が広めているものなので真偽のほどは分からんが……こいつらで試してみればはっきりするかもな。


 情報紙発行会の契約書の内容は、タートリオの『会話記録カンバセーション・レコード』を見せてもらったので把握している。

 どこをどう曲解しても『現物支給をもって報酬とする』なんて解釈にはならない。

 さすが、元は張り合っていたライバル同士が手を組んだ組織だ。

 出し抜けないように細かく規約が作られていた。

 隙のない、まるで日本で見るような「そんなことまで書く必要あるか?」ってことまで書かれた抜かりのない規約。


 役員になる者に規約をすべて朗読させるのは、その細かい規約をきっちりと記録させるためなのだろう。


 だが、記者や下っ端の編集者はそこまでしていない。


 規約を見返すようなこともしなかったのだろうし、仮に規約違反だと思っていても、貴族の権威を振りかざすテンポゥロ・セリオントには刃向かえなかったのだろう。

 実際、刃向かった者たちはクビを切られたわけで。

 よほどの気概がなければ牙は剥けないし、その気概がある者はすでに追い出されてしまった後だ。


 ここに残った者は上に逆らわない、どんなに虐げられても反旗を翻さない、搾取されるだけの大人しい者たち。虐げられるだけの者たち。


 でも、だからって何も感じないわけじゃないんだぜ?


「対人関係で、最もやってはいけないこと――それは、尊厳を踏みにじる行為だ」


 努力をすべて認めろとは言わない。

 努力はして当たり前。誇るものではない。むしろ、努力できなくなった時、それが、そいつの消費期限だ。情熱をなくした者は、もう何も出来なくなる。


 だが、だからといって他人の努力を踏みにじっていいというわけではない。

 当たり前にやるべきことであろうと、明確な意思を持って真剣に取り組んだ結果を嘲う権利は誰にもない。


 ダメなものをダメだと判断することはいい。

 双方共に人間だ。合う合わないは必ずある。それを曲げろとは言わない。


 だが。


 嘲うために目を通し、粗を探して人格を否定するような言動は到底許されることではない。


「話にならない」「全然ダメ」「逆にこれでいいと思ったの?」なんて言葉を吐けば、相手にどんな感情が芽生えるか想像するまでもない。

 そんな言葉を敢えて吐くならば、その後の反動もしっかりと受け止める覚悟が必要だ。

「どーせお前はこういう人間だから、こんな文章しか書けないんだろう」と、見当違いな人格否定にまで手を出したなら、すべてを失う覚悟をするべきだ。



 人の尊厳を踏みにじる行為は、相手の破壊衝動を目覚めさせるには十分過ぎる行為なのだから。



 それは、殺意の動機にもなり得る。

 いつか立場が逆転した時に社会的に抹殺される危険をはらむ。

 立場が変わらずとも、捨て身の攻撃を仕掛けられる可能性も跳ね上がる。


 もっとミニマムに、互いの関係がそこで途切れるなんてこともあるだろう。

 そこで途切れた関係は、二度と修復されることはなく、そしてくすぶった憎悪は一生涯消えることはない。



 かつて俺は、憎い仇を追い詰めた。

 殺害するのではなく、すべてを奪い取るという報復を選択した。


 頂点に君臨して偉そうにふんぞり返っていたソイツを引きずり降ろし、栄光という階段から突き落とし、転げ落として、地べたに這いつくばらせて泥水を啜らせてやった。

 すべてを失い、見下していた弱者たちよりも低い惨めな位置へ叩き落としてやった。

 肥大していたソイツの尊厳を盛大に踏みにじり、高らかに嘲ってやった。



 そして、腹を刺されたわけだ。



「人が人として生きるのに必要なのは『誇り』だ。今を生きる自分を誇れないなら、人は生きる意味を見失う。テメェらがこいつらにしていたのは、その誇りを奪う行為なんだよ」


 自分を棚に上げて言ってやろう。


 たぶん、俺自身に一番深く突き刺さるであろう言葉を。




「人の尊厳を嬉々として踏みにじるヤツは人間じゃねぇ。ケダモノですらねぇ。ただのクズだ。ヘドロ以下の、無価値な、ゴミクズなんだよ」




 人が人であるためには、自分以外の誰かを笑顔にしてやれる――それくらいの寛容さが必要なんだよな、きっと。


「テンポゥロ。知っているか? 人ってのは単純な生き物でな、つい今し方まで怖くて立ち上がることも出来なかった者であろうと、心の拠り所となる誰かがそばにいるだけであっさりと立ち上がり、歩き出し、走り出すことだって出来ちまうんだぜ」


 森の奥で魔獣に出くわせば人生の終了を覚悟してがくがく震えちまうだろうが、隣にマグダがいるだけで「なんとかなる」と思える。

 人間の心なんてのはそんなもんなんだ。


「憧れや夢を抱き、狭き門をくぐり抜けてきた者たちは、この場所から追放されることをそれはもう恐れたことだろう。……なぁ、テンポゥロ?」


 お前に逆らえば解雇される。

 夢だった情報紙の記者になった者たちは、その立場を失うことを恐れた。

 その怖さ、今のお前なら分かるよな、テンポゥロ?


「だが、彼ら、彼女らは今、心の拠り所を得た。弱りきって挫けていた心が前を向き始めた」


 そうなった今、彼らの心の中に渦巻くのは、これまで抑圧され続けてきた理不尽に対する怒り、憤り。

 記者たちが、編集者たちが立ち上がり、じりじりと前のめりにテンポゥロたちと対峙する。


 俺の後方から、熱いくらいの敵意を感じる。


「なぁ、お前ら。規約を平気で破る嘘吐き野郎が、不当に人の尊厳を踏みにじり続けていたんだってなぁ? そんなクズを……お前らは、どうしたい?」


 首を回して、背後の記者たちに問う。


「許さない」

「許せないわよっ」

「おぉよ! やってやるよ!」

「よくも今まで!」

「先輩たちを追い出しやがって!」

「私の記事なんか読まずに目の前で破られたのよ!」

「新しい情報紙が発行される度に悔しかったんだ!」

「人でなし!」


 最初は小さかった呟きが徐々に声量を増し、やがて怒号へと変わる。

 テンポゥロにこんなことを言えば、昨日までなら即座に解雇だったのだろうが、テンポゥロもバロッサも、ついでに編集長も、罵声を浴びせてくる記者たちに何も言えず、何も出来ないでいる。


 そうして、記者たちの怒りがピークに達した時、誰かが叫んだ。



「カエルにしてやる!」

「いやぁぁあ!」

「待ってくれぇ!」


 バロッサが悲鳴を上げ、テンポゥロが叫ぶ。


「わ、分かった! 払う! 報酬はきちんと、正当な額を支払う! 編集部の運営ももう一度見直す! 全員が納得できるようにするから、カエルだけは!」

「今さらどの口が……っ!」

「バロッサもクビにする!」

「会長様、何を!?」

「黙れ! カエルになるよりマシであろうが!」

「だっ、だったら会長も辞任するべきじゃないですか!? ウィシャート様の後ろ盾を得て一番好き勝手してたのは会長じゃないですか!」

「無礼な! 私はまっとうに――」

「うるさい! 二人ともカエルになれぇ!」

「待ってくれぇ!」

「いやぁあぁああ!」


 この期に及んで見苦しく罪をなすりつけ合うテンポゥロたちに業を煮やした男の記者が『精霊の審判』の構えを取る。

 なので、その手をそっと押さえる。


 はい。よく出来ました。


 あとは俺たちに任せておけ。

 今この場だけのスッキリ感なんてしょーもないもんじゃなく、お前らにはもっとちゃんとしたいいものをくれてやるからよ。


 タートリオとエステラに目配せをして、この見苦しい騒動にケリを付ける。


「今の発言に、今度こそ嘘はないよな、テンポゥロ?」



 言質は取った。

 あとは、いいように転がって――転がり落ちていけ。






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