317話 絆があれば -4-
カツンと、タートリオが杖を鳴らした。
軽く持ち上げて床に打ちつける。
たったそれだけの行動で、タートリオの背後に椅子が用意された。
「……あ」
その場にあった荷物を退けた者と、椅子を運んできた者が同時に息を飲む。
まるで条件反射のように体が動いてしまったとでもいうのだろうか。
「うむ。合格じゃぞい。まだまだ、なまってはおらぬようで安心したぞい」
一見すればなんのことか分からず、貴族が記者たちをアゴでこき使っているように見えるが、これはトレーニングなのだそうだ。
ほんの微かな音や変化、動作、そういった些細なことを見逃さない訓練。
そういうものを見逃さないことがいい記者の条件なのだと、タートリオがここに来る前に語っていたのだが、……なるほど、あの辺はタートリオが目をかけていた記者ってわけか。
確かに、記者なら相手の表情の変化や、周りの変化に目敏く気が付かないとな。スクープを取り落としてしまうだろう。
そうだな、たとえば……
「入ってきたらどうだ?」
廊下へ繋がるドアを開けると、そこにわらわらと男たちが群がっていた。
先ほど寮へと何かを隠しに行った者たちだ。
何を隠したのかは知らんが、それはきっと徒労に終わる。
悪事の証拠があろうが、うまく隠せていようが、勝敗はもうついている。
セリオントに加担した者たちは、悪あがきをする時間すら、もう与えてはもらえないのだ。
「……な、なんで……」
「ドアの向こうにいるのが分かったのかって? そんだけ気配させてりゃ気付くだろう、普通」
人は、そこに存在するだけで気配を生む。
呼吸だったり衣擦れの音だったり。
なんの音を発さずとも、息を潜めている時特有の緊張感は空気を伝ってくる。
こういう些細な変化に敏感でないと、いい記者にはなれない――ってことを、タートリオが言っていたんだよ、ここに来る道すがら。
だから、テンポゥロやド三流記者はいつまで経ってもダメなんだと。
テンポゥロ派らしい記者たちを室内へ入れると、連中は足早にテンポゥロの背後へと回った。
途中、床の上で失神しているバロッサを見て「ぎょっ」っと目を剥いて。
編集部内の人間が、テンポゥロのいる奥側と、俺たちのいる出入り口側になんとなく二分された。
向こうが、テンポゥロの、そしてウィシャートの恩恵を受けて好き勝手やっていた連中。
こちらに残っているのが、そのせいで苦労を強いられていた者たちなのだろう。
割合としては2:8……いや、1.5:8.5くらいか。
テンポゥロの腰巾着は少数精鋭なようだ。
信用できる人間が少ないんだろうな、あのでっぷり会長は。
人徳なさそうだもんな。
「さて、と――」
タートリオが用意された椅子に腰掛ける。
「誰か、ここに居ない記者を集めてきてはくれんかの? 全員の前できっちりと話を付けたいんじゃぞい」
「はい! 行ってきます」
「自分も、手伝います!」
タートリオの頼みを聞き、すぐさま四人の男女が編集部を飛び出していった。
これまで、テンポゥロに睨まれ、押さえつけられ、何も行動できなかった者たちが、タートリオの登場で変化を見せた。
自我を取り戻したかのように、考え、行動を起こしている。
うん。
いい目をしている。
「どうしたぞい? 座らんのかの? これでは、ワシがおぬしを説教しておるようじゃぞい」
かっかっかっと、どこぞのご隠居のように高らかに笑うタートリオ。
笑われ、テンポゥロが顔を真っ赤に染める。
「おい! 椅子を持ってこい!」
「へ? ……はい?」
「椅子だ! 早くしろ、愚図が!」
「は、はい!」
近くにいた男を蹴飛ばし、椅子を持ってこさせる。
この状況からタートリオを追い出して、何もなかった、明日からまた元通りに、とはいかないことが理解できたのだろう。
テンポゥロが望む日常を取り戻すには、全記者が見守る中でタートリオを打ち負かし、正義は自分にあることを知らしめなければいけない。
ウィシャートの権威を引き合いに出せない時点で、ヤツが打てる手は決まっているけどな。
五分ほどして、編集部に記者たちがどっと押し寄せてきた。
入ってきた者たちは男女問わず、どこか泣きそうな、でもキラキラした瞳をしていた。
タートリオが来ていると、そんな伝言を聞いたのだろう。
好かれてるなぁ、タートリオ。
情報紙に憧れてここにいるヤツにとっては、タートリオのやり方こそが理想だろうからな。
気持ちは分かる。
「さて、これで全部かの? ……見知った顔がいくつか見えんようじゃがの……」
テンポゥロに刃向かい解雇された記者たちのことだろう。
彼らを思ってか、タートリオ派の記者たちが悔しそうに唇を噛んだ。
「編集長よ」
「へひぅい!?」
テンポゥロの影に身を隠し息を潜めて無に徹していた編集長が奇っ怪な声を上げる。
あいつもタートリオが怖いらしい。
「おぬし、上がってきた記事をきちんと精査しておるのか?」
「え、あ、いや……それは……」
「しとらんのか?」
「職務に対しては、私なりに向かい合い納得のいくように取り組んでおりますです、はい」
「おぬしが納得しとるかどうかなんぞどーでもいいんじゃぞい」
トンッと、杖が床を打つ。
「それは、情報紙に載せるに相応しい記事であると判断しておるのかと聞いとるんじゃぞい」
「そ……れは…………」
「情報紙の規約には、編集長は情報紙の質を落とさぬよう最善を尽くし、その責務を全うすると明記されとるぞい。無論、知っておるの? 編集長になる時に説明を受ける決まりになっておるからの」
「それは、その……」
「説明を受けて、知っておるの?」
「…………」
「…………」
「…………はい」
無言で逃げようとした編集長だが、タートリオの無言の圧力には抗えず、小さく首肯した。
「では、宣言できるよのぅ? 『自分は、情報紙の質を落とさないという観点で記事を精査し自信を持って紙面に掲載した』と。ほれ、宣言してみるのじゃ」
「い、いえ、ですが、それはその、完璧を目指すことはもちろん理想として胸に持っておりますが、必ずしもその通り遂行できるわけではないということもご考慮いただきたく――」
「つまり、質が落ちることを承知で、そこでのびておるバカな女のデタラメな記事を紙面に載せておったんじゃの?」
「……いや、それは…………」
「金のために、情報紙の紙面を穢したな?」
タートリオの怒りに、編集長は「ひぅっ!」と喉を詰め、慌ててテンポゥロの背に身を隠した。
「セ、セリオント様! 会長であらせられるあなた様が、あ、あの、時代遅れの老いぼれに鉄槌を下してやってください! 私はどこまでもあなた様について行きますゆえ!」
自分ではどうしようもなくなり、テンポゥロに泣きつく編集長。
そうか。
なら、どこまでもついて行けばいい。
「ミスター・コーリン。もう、やめにしないか?」
追い詰められているテンポゥロが、それでも不適な笑みを浮かべてタートリオに語りかける。
「大方、そこの貴族たちに焚きつけられ、情報紙へ返り咲きたい一心でここまで乗り込んできたのであろうが――それは、貴殿が最もよしとしない行動ではないのか?」
この段になっても悪あがきをやめないテンポゥロ。
状況が不利だと悟るや、今度はタートリオの心情に訴えかける作戦に出るようだ。
「その者たちは結託し、おのれたちの意に反する者を排し、圧力をかけ、おのれの利益だけを得ようとしている者たちなのだぞ? 街門の警備の拙さを指摘されれば、論点をずらしウィシャート様を非難し、屁理屈を重ねてその場にいた貴族たちを煙に巻いた。そうして、街門と港から生まれる利益を独占しようとしているのだ」
ほぉ、随分と都合よく事実をねじ曲げているな。
ウィシャートの非がすべてなかったことにされている。
「情報紙への攻撃にしてもそうだ。類似品をこれ見よがしに作り、金に物を言わせてこちらの読者を奪う手管は悪辣の一言に尽きるではないか。それに、この建物にしてもそうだ。集団で乗り込んできて、自衛をすれば契約違反だと喚き散らす。実に見苦しいとは思わぬか?」
こいつは、分かっていて事実をねじ曲げているのか、本気で自分が純粋な被害者だと思い込んでいるのかどっちなんだ?
後者だとしたら、かなり重症だと言わざるを得ないが。
「貴殿もきっと騙されているのだ。たぶらかされているのだ。拐かされているのだ。おそらく、私を追い出し、発行会の会長にしてやるなどと甘言を垂れておったのであろう? だがな、仮に連中の目論見がうまく運び、貴殿が発行会の実権を握ったところで、貴殿の望む情報紙は作れぬぞ。きっと、権力を振りかざし、恩着せがましく今回のことを蒸し返し、あの手この手で自分たちにとって都合のいい記事を書かせるに決まっている」
それはお前だろー、って、言っちゃいけない場面だっけ、今?
ウィシャートに金だか権力だか、それ以外の何かしらの『エサ』をもらって、ウィシャートにとって都合のいい記事を量産しているのがお前らじゃねぇか。
「確かに、私は自分が思う正義のために少々強硬な手段を取ったかもしれない。そこは謝ろう。だが、真実を広く知らしめ、弱きを守るために強きを挫かんとするジャーナリズムは持ち合わせておる! その点では、私と貴殿は今でも変わらず同志であると信じている! 過去のわだかまりは捨てて、今一度、共に情報紙を盛り立てていこうではないか!」
デカい声で言い切り、立ち上がり手を差し伸べるテンポゥロ。
その顔は「これで、私の勝ちだ」という自信が浮かんでいる。
「志は、今も同じ――ということかの?」
「その通りだ! いや、かつてよりも我らの絆は強固になったと確信している!」
「そうか……」
視線を下げ、杖に掴まってゆっくりと立ち上がるタートリオ。
テンポゥロの真正面に立ち、差し出された手を見つめ、ゆっくりと腕を持ち上げる。
「貴殿が話の分かる御仁でよかった」
ゆっくりと持ち上がるタートリオの腕が、握手をするためのものだと察したテンポゥロが勝利を確信して笑みを浮かべる。
だが、タートリオの腕はテンポゥロの手を取らず、地面と水平に肩の高さまで持ち上げられる。
そして、タートリオは腕をまっすぐに伸ばしてテンポゥロを指さした。
『精霊の審判』の構えだ。
「変わらず志を同じにする同志に一つだけ問う。偽れば、貴様はカエルじゃぞい」
タートリオの瞳は、これまでにないくらいに真剣そのものだった。
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