317話 絆があれば -3-
「久しぶりに顔を出してみれば……随分と環境が悪くなったようじゃのぅ」
タートリオを睨みつけるテンポゥロとバロッサ。
そして、その二人とよく似た顔をした記者が数人いる。
あいつらはテンポゥロ派の記者なのだろう。おそらく、バロッサ共々、他の記者を踏み台にして美味い汁を啜っていたに違いない。
「コーリンっ!」
「うむ、久しいぞい、セリオントの小倅」
今にも噛みつきそうな激しい怒りを滲ませるテンポゥロに対し、タートリオは凍てつくような怒りを瞳に込めている。
「
「な~にが、決まったはずじゃぞい。おぬしが会長などと名乗って一人で勝手に決めたことではないか」
「ふん! 運営手形の多数決をとった公平な決定だ。そもそも、そのような運営方法をとるというのは創業以来からの決まりではないか!」
タートリオがテンポゥロに抗議しに行かない理由はそこにあった。
行かないのではなく、行けなかったのだ。
正攻法でタートリオを言い負かす自信がなかったテンポゥロは、『役員』という肩書きを持つタートリオを排除するため、『役員の編集部内への立ち入りを禁じる』という規約を設けた。
表向きは権力による記者への悪影響を排除するため。
だが、実際はタートリオ外し以外の何物でもない。
どんなに理不尽であろうと、規約に書かれてしまった以上違反すればカエル。そうでなければ手形没収。
どちらにせよ、文句を言いに行った時点で発行会へ意見する権利を失ってしまうのだ。
いつか、情報紙を元の姿に戻したいと思っていたタートリオは、苦汁を舐めつつ反撃するタイミングを窺っていた。
『役員』を辞め『会長だからセーフ!』とガキみたいな屁理屈を振りかざし編集部へ入り浸るテンポゥロに引導を渡すその時をな。
「役員が編集部に立ち入ったのだ! さぁ、今すぐ手形を置いてここを去れ! ここは記者の聖域、部外者が入っていい場所ではないのだからな! それとも、私の手でカエルにしてやろうか!?」
「おや? ここは編集部じゃったかのぅ?」
「なにを白々しい! ここは、我々が契約をし、正式に借り受けた編集部だ! 仮住まいだとしても、契約が正式に交わされた以上、ここは編集部だ!」
そうだな。
規約を作った時の編集部とは場所が変わったからあれは無効、なんてのは通用しない。
契約が生きている以上、ここが情報紙発行会の編集部だ。
契約が生きている間は、な。
「残念だけれどね、ミスター・セリオント」
エステラが、いきり立つテンポゥロの前に立つ。
そして、このおっさんがま~ったく気付いていない事実を告げる。
「発行会側からの一方的な契約違反により、この場所はもうすでに編集部ではなくなっているんだよ」
「なんだと!? 小娘っ、契約を反故にするというのか!?」
まき散らされたテンポゥロの唾が飛散し、でっぷり太ったおっさんが足を一歩踏み出そうとしたその瞬間――
――ドンッ!
と、室内の空気が爆発した。
何事かと思ったら、ナタリアが凄まじい形相でテンポゥロを睨みつけていた。
ナタリアに取り押さえられていたバロッサに至っては、今の衝撃で気を失ったのか白目を剥いて口の端から泡を吹いている。
「……黙って聞いていれば、何度も小娘小娘と…………我が主への侮辱は万死に値するぞっ!」
びりびりと空気が振動する。
紙やすりで肌をこすられたのかと思うような、ひりつく痛みが全身に走る。
あ、これ、ナタリアの放った殺気なのか。
……えぇ……ルピナスのヤツとは比較にならないくらい濃いんですけど?
ナタリア、マジ切れするとこんなおっかないの?
初めてリカルドの館へ行った時も相当キレていたけど、これほどではなかった。
よかったなぁ、リカルド、適当なところでやめておいて。
あれ以上やってたら、お前たぶん死んでたぞ。
ナタリアは、バロッサを押さえつけていた手を離し、しゃがんでいた体勢から体をすっと伸ばして美しい姿勢で立ち上がる。
一応の拘束なのか、のびるバロッサの背中に右足をドンッと乗せ、ぐっと体重をかける。
そして、懐から一枚の紙を取り出した。
この建物の賃貸契約書だ。
「この建物を貸与するにあたり、以下のような禁止事項が定められています。『貸主である領主へ危害を加えぬこと、または企てぬこと』。領主に借りた建物で領主へのテロ行為を画策されぬための規約ではありますが、先ほどこちらの『チーフデスク』という相応の役職にある人物が領主を害する目的で掴みかかろうとしました。それは明確な規約違反であり、その行為をもって第二項第三条『禁止事項が認められた場合は即時賃貸契約を解除し専有権は貸主である領主へと返還されるものとする』が適用されました。つまり――この建物はすでに編集部ではなくなっているのです。どうぞ、速やかな退去を」
澱みない物言いに、誰もが言葉もなくただ耳を傾けるしか出来なかった。
口を挟むなどという愚行を許さぬ迫力を纏ったナタリアの声に、他のすべての音が鳴りを潜めてしまっていた。
「そういうことらしいぞい、セリオントの小倅よ」
タートリオがゆっくりとした歩調でテンポゥロの眼前へと歩いていく。
真正面から肥え太った顔を睨みつけ、爺さんとは思えない覇気のこもった鋭い声音で告げる。
「潮時じゃぞい」
セリオントの額に大粒の汗がにじむ。
眼球が細かく揺れ、動揺がはっきりと見て取れる。
規約が契約がと御題目を上げようと、格の違いは理解しているのだろう。
目の前にタートリオが現れれば、おのれの矮小な権威など吹き飛んでしまうと。
「ふ……ぅっ! ふ、はは、よいのか? 私に逆らうと、スポンサーであるウィシャート様が黙ってはおらぬぞ」
「ほぅ。領主が一組織に権力を持って介入し圧力をかけると?」
「そうだ! 私の行動は、ウィシャート様の望まれたものなのだからな! いわば名代なのだ、私は!」
「それこそ、先ほどお主が申しておった侵略にほかならぬではないか。のぅ、ミズ・クレアモナよ」
「そうですね。彼の言葉を借りるのであれば、『他区の貴族――それも領主という立場の者が他区の貴族の所有する敷地内でその権力を誇示するなど言語道断! 事と次第によっては王族へ直訴して王宮騎士団の派遣を要請することだって可能であることを心せよ!』ですね」
『
な? 権力バカは自分の発言に首を絞められるだろ?
なんでか知ってるか? バカだからだよ。
「情報紙発行会の役員同士が意見の対立で揉めている。たったそれだけのところに他区の領主が踏み込んできて権力を振りかざすというのかの? それはまさに、権力者による侵略じゃぞい。それが許されるなら、三大ギルドも権力者に侵略され形骸化させられかねんのぅ……そんなことになれば――」
タートリオがふいっと入り口へ視線を向けると、そこから巨大な筋肉の塊がぬっと現れた。
「そんなことになるなら、ワシらは協力して権力に抗わなきゃなんねぇなぁ。戦争だぜ、そうなりゃ」
木こりギルドギルド長スチュアート・ハビエル。
自身が守る木こりギルドが領主や王族からの干渉を受け形骸化されるならば、死力を尽くしてそれに抗う気概のある男だ。
当然、どこか一つが狙われれば、他のギルドも足並みを揃えてそれに抵抗するだろう。
「木こり、狩猟、海漁と、その他多数のギルドや組合と連携を取り、そんな危険な思想を持つ領主には断固抗議をしないといけねぇわけだが……三十区領主ウィシャート家は、そんな侵略を目論んでいるってことで間違いないのか? えぇ、『名代』さんよぉ」
テンポゥロは迂闊にも、自身をウィシャートの名代だと口にした。
ハビエルのヤツ、まんまとその言葉を利用しているな。嬉しそうな顔をしちゃってまぁ。
「ボクが懇意にしているギルド長たちが、権力によって不当な圧力を受けるというのであれば、ボクは協力関係にある外周区の各領主たちや『BU』と連携して、その不穏因子に対し正当な抗議と反攻を行う準備を進めると、ここに宣言しよう」
言葉に詰まるテンポゥロに、エステラが追い打ちをかける。
アドリブだが、なかなかいい追い打ちだ。
ギルドVS領主ではなく、領主ギルド連合VSウィシャートという構図に塗り替えたな。
「そういう話であれば、『BU』の代表である私も協力をしよう。有力な組織の独占、私物化は見過ごすことの出来ぬ行為であるからな」
背筋を伸ばし、偉そうな態度でゲラーシーが入ってくる。
絶対マーゥルに「行ってこい」って背中を押されたくせに、さも自分で判断して乗り込んできたみたいな顔をしている。
ゲラーシーみたいな見透かしやすいヤツが嬉々として前に出てくると……バックにチラつく影の支配者が、一層不気味に感じるよ。
あ、マーゥルも入ってきた。
これで、全員入ってきたわけか。
「さぁ、セリオントの小倅よ。いや、ウィシャートの名代、と言った方がよいかの?」
「ぐ……っ!」
その言葉を撤回しなければ、ウィシャートは外周区と『BU』、そして三大ギルド他複数のギルドを相手に抗争する羽目になる。
そんなこと、させられねぇよな?
ただの子飼いの、小物の、簡単に切り捨てられるおっさんが、そんな大それたこと、出来るわけねぇよな?
「……名代は、言葉の綾だ……」
「では、ウィシャート家に侵略の意思はないと?」
「当然であろうが!」
がなり立てるテンポゥロを、ナタリアが静かに睨みつける。
それだけでテンポゥロは「うぐっ」と言葉に詰まった。
「いや……まぁ、常識的に考えて、そのようなことはされないであろう……」
随分とトーンダウンしたが、ウィシャートの名を持ち出すことは諦めたようだ。
「では、役員同士の――発行会内部の内々の話し合いを始めるぞい」
タートリオが嬉しそうに、しわだらけの顔で笑った。
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