317話 絆があれば -2-
バロッサの金切り声を聞きつけ、編集部の奥からのそりとテンポゥロが現れた。
相変わらずの肥え太った体。
人を見下す下卑た目つき。
奥の部屋から現れて、俺たちをギロリと睨む。
「何事だ?」
「圧力です! アタシたちの書く記事が脅威になったから、権力を使って潰しに来たんです!」
「バロッサ君、今の発言に『精霊の審判』をかけても?」
「やめろって言ってんだろ!?」
覗き込むエステラに牙を剥くバロッサ。
体を押さえつけられ、腕の一本も動かせないのに元気なもんだ。
きっとこいつは、自分は負けないとでも思っているのだろうな。
『何に』かはひとまず置いておいて、自分が思う通りの結末になるのが当然で、そうならないのは自分以外の誰かが悪く、その誰かは悪なのだから正統に成敗されてしかるべきだと、そんな都合のいいロジックを真剣に信じ込んで生きているのだろう。
不思議なもんだが、そんなトンデモ論理を信じて疑わない人間というのが一定数いるのだ。
これまでの人生で、そんなに都合よくうまくいったためしなどなくても。自分の望む未来からかけ離れた生き様をさらしていたとしても。手痛いしっぺ返しを何度喰らおうとも。
『今満たされていないのはアイツが悪いからだ! アイツさえいなくなれば私は幸せになれる! 満たされる!』
そんなことを本気で信じてしまう人間が、恐ろしいことに少なくない人数存在するのだ。
うまくいけば自分の手柄、失敗すれば他人のせい。そんな生き方を恥ずかしげもなく、おかしいと感じることもなく、それどころか自分こそが正しいのだとわざわざ他人に食ってかかるようなヤツがいる。
つまりこのド三流記者バロッサは、そういった類いの人間なのだ。
「とにかく、ウチの記者を離せ。無礼であるぞ!」
「無礼を働いた狼藉者をかばうというのであれば、あなたも領主へ害意を抱く者として取り押さえますよ?」
「よいのか? 私にそのような口を利いて?」
領主付きの給仕長に対し、領主の前で尊大な態度を取る等級無し貴族のテンポゥロ。
どうやら、思考回路はド三流記者バロッサと同じらしい。
自分は絶対的に正しい。つまり間違っているのはそちらで、そちらが間違っているのであれば、領主であろうが自分に従わなければいけない。
……誰に教わったんだ、その謎理論?
「これは侵略となるぞ? 今はたまたま四十二区に編集部を置いているが、私はあくまで二十三区の貴族だ。他区の貴族――それも領主という立場の者が他区の貴族の所有する敷地内でその権力を誇示するなど言語道断! 事と次第によっては王族へ直訴して王宮騎士団の派遣を要請することだって可能であることを心せよ!」
言ってやったぁ! みたいな顔をしているテンポゥロ。
だが、エステラは落ち着き払った顔でにこりと微笑む。
「いいよ」
そして手のひらを上向けて「どうぞ」という仕草を見せる。
「……ふ、ふふん。大方、二十三区の領主が味方にいると思って余裕ぶっておるのだろうが、甘いぞ小娘。政治の世界は道理や綺麗事だけでは計れぬものであることを貴様も知るべきだ。仮に二十三区領主が割って入ってこようと、その頭ごと押さえつけて貴様を弾劾、追放することなど造作もないのだ! 貴様らは知らぬであろうが、こちらには大きな力を持つ後ろ盾がいるのだよ。くくく……二十三区領主を味方に引き入れた程度で随分と大きく出たものだが、身の程というものを知るのだな、新参者の小娘が!」
「ウィシャートの名前を、そんな軽々しく乱用しても平気なのかい?」
「――っ!?」
エステラがウィシャートの名を出すと、テンポゥロが目を見開いた。
いや、もうすっかり周知の事実だから、お前らの後ろにウィシャートがいて、組合と連動して四十二区に攻撃しかけてきてるの。
え、なに? バレてないと思ってたの?
ウィシャートはもうとっくにバレてると思ってるはずだぞ。
情報共有できてないのか?
あぁ、そうか。
お前、もう間もなく切られるもんな。
そんな親切に教えてはもらえないよな。
「ふ……ふふ、そうか。カーラか。カーラがあることないことをしゃべったのだな? おのれの罪を軽減しようと敵に阿る恥知らずが。ここまで面倒を見てやった恩を忘れおって! ろくな死に方をせんぞ、阿婆擦れが!」
あばずれって……
売り子女子のカーラがエステラに捕まって、おのれの身可愛さにぺらぺらと全部を話したと思っているようだ。
そこしか情報が漏れた可能性は考えられないって? 脇が甘過ぎだろ、おい。
「だが、……ふふふ、それで勝ち誇っているようでは、やはり片生りと言わざるを得ぬな」
「三等級貴族がその後ろに控えているってことを言いたいのかな?」
「ぬぐっ……!?」
さらりと、エステラが指摘すると、テンポゥロはあからさまに顔色を変えた。
それ、秘密だったのか?
ここにいる関係者全員知ってるけど。
まぁ、普段からこうまであからさまに権力の影をチラつかせていれば、そこかしこに情報をバラ撒く結果になるだろうよ。
「ふ……ふふ、それが分かっていてこのような狼藉を働くということは……よほど潰されたいらしいな。家程度では済まさんぞ、この区ごと全部だ! 分かっているのか!?」
バレてしまっては仕方ない……、ってのは悪党の常套句ではあるが、自分でゲロッたようなもんだろ、今の? それでよく開き直れるよな。
とんだ独り相撲だよ。
「さぁ! 自分の立場が分かったら、さっさとこの女を退けなさいよ愚図領主! 大体ね、最貧区のくせに生意気なのよ! あんたらは目上の区に対してへこへこ頭下げてればそれでいいのよ! そんなことも分からないから最貧区なのよ! 若い女だからってね、甘やかしてもらえると思ったら大間違いだから!」
「ナタリア」
「はっ」
「ぎゃうっ!」
エステラの指示で、ナタリアがバロッサを拘束する腕に力を込めた。
生易しいなぁ。一回持ち上げてから床に顔面叩きつけてやればいいのに。
「貴様っ、大概にせぬと――」
「先ほど、そこの地べたに這いつくばっている彼女に言われた言葉なんですが、似たような言葉をあなたにお返ししなければいけないようです」
静かに話すエステラの声が室内の空気を冷やしていく。
「そっくりそのままお返ししたいところなのですが、いかんせん彼女には品がなさ過ぎる。レディが口にするのは少々憚られるので多少の改変はご容赦を」
赤い瞳を細めて、エステラがテンポゥロに向かって言い放つ。
「『お好きにどうぞ』」
先ほど、ド三流が「やれるもんならやってみろよ」的なことを言っていたのをそのままお返ししたわけだ。
この手のヤツらは、自分が優位に立っていると勘違いしている時は居丈高に煽るような言葉を吐くのだが、それと同じ言葉を逆の立場で――自分たちが追い詰められている場面で返されるのが何よりムカつくのだ。
機会があればやってみるといい。面白いようにぶち切れやがるから。
「これも、そこの這いつくばり女子が言っていたのですが……見苦しい抵抗をしてボクを倒せなかった時は……『分かっているよね?』」
どんな脅しの言葉を吐かれようが、エステラは怯まない。
むしろ、向こうが喚けば喚いただけカウンターの威力は上がっていく。
今、エステラは連中からのヘイトを溜め込んでいる途中なのだ。
そして、溜めて溜めて、ぱんぱんに膨れ上がったヘイトを一気に叩き返す。
そんなシナリオがはっきりと描けているから、随分と余裕があるように見える。
ホント、たくましくなっちゃってまぁ。
「そもそも、君たちは三等級貴族どころか、ウィシャートですら引っ張り出すことは出来ない」
「ふははは! 等級無し貴族が領主を動かすことなど出来ぬと、そんなことを思っておるのだろう? だが、残念ながらそれは見当違いだ! 貴様は知らぬだろうが、我らの結びつきは未だかつてないほど強固なものになっておるのだ。実はある頼まれごとをしておってな。それがある限り、我らの絆は鋼の鎖よりも――」
「土木ギルド組合」
エステラの一言で、テンポゥロのご高説が止まる。
言葉を止めたテンポゥロに、エステラは貴族らしい美しい笑みを向ける。
「最近、元気がないようですね」
「……貴様」
なんにも知らないと思っていたんだろうな。
若く、頼りない、最貧区の、女の領主は。
周りの者にいいように操られ、お飾りでヘラヘラ笑って、群衆の人気取りにでも利用されているのだろうと、そんなことを思っていたのだろう。
お前ら、エステラを舐め過ぎだ。
こいつはな、俺が当初『油断できない』と思った切れ者なんだぞ。
ま、最近はポンコツ化が著しいのでその評価も下方修正が必要かもしれんが。
それでも、権力をチラつかせてふんぞり返るしか能がないテメェらが太刀打ちできる相手じゃねぇよ。
「君の言う鋼の鎖より強固な絆があるなら、組合はもうとっくに救済されていて然るべきなんじゃないのかい?」
「……くっ、組合は、所詮組合。だが、我が情報紙発行会は違う! 我が発行会こそ、ウィシャート様の利益となり、力となれる存在なのだ」
「その割には、金銭的援助もしてくれていないようだけれど」
情報紙発行会は現在、明らかな資金不足に喘いでいる。
船なら、船首を除いてすべてが沈没している状況だ。
救命ボートで数名だけは生き延びられるかな~くらいの惨状だな。
「断言しよう。ウィシャートは動かない。いや、動けないよ。今回のことではね」
「バカなことを申すな! ウィシャート様は情報紙の最大スポンサーだ。情報紙が領主の権力により不当な扱いを受けたとあれば、必ずや腰を上げられる! 我らに盾突いた報復を存分に味わうがいい!」
「そうだね。区内の一組織を、領主の独断で潰したとなれば、スポンサーは黙っていないかもしれないね」
「当然であろう!」
「けれど、これは組織内の揉め事だから」
「何を申すか!? 領主による外圧にほかならぬではないか!
「いいや。これは、君たち情報紙発行会内部の、――役員同士の諍いなんだよ。そうですよね、ミスター・コーリン」
エステラの声に、もじゃもじゃ頭の爺さんが入室してくる。
タートリオの登場に室内がざわめいた。
一部は顔を青ざめさせ。
一部はあからさまな嫌悪感をその顔に浮かべ。
そして、一部は待ちわびた救援がやって来たような安堵と感動に輝く涙を浮かべて。
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