311話 この街の大人女子 -3-
「……で、どうしてこうなったのかな?」
教会で朝食を食っている時、エステラがルピナスを指さして言う。
俺に言わないでほしい。
「カンパニュラ恋しさにやって来ちまったんだよ」
「ルピナスさんまで陽だまり亭に出入りしてるなんて知れたら、ウィシャートが何をしてくるか分からないんだよ?」
「その点は十分反省しているってよ」
「まったくもぅ……」
俺たちとの接点が増えれば、それだけ危険が増える。そのことは重々分かった上で、「今日会わないと死ぬ気がしたの! いや、きっと死ぬの!」だそうだ。
……頭と要領のいい元貴族だったはずなのに。
「とはいえ、今さらかもしれないよね」
揚げ出し豆腐を噛みしめ、エステラがため息をつく。
「情報紙の一角と会うわけだし、隠れてこそこそするのも限界だよ」
「まぁ、こっちの動きはみんな筒抜けだと思って行動するべきだろうな」
「じゃ、何をやってもウィシャートの反感を買うわけだね」
「おそらく、俺たちが三十区の隣にいるってだけで不興を買ってると思うぞ」
「八つ当たりもいいところだよ、まったく」
そう。
今四十二区が受けているのは八つ当たりなのだ。
トルベック工務店が専属を断ったからだとか、新たな街門の利権に食い込めなかったからだとか、いろんな理由を掲げようと、根底にあるのは「お前ら、気に入らない」なのだ。
じゃあ俺らが何かしたかっていうと、四十二区はただ発展した。それだけなのだ。
他者の躍進に憎悪を抱くなっつーの。
「いっそのこと、これ見よがしにいろんなヤツと仲良くしてやるか?」
「たとえば?」
「王族を大衆浴場にご招待とか?」
「あはは。さすがに恐れ多いよ。何人か打ち首になるんじゃないかな? 君を筆頭にね」
なんだよ、王族ともあろうお方が冗談も通じないのか?
小せぇなぁ。
……とか言うと、お付きの者に叩っ切られるんだろうな。
うん、王族はやめておこう。
「それにしても、元貴族とは思えないよね、彼女」
ガキどもと一緒に飯を食っているルピナスを見て、エステラが呟く。
テーブルに肘をついて箸をふらふら揺らしている。……行儀悪いな、お前は。
お前の方こそ、貴族とは思えないぞ。
ルピナスを見てみれば、目線を合わせて楽しそうにガキと話す姿が目に映った。
「ほら、お箸はこうやって持つのよ? やってごらんなさい」
「こう?」
「そうそう。上手ねぇ」
「あはっ!」
教会の女子たちがルピナスのそばに群がり、その美しい所作を真似しようと躍起になっている。
「素敵な方を連れてきてくださいましたね」
ベルティーナが俺たちのもとへ来て、ルピナスとガキどもを見つめて言う。
「ルピナスさん、所作がとても綺麗なので、子供たちのいいお手本になってくださるでしょう。子供たちにとっても、本物のマナーに触れることはいい刺激になるはずです」
「そのうち、本格的なマナーを学びたいってヤツも出てくるかもな」
「その時は、エステラさんにお願いしますね」
「えっ!? ボ、ボクに?」
「やめといた方がいいぞ、ベルティーナ。テーブルにヒジを突くようなヤツの教えるマナーなんてろくなもんじゃない」
「うぐっ……悪かったね」
エステラはよくテーブルにヒジを突く。
あと、握ったナイフをくるくる回したり、ナイフで人を指したりするし、……たまに刺そうとしてくる。
こいつに教わるマナーなんか、ろくなもんじゃない。
「お前も少しはルピナスを見習えよ」
「うぅ……分かったよ」
「私も、少しお勉強させていただきましょうか」
飯もほぼ食い終わったし、俺たちは席を立ってルピナスのそばへと近付く。
ナイフとフォークは使えても箸はまだ難しいなんてガキはたくさんいる。
そんなガキどもに根気よく、丁寧に、優しく教えてやっている。
何より、ルピナスの箸遣いがすげぇ綺麗なのだ。
姿勢はもとより、腕の動かし方から口の開き方、なんなら食事中の表情までもが洗練されている。
これが、生まれた時から教養を叩き込み続けられた人間ってやつか。
「とれないー!」
「小さいものを掴む時は、あまり力を入れてはダメよ。優しくつまんであげるの。【自主規制】を優しく【自主規制】するように」
「はいストーップ!」
忘れてたー! この人こーゆー人だった!
貴族生まれだけれども、十代後半からは荒くれ者たちと一緒に生きてきたせいで、若干思考回路がオッサン寄りになってるんだったよ、忘れてたわ!
「……ルピナスさん。子供たちの前では慎んでくださいね?」
「え? あら、ヤダっ、ごめんなさいねぇ! 川漁の子供たちの前では、これが普通だったから。アハハ、やだわ、私ったら、アハハハ!」
もう、笑い方がオバハンだな。
ついさっきまで、彫刻のような美しさだなぁとかちょっと思っていたのに。
やっぱ、環境って大事なんだなぁ。素材がよくても平気で塗り替えられちゃうんだからなぁ。
「えっとそうね、それじゃあ……お花を摘む時のように、優しくね」
「え~、でも僕お花摘む時もぶっちーってやるけど、そんな感じでいーんですかー?」
あぁ、出た出た。ガキの揚げ足取り。
あまり知らない大人がいる時に、気を引きたくてこういうことを言うバカなガキは必ずいるんだよなぁ。
「うふふ。元気がいいのね、君。でも、お花さんが可哀想だから、今度からは優しく摘んであげてね?」
おぉ、すげぇ母性だ。
生意気なガキを優しい笑顔で包み込む。
なるほど、カンパニュラの優しい心はこういう風に育まれたものなのか。
「それからね……」
そっとナマイキガキの髪に触れ、がしっと頭を掴み、笑顔のまま額に青筋を浮かべて、ルピナスは食いしばった奥歯の隙間からえらくドスの利いた声を漏らす。
「前後の文脈を考えて常識の範囲内で物事を考えることを覚えろ、な?」
「……ご、ごめんなさい」
「はい、ストーップ!(二回目)」
デリアでさえビビる鬼の顔を初対面のガキに遺憾なく見せつけてんじゃねぇよ。
イラってしたのをぐっとこらえてこその大人だろうが!
「イラッ」をそのまま突き返してんじゃねぇよ、大人げない!
「ですが、今のはルピナスさんの言う通りですよ」
半泣きのガキの髪を撫で、ベルティーナが諭すように言う。
「人が嫌がるようなことを言って困らせるのはよくないことですよ。あなたも、嫌われたいわけではないのでしょう? なら、仲良くしてくださいと素直に伝えるべきです。その方が、お互い気持ちのいい関係を築けますよ」
「……はい。ごめんなさい」
ガキの涙が引っ込み、こまっしゃくれた生意気フェイスが影を潜める。
さすがべルティーナ、手慣れたもんだ。
「あら、ちょっと強く言い過ぎたかしら?」
「なんで『ちょっと』だと思えるんだよ……」
「川漁の子しか面倒見たことないからさ。ちょっと加減が分からなくてね」
デリアベースで子育てしてるんだとしたら、基本的にやり過ぎだよ。
あそこまでたくましくなれるヤツはそうそういない。
「ですが、厳しさは必要だと思いますよ。口調は、少し気を付けていただきたいですが」
「そうかい。悪かったね。……こほん。以後、気を付けるわ」
ルピナスが口調を変えて言えば、ベルティーナがにこりと微笑む。
大人二人が意見のすり合わせを行う。
短いやり取りで調整できるあたり、どっちも長年ガキと向き合ってきたんだなって貫禄が垣間見える。
「むずかしー!」
箸が使えず不貞腐れたヤギ耳女子。
こいつがわがまま言うなんて珍しいなと思ったら――
「お手本見せて!」
――甘えていただけだった。
ルピナスはガキに懐かれやすいタイプなんだな。
「見せてください、でしょ?」
「は、そうだった。見せてください。おねがいします。……これでいい?」
「うふふ、はい、よく出来ました」
まるでベルティーナのようなやり取りをして、ルピナスは盛大にガキどもを甘やかしてやっている。
ベルティーナとは違う大人の女性。それも母性溢れるタイプだと、やっぱり甘えたくなるようだ。
ベルティーナに不満があるわけではないだろうが、それでも時には寂しくもなるのだろう。
母親を知らないこいつらは。
「……母親ってのは、デカいんだなぁ」
「ヤシロ……」
俺の呟きを拾って、エステラが静かな声で言う。
「おっぱいの話しか出来ないのかい、君は?」
「おっぱいの話じゃねぇわ!」
「えっ、違ったのですか!?」
ベルティーナにめっちゃビックリされたー!?
超心外なんですけど!?
てふ心外!
思わず旧仮名遣いが飛び出すくらいに心外だ。
折角珍しくまっとうに感心してたってのに。
「何より、ルピナスは母親だがデカくない!」
「ヤーくん? お外で話し合いが必要かしら?」
まぁ待て、ルピナス。
話し合いに拳は必要ない。だから指の骨を鳴らしたり手首のストレッチをしたりする必要はない。
「煮豆を箸で掴むのは難しいぞ。お前に出来るかな?」
危険なのでサクッと話を逸らす。
ひょいっとガキの箸を取り上げてよく煮えた甘い煮豆をつまみ上げる。
どうだ、俺の箸使いは?
こういう所作の綺麗さは詐欺師の基本なんだよ。見た目に美しくない者は信用を得るのに苦労するからな。
マナーがしっかりしている者は、無条件で「ちゃんとした人=嘘なんか吐かない人」と相手に思い込ませることが出来るのだ。
「見くびられたものね。これくらい造作もないわ」
余裕の表情で煮豆をひょいっとつまみ上げるルピナス。
よっ、お豆摘まみ名人!
「君は、つくづくレジーナと発想が酷似しているね」
「なんも言ってねぇだろ!?」
「言わなければセーフだなんて、いつから思い込んでいたのさ?」
人を非常識みたいな目で見ているところ悪いがな、エステラ。言ってないことで非難する方が非常識だと思うけどな、俺は!
「あぅっ!」
俺やルピナスのマネをして、箸で煮豆をつまもうとしたヤギ耳少女が「つるん!」っと滑った煮豆を取りこぼした。
ぽーんと飛んだ煮豆はテーブルにワンバウンドし、ルピナスのスカートの上へと着地した。
「ご、ごめんなさい!」
慌てて煮豆を手掴みで取ろうとするヤギ耳少女を制し、ルピナスは落ち着いた箸さばきで煮豆をつまみ上げる。
そして、ニコッと笑ってみせると――
「三秒ルールよ」
――と、煮豆をひょいっと口の中へと放り込んだ。
……元貴族が落ちた煮豆食ってるぞ、おい。
「貴族社会でも通用するのか、そのルール?」
「さぁ? でも、貴族よりももっと尊い我が家では通用するルールよ」
にししと、男前な笑みを浮かべるルピナス。
お前の家で通用するといっても、カンパニュラはやらないだろうな、きっと。そもそも、飯を落とすようなそそっかしいことをしないだろう。
ただ、ここは教会だ。
ガキがマネしそうなそんな行儀の悪いこと、ベルティーナが許すわけがな――
「三秒以内であれば大丈夫ですね」
――許すのかよ!?
そういえば、ここのシスターは他の誰よりも食べ物を粗末にしない人だったわぁ。
「シスター! 落ちた物は食べちゃダメって、ジネット姉ちゃんが言ってたよ!」
「三秒でもダメー!」
「でも、『ふーふー』しますよ?」
「「「それでもダメー!」」」
あぁ、教会にもいるんだ。
子供に注意される残念な大人。
……残念だよ。
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