311話 この街の大人女子 -2-
「母様!?」
俺の声を聞きつけ、カンパニュラが外へ飛び出してくる。
「あぁっ、カンパニュラ!」
駆けてきたカンパニュラを抱きとめ、ぎゅうううっと抱きしめるルピナス。
カンパニュラの細い髪に頬摺りをして、その温もりを感じているようだ。
「寂しくはなかったかい?」
「はい。皆様がとてもよくしてくださいましたので、平気でした」
「かーさんはさみしかったぁぁあ~ぁ!」
「よしよし。困った母様ですね」
駄々をこねる母親を、イヤな顔一つせず慰めてやるカンパニュラ。
うん。今確信した。
カンパニュラが優秀なのは素質!
この残念な親の教育が優れているとは到底思えない。
「で、何しに来たんだ?」
「何をしにって……、カンパニュラが家を出て何日経ったと思っているんだい? 手紙の一つも寄越さないで!」
何日って、まだ一週間も経ってねぇだろうが。
「エステラから、無事に到着した旨が伝えられたはずだが?」
「カンパニュラのお手紙がなかったじゃないかさ!」
「母様、ごめんなさい。私、母様の気持ちに思い至りませんで……寂しい思いをさせてしまいましたね」
「あぁっ、ウチの娘可愛いっ! もう連れて帰る!」
いや、それは好きにすればいいけどさ。
俺らが引き止める権利はないし。
「ですが母様。私はまだ末端冷え性を克服しておりませんし、まだ何者にもなれてはおりません」
引っ付いていた体を離し、涙目の母親と向かい合う。
カンパニュラは微笑んで、胸を張って言う。
「私、この街にいると、何かとても大切なことが学べる気がするのです。ですので母様。もう少しだけ、娘のわがままをお許しください」
ぺこりと頭を下げるカンパニュラ。
おそらく、カンパニュラがルピナスの意見に反することなんてこれまでなかったのだろう。
ルピナスは大層驚き、そして、少し嬉しそうな顔をした。
「とてもいい経験が出来ているようですね。今のあなたの顔を見て、母さんは少し安心しました」
「はい。この街は素晴らしいですよ、母様。笑顔が溢れ、人々の心が豊かで、今まで見たことも想像したこともないような不思議なものに溢れているんです」
「へぇ、そうなの。カンパニュラが見て、聞いて、経験したことを、母さんに話して聞かせてほしいわ」
「はい。ジネット姉様、朝のお手伝いですが――」
「もちろん構いませんよ。お母さんに、たくさんお話を聞かせてあげてください」
「はい」
笑みを交わすジネットとカンパニュラ。
それを見て、ルピナスは心底安堵したような表情を見せる。
この場所に預かってもらっているなら平気だと、そんなことを思ったのだろう。
「手紙の方が正解だったようね」
そういえば、ルピナスが抱いているジネットの印象って、足つぼで大男を悶絶させるドSキャラなんだったっけ?
オルキオの手紙に書かれている人物像が、本来のジネットだから。
「あの、ルピナスさん」
足つぼをしてにっこにこだった時とは少々趣の異なる笑顔を湛え、ジネットがルピナスに手を差し伸べる。
ルピナスは、カンパニュラにすりすりしたいがために地べたに座っちゃってるからな。
「外はまだ冷えます。店内へどうぞ。今温かい飲み物を入れますね」
「えぇ、そうさせてもらうわ。ありがとう、ジネットさん」
立ち上がり、カンパニュラと手をつないで陽だまり亭へと入るルピナス。
「改めまして。ようこそ、陽だまり亭へ」
湯気の立つスープと共に、お決まりの挨拶をするジネット。
あぁ、そういえばジネットとルピナスは会ってはいないんだよな。
ベックマンが騒いだ時、ジネットはまだテントの中で足つぼしていたし、その騒動のすぐ後にルピナスたちは帰っちまったし。
「こいつが陽だまり亭の店長のジネット。こっちがマグダとロレッタだ」
「初めまして。娘がお世話になっているわね」
元貴族らしい品のある会釈を見せるルピナス。
「ほんとに、ありがとね」
そして、肝っ玉母さんの片鱗を遺憾なく見せつける。
このごちゃ混ぜ感が、きっと今のルピナスの素なのだろう。
「ほわぁ……綺麗な人ですねぇ。さすがカニぱーにゃのお母さんです」
「かにぱーにゃ?」
「ロレッタ姉様が私にあだ名を付けてくださったんですよ。とても可愛くて気に入っているのです」
「そう。よかったわね。センスはちょっとどうなんだろうと疑問を抱いてしまうところだけれど、あなたが嬉しいのならよかったわ」
「今、さらっとディスられたです!? センスいいですよ、あたし! 可愛いですし、カニぱーにゃ!」
「うふふ」と、核心には触れずに受け流すルピナス。
さすが元貴族。下手な言質は取らせない。
そしてマグダに顔を向け、にこりと笑みを深める。
「あなたは鼻がいいのね。よく手を止めてくれたこと」
いくらデリアをも叱り飛ばせる肝っ玉母さんといえども、身体能力は人間の範疇だ。マグダに襲いかかられて、デリアみたいに受け止めるなんてことは出来ない。
ホント、止まってくれてよかったぜ。
「……カンパニュラの匂いがした」
「カンパニュラの衣服にくるまって『くんかくんかはぁはぁ』してきた直後の変質者だとは考えなかったのかしら?」
いや、普通考えねぇよ、そんなトリッキーな選択肢!?
……って、お前まさか、家を出る直前そんなことしてきたんじゃないだろうな!?
「いや~ね、ヤーくん。そんな目で見なくても、今日はしてないわよ」
おぉう、普段はしてそうだ!
危険人物リストにしっかりと名前を刻み込んでおかないと。
「……匂いの位置が、お腹」
ルピナスのお腹を指さし、そして指先を腰のラインに沿って背中の方へと移動させていく。
「……ちょうど、カンパニュラが抱きついた時に肌が触れる場所に匂いが残っていた。これは、カンパニュラがよく抱きついているという証拠。カンパニュラの大切な人だと判断した」
そんなに匂いが残るのか?
だって、もう何日も会ってなかったってのに。
「……生き物の匂いは意外と取れない。簡単な湯浴み程度で消しきれるものではない」
「へぇ、そうなのか」
俺の体にも、誰かの匂いが付いていたりするのだろうか?
「……だから、マグダは定期的にヤシロの膝に座って匂いを上書きしている」
「あれマーキングだったのか!?」
たまに無言で抱っこをせがんでくることがあるとは思っていたけども!
そういえば、ネコが体をこすりつけてくるのって、自分の匂いを付けてるって言うよな。
まさか、マグダもそうだったとは。
「……知らない者の匂いなら分からないかもしれないけれど、知っている人の匂いならよく分かる。特に、……大切な人の匂いは、かなり離れていても嗅ぎ分けられる」
そう言って、俺とジネットの服を同時に掴む。
きっと、ジネットの体にも、マグダの匂いがいっぱい付いていることだろう。
「マグダっちょ! あたしにもマグダっちょの匂い付けてです!」
マグダに飛びつくロレッタ。
心配せんでも、お前らはしょっちゅう引っ付いてるからお互いに匂いがべったり付いてることだろうよ。
ロレッタがマグダに抱きついてほっぺた同士をすりすりこすり合わせる。
その顔を、マグダがぐぃっと引き離す。
「……ちょっと、やめて。弟クサイ」
「ウチの弟クサくないですよ!?」
「……ロレッタは今日、大量の弟を体の上に積み重ねて、埋もれて寝ていた」
「どうして分かるです!?」
お前、そんな寝方してんのかよ?
仲いいな、お前ら姉弟は。
「今日は、特別に弟と寝てあげてただけですよ。普段はベッドで寝てるです」
「……先日は妹に埋もれて寝ていた」
「それは、特別な日の妹版です!」
結局、毎日何かしら理由を付けて弟妹と一緒に寝てるんだろうな。
「では、マグダ姉様。私には母様の匂いが付いていますか?」
ルピナスに自分の匂いが付いていたと言われ、嬉しそうにしていたカンパニュラ。
自分にも母親の匂いが付いているのではないかと期待顔だ。
だが、カンパニュラの小さな体をマグダとロレッタが左右から同時に抱きしめ、包み込む。
「……残念。すでに上書き済み」
「カニぱーにゃは、すでに陽だまり亭の娘なんです」
そう言われて、ちょっと嬉しそうにはにかむカンパニュラ。
仲よさげに戯れる女子たちを見ていると、自然と頬が緩む。
「うふふ。本当によくしてもらっているのね」
ルピナスも、我が子を取り巻く環境を垣間見て頬を緩める。
「……まぁ、負けないけどね?」
「対抗心燃やすな、大人げない」
頬は緩んでも目元が一切笑ってねぇぞ、へいマミー。
元貴族の威厳的な圧力を眼力に乗せてウチの従業員を睨むんじゃねぇよ。叩き出すぞ。
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