309話 薬を学ぶ -2-

 陽だまり亭に戻る。

 早々と店じまいをした陽だまり亭は、いつもよりも静かな佇まいで俺たちを迎えてくれた。


「それじゃあ、私はこのまま帰るわね」

「お休みなさいませ、皆様。明日、よろしくお願いしますね」


 マーゥルが手を振り、シンディが深々と頭を下げてニュータウンの方へと歩いていく。

 いいのかねぇ、未婚の貴族令嬢が濡れた髪で外を歩いて。


「タオル帽子でも作るか」

「なんですか、それは?」


 まんまるい目で俺を見るジネットに教えてやる。

 タオル帽子ってのは、スイミングスクール帰りのガキがよく頭にかぶっているタオル地で出来た帽子だ。

 濡れた髪が早く乾くらしい。何より、濡れた髪を見られずに済む。


「いいねそれは。是非ウクリネスに相談しよう。それで、大衆浴場で販売すればきっと売れるよ」

「では、アッスントさんにも話を通しておきましょう」

「うん。お願いねナタリア」

「早速行って参ります」

「いや、そんなすぐじゃなくても――」

「この濡れた髪と火照った体で突然自宅を訪れ、奥方にあらぬ誤解を与えまくってきます」

「やめたげて! え、アッスント嫌いなの?」

「えっ、好きなんですか?」

「そこはノーコメントだけども」


 いろいろあったからなぁ、アッスントとは。

 手放しに「好き」とは言えまい。

 だが、その後協力していろいろなイベントを成功させてきた。

 だから嫌いと突き放すことも出来ない。


 ま、要するに、仕事上の付き合いというヤツだ。

 好きとか嫌いとか、そーゆーのはどうでもいいのだ。


「じゃあナタリア。アッスントの嫁に気付かれないように忍び込んで、寝室で話し合いをしてきてくれ」

「了解しました」

「了解しないで! 撤回して!」

「つーん……」

「そっぽ向かない! こっち見て、ナタリア!」


 正しい主従の関係がそこにあった。

 ……いや、ねぇわ。


「よく見ておくといい、二人の関係を。お手本、ナタリアさんは」

「なたりあしゃ、おてほん」

「ただし、悪いお手本、今のは」

「わぅい、おてほんー!」


 悪いお手本は今すぐ脳内から記憶を消しておけ。悪影響しかないから。


「デミリーは帰るか?」

「そうだね。また明日、改めてお邪魔するよ」

「道中お気を付けてお帰りください、オジ様」

「ありがとう、エステラ。お前は私の誇りで、私の宝だよ」

「あはは。ありがとうございます」

「エステラ。デミリーから聞いたんだが、お前って、四歳のころよりかは、辛うじて成長したんだって?」

「なんの話をしていたんですか、オジ様!?」

「ち、違うよ!? オオバ君の悪意ある歪曲だよ!」


 なんでだよ?

 エステラの成長を語る上で、四歳まで遡らないと言及できなかったんだろ?

 十歳でも、九歳でもなく、四歳。……ぷぷぷっ。


「もう、まったくもう、オオバ君は、もう……」と、文句を垂れながらデミリーは馬車で帰っていった。


「じゃ、ルシア」

「うむ。世話になるぞ」

「帰れよ」

「客間が空いているそうだな」

「せめてエステラのところに行け」

「大丈夫だカタクチイワシ。私はワラのベッドでも眠れる」


 話聞かねぇなぁ、こいつは。


「友達のヤシロ……」


 ギルベルタがこそっと耳打ちをしてくる。


「実は、とても心配している、ルシア様は。カンパニュラさんの様子を」


 三十五区の領民、ルピナスの娘だからか。

 それも、ウィシャートに連なる関係者だ。心配になる気持ちは、まぁ、分からんではないか。


「ジネット……」

「はい。すぐに準備しますね。閉店作業もないですから、問題ないですよ」

「すまぬな、ジネぷー」

「いいえ。今日はゆっくりおしゃべりが出来ますね」

「ふふ、そうだな」


 笑みを交わし、ジネットは先に陽だまり亭へと入る。


「そういう殊勝な態度、俺にも見せろっつーの」

「貴様に見せても益はないのでな」

「ジネットの場合は利益があるのか?」

「当然だ。私はジネぷーに好かれたい」


 そりゃすげぇ利益だな。


「俺への態度を改めれば、俺にも好かれるかもしれないぞ」


「誰が貴様なんぞに好かれたいものか。くだらないことを抜かすな、カタクチイワシ!」――と、そんな罵声が飛んでくるかと思いきや。


「……仮にそうであったとしても、声に出して言うものではなかろうが。……この痴れ者」


 なんか、めっちゃ照れてた。

 ふいっとそっぽを向いて「ジネぷーを手伝ってくる。私の部屋だしな」とさっさと陽だまり亭へと入っていってしまった。


「……ヤシロ」

「……お兄ちゃん」

「まったく、ヤシロ。君って男は……」


 マグダにロレッタにエステラが冷ややかな目を俺に向ける。

 いや、そんなつもりで言ったんじゃないから!

 ぜんぜんそんなつもりなかったから!


「はぁ……ちょっとテレサを送ってくる」

「あっ、じゃあ、あたしも一緒に行くです!」

「ロレッタ、今日は帰るのか?」

「はい。弟妹たちにお土産も買ってきたですし」


 誰かが泊まる度に便乗して泊まっていくわけではないロレッタ。

 今日はさっさと帰るらしい。


「明日は陽だまり亭を頼むな」

「任せてです。でも、機会があればあたしも薬のこと勉強したいです。薬が使えれば、お兄ちゃんたちの役に立てるですし、弟妹が体調崩した時に看病してあげられるですから」

「あぁ。レジーナに言っとくよ」


 明日は、今日とは逆に俺だけが陽だまり亭を空ける。

 レジーナについて、薬学講習会の助手だ。

 助手というか、レジーナのお目付け役兼執行官だ。

 ……しょーもないことを口走れば、即時刑を執行する。


「それじゃ、テレサ。帰るぞ」

「…………」


 テレサが俯き、動かない。


「テレサさん。ヤーくんは優しい人ですから、わがままを言ってみてもいいと思いますよ」


 結局、テレサのことをさん付けて呼ぶことになったカンパニュラ。

 あくまで知人、友人として接するようだ。


 もっとも、テレサが練習したいというのであれば、給仕として振る舞うことは構わないのだそうだ。

 あくまで、練習だからな。


 で、そんな給仕長を目指すテレサが俯いて、口を閉じてしまっている。


「テレサさん。給仕長というのは周りの者へ気を遣わせてはいけませんよ。あくまで影に徹するのが我々給仕長です。主の心の不安を解消するのも大切なお仕事です」

「なたりあしゃ……はい。わかった……です」


 くっと顔を持ち上げ、テレサが俺を見る。


「えーゆーしゃ! あの、ね……できたら、ね…………きょう、あーしも、いっしょ、が、……いい」


 要するに、カンパニュラと離れたくないというわけか。


「分かった。ヤップロックに伝えてきてやるよ」

「あ、それでしたらあたしが帰りに寄って伝えてくるですよ」

「テレサが外泊で帰らないなんて言ったら、あのアホ姉が面倒くさいことになるぞ?」

「はぅ……確かに、バルバラさんは厄介そうです……」

「ごめん、なさい。あーし、わがまま……ね」

「そんな顔すんな、アホ」


 お前のわがままくらい、いくらでも聞いてやるっつーの。

 大人にはな、ガキのわがままを許容してやる余裕ってもんがあるんだよ。


「んじゃ、マグダ。ジネットに伝えてきてくれ。ジネットの部屋にもう一人追加だって」

「……分かった、もう二名、都合四名になると伝えてくる」


 ジネットを入れて四名ってことは自分もジネットの部屋に泊まるってことか。 ロレッタが帰るから自分だけ一人になると思って寂しくなったな?


「そんじゃ、アタシも帰るよ。明日、また朝に来るさね」


 ノーマが煙管を吹かせながら歩き出す。


「明日の朝って、何か約束したのか?」

「……綿菓子、作ってやるさね」


 あぁ、カンパニュラに褒められて有頂天になってた件ね。

 それじゃあ、お手並み拝見と行くか。


「それじゃ、ヤシロ。ボクたちは――」

「興奮し過ぎてぶっ倒れたトレーシーと、そのトレーシーの相手でこれまたぶっ倒れたネネの看病を頼むな」

「……うん。任せといて。もう手慣れたもんだよ、ウチの給仕たちもね」

「手伝う、運ぶのを、私も」

「お願いします、ギルベルタさん。面倒くさくなったら途中で落としても構いませんので」

「構うよ!? 余計なこと言わないで、ナタリア!」

「了解した、私は」

「何を!? 落とさないでね!? こんなんでも領主だからね、トレーシーさん!?」


 いや、『こんなんでも』って、お前……正直過ぎるぞ、エステラ。


「それじゃテレサ、今日は眠るまでカンパニュラの給仕長だよ。しっかりね」

「はい。がんばぅ!」

「そこまでしていただかなくてもいいのですが……」

「まぁまぁ。相手をしてあげてよ。テレサ、嬉しいみたいだから」

「はい。私もテレサさんのことが大好きですので、一緒にいられるのは嬉しいです」


 何を言っても満点の返しをしてくるな、カンパニュラは。


「じゃ、ヤシロ。また明日」

「おう。レジーナの店の前でな」

「……なんでそんな場所で?」


 だってお前。


「レジーナが自発的に起きて、講習会の会場に出向くと思うか?」

「あぁ…………分かった。朝食前にレジーナの店の前で集合だね」


 打ち合わせもあるから、朝食を食いながら話し合いをしたいので、飯前に集合するのだ。




 で、大方の予想通り、当日の朝になって「やっぱムリ、行きたない」病を発症したレジーナを、俺とエステラの二人がかりで教会まで引きずって行く羽目になったのだった。






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