309話 薬を学ぶ -1-

「実際のところ、どうなんだい?」


 結局、俺も一緒に大衆浴場に行くことになり、そしてなんでかデミリーとその執事と一緒に風呂に入ることになった。

 無論ウーマロも連れてきた。

 こんなオッサンの相手、俺一人ではメンドクサ……もとい、荷が重過ぎる。ほら、俺って謙虚だし? 謙遜謙遜。


 で、湯船に浸かる前に体を洗い、一番デカい浴槽にどっぷりと浸かったところで、デミリーが声を潜めて聞いてきた。

 よく見れば、デミリーんとこの執事が、俺たちの周りに人が来ないように見張ってやがる。


 大衆浴場で内緒話すんなっつの。利用客の邪魔になるわ。


「どうってのは?」

「感触っていうのかな? 率直な感想を聞きたいな」

「そうだな――」


 仕方ないので、俺は素直な感想を聞かせてやる。


「泡立ちがよくて水切れがいいから使いやすいぞ。しっとりまとまるのに、翌朝のセットがきちっと決まる張りとコシも出る。おすすめのシャンプーだ。買って帰るといい」

「その感想は求めてなかったし、買って帰っても無駄にしちゃうかなぁ!?」


 このシャンプーを体験できないなんて、なんて可哀想なヤツ。


「必殺、道連れ光線」


 デミリーが、両の手のひらをこちらに向けて、目に見えない何かを放出し始める。

 やめろ!

 言霊ってのは存外バカに出来ない代物なんだぞ!


「まさか、本気でデイグレアを引きずり下ろすつもりじゃないんだろう?」


 やっぱその話か。


「するつもりも何も、王族が認証して領主になったヤツを、俺がどうこう出来るのかよ?」

「まぁ、ムリだろうね。普通ならね」

「じゃあムリだろ。俺は極々一般的な小市民だからな」

「あははっ、それは面白い冗談だ」


 冗談じゃねぇっつの。


「俺はここまで、顔の良さだけで快進撃を続けてきたが、領主の交代ばっかりは、顔の良さではどうしようもないからな」

「王妃様でも籠絡してみるかい?」

「残念ながら、俺は他人のモノには興味ないんだ」

「実は――エステラには内緒だけれど、ウチの館には私がまだ若かったころに購入した胸の大きな美人画が数点眠っているんだ」

「前言撤回だ。他人のモノでも欲しい時もある」


 それがたとえ春画でなくとも、わざわざデミリーが金を出してまで買おうとしたものなら見てみたい。


「今度こっそりと見に来るといい」

「メドラの肖像画だったら館を燃やすぞ?」

「怖い冗談はやめてよ……」


 デミリーが湯の中でガタガタ震え出す。あ、心臓を押さえた。

 怖い冗談ってのは館を燃やすってのじゃなく、メドラの美人画をデミリーが購入したという根も葉もない話の方だろうな。

 そんな噂が立ったら……貴族としての人生詰んだようなものだよな。

 未婚のメドラ系女子から求婚の手紙がバンバン届くことになるだろう。


「でもメドラを嫁にもらえば、四十区は最強になるぞ?」


 ハビエルにメドラが揃っていれば、そこらの貴族は逆らわなくなるんじゃないか?

 権力的にも、物理的にもおっかないからな、あの二人は。


「あまり派手なことをすると、王族に目を付けられかねないからね」


 王族は臆病だ。

 魔獣除けのレンガを発案した者に相応の権力を与え、中央区のそばに住まわせて手元に置いていることからも分かるように。

 一介の領主が想定以上の力を付け始めれば、不穏因子は早々にひねり潰されるかもしれない。


「似たような理由で、俺もそこまで派手に動くつもりはねぇよ」


 俺が目立つことで四十二区が王族に目を付けられるようなことになれば、狙われるのはエステラだ。

 この国のトップに目を付けられたら、いくら俺でもどうにも出来ない。

 残された選択肢はこの街を出る、以外にないだろう。


 そんなこと、させられるかよ。


「カンパニュラとテレサのことは、本当に偶然だ」


 テレサが今日もやって来るなんて想定していなかったし、もともとはカンパニュラと一緒に素敵やんアベニューにでも行かせるつもりだった。

 カンパニュラにしてもそうだ。

 ルピナスと軽く話をしようと思ったら、カンパニュラが足つぼ用の個室に突撃してきて、その後ベックマンと出会っちまって、そんなことが続いたせいでカンパニュラを安全な場所でかくまおうとした結果の今だ。


 俺の思惑なんて、そこにはこれっぽっちも介在していない。

 何より――




 ウィシャートを潰すには、まだまだ手駒が足りていない。




 名探偵が「あいつ、目つき悪いから犯人じゃね?」みたいな段階で推理を始めてしまうくらいに準備不足だ。


『あなた、目つきが悪いので、犯人ですね!?』

『うぅ、すみません。私がやりました』


 くらいの奇跡が起きない限り成功する目はない。

 とんでもない大博打だ。

 十個のダイスを投げてすべて1にしようとするくらいに無謀だ。


 そんなバカなギャンブルに、エステラの人生を賭けるなんて出来るわけがない。




「下手に騒いでやるなよ『オジ様』」

「あはは。まぁ、そうだよね。エステラにはまだ荷が重いよね、誰かを引きずり下ろすなんていうのは」


 笑って、デミリーがケツ二分の一個分近寄ってくる。

 そして、俺の肩に手を置いて、強ぉ~く握る。


「で、さっきの『オジ様』には、他意はないよね?」

「ねぇから、その手を離せ。地味に痛いんだよ」


「貴様に『オジ様』と呼ばれる筋合いはない!」ってか?

 誰が呼ぶか。


「今後も俺は、変わらず『シャイニングヘッダー・ツルピッカーン』って呼ぶよ」

「呼ばれた記憶がないんだけどね!? 『変わらず』ってなに!? え、心ではそう呼んでた? 全力でやめて」


 あれこれと注文が多いオッサンである。


「あぁ、そういえばトルベック君」

「はい、なんッスか?」

「組合から何か接触はあったかい?」

「ウチがッスか? いや、特に何もないッスね」

「そうか……」


 デミリーが腕を組んで首をひねる。


「それじゃあ、単純に金の無心だったのかもしれないね」

「何かあったんッスか?」

「いや、なに。四十区の大工に組合から仕事を手伝おうかと打診があったそうなんだ」

「え、でも……?」


 デミリーは、自身に圧力をかけようとした土木ギルド組合の役員に腹を立て、組合と対立を深めていたはずだ。

 なぜ組合からそんな接触があったんだ?


「私の耳に入らないように、個別に大工のもとを訪ねたようなんだがね、ウチの大工は領主思いの気のいい者たちばかりでね、領主様を裏切るようなマネは出来ないと突っぱねたそうだよ」


 嬉しそうだな、デミリー。


「けど、仕事を斡旋するのではなく、手伝おうかってのが気になるッスね」

「これはあくまで、噂程度の話だと思って聞いてほしいんだけどね――ドブローグ・グレイゴンは今、金を欲しているらしいんだよ」

「初耳の名前だな」

「いや、土木ギルド組合の役員のうちの一人ッスよ!? 二十九区に住む貴族の! 情報紙のあのヤな感じの女記者の親族の!」


 あぁ、そういえばそんな名前だったような気がする。


「おそらく、情報紙の収入が想像以上に減ったんだろうね。それで、姪可愛さにその穴埋めでもしてやるつもりなのだろう。……そんな付け焼き刃じゃ、長くは持たないと思うけれどね」


 情報紙と土木ギルド組合。

 時を同じくして四十二区に攻撃を仕掛けてきたその二つの組織には、グレイゴン家の者が直接的に関わっている。

 相当美味しい餌をチラつかされているのだろう。


 だが、情報紙が思わぬ反撃に遭い売り上げが急落した。

 このままでは反四十二区活動の継続すら危うい。


 そうなれば、ウィシャートにいい顔をしておきたいであろう組合の役員ドブローグはド三流記者を通じて情報紙に援助をするだろう。

 もしかしたら、デミリーの言うとおり、姪にねだられて金を用意しようとしているのかもしれないけどな。


「とはいえ、自分から砂をかけにいって、思いっきりぶっかけ返された相手のところにすり寄るか、普通?」

「おそらく、四十区が一番すり寄りやすかったんだと思うッスよ。四十二区は主敵ッスし、四十一区は、ほら、リカルド様、話し合いってタイプじゃないッスし」


 まぁ、リカルドなら、「ん? 組合に仕事を寄越せ? 知るか!」って突っぱねそうだもんな。


「三十五区は気難しく手強い――と言われているルシア様ッスし」

「やっぱり私は舐められているのかもしれないね」

「いや、デミリー様の評判はいいものばかりッスよ。優しいと評判だから、少々羽目を外しても大目に見てもらえると思ったんじゃないッスかね?」

「これは少し、オオバ君を見習わないといけないかもね」

「じゃあ、まずは発声からだな。おっ、おっ、おぉ~!」

「なんで『お』で発声してるッスか!? その後に続く言葉アレしか思い浮かばないッスよ!?」

「おっぱいデカいなあいうえお! 湯船にぷかぷか浮かんでる!」

「やっぱりだったッス!? で、なんッスか、その文章!?」

「乳繰り合ってるかきくけこ! さりげに『コリコリ』気付かれない!」

「気付かれるッスよ!? あと、かきくけこならせめてカ行でまとめてほしいッス!」

「ささやかおっぱいさしすせそ!」

「まだ続くんッスか!?」

「そこそこ育って、……そのまま止まる」

「エステラさん、ドンマイッスー!」

「決めつけが酷いよ、トルベック君。歯を、食いしばろうか?」


 デミリーに詰め寄られ「いや、オイラはただヤシロさんの思っているであろうことを代弁しただけッスよ!?」とか言い逃れをしている。

 バカだな、俺がそんなこと考えるわけないだろう。


「エステラは、『そこそこ』すら育たない!」

「育ってるんだよ、あれでも! 四歳のころから比べると少しね!」

「マジか!?」


 あれが育った結果、だと!?

 エステラ、昔、貫通してたんじゃ……?


「じゃあ今度確認しとくよ」

「しなくていいよ!? いや、させないよ!?」


 まったく、一体なんの権限があって……


「私はね、オルトヴィーン――エステラの父親に頼まれているんだよ。『娘を頼む』とね」


 さっきまでふざけていた雰囲気は一瞬でなくなり、寂しげな表情でデミリーは言う。


「本当の親友と呼べるのは、彼くらいだったかもしれない」

「ハビエルよりもか?」

「オルトヴィーンとは年齢が一桁の時からの付き合いだからね」


 デミリーとハビエルが出会ったのは十代のころだそうだ。

 ハビエルが木こりとして頭角を現し始め、デミリーが領主になるための勉強をしていたころ。

 そのずっと前から、デミリーとエステラの父親は親友だったらしい。


「彼はいいヤツ過ぎていつも貧乏くじを引いていた。でも、それを恨んだり悔やんだりはしないんだ。いつだったかな――」



『私が貧乏くじを引くことで、どこかの誰かがアタリくじを引けるなら、それはそれで嬉しいんだ。私のささやかな貢献が誰かの役に立ったのならね』



「――そんなことを、楽しそうに話したんだよ。少し、エステラに似ているだろう?」

「あぁ、胸元が特にな」

「見たことないよね!?」

「見なくても分かる!」

「結構いい話したと思ったんだけどなぁ、今!」


 アホ。

 いい話だから茶化したんだろうが。


 ホント、いいヤツだったのだろう。

 いいヤツ過ぎて、領主失格なほどに。


 ……その危うさ、エステラそっくりだ。

 は~ぁ。なんでこんなんで、ちょっとエステラが心配にならなきゃいけないんだか……


 もっとしっかりしろ、エステラ。


「だからまぁ」


 ちゃぽんと、湯を鳴らし、デミリーが濡れた手で顔を拭く。

 表情を隠しながら、言いたいことを言うために。



「エステラをよろしくね、オオバ君。私の宝物なんだよ、あの子は」



 詐欺師に宝を預けるなっつーの。

 それには返事せず、俺はデミリーの手にある物を握らせて、一人でさっさと湯船を出た。


 出口へ向かって歩く俺の背に、手の中の物を見たのであろうデミリーの声が届いた。



「だから、シャンプーはいらないってばっ!」



 その声を無視して、俺は浴場を出た。






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