308話 未熟な部分を見せてもいい -3-

 ジネットたちは今日、新しく出来た服屋を覗いて、マッサージを受け、毛先を整えてもらってきたらしい。

 メイクの店もあったが、そこは覗いただけだったそうだ。

 帰ってから働くつもりでいたから、化粧品の匂いを避けたらしい。


「食べ歩きはしなかったのか?」

「カンパニュラさんと一緒に綿菓子を食べましたよ」

「綿菓子好きだな、カンパニュラ」

「うふふ。雲食べ屋さんになろうとしていたそうですよ」

「あ、聞いたのか、その話」

「はい。素敵なお仕事ですね」


 子供の可愛らしい夢と、ジネットはにこにこしている。

 でもな、その夢割としっかり計画されていたんだぞ? 『雲を食べる』さえ可能だったら一大ベンチャー企業として成功していたかもしれないくらいに。


「ヤシロさん。味見をお願いします」

「ん。……うまい!」

「うふふ」


 料理をして、それでなんだがほっとした表情のジネット。

 やっぱり、毎日やっていることをしないと落ち着かないのかもしれないな。


「すみません」

「ん?」

「なんだか、わがままを言ってしまって」


 美味そうに出来た揚げ出し豆腐とナスの煮びたしを持って、ジネットが恥ずかしそうに眉を曲げる。

 自分でもどうしていいのか分からないくらいに、感情が暴走することはままある。

 それが済めば、ほのかに後悔が顔を覗かせる。

 まぁ、よくあることだ。


「構わねぇよ、別に。俺もわがまま言ってるし」

「そんなことは。……ちなみに、ヤシロさんが自覚されているわがままって、どんなものですか?」


 そりゃあ、こっちの都合で区切りをつけたいとか、その上で再雇用してくれとか、今もこうしてここに俺の居場所があることがもう俺のわがままというか…………


「……いろいろだ」

「わたしは、ヤシロさんがわがままを言っているな~って思ったことないですよ、たぶん」

「パンツの洗濯を手伝いたい!」

「そういうのは除外です」


 ぺこっと、鼻の頭を押された。

 指先に出汁の香りがついてるぞ、ジネット。

 うまそうな指だな。


「じゃあ、明日は煮魚でも作ってもらおうかな」

「うふふ。それはわがままではなく、おねだりですよ。シスターもよくしています」


 いや、ベルティーナのおねだりはもはやわがままの域だろう。

 満足するまでおねだりが続くって、美人で隠れ巨乳じゃなきゃ手が出ているところだ。


 そんなことを考えていると、ジネットが自作の揚げ出し豆腐を一口食べる。

 もくもくと咀嚼し、「なるほど」と呟く。

 こいつ、自分で作った料理を「美味しい」って言ったことあんのかね?

 俺が作るもんよりはるかに美味いと思うんだが、わっしょいわっしょいが出ない。出たためしがない。


「納得してないようだな」

「そうですね……少し、味の印象がぼやけている気がします。もう少しお醤油の量を調整してみたいです」

「俺が作ったのより美味いと思うがな」

「ヤシロさんのお料理は、ヤシロさんの味がしてとても美味しいですよ?」


 俺の味?


「え、もしかして俺、寝てる間に指とか食われてる?」

「し、してませんよ、そんなこと!?」


 顔を真っ赤にして否定する。

 いや、しててくれてもいいんだけど、どうせするなら起きてる時に頼みたい。


「あの、なんといいますか……、一口食べるとヤシロさんの顔が思い浮かぶ、そんな味なんです」


 あぁ、分かる気がする。

 美味い料理を食った瞬間に女将さんの顔が浮かぶ時がある。

 女将さんの味に似ていたからなんだろうが、きっと、本物の女将さんの料理を食えばもっと鮮明に顔が思い浮かぶだろう。


 実際、イベントで外にいても、本人がそばにいなくても、ジネットの料理を食えばジネットの顔が思い浮かんでくる。

 嬉しそうな顔で作ってたんだろうなって、その時の顔が目に浮かぶ。


「わたしは、大好きですよ。ヤシロさんのお料理」


 ……顔が浮かぶから?

 え、なに? 「イケメンってのは罪なもんだぜ」とか言えばいいの?

 言えるか。


「味では太刀打ちできねぇよ、お前の料理には」

「好みの差ですね」

「自分の料理はあまり好きじゃないのか?」

「そんなことはないんですが……お祖父さんの味をしっかりと守れている物は好きです。でも、最近は自分なりのアレンジを加えたものが増えてきて――」


 それはやっぱり、自分の味が好きではないということなのではないだろうか?


「緊張してしまうんです。ちゃんと美味しく出来てるかなって」

「ちゃんと美味いよ」

「なら、嬉しいです」


 祖父さんの味を守りたい気持ちもあるのだろう。

 だが、ジネットは一流の料理人だ。自分の味を追求したい思いもまた、しっかりと心に持っているのだろう。

 研究好きだもんなぁ。

 あぁ、そうか、あれだけ研究して、その都度同じ物ばっかず~っと食ってたら、好きって感情は薄れていくかもなぁ。

 金がなくて、一ヶ月三食全部カレーだったころは、その後二年ほどカレー食いたくなかったしな。


「じゃあ、どうする? この揚げ出し豆腐?」


 ジネットが納得していない味を人に出していいのだろうか。


「今回はお出ししないでおきましょう。ノーマさんの煮びたし、美味しいですから」


 今日はノーマの料理が陽だまり亭のメインだと、ジネットは笑う。

 自分の料理以外認めない! なんて発想はないようだ。

 ただ、新しい料理を教えてほしくて気持ちが先走っちゃった感じだな、今回は。


「じゃあ、これは――」

「二人で処分してしまいましょう」

「……あいやまたれい」

「ストップですよ、お二人さん!」


 厨房にマグダとロレッタが飛び込んでくる。


「……店長が一度作っただけの料理を出すとは思えなかった」

「思った通り、もうちょっと研究したそうな顔してるです」

「……しかしながら」

「あたしたちも気になるです、揚げ出し豆腐!」

「では、まだまだ完成とは言えませんが、一緒にいただきましょう」

「いいのか? 未完成なもの食わせて」

「はい。みなさんは従業員ですから」


 家族の前では未熟な姿をさらしてもいい。

 そんな面持ちで、ジネットが揚げ出し豆腐を小皿に切り分け取り分ける。


「忌憚なき意見をお願いします」

「「うまぁ……」」


 うん、だと思った。


「アタシにも、一口おくれでないかい?」


 ゆらりと、ノーマが厨房へやって来る。


「……あ、さっきまで『店長さんを怒らせちまったんかぃね?』と、ガクブルしていたノーマがやって来た」

「火のついてない煙管をスッパスッパ吸ってたです。手がこんなに震えてたですけど」


 コントかというくらいに手を震わせてみせるロレッタに、「そこまで震えてなかったさね!」とツッコミを入れるノーマ。

 怖かったのは本当なんだ。


「あの、すみません。なんだか、わたし、イヤな感じでしたね」

「いや、そんなことはないけどさ」

「ノーマさんのお料理がとても美味しそうで、ちょっと悔しくなっちゃっただけなんです。本当に、ごめんなさい」

「い、いや、まぁ、そういう気持ち、分からなくもないからねぇ、アタシもさ」

「……と、『美味しそうで悔しかった』と言われて一気に上機嫌になるノーマなのだった」

「また、火のついてない煙管弄り始めたですよ。ここまで分かりやすいと、野生じゃ生きていけないですね、きっと」


 第一人者に認められると嬉しいよな、そりゃ。

 しかも今回は、いつものほんわかした「美味しそうですね」じゃなかったしな。


「ん~、美味しいさね。さすが店長さんさね」


 と、上機嫌で揚げ出し豆腐を食べて絶賛するノーマ。

 やっぱプロさね~。でも、そんなプロに認められたんさよ、アタシは!

 ――みたいな感情が手に取るように分かって、見ているこっちがちょっと恥ずかしい。


「でも、少し味がぼやけていませんか?」

「みりんはどうかぃね?」

「味の輪郭を引き立たせるには塩分ではないかと……」

「柑橘系を添えると味が華やかになりそうじゃないかぃね?」

「それは私も考えたんですが、まずは何もない、このプレーンな状態でベストに持っていくべきではないかと」

「なるほどねぇ。奥が深いさね」

「お出汁で煮込むものは、そうなりがちですよね」


 いいや。

 普通はもっと適当だと思うぞ。

 適当でも美味いもん、煮物。


 こだわり派の二人の密談がヒートアップしていく中、ふと厨房の入口を見ると、そこにカンパニュラがいた。


「どうした? お前も食ってみたいのか?」

「あ、いえ」


 俺に見つかり、すごすごと厨房に入ってくるカンパニュラ。

 その後ろから、テレサがちょこちょこついてくる。ホントに懐いてんな。


「未完成なものを他者に披露するのが躊躇われる気持ちは、私にも覚えがありますので」


 覚えがあるのか、そんなもんに!?

 職人の発想だぞ、それ!?


「ですが……」


 カンパニュラは柔らかく微笑み、ジネットを見つめる。


「家族になら、未熟な部分を見せてもいいのかもしれませんね。お二人を見ていて、そう思いました」


 水まんじゅうみたいな瞳が、キラキラと光を纏ってこちらを向く。


「お二人は、なんだか父様と母様に似ています」

「へぅ!?」


 うん、ジネット。変な声出さないように。

 おそらくあれだ、仕事に関する話を腹を割って話せる感じというか、きっとそういうのだ。

 別に俺らがいちゃいちゃしていたわけでもあるまいし。


「カニぱーにゃのご両親、巨乳と巨乳好きなんです?」

「いえ、母様は……控えめな方で、父様はヤーくんのようなことはあまり申しません」


 よし、カンパニュラ。

 その、俺がいっつもおっぱいの話しかしてないみたいな先入観、なくしていこうか。


「もしかしたら、私はもっと父様や母様にわがままを言うべきだったのかもしれませんね。先ほどのジネット姉様を見て、そう思いました」

「へ? わたしを、ですか?」

「はい。ヤーくんにおねだりされて、とても嬉しそうでしたから」

「へぅっ!? ……そ、そんなことは、あの……」


 こんなガキの発言にいちいち照れるな。

 俺でなくても、お前はわがままを言われるといつも嬉しそうにしてるから。

 ……つか、お前らはいつから覗いてたんだよ、厨房を。


「……帰ったら、私もわがままを言ってみましょうか……」

「じゃあ、カニぱーにゃ! 今からわがままを言う練習をするです!」

「……うむ。わがままは匙加減が難しい。行き過ぎると拳が飛んでくる危険もある」

「奥が深いのですね。私に出来るでしょうか?」

「大丈夫です! わがままのプロであるあたしが教えてあげるです」

「……マグダはわがままの申し子」


 誇るな、そんなプロと申し子。


「ちなみに、今何かしたいことあるですか?」

「……今なら、高確率で叶う」

「では……」


 自身の胸元をぐっと掴み、カンパニュラが遠慮がちに呟く。


「陽だまり亭の大きなお風呂も素敵だったのですが……大衆浴場に、興味が、あります……」


 そのなんとも控えめなわがままに、ジネットが「くすっ」っと笑う。


「では、みんなで入りに行きましょうね」


 初めてのわがままを快く聞き入れられ、カンパニュラの顔がぱぁっと明るくなる。

 そんなわがままなら、いくらでも聞いてやれる。

 よし、じゃあここは俺も一肌脱いでやるか!


「じゃあ、みんなで一緒に入ろうか!」

「ヤシロさんは別です! もう、懺悔してください」


 どさくさに紛れて混浴は……残念、叶わなかった。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る