308話 未熟な部分を見せてもいい -2-

「ただいま戻りました」


 夕暮れが迫るころ、ジネットたちが陽だまり亭へと帰ってきた。

 もっとゆっくりしてくればいいのに、随分と駆け足な休日になったもんだ。


「「「ようこそ陽だまり亭へ」」」

「何事です、この濃ゆい顔ぶれは!?」

「……領主揃い踏み」

「うふふ、私は違うわよ」

「いえ、マーゥル様。領主であるとかないとか関係なく、あなたが一番インパクトデカいんで、そのへん自覚してくれますかね?」

「ちょっと、ナタリア!? 口調! 口調気を付けて! ヤシロみたいに接していいのヤシロだけだから! 君はクレアモナの看板を背負っているんだから特に気を付けて!」

「――と、エステラ様が思っていそうな顔をされていましたよ」

「前触れもなく責任を主になすりつけないでくれるかい!?」


 ナタリアが帰ってくるなり、急に元気になったエステラ。

 なんだかんだ、給仕長がそばにいるって心強いんだろうな。


「今日は領主デーなんだ」

「……ホント、勘弁してほしいッス。全然くつろげなかったッスよ」


 と言いながら、「なんか心配だからオイラも手伝うッス!」と陽だまり亭に残っていたウーマロ。

 仕事はいいのかと思わないでもなかったが、何やらデミリーとこそこそ話をしていたし、おそらく組合を抜けた大工の今後について協議でもしていたのだろう。


 手伝うとか言って、ずっとくっちゃべってるんだもんなぁ。デミリーとウーマロ。


「おい、デミリー。水」

「敬意をどこに捨ててきたんだい、君は!?」


 物凄い勢いでエステラが俺に詰め寄ってくる。


「……ホント、マグダたんや店長さんやロレッタさんがいないと、陽だまり亭は穏やかにならないんッスね。お三人さんのすごさがよく分かったッス」


 今日の営業に終始不満たらたらだったウーマロ。


「マグダ、疲れたろ? 部屋で休んできてもいいぞ」

「待ってッス! オイラは、マグダたんが帰ってくるこの時だけを楽しみに今日という日を生きていたッスよ!? もう少し一緒にいさせてッス!」

「……でも、マグダはお疲れだから。ぺこり」

「労うッス! 今日は一日、マグダたんたちはお休みしててッス! オイラたちで最大限労うッスから! ほら、デミリー様! マグダたんに水ッス!」

「君もかい、ウーマロ!? ヤシロの感染には十分気を付けてね、みんな!」


 エステラがハラハラしてるが、デミリーはどこ吹く風で楽しげに水を汲んで持ってくる。


「あぁ、すみません、デミリーオジ様!」

「いいんだよ。今日は陽だまり亭のウェイターだからね」

「エステラ、本人が楽しんでるんだからお前がそんなハラハラした顔をするなよ」

「そうだよ。エステラは笑っていた方が可愛いからね」

「デミリーにはもう、ハラハラ舞い落ちる『アレ』すらないんだから」

「おぉーっと危ない! 水をぶっかけかけたよ、今!?」


 水差しを振りかぶってデミリーが笑顔のまま青筋を浮かべる。

 わぁ、よく見えるなぁ頭の血管。

 で、エステラ、「かけてもいいんですよ」じゃねぇんだわ。


「戯れも大概にせぬか、カタクチイワシ」

「そうね。年長者に対する敬意はなくしちゃダメよ、ヤシぴっぴ」

「あはぁ……怒るエステラ様も勇ましくて美しい……」

「協調性を発揮してください、トレーシー様!?」


 今日半日ギルベルタとシンディにしごかれて、ネネの動きが冴え渡っている。

 ナイスツッコミだ。タイミングが素晴らしかったな。


 それはそうと。


「デミリー、なんか怒られたから謝るよ」

「怒られたから、なんだね。まったく君は……」


 くつくつと笑い、「まぁいいよ。それでこそオオバ君だしね」と笑って許してくれる。


「さぁ、お客様。お席へどうぞ」


 デミリーが言うと、ルシアとトレーシー、マーゥルが椅子を引いて陽だまり亭三人娘に着席を促す。

 ジネットは恐縮し、ロレッタは震え上がり、マグダは「……うむ」と受け入れる。

 大物だな、マグダは。


「では、お嬢さんレディには私が」

「そんな、恐れ多いです」

「いいんだよ。こういう触れ合いも、私たちには楽しいものなんだ。遊びに付き合っておくれ」

「では……、ありがたく」


 デミリーが引いた椅子にカンパニュラが腰を下ろす。

 完璧なタイミングで椅子を押すデミリー。

 さすが、毎日やってもらってるとどのタイミングがいいのか分かるんだな。


「素晴らしいエスコート、ありがとうございますミスター・デミリー。身に余る光栄です」

「あはは。レディは難しい言い回しを知っているんだね。これなら、いつでも社交界にデビュー出来るね」


 デミリーがカンパニュラの頭をぽんぽんと撫でる。


「……ハビエルが感染?」

「してないよ、マグダ君。滅多なことは言わないでね」


 親友の病はノーサンキューなのか。

 向こうもお前とお揃いはノーサンキューだと思うぞ。


「では、エステラ様」


 ナタリアがエステラのそばに立ち、椅子の背に手を添える。


「さっさと椅子をお引きなさい、店員」

「ここぞとばかりに主をアゴで使おうとするのやめてくれるかい!?」

「店員の教育がなってませんね、この店は。悪評をバラ撒いてやりましょうか?」

「情報紙みたいなこと言わないの!」

「では、情報紙には絶対掲載されないような卑猥な発言を――」

「口を閉じて! で、椅子引いてあげるからさっさと座れば!?」


 乱暴に引かれた椅子に、ナタリアは優雅に腰を降ろす。

 帰宅組が着席すると、給仕たちが厨房から料理を運んでくる。


「あの、これは?」


 テーブルに並べられる料理を見て、ジネットが俺を見上げて問う。


「たぶん飯を食わずに帰ってくるだろうと思ってな、ノーマに言って用意してもらったんだ」


 ジネットが不在だったため、今日はシェフのおすすめ定食一本での営業になっている。

 注文は受けていないが、これしかないので出してしまおうというわけだ。

 そう説明するが、ジネットはいまいちすっきりとしない表情をしている。

 ん? なんだ?


「とりあえず、ヤシロに教わった通りに作ったけど、店長さんに食べてもらうと思うと緊張するさね」


 厨房からノーマが出てくる。

 ノーマの料理は美味いが、ジネットに振る舞うとなると多少なりとも緊張するようだ。


「教わった……」


 おまかせ定食を見つめ、ジネットがぽつりと呟く。

 そして、俺を見上げおまかせ定食を指さして、先ほどと同じ言葉を口にする。


「あの、これは……?」

「ん? いや、だからおまかせ定食で、今日はこれしかメニューが――」

「そうではなくて、これです。この小鉢の」


 ジネットが指さしているのは定食ではなく、その中の一品。

 小鉢に入った料理だった。


「あぁ、ナスの煮浸しだよ。味が染み込んでて美味いぞ~」


 ちょっと食いたくなってノーマに教えたんだが、これが想像以上に美味く出来てな。ナスがいいんだろうな。ハムっ子農場の野菜は、野菜の旨みがぎゅっと濃縮されて――


「……にびたし」


 ジネットの顔から、すとーんと表情が抜け落ちる。

 え?

 なに?

 ナス嫌い? そんなことないよな?

 ジネット好き嫌いないし。

 え、なに、その表情?


「わたし……」


 ぷるぷると肩を震わせて、ジネットが瞳を潤ませる。


「にびたし、教わっていませんっ」

「え、そうだっけ?」

「はい!」


 あれぇ?

 そうだったかなぁ?


「でもまぁ、簡単な料理だから……」

「簡単な料理こそ、料理人の腕が生きるんです!」


 なんかめっちゃ怒られてない、俺!?

 なにこの圧!?

 この息苦しさ!?

 まるで俺が浮気でもしたみたいに!


「分かった! うっかりしてたんだ! 今度、いや、この後ジネットにも教えるから!」

「…………はい。おねがい、します」


 なんかめっちゃへこんでるぅ!?


「…………うぅ、美味しいです」


 ナスの煮浸しを一口食べて泣いてるぅ!?


「わたし、ここ最近はナスと言えば麻婆茄子ばかりが浮かんで……こんな美味しい食べ方があったなんて考えもしないで……」


 何に対する反省なのか、ジネットが自分を責め始める。

 挙句に――


「……もし、今日お出かけをしていなければ……」

「待て待て待て! お出かけは関係ない!」


 マズい!

 これがトラウマになったら、ジネットはもうどこにも遊びに行かなくなるぞ!?

 女子だけで楽しく遊びに行くとか、今後も頻繁にやればいいと思っていたところなのに。


 そして、周りからの視線がめっちゃ冷たい!

 俺のせいか!?

 俺のせいかぁ、ちきしょうー!


「ジネット! 実はな、煮浸しにはナスと並んで最強の食材があるんだ!」

「さいきょう、ですか?」


 魂が抜けて、言葉が全部ひらがなに聞こえるよ!?


「今から、大至急、それを作ってくれないか? 思い出したら無性に食いたくなってきた! いや、今すぐ食わないと死んでしまうかもしれない!」

「そ、そんなに美味しいんですか?」


 ん、少し漢字が戻ってきた感じがする。


「そ、それは、なんという食材なんですか?」

「豆腐だ」

「お、とうふ? ナスにもお豆腐にも合うだなんて、それこそまるで麻婆のような…………いえ、ですがとろみがあり食材に絡む麻婆とは異なり、お豆腐にはこのナスほどお出汁が染み込むとは……」

「ただの豆腐じゃない! ――揚げ出汁豆腐だ」

「あ……あげだしどうふ!?」


 ジネットが立ち上がり、俺に詰め寄ってくる。


「そ、それは、どのようなお豆腐なんですか? 出汁が染み込むようになるんですか!? あげだし……揚げ……はっ! 一度お豆腐を揚げるんですね!? でもどうやって? 素揚げだと、おそらくそこまで変化はないような…………あぁ、ヤシロさん! わたし、知りたいです!」

「よし、じゃあ厨房に行こう! で、料理しながら今日あったことを聞かせてくれ」

「はい! すごかったんですよ。街がすごくキラキラしていまして――」


 危うく泣きかけたジネットの顔に笑顔が戻った。


 もう、いっそのこと「なんでノーマさんが先に!」とか、分かりやすく怒ってくれれば逆にやりやすいのに、ジネットは誰かに怒るなんてしないからなぁ。

 ……つか、泣くなよ。

 お前は自分以外の誰かが美味いものを作ると悲しいのか?


 ……いや、まぁ、分かってるけどな。

 でもさ、別にさ、いいじゃん?


 俺が誰か他のヤツに美味い料理を教えたって…………あぁ、もう。


 マグダとロレッタが若干にやにやしていたような気がして、俺はなんとも言えない居心地の悪さを覚える。

 ったく、ジネットは、まったくもう。






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