307話 未来を担うお子様 -4-

「へぇ~、大したもんさねぇ」


 応援に駆けつけてくれたノーマが、テレサの動きを見て感嘆の息を漏らす。


「まだまだ拙いけれど、給仕の動きになってんじゃないかさ」


 ルシアが移動する度に、ルシアの斜め後ろについて移動するテレサ。

 立ち位置や歩幅、歩く時の姿勢や足音の大きさなど、細かい指摘がその都度ギルベルタから入る。

 結構厳しくないか?


「余裕があるなら見るべき、ルシア様の表情を。役に立つ、この次の行動を予測するのに」

「ぁい。あぃがとごじゃましゅ!」

「『は・い』と、言うべき」

「は・い。……はい!」

「よく出来ている。とても偉い子、テレサは」

「ぇへへ」

「そこで顔を緩めては給仕失格」

「はい!」

「いや、ギルベルタよ。テレサたんのはにかみはもっと見たいぞ」

「注意が必要、ルシア様のご病気は、誘発しないように」

「私にも厳しくしていないか、ギルベルタよ!?」


 いいじゃねぇか。

 何より厳しくするべきなんだよ、お前には。


 勉強をすると言っても、なにも座学がすべてではない。

 実地研修も勉強の一環だ。

 経験は、様々なことを教えてくれる。


 厳しそうに見えるギルベルタの指導も、きちんとテレサを見て、テレサに合わせた難易度で行われているのが分かる。

 実際、テレサは真剣ながらもとても楽しそうだ。


「どうじょ、おかけくしゃしゃい、るしあしゃ!」

「あはぁ、可愛いっ!」

「このようにすぐに座らない時は、圧力をかける、視線で、無言で、容赦なく」

「目が怖いぞギルベルタ!? 今まで、そんな目をしたことはなかったではないか!?」


 いいから早く座れよ。

 お前は、テレサの研修のための道具なんだから。

 きりきり動け。


「少し遅い、椅子を押すのが」

「はい。……もうコンマななびょう、はやくしてみましゅ」

「では、立ってほしい、ルシア様」

「なんか、私は今アゴで使われてないか?」

「いいじゃねぇか、どうせ暇なんだろ?」


 薬学講習会は明日だというのに、前日から乗り込んできたルシア。

 今日はきっと暇なのだろう。


「私に暇な時間などあるか。こうしている間も、ウィシャートに対抗する策を常に考えておるのだ」

「ほぅ、何か思いついたのか?」

「今のところ、決定打になる策はないな」

「下手の考え休むに似たりって言葉があってな」

「ふん。常に考えておくことが、一瞬のチャンスを物にする秘訣なのだ。脳細胞は常に回転させておかなければ、突発的状況に対応できなくなるのだぞ。女の乳のことしか考えていない貴様には分からんだろうがな」

「なるほどねぇ。だからヤシロのおっぱいセンサーはあんなに感度がいいんさね。いつもフル稼働だからねぇ」


 くつくつと、ノーマが笑う。

 そんな敏感な俺のおっぱいセンサーに、笑った時の微かな振動で細かく揺れるお前のおっぱいがロックオンされてるぞ。どうもありがとう。いつもありがとう。


「それにしても、テレサの成長速度には驚かされるよね」

「うぉう、びっくりした! いたのかエステラ。おっぱいセンサーにまったく反応がなかったから……」

「テレサ~、こういう不届き者を黙らせるのも給仕長の仕事だよ。試してみて」

「いや、あんたんとこの現役給仕長が怠ってる仕事じゃないかさ。テレサに教える前にナタリアにお言いよ」


 それを聞かないのがナタリアなんだよ。

 あいつが率先して領主に失礼を働いているからな。


「とにかく、ルシア。お前はテレサの勉強の補佐だ。イヤならウェイトレスとして働け」


 いつもふんぞり返って座っているのがルシアだ。

 働けと言われて働くことはないだろう。


 そう、思ったのだが。


「うむ。いいだろう。今日はジネぷーがおらぬようだし、カタクチイワシとエステラでは不安が多いだろう。ノーマたんが気の毒なのでな、私も手伝ってやろう」

「いや、余計不安要素が増えるさね……」

「そんなこと言う尻尾はこれか!? もーふもふもふもふ!」

「ぅひゃぁああああ!? 尻尾を揉むんじゃないさよ!」


 両腕を振り上げてルシアを追い回すノーマ。

 ルシアが速い!? 巧みにノーマの追撃を回避している。

 くっそ、ルシアが「うふふ、つかまえてごらんなさ~い」みたいな満たされた顔をしているのがムカつく!


「るしあしゃー! おうちで、はしっちゃ、めっ!」


 走り回るルシアとノーマが、テレサの声で動きを止めた。

 だるまさんまでもが転ぶのを忘れそうなほどの「ぴたっ」っとした静止だ。


「よく言えた思う、私は。いい子、テレサは」


 頬っぺたをぷっくりと膨らませるテレサの頭を撫でるギルベルタ。

 そして、はしゃぎ過ぎの主を見て一言。


「いけない、手を煩わせては、こんな幼い少女の」

「「す、すみません……」」


 ギルベルタの気迫に、ルシアとノーマが揃って頭を下げる。

 ダメな大人が、出来のいい子を見習ってんじゃねぇよ。

 模範になれよ、大人なんだから。


 テレサには、なるべく悪い見本は見ずに大きく育ってほしいものだ。

 ……と、思った矢先に。


「エステラ様! あなたのトレーシー、明日のラブラブ講習会を待ちきれずに、前日から四十二区入りしてしまいました!」

「トレーシー様! ですから、明日の薬学講習会に参加するのは私で、トレーシー様は参加なさらなくてもいいのですよ!?」

「参加してはいけないという決まりはありません。それよりもネネ、宿の手配を」

「も~ぅ! 行けばいいんでしょう、もう!」

「あぁ、ネネ。いいよ。ウチに泊まればいいから」


 エステラに飛びつき、床に根を生やし始めたトレーシー。

 エステラも諦めの境地なのだろう。ネネを労う余裕を見せる。

 トレーシーの被害者同士、シンパシーを感じているのかもしれない。


「いつもご迷惑をおかけして申し訳ございません、エステラ様」

「いや、いいよ。ネネも大変だね」

「ねね、しゃ?」

「おや、テレサさん、でしたか? 区民運動会ぶりですね」


 おぉ、ネネすげぇ。

 あんまり絡んでない四十二区のガキんちょの名前をうろ覚えとはいえ覚えていたのか。


「テレサさんのお姉様の初恋には、ドキドキさせていただきました」


 朱が差す頬を押さえ、身をよじるネネ。

 あぁ、そうか。バルバラがパーシーに惚れた瞬間は恋バナ的に一部で盛り上がったようだな。ネネもそーゆー話が好きなのか。


「ねねしゃは、きゅーじちょー?」

「はい。トレーシー様付きの給仕長を任されております」

「あーしも、きゅーじちょーの、ぉべんきょーちゅうなの」

「そうなのですか? それは将来が楽しみですね。お勉強、頑張ってくださいね」

「はい!」


 いいお返事に、ネネがテレサの頭を撫でてやる。

 ――が、いいのか?


「ネネ。テレサは天才と呼ばれる人種だ。こいつに頑張られると、あっという間に追い抜かされるぞ」

「へ? いや、まさか。さすがにこんな幼い子に……」

「ネネ。15689×3364は?」

「は? ……え、えっと、……紙とペンをお願いできますか?」

「テレサ。15689×3364は?」

「52777796っ!」

「天才ですか!?」


 そうなんだよ。

 俺でも今の暗算は無理だもん。


「あのね、ねねしゃ」

「な、なんですか、テレサさん?」

「とれーしーしゃ、おようふく、ちれぃ、だから、ね? はんかち、しいてあげると、いい、ょ?」

「はぅっ!? それは、私が真っ先に気付かなければいけないことではないですか!?」

「勝手に敷かせてもらった、ハンカチを、悪いとは思いつつ、歓談中だったから」

「ギルベルタさんにまでご迷惑を!? も、ももも、申し訳ありません! 私がどんくさいせいで綺麗なハンカチを汚させてしまって! 新しいものを購入してお返しいたします!」

「いい、気にしなくて。お互い様、困った時は」

「ギルベルタさんが困った時に、ヘルプに入れる自信がありません!?」


 それはそれでどうなんだろうなぁ、給仕長として。


「では、ネネとやら。そなたもテレサたんとともにギルベルタの特訓を受けてみてはどうだ? どうせ、明日までここにいる予定なのだろう?」

「えっと……ですが……」


 ネネの視線がトレーシーへ向かう。


「よいのではないですか。よく分かりませんが。私のことは気にしなくて結構ですので」


 エステラに夢中でぜ~んぜんネネのことを気にかけていない。

 あ~ぁ、ネネが膨れた。


「では、トレーシー様はご自分の世話をご自分でなさってください!」


 ぷん! と、そっぽを向いて、ギルベルタに頭を下げるネネ。


「不束者ですが、よろしくお願いいたします」

「承知した。精一杯教える、私が先輩から教わったことを」


 こうして、ギルベルタの給仕長基礎講座が臨時で開かれることになり、いつもそばにいる給仕長がいなくなった領主が三人余った。


「じゃ、お前らは陽だまり亭のウェイトレスな」

「ヤシロ……不安要素の密度がすごいさね……」

「大丈夫だ。夕方にはジネットも帰ってくる。……真面目に働かなかったヤツには相応の『おしおき』が待っていることだろう」

「働きます! エプロンをお借りしますね!」


 トレーシーの動きがベテランウェイトレスのようだ。

 期間があいても、体が覚えているもんなんだなぁ。


 というわけで、本日の陽だまり亭は『どきっ! 領主だらけの一般食堂~ノーマもいるよ☆~』というスペシャル営業となった。


 ……客、逃げ出さないかな?






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