306話 守りを固める準備 -3-
その日の夜。
日中ずっと陽だまり亭懐石を作っていたジネットだったが、時間が出来る度に二階へ向かい、カンパニュラの寝床を整えていた。
客室が余っているので、デリアとカンパニュラにはそこで寝てもらう予定だったのだが……
「えへへ~」
閉店間際、ジネットの表情筋が融解している。
カンパニュラがな~んかもじもじしてるな~っと思ったら、「デリア姉様と一緒なので心細くはないのですが……あの……出来ればジネット姉様とももっと仲良くなりたくて……」と、ジネットと同じベッドで寝たがったのだ。
デリアは頼りになるが、母親のようは優しさという面ではジネットの方がルピナスに似ているのかもしれない。
今日一日で、随分とジネットに懐いたように見える。
「あたいも店長と一緒ならいいぞ」と、デリアも一緒に寝ることを了承している。
まぁ、さすがにベッドに三人は無理だろうから、デリアは床に布団を敷いて寝ることになるだろうが……なんか、修学旅行みたいで楽しそうだな。俺も混ぜてくれないだろうか? ……くれないんだろうな、どうせ。
と、そんなわけで、カンパニュラに指名されたジネットはそれ以降ずっと表情筋がゆるゆるになっているわけだ。
折角準備した客室の用意がすべて無駄になったというのに、不満の一つもないらしい。
可愛くて堪らないのだろう。
あ~ぁ、後ろから抱きしめちゃったよ。
あんなにベタ甘なジネットも珍しいな。
教会のガキどもには甘えさせてやってるが、「自立心を育めるように」となんでもかんでもをやってやるわけではない。
自分でやるべきことは自分でと、ジネットはそういう接し方をしている。
……まぁ、それでもねだられればやってしまうのだが。
「随分と甘やかしてるな」
「はい。初日ですので、特別です」
「なるほど。初日だから特別に甘やかしたくて仕方ないわけか」
「はい。えへへ~。ごめんなさいね、カンパニュラさん」
「いえ、嬉しいです。ジネット姉様大好きですから」
「わたしもですっ」
あ~ぁ、ここまで壊れたジネットも珍しい。
やっぱり利発な子って大人に刺さるよなぁ。
「はぁ、今日はいい一日でした。陽だまり亭懐石はたくさん作れましたし、足つぼもたくさん――カンパニュラさんが来てくれたおかげかもしれませんね」
「私も、今日という日は楽しいことがいっぱいでした」
こいつのこれが、ムリしてるんじゃなくて自然と口から出てくるんだからなぁ……恐るべし九歳児。
「明日は教会に連れて行くから早起きになるぞ」
「はい。早起きは得意です」
本当だろうか。
見た感じ、日中ずっと眠たそうに見えるんだが。あの水まんじゅうのような目のせいで。
「マグダ、ロレッタ~」
「……颯爽とマグダ見参」
「呼んだです、お兄ちゃん?」
今日はロレッタも泊まっていくことになっているので、閉店作業を手伝わせる。
その前に、一日の疲れを落とすバスタイムだ。
「カンパニュラを風呂に入れてやってくれるか?」
「……任せて。マグダ秘蔵のお風呂人形を貸してあげる」
「みんなで一緒に入るです!」
「おう、あたいも入るぞ。店長も入るだろ?」
「そうですね。では、今日はみんな一緒に入りましょう」
「しょーがねぇーなぁ~」
「お兄ちゃんは別ですよ!?」
「……ぷぅ!」
「膨れても可愛くないですよ!?」
「いえ、待ってくださいロレッタさん! この、そうです、この角度から見ると……」
「店長さんのそれは疲れ目です!」
なかなか酷いことを言われている。
俺が可愛く見えると疲れ目なのか。
……ロレッタ、風呂場で滑って尻に青あざ作れ。
「ただし、カンパニュラは熱いお湯に入ると指先がチクチク痛むから、ゆっくりとな」
痛むと言ってもずっとではない。
最初だけ我慢すれば徐々に慣れていくだろう。
「一応、風呂の前にマッサージをして血行をよくしておくが、ゆっくり入れてやってくれ」
「あの、ヤシロさん。マッサージというのは、足つぼですか?」
おぉーっと、ジネットがキラキラした目をしている!?
「あぁ……まぁ、カンパニュラは子供だから、な? 分かるな?」
「はい。優しくやります!」
ん~……やるつもりだわぁ、この魔神。
「カンパニュラ。痛かったら右手を上げろ。死ぬ気で引き剥がすから」
「酷いです、ヤシロさん。痛くなんてしませんもん」
各区の大男をギャン泣きさせておいて、どの口が言うんだ?
見ろ、デリアでさえ一歩お前から遠ざかったじゃねぇか。
「さぁ、カンパニュラさん。まずは足湯からですよ。マグダさんは閉店作業を、ロレッタさんはお風呂の準備をお願いできますか?」
「……分かった」
「任せてです」
ジネットの指示に頷いた後、マグダとロレッタはカンパニュラの肩にそれぞれ手を置く。
「……絶対に、また会えると信じている」
「時には逃げるのも勇気ですよ」
足つぼ魔神は止められないと悟り、生け贄を差し出す二人。
お前らも大概酷いよなぁ。下手なこと言うと自分に矛先向きかねないもんな。
「デリアさんは、カンパニュラさんが不安がらないように一緒にいてあげてくださいね」
「え……あ、あぁ…………まかせ、とけ」
なんか、デリアの方がめっちゃ不安そうなんだけど?
出来たら逃げ出したい感満載なんですけども!?
「ではヤシロさん。末端冷え性に効くつぼを教えてください」
「つぼというか、マッサージなんだがな――」
こうして、俺はジネットに付きっきりで末端冷え性解消のためのマッサージを教え込んだ。
カンパニュラが人間不信に陥らないように、細心の注意を払いつつ。
やはり、足湯で痛みを訴えたカンパニュラ。
湯の温度を下げてじっくりと足先を温める。
そして、オイルを塗ってマッサージを始める。
足首をほぐして、足の指の間に手の指を入れて、じっくりと、じんわりと揉みほぐしていく。
つま先をつまむように揉み、あとは血行促進のつぼを教えていく。
「あ……気持ちいいです。上手です、ジネット姉様」
「ありがとうございます」
意外にも、ジネットの足つぼは優しかった。
俺が教えたとおりに、丁寧に、ゆっくりと、カンパニュラを救おうと懸命に指先を動かすジネット。
これなら、明日以降も任せて大丈夫かもな。
で、こうして足つぼをさせておけば、犠牲者も少なくて済むだろう。
「……店長、閉店作業完了し…………カンパニュラ、生きてる?」
「平気ですよ、マグダさん!? ……もぅ」
真顔でカンパニュラの安否を心配したマグダに、ジネットが頬を膨らませる。
「お兄ちゃん、お風呂入れてきたで……」
カランコロンカラァーン……ァランァラン……コロコロ。
木桶が落下して騒がしい音を鳴らす。
「だ、だだだだ、大丈夫です!? 我慢してないです!? 意識はあるです!?」
「もぅ! ロレッタさんも酷いです!」
至って真面目にしているジネット。だが、周りはそれを信じてくれない。
日頃の行いって重要なんだなぁ。
「はい。おしまいです」
「ありがとうございました、ジネット姉様。おかげで足先がぽかぽかしました」
カンパニュラは嬉しそうにジネットに飛びつく。
……これなら、ホームシックは平気そうか?
ジネットに視線を向けると、俺の視線に気付いたジネットが眉を曲げて小さく首を振った。
あぁ、そうか。それはガキが寂しい時にする甘え方なのか。
今夜は夜泣きが大変そうだ。
カンパニュラは、きっとジネットに気付かれないように泣こうとするだろうからな。
「ジネット。よろしくな」
「はい。任せてください」
「デリアも」
「ん? あぁ、大丈夫だ。カンパニュラのことは、赤ん坊の時から知ってるからな」
デリアも、ジネットに似た瞳をしていた。
この二人がいれば大丈夫だろう。
そう思える安心感があった。
陽だまり亭が閉店し、全員が風呂から上がった後、俺の部屋のドアが控えめにノックされた。
「ヤシロさん、こんばんは」
「そんな、改めてあいさつせんでも……」
濡れた髪で、ジネットが俺の部屋へやって来る。
「入るか?」
「いえ、あの……」
ちらりと、視線がマグダの部屋へ向かう。
当初は、カンパニュラは客室で寝てもらう予定だったので、この時間にカンパニュラの体について説明をする予定だったのだが――
「今、マグダさんとロレッタさんが着替えを手伝ってくださってるんです」
「じゃあ、もうすぐ出て来るな」
「はい。それで、今日はずっと一緒にいましょうねとお約束してしまいましたので……」
俺との約束は反故になる。
って、そんなこと気にすんなっての。
「カンパニュラの体はよくなる。レジーナがいるし、俺も協力する。ジネットのマッサージもあるし、大丈夫だ」
「そう、ですか……よかったです」
毒の件は、また日を改めでいい。
「今は、カンパニュラが寂しがらないように頼むな」
「はい。そういうのは得意なんです」
頼もしく笑って、ジネットが頭を下げる。
廊下の向こうからジネットを呼ぶ声がして、ジネットはそちらへ行ってしまった。
閉じられたドアを見つめて思う。
濡れた髪のジネットを室内に招くのは危険だ。
この距離でも、結構理性を試された。
「説明するのは、昼間にしよう。そうしよう」
そんなことを考えて、ベッドに潜り込んだ。
それから数時間が経ち、深夜。
なんとな~く眠れなくて中庭に降りてみれば、ジネットの部屋からランタンの明かりが漏れていた。
明日は、ジネットをゆっくりさせてやらなきゃな。
中庭に立って、窓から漏れる揺れる光が消えるまでぼ~っと見つめていた。
明かりが消えたのは夜中の二時頃だった。
それを確認して、ようやく俺のキャラバン行脚は終わったような気になれた。
もっと軽い気持ちで出向いたのだが、随分と重い話を持ち帰ってしまったものだ。
ウィシャートは危険だな。
貴族連中が牽制し合う権力闘争の渦中に飛び込んでいくつもりなんかさらさらなかったってのに……
「やっぱ、潰しとくか」
つぶやいた声は少しだけ肌寒い風に紛れて夜の闇に消えていった。
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