306話 守りを固める準備 -2-

 各区への手紙と諸々の日程調整のために館に戻るというエステラと別れ、俺は一人で陽だまり亭へ戻ってきた。


「ふぐぅー!」


 ドアを開けると、とんでもない悲鳴が聞こえてきた。

 ふと見ると、足下にデボラが倒れている。

 ……何してんだ?


「あ、お帰りなさい、ヤシロさん」


 つやつやした表情のジネットが厨房から出てきて、その後、のっそぉ~っとイネスが這うようにして出てくる。

 ……足つぼ?


「噂の足つぼがどのようなものか、興味があったのですが……」


 凜としたクール系美女であるイネスがよれよれになりながら、今自分が体験してきた事象の恐ろしさを体現するようにぷるぷる震えている。

 なんで怖い物見たさで魔神を復活させるようなマネするんだよ……


「お二人とも、すごくお疲れのようでしたので、よく眠れるつぼを押しておきました」


 うん、よく眠れてるようだな、……デボラ、ピクリとも動いてないし。


「あの殊更痛かったのが『二度と目覚めないつぼ』だったのですね……」


 違う違う。よく眠れるつぼとソレはまるで別物だから。

 まぁ、結果は同じなのかもしれないけれども。


「話し合いは終わりましたか? ……このような姿勢で恐縮ですが」


 カウンターにしがみつくような格好で床にへたり込んでいるイネス。

 そんな体勢しか維持できないような状況で業務に戻ろうとするなよ。


「とりあえず、給仕長と、給仕長が推薦する使えそうな人物数名を集めて薬学の講習をすることになった」

「そうですか。では、主様双方に伝えておきます」


 双方って……、マーゥル、いつからお前の主になったの?


「場所はたぶん四十二区になる。あいつ、出不精だから」

「それは問題ありません」


 二十九区は近いからな――と、思ったが理由はそれだけではなかったようだ。


「『リボーン』の影響で、四十二区を見たがっている者は多いでしょうし。領主から離れて四十二区に来る機会というのはそうそうありませんから」


 給仕長が他区に行く時は、領主の付き添いという場合が多い。

 領主抜きで、少し自由時間を堪能する機会なんてのはないんだろうな。


「まぁ、ゲラーシー様はついてこられるでしょうけれど」


 めっちゃしかめっ面になってるけど、大丈夫かイネス?

 え、なに? マーゥルと接するようになってゲラーシーの株がガッスガス下がってる感じ?


「ちなみに、本日私がこうしてゆっくりしていられるのは、ゲラーシー様が『今日は綿菓子の練習をする! 邪魔するなよ!』と私室に閉じこもっておられるからなのです」

「何やってんの、あのバカ?」

「コメツキ様に自慢したいそうですよ。完璧な綿菓子を見せつけて見直させてやる――と、よく分からないことをほざいておられましたし」


 わぁ、敬意をどこかに置き忘れてきたっぽい発言。


「絶対に見直さないし褒めないし驚かないから、そのくだらない練習やめさせてこいよ」

「いえ、練習時間が長くなると、私の自由時間が増えますので」

「こんなにも領主から目を離す給仕長って、俺他に知らねぇわ」

「シンディ給仕長も『マーゥル様のペースにはお付き合いしきれません』と、無理なものは無理と割り切っておられますよ」


 アグレッシブ過ぎるからなぁ、あのオバハンは。

 シンディももう高齢だし、全部に付き合うのはキツいだろう。


「シンディ給仕長は、素敵やんアベニューのエステに会員登録され週二で通うつもりだとおっしゃっておられましたし。お忙しいのでしょう」

「そういや主従揃ってアグレッシブだったな、あそこは!?」


 もう会員登録したのかよ!?

 素敵やんアベニューの本格始動ってこの前だったよな!?



 あ、そうそう。

 キャラバンで各区を回る直前、素敵やんアベニューは正式にオープンした。

 アホ領主のせいで完成が延び延びに延びていたが、ヤンボルドを送り込んだ途端にさささっと完成した。

 四十一区の大工も組合を抜けたばかりで、未来に対する漠然とした不安があったのだろう。今まで以上にやる気に満ちていたらしい。

 なんというかこう、「もう腹をくくるしかない!」的な?

「仕事を一つ一つ完璧にこなして、信用で仕事を得るんだ!」的な気迫があったとウーマロが言っていた。


「そうでした。コメツキ様に一つお願いが」

「素敵やんアベニューには女友達と行ってくれ」

「……まだ何も申し上げておりませんでしたのに」


 言われんでも分かるわ。

 この流れで、そんなキラキラした目で見られたらな。


 普通の買い物でも、女物の店に入るのは抵抗があるってのに、エステやヘアサロンについて行くなんて無理だムリ。リームー。

 大衆浴場だったらご一緒してもいいけどな☆


「では、今度ご一緒しませんか?」

「いいのですか、店長さん」

「はい。わたしも行ってみたいと思っていましたし」

「んじゃ、そん時は俺が留守番してるから、マグダとロレッタも連れて行ってやってくれ」

「え、ヤシロさんは行かないんですか?」

「俺は素敵女子を目指してないからな」


 素敵やんアベニューは『女性が素敵になれる街』がコンセプトだ。

 メンズエステやジムのような場所は用意されていない。

 男が行ってもすることがほとんどない。

 飲食店も、女子受けを狙ったものが多いしな。


「たまには女だけで気兼ねなく羽根を伸ばしてこいよ」


 男が混ざると、やっぱちょっと違う感じになるだろうし。

 買い物をするにしても「待たせてる」って負い目が無意識のうちに芽生えるかもしれない。

 おそらく俺は、素敵やんアベニューでは心底楽しむことは出来ないだろうからな。


「現状、ほとんど俺が提案した内容ばかりだからな」


 体操もマッサージもエステもヘアサロンも、俺が基本的な技術を伝授した店ばかりだ。

 ファッションに関してはウクリネスやマーゥルなんかの意見も取り入れているが。

 あと、カフェで出されるスイーツや軽食にも俺は口を出している。


 ……だって、リカルドがまったく分かってないからさぁ!

「あぁもう! そうじゃねぇよ、貸せ!」って感じでいろいろと……


 なので、目新しいものもない状態だ。


「もう少し落ち着いたら、視察に行くから、その時は同行を頼むよ」

「はい。わたしでよければいつでも言ってくださいね」


 ジネットとしては、一緒に行くことが重要で、自身のブラッシュアップは二の次なのだろう。

 お出かけの予定くらいいくらでも入れればいい。街も店も逃げはしないのだから。


「では、クーポン券のために『リボーン』を購入しなくてはいけませんね」

「いや、お前、二号も腐るほど購入済みだろうが!?」

「ですので、クーポン券を使う用の『リボーン』を購入するんです」

「どんだけ保存用を置いておくつもりだよ!?」


 なに? 二十年ほど寝かせてネットオークションに出品でもするの?

 お前は転売屋か何かか?


「ヤーくん。お水です」


 エプロンを着けたカンパニュラが、俺のもとへ水を持ってやって来る。

 近くのテーブルに座れば、目の前にコトっと静かにコップを置く。


「ありがとな」

「えへへ。マグダ姉様に教わりました。コップを置く時は静かに、水面を揺らさないようにと」


 そんな高度なことを九歳児に求めるなよ。

 水面を揺らさないようにって……


「悪い例は、その……ロレッタ姉様だと」

「だから、それはあの嫌な記者さんの時だけですってば!? 普段はにこにこ笑顔で優しぃ~くお水置いてるですよ」

「……ロレッタのマネ」


 と言いながら、マグダが水の入ったコップを「たんっ!」っとテーブルに叩き付けるように置く。

 あぁ、やってたやってた。

 そうか、今はそれでいじられてるのか。

 よかったなぁ、ロレッタ。新しいオモチャ要素が見つかって。


「マグダさん、ロレッタさん。今度一緒に素敵やんアベニューに行きませんか?」

「店長さんと一緒にですか!? 行きたいです!」

「……お店は?」

「ヤシロさんが店番をしてくださるそうです」

「えっ!? お兄ちゃん行かないですか!?」


 さっきまで厨房の中に籠もっていたマグダたち三人は、その話を聞いていなかったようだ。

 中でカンパニュラにいろいろ教えてやってたのかもな。


「お兄ちゃんとも一緒に行きたいです」

「そうだなぁ、俺としても、マッサージ屋で『え、それって下着!?』くらいの薄いマッサージ着を着てオイルでぬるぬるてかてかになったロレッタの尻を近くで観察してみたかったんだが……」

「ほにゃぁああ!? そんなことになるですか、マッサージ屋さん!?」

「大丈夫ですよ、ロレッタさん。個室だと伺っていますし、施術師さんは女性限定だそうですから」

「よかったです……いや、女性といえど……むむむ……」

「俺も一緒に行こうか?」

「今回はお兄ちゃんはお留守番でお願いするです!」


 とりあえず様子見をしたいようだ。

 あぁ、行ってこい、行ってこい。


「……ヤシロ」

「ん?」

「……陽だまり亭を託す」

「おう。安心して遊んでこい」


 こいつらは強引にでも休暇を押しつけないと休まないからなぁ。


「カンパニュラも行ってこい。初めての経験をいっぱいして、両親に話して聞かせてやれ」

「はい。ありがとうございます、ヤーくん」

「あとデリアも一緒に……って、デリアは?」

「……デボラが足つぼをやってみたいと言い出した時に『ちょっと川を見てくる』と」

「逃げたか」

「……そう、カンパニュラを残して」


 デリアにも、怖いものってあるんだなぁ。


「でも、夕方には戻ってきて、一緒にお夕飯を食べてくださるとお約束しました。楽しみです」


 置いて行かれたカンパニュラは特段気にしていないようだ。


「じゃ、夕飯の時にデリアも誘っといてくれ」

「はい。デリア姉様とお出かけ、楽しみです」


 というわけで、日にちを調整して、俺一人が留守番をすることになった。

 その日は適当なメニューに絞って、のんびりと営業するとしよう。



 窓の外を見れば、空は真っ赤に染まっていた。

 楽しそうに話す女子たちを眺めながら俺は思った。




 ……デボラ、静か過ぎるけど、死んでないよね?






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