306話 守りを固める準備 -1-

「あっはっはっ! 無理や」


 だと思ったよ!

 レジーナの家まで出向き、弟子を取るように提案した結果、一笑に付された。

 ま~ぁ、素敵な笑顔。「ウケる」じゃねぇんだわ。

 ここで引き下がるわけにはいかないんだよ!


「いいかレジーナ? もしウィシャートが暴走したら、どこの区で毒をまき散らされるか分からないんだ。せめて、狙われそうな区の人間にくらいは最低限の知識を与えてやれないか?」


 毒を受けたと連絡を受け、駆けつけた時には手遅れだった――そんなことが起こらないとも限らない。

 今回は三十五区や『BU』もターゲットになるかもしれないのだ。


 今回は割と真面目な話なのでエステラとナタリアにも同行してもらっている。

 おかげで店内が狭く、レジーナがカウンターの向こうから出てこない。


 ……お前は知らない人がやって来た時の家猫か。


「それにさ、レジーナ。君は薬だけじゃなくて、石けんやシャンプー、入浴剤なんかの開発もしているんだろう? さすがに一人じゃ抱えきれないんじゃないのかい?」

「平気や。無理な時は居留守で乗り切るさかいに!」

「……それ、乗り切れてないから」


 俺も、レジーナが不眠不休で納期を厳守するタイプだとは思ってないが……こいつ、そもそも頑張るつもりがなかったのか。


「なら、なおのこと、技術指導をして作業を分散させるべきだな」

「ほならこうしよう。おっぱい魔神はんが教える係で、ウチは引きこもる係」

「せめて関われよ」


 なに猛ダッシュで蚊帳の外へ逃げだそうとしてんだ。


「ほい、これ頼まれてたレシピ。これがあったら、おっぱい魔神はんやったらなんとかなるやろ?」

「まぁ……出来なくもないが」


 レジーナ製のレシピは細かく、且つ見やすく、これさえあれば同一の物を複製できるだろうことはよく分かった。


「それに、あんまり派手なことしたら薬師ギルドに目ぇつけられるで?」


 薬師ギルドは、王族と教会が認めたオールブルームで一般的な薬屋集団だ。

 軸足が完全に貴族寄りになっているので『一般的』って言葉は当てはまらないかもしれないけどな。


 薬師ギルドも、薬剤師ギルド同様医療行為を行っている。

 当然のように法外な治療費を取られるようだが。

 この街では、病気や怪我は薬師ギルドに頼むのが主流、というかそれしか術がない。


 四十二区以外では、まだまだ薬師ギルドに頼ってるんだよなぁ。

 ハビエルやデミリーはレジーナの薬を購入して持ち帰っているようだが、区内で病気にかかれば薬師ギルドに診てもらうのだろう。


 ハビエルなら、それも可能だろう。

 だが、一般人はそうも言っていられない。

 基本的には、栄養のあるものを食べて、温かくして寝る。それが病気の治療法なのだ。


 湿地帯の大病の時も、多くの者がそうしていたと言う。



 もし、その時にレジーナの薬があれば、救えた命はもっと多かったかもしれない。



 まぁ、過ぎたことを言っても仕方ないけどな。

 だが、これから起こり得る最悪の事態を未然に防ぐことは出来るはずだ。


 そのためには、知識を持った者が増える必要がある。

 幸いなことに、ギルドは新設する際に厳重なチェックをされはするが、作ってしまえばその後の急成長は特に何も言われない。

『ゴミ回収ギルド』が有名無実化しようが、「ちゃんと業務してるのか?」なんて監査も入らない。

 だからこそ、土木ギルド組合のように腐敗してしまうこともあるんだけどな。


「レジーナが胡散臭いヤツでよかったな」

「それが褒め言葉やないっちゅうんはよぅ分かったわ」


 レジーナはきちんと業務を申請し、そしてそれは承認されている。

 薬師ギルドと業務内容が被っていると承知の上で、教会は許可を出したのだ。

 もっとも、レジーナの薬の製法が薬師ギルドとあまりにかけ離れており、かつあまりに胡散臭い物だったため「好きにしろ、誰も相手になどしないから」的な認可だったようだが。

 それでも、認可は認可だ。


 おそらく、数段落ちる劣等ギルドを新設することで、薬師ギルドを相対的によく見せようという思惑があったのだろう。

 もしかしたら、「気に入らないのなら薬剤師ギルドへどうぞ」なんて脅しに使っていたのかもしれない。

 別の受け皿があれば、受け入れを拒否しても人命軽視だとは言われにくいだろうしな。

 見捨てるのではなく別の選択肢を示しただけだと。


 そう言われれば、多少高くても薬師ギルドにすがるしかない――そう思う者は多かっただろう。


 ……やっぱり、教会には腐ったヤツが一定数いると思うんだよなぁ、俺。

 ベルティーナはその辺認めないけどさ。

 もしくは、教会の中にどこぞの貴族の思惑が浸透しているか……ま、どっちでもいい。


 とにかく、教会は薬剤師ギルドを正式なギルドとして承認している。


 薬剤師ギルドが経営方針を変えない限り、その勢力を伸ばしても文句を言われる筋合いはない。

 仮に、薬剤師ギルドの有用性を全区に知らしめて、薬師ギルドとシェアが逆転しようがな。



 ……ま、わざわざこっちから貴族にケンカを売る必要はない。

 今でさえ、難癖付けられて辟易させられてるんだ。貴族なんぞ、関わらないのが一番。


「砂糖みたいに、『貧民薬』とでも呼ばせて市場を分ければいい」


 どちらにせよ、薬師ギルドの薬は一般人には高額なのだ。

 お貴族様には、「一般人は大変ねぇ、あんな怪しい薬に頼らなければいけないだなんて、おほほほ」とでも言わせておけばいい。


「とにかく、最低限の警戒と備えは必要だ。各区領主の給仕長と他数名くらいには知識を与えておきたい」

「各区の領主を呼び集めるわけにはいかないから、給仕長を集めて講習会を開きたいんだよ。協力してくれないかい?」

「まぁ、薬学が広まるんは、ウチとしても嬉しいんやけど……薬剤師ギルド、広がらへん? ウチ、嫌やで、ギルド長とかなるの」


 レジーナがギルド長……うわ、似合わねぇ。


「まだそこまで本格的じゃなくていいんだよ。でも、ゆくゆくは拡大してもらいたいなとは思っているよ」


 エステラがここ一番の笑顔で言う。


「レジーナの薬は頼りになるからね」


 そんな言葉に、レジーナは「うぐっ」っと声を詰まらせ、黒いとんがり帽を目深に被って「さよか」と照れ隠しを口にした。


「レシピの盗用、悪用は絶対に防がなきゃいけないからさ、レシピだけ渡してヨロシクってわけにはいかないだろう? だからさ、レジーナ。今回だけは頼むよ、講師」


 エステラのおねだりお願いポーズを前に、レジーナがこそばゆそうな顔を見せる。

 お~お~、揺れとる揺れとる。


「揺れてますね」

「だな」


 ナタリアがレジーナを見て耳打ちしてくる。

 そして、エステラに視線を向けて耳打ちしてくる。


「揺れてませんね」

「だな」

「うるさいよ、そこ二人!」

「ホンマや!?」

「うわぁ、三人だったわぁ! っていうか、こころくでもない空間だね、改めて見ると!」


 エステラが「アウェーだ!」と叫び、レジーナの顔にいつもの余裕が戻る。

 戸惑いは、とりあえずなくなったようだ。

 出来る限り自分のペースを崩したくないというスタンスのレジーナだが、こいつはやるべき時には自分を曲げてでもやってのける女だ。


 その重要性を理解すれば、嫌だとは言わない。


「それじゃあ、なるべく多くの給仕長を集めるから、三十五区か二十九区辺りに場所を借りてそこで講習会を開こう」

「嫌や!」


 嫌って言ったぁ!?


「四十二区からは出とぅない! ちゅーか、人前に出なアカンって思ぅたら……たぶんウチ、朝お布団から出られへん。100%遅刻するさかいに、他区やったら絶対行かへんで」

「じゃあもうここでやるか」

「アカンって! こんな壁一枚隔てた向こうにおパンツが散らばってるような場所に他所の人呼ばれへん!」

「ナタリア、片付けてきて」

「お断りします」


 おい、主の命令断ったぞ、その給仕長!?

 気持ちは分かるけども!


「じゃあ、四十二区に場所を設けるから、よろしくね…………来るんだよ?」

「そんな怖い顔せんでも、行けたら行くやん」

「それは絶対来ない人の発言だよ!?」


 こいつ、薬学を広めて人命を救いたい思いと、自分が人前に出たくない思いが拮抗してんだろうな。

 ……まったく。



 助っ人が大量に必要そうだなぁ、これは。

 とりあえず、ノーマとミリィとジネットと…………



 レジーナを引っ張り出すために必要な人材を脳内で考え、もしかしたらこいつを説得するよりウィシャート家を潰す方が簡単なんじゃないかと、そんなことを考えてしまった。






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