305話 優れた調査員たち -4-

「そうでした。こちらもお渡ししておきますね」


 俺の部屋を出る間際、イネスが別の資料を手渡してきた。

 ぱらぱらと中を見てみると、そこには二十九区のとある貴族の情報が載っていた。



 ドブローグ・グレイゴン。



 土木ギルド組合の重鎮にして役員の一角。

 ウィシャートのアホにそそのかされて、ちょっとはっちゃけ過ぎちゃった痛々しい老人だ。


「よくもまぁ、ここまで調べ上げたな。初恋の相手まで書いてあるじゃねぇか」

「それだけ敵が多いということです」


 誰かの調査をする際、そのターゲットが多くの者から愛されている場合は情報が集まりにくい。

 人気者ならいろんな人が情報を持っていると思われがちだが、人気者の悪評は突いても出てきにくいのだ。

 悪いことをしていないわけではない。

 悪いことでなくとも弱点になり得る事柄だってある。

 だが、それですら聞き出すのは困難なのだ。


 なぜなら、人気者だから。


 人は、自分が好意的に捉えている相手のあまりよくない情報を他人に話そうとはしないものだ。

 そもそも、その『よくない情報』ですら「きっと何か理由があるに違いない」とか「誰かの思い違いに相違ない」とか、一次ソースをねじ曲げてでも好意的に受け止めようとする傾向がある。


 たとえば、密室でジネットの足下に血だらけのウーマロが転がっていたとしよう。

 それを見た人物のほとんどが「ウーマロが転んで大怪我をした」と捉えるだろう。

 そして、「ジネットはそんなウーマロを介抱しようと近付いたのだろう」と。


 きっと誰も「ジネットがウーマロをぼっこぼこにぶちのめした」とは思わない。


 これがアノ情報紙のド三流女記者だったら?


 きっと誰もがウーマロを見た瞬間にド三流記者に掴みかかるだろう。

「てめぇ、ウーマロに何しやがった!?」ってな。


 ジネットの情報を得ようと街中で聞き込みをしても、せいぜい「料理上手」とか「優しい」とか「おっぱいが大きい」とか「たまらんなあの爆乳」とか「挟まれてみたい谷間二年連続第一位」とか「この前の突風、ジネットのおっぱいが揺れたのが発生源だったんじゃね?」とか、そういうポジティブな情報しか集まらないだろう。


 一方のド三流だと――まぁ、いろいろ集まるだろうなぁ。

「こんなこと言われた」とか「自分を棚に上げて」とか、情報でなくとも「あの服のセンスなに?」とか「品のない文章」とか「声が耳障り」とか、挙げ句の果ては「この前こんな派手なパンツ買って帰ったのよ~」とかそんなプライベートな情報まで集まりそうだ。

 悲しいかな、人というのは「あの人嫌な感じね~」というものに共感してほしい生き物であるのだ。

 そしてその共感は「私、こんなの知ってる」「こんなの見たわよ」と様々な情報を呼び寄せる。


 つまり、調査をしていて『初恋の相手』なんて情報まで出てくるってことは、それだけ周りの者によく思われていないという証拠なのだ。



 だってよ、もし誰かがジネットのことを嗅ぎ回っていたとしても、誰も「ジネットの勝負パンツはスケスケです!」なんて情報は教えない。

 どこの誰とも分からんヤツに教えてやるには惜しい情報だからな。

 この情報は、知っている者だけが知っていればいいものなのだ。


 ちなみに、今日のジネットはリネン生地で作った生成きなり色のパンツを穿いている。

 リネンの生地はどうしても糸のバラツキが出てしまうのだが、それがまたいい風合いを醸し出していて……あれはいいものだ。


 だが、誰の手の者か分からないような諜報員に、そんな美味しい情報は教えてやらない! やるものか!

 それが、人間の心理というものだ。


「グレイゴン家は、意地っ張りな家系のようですよ」

「だろうなぁ。姪っ子を見てると、ちょっと痛々しくてこっちが恥ずかしくなるよ」


 ドブローグ・グレイゴンの姪。

 バロッサ・グレイゴン。……そう、あのド三流記者だ。

 自己顕示欲が肥大化しているというか、自己肯定力が強過ぎるというか。

 イネスの調査によれば、幼い頃から「アタシを見なさいよ!」というタイプだったらしい。


「では、こちらの資料もご覧ください、コメツキ様」


 続いてデボラが別の資料を寄越してくる。

 結局、資料を両手に持っちまったのでもう一度部屋へ戻る。


 ぱらぱらと資料をめくると、こちらにはまた別の貴族の情報が載っていた。


 テンポゥロ・セリオント。


 情報紙の会長を務める貴族の一人だ。

 以前陽だまり亭で見たあいつだ。あのでっぷりと肥え太ったオッサンだ。


 実は、情報紙の動きがきな臭くなってきた頃から、イネスとデボラには情報収集を頼んでおいた。

 俺やナタリアが『BU』に乗り込むと目立つからな。

 なにせ、『BU』は外から来る者と外へ出る者への監視が凄まじいから。


 で、『BU』の中の人間に情報収集を頼んでおいたのだ。

 おかげでいろいろなことが分かった。


 情報紙には三人の会長が存在する。


 二十三区、テンポゥロ・セリオント。

 二十九区、アドバン・ホイルトン。

 二十五区、タートリオ・コーリン。


 この三名が情報紙を運営する権利――『運営手形』を所有し、その実権を握っている。

『運営手形』は、まぁ言ってみれば株式のようなもので、情報紙発行会結成時に創業者三人が金を出し合い、搬出金の多さで手形の多い少ないが決められたらしい。

 手形を三個持っている者より、手形を五個持っている者の意見の方が通りやすい。そういうシステムで、その時々で『運営手形』を三者間で融通して運営を行ってきた。

「今月ちょっとピンチなんだわ。手形一個を10000Rbで買ってくれないか?」と、そのような感じでな。


 創業時の取り決めにより、手形は三者以外の者への売却を禁止され、手形のやり取りも三者の均衡が壊れない範囲で行うよう決められていた。

 これはあくまで発行会を腐敗させないための措置であり、発行会を乗っ取らせないための決めごとだった。


 だが、そこに介入したバカがいた。


 ウィシャートだ。


 つい先日、二十九区に住む発行会会長の一人、アドバン・ホイルトンの孫が結婚をした。

 そのお相手が――ウィシャート家の娘だ。

 分家に当たる家の者で、現当主デイグレアから見れば三親等、叔父の娘に当たる人物なのだ。


 ホイルトン家の孫は長男で、次期当主と言われている人物なのだが、こいつがもう随分と前からそのウィシャート家の娘に熱を上げていたらしい。

 じらされてじらされて、このほどめでたく結納の運びとなった。


 そして、時を同じくしてホイルトン家の『運営手形』の大半が二十三区貴族のセリオント家に売却された。

 その結果、あのでっぷりとした会長様が、発行会の実権を独占してしまったというわけだ。


 それすら見込んで、娘をホイルトン家に近付けていたのだろうな。

「お前と結婚できるのなら、『運営手形』くらいいくらでも売るさ! なにせボクチンは次期当主だからな!」……って感じか? バカなボンボンめ。


 ホイルトン家とコーリン家の会長は、それぞれ当主を退いたジジイが就任しているのだが、以前会ったでっぷりオヤジことテンポゥロ・セリオントだけは現当主が発行会会長も兼任している。

 爺さんが死んだのかと思ったが、テンポゥロによって早々に引退させられたそうだ。

 発行会の実権を握る気満々だったんだな、テンポゥロは。


 で、『運営手形』の三分の二近くを手に入れたテンポゥロ・セリオントは我が物顔で情報紙発行会を私物化したと、そういうわけだ。


 だから、現状に怒りを覚えている記者や発行会の職員たちは大勢いる。

 特に、今回まったくの蚊帳の外で、いきなり運営権を剥奪されたに等しい二十五区のタートリオ・コーリンは激怒しているらしい。


 そりゃそうだ。

 コーリン家はこれまでと変わらず三分の一の『運営手形』を所有しているのに、「こっちは三分の二を所有している」と、強制的に運営権を奪われたのだからな。

 セリオント家も、三分の二の手形があれば好き勝手できるのだから、コーリン家の『運営手形』を買うようなことはしない。

 コーリン家の『運営手形』は完全に死に手形になってしまったわけだ。


 金にもならず、権力も奪われたコーリン家の怒りは計り知れない。



 ――なんて人物がいるんだから、会いに行かなきゃだよな、やっぱ。



 だが、その前にレジーナのところだな。

 早急にやらなきゃいけないことがあるからな。


 くそ、こんなことならさっき帰さなきゃよかった。

 面倒くさい……



 ……果たして、あの引きこもり女子は受け入れてくれるだろうか。



「弟子を取って薬学を継承しろ」なんて、コミュニケーション能力をフル活用しなければいけない要求を………………無理っぽいよなぁ。






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