295話 民よ、生まれ変われ -4-
それから三日が経った。
変化はすぐに現れた。
「あの、すみません……クーポン券、使えますか?」
「はい、もちろんです。さぁ、奥へどうぞ」
おっかなびっくり店内を覗き込んでいた女性を、ジネットが満面の笑顔で迎え入れる。
「ようこそ陽だまり亭へ」
そして、惜しみのない歓迎の意を振りまく。
5Rbの雑誌についていた200Rbの割引券が本当に使えるのか?
そんな不安が、読者の中にはあったらしい。
まぁ、分からんではない。美味しい話には裏があるというのは常識だし。これに釣られて店に行けば、200Rb以上の何かを買わされるんじゃないか……そんな不安も湧き出してきていたことだろう。
ここ最近、陽だまり亭を訪れる新規顧客は、みんな逃げ腰で、何かあればすぐにでも逃げ出せるような姿勢で店に入ってくるヤツばかりだった。
……お前らがどんなに逃げようが、マグダとロレッタからは逃げられないけどな……ふふふ。
いや、ぼったくるつもりはないが、いざという時は、な?
「ヤシロが出迎えてたら逃げ出してたろうね」
「やかましいよ、クーポン券使用者第一号」
もくもくと親子丼を頬張るエステラ。
こいつは『Re:Born』の発行日、いの一番に陽だまり亭懐石~彩り~を食いに来やがった。もちろんクーポン券を持って!
領主が割引券なんか使うなよ! だからお前はいつまでたってもちょっとイモっぽさが抜けきらないんだよ!
ちなみに、イメルダも食いに来た。
あいつの場合は「クーポン券が使いたい」って感情が物凄く前面に出てたけどな。
知らないオモチャをもらって喜ぶ子供のようだった。
ともあれ、『Re:Born』――えぇい、面倒くさい! ――『リボーン』を見て四十二区へやって来る『BU』っ子が増えた。
陽だまり亭はクーポン券を出したこともありご新規さんがかなり増えた。
二度目があるかは分からんが……まぁ、ケーキや食品サンプルに興味を持つ者が多く見られたし、もう一回二回くらいはやって来るだろう。
そうすれば、陽だまり亭の味や雰囲気に馴染んで、ちょっと遠くても「たまには行くか」というようなポジションの飲食店になることだろう。
来店した時に領主やギルド長や味付けが濃過ぎる面々に出会わなければ、だけどな。
結構な確率で権力者が犇めいてるんだよなぁ、この店。
魔除けのお札でも貼っておこうかな?
「あぁ~っ!?」
突如、素っ頓狂な声を上げたエステラ。
何事かと様子を窺えば、なんのことはない、親子丼の鶏肉を落としたらしい。
卵がたっぷりと絡んだつやつやとぅるんな鶏肉は、それなりの大きさがないと滑って転げ落ちてしまうことがある。
特に、エステラのように鶏肉をみみっちく一つ一つ口に運ぶような食い方をしているとな。
だから、飯や卵と一緒に掻き込めって言っておいたのに。
「見て、こうして光にかざすと卵がきらきら輝いてすごくきれいだよ」とかやってるから落とすんだよ。
「あぁ……鶏肉が…………ボクの鶏肉がぁ……」
床に四肢を突き、落ちた鶏肉を覗き込むように四つん這いになるエステラ。
って、おいおいおい!? お前、泣いてないか!? 鶏肉くらいで大袈裟過ぎるだろう!?
「楽しみに……取っておいたのに……っ!」
「いや、鶏肉と卵しかないんだから、取っておくも何もないだろう!?」
「卵のかかり具合が絶妙だったんだよぉ! 絶対美味しかったのに……」
「もう諦めろ」
「……陽だまり亭の床は、毎日ジネットちゃんが綺麗に掃除しているから……もしかすれば!」
「やめとけ! ほら、席に着いて手を拭け!」
「ヤシロ! 諦めたらそこでゲームは終了なんだよ!?」
「親子丼の鶏肉は床に落ちた時点で終了してんだよ!」
わーわー騒ぐエステラを席に座らせる。
お前な、他所からの客が増えているこの時期に、領主が鶏肉一欠片くらいで泣くなよ!
ほら見ろ! めっちゃ見られてるじゃねぇか!
「あの人って……微笑みの領主様、だよね?」
「え、この区の領主様!?」
あ~ぁ、顔バレしてるし。
「えっと、あの人が、住民の言論を封じて、自分の利益のために強硬的な改革を進めてる…………の?」
「いや、ないでしょ」
「鶏肉で泣く人だよ?」
エステラ。たぶん、結構不名誉な感じで好印象抱かれてるぞ。
「なんか……可愛い」
「うん、妹にしたい」
「どうしよう、私、懐石のお肉あげてこようかな?」
「あ、じゃあみんなで一品ずつ分けてあげよっか?」
「さんせ~い!」
「いや待って! 君たちの気持ちだけで充分嬉しいから! 是非ちゃんと食べて帰って!」
さすがに、他区の若者に同情されて施しを受けるのは憚られるようだ。
一応、ギリッギリ最低限の領主としての矜持はあるっぽい。
「……エステラ。鶏肉は片付けた」
エステラが汚した床を、マグダが素早く清掃する。
いつまでも床に食べ物が落ちているなんて、許されないからな。偉いぞマグダ。
と、マグダを見ていると後ろ手に隠していた小皿をエステラの前へと差し出す。
小皿には、コロッケが一個乗っていた。
「……これは、マグダから。これを食べて元気出して」
「ま、マグダ……! 君はなんていい娘なんだ!?」
「……ご指摘の通り、マグダはいい娘」
うん、そこは謙遜しないんだな。さすがマグダだ。
「あまーい! なにこれ? いつ出来たのこんなの?」
マグダが持ってきたのは、昨夜仕込んだカボチャのコロッケだ。
ロレッタがクレープをマスターして浮かれまくっていたせいで、マグダがちょっと拗ねてなぁ……で、それを見たジネットが何か新作を一緒に作れないかと悩んでいて…………あまりに目に余ったから俺がちょっとアドバイスしたのだ。
コロッケは前からあったし、それをカボチャで作ってみたらどうだと。
今はまだジネットのお手伝いに留まっているが、いつの日かマスターする日が来るだろう。
少なからず、ロレッタが知らないうちに誕生した新製品に関わっているというのが、マグダの琴線に触れたようで、今日は朝からすこぶる機嫌がいいのだ。
「……四十二区の大切な領主を気遣ってくれたみんなにも、マグダからのサービス」
「え、いいんですか?」
「……お腹に余裕があれば、是非」
「ありがとう」
マグダが席を離れると、『BU』っ子たちはすぐさまおしゃべりを再開する。
「ここいいお店だよね」
「うんうん。あの店員さん、可愛いし、いい娘だね」
「私、友達に紹介する。絶対行くべきだって!」
「クーポン券持ってくれば、すごくお得だしね!」
そりゃそうだろうよ!
5Rb払えば200Rb割り引いてもらえるんだからよ!
うぅ……でも新規顧客……っ!
これはウェルカム案件か、否か……
「わー、すげーうれしいー」
「ヤシロ。気付いてないだろうけど、顔が引き攣ってるよ」
クーポン券が使われる度に、地味に赤字なんだよなぁ、ウチ。
でもジネットが喜んでいるし、まぁいいか……
ここ数日、ジネットがまた厨房にこもりっきりだ。最近ではマグダやロレッタが料理を覚え始めて若干手が空くようになっていたが、さすがに陽だまり亭懐石~彩り~が連発すれば、ジネットでも余裕はなくなる。
おかげでジネットもずっと上機嫌なんだよなぁ。
なんだろうな、あれ?
強いヤツと戦いたいみたいな感情なのかね? 面倒な飾り切りが楽しくて仕方ないらしい。……理解できん。
「ねぇ、君たち。どこの区から来たの?」
親子丼を突っつきながら、ナンパ野郎みたいに『BU』っ子に声をかけるエステラ。
いいのか領主? 食ってる物、お前だけめっちゃ安い料理だぞ。気にしないのか? あっそ。
「二十六区からです」
「随分遠いところから来てくれたんだね」
二十六区は三十六区に隣接する区だから、四十二区から見ればほぼ対角線上にある遠い区だ。
……なんだけど、一番遠いはずの三十五区領主がしょっちゅうやって来るから、あんまり遠い気がしないんだよな……
「二十六区にも『リボーン』は行き渡ってるんだね」
「はい。トレーシー・マッカリー様が売り歩いておられまして」
「自分の区から出てまで活動しないで、トレーシーさーん!」
トレーシーは二十七区の領主のはずなんだが……なんで二十六区で売り歩いてんだよ。つか領主自らが売り歩くなよ。
「陽だまり亭は、トレーシー・マッカリー様が大変懇意にされているお店だと伺いました」
バイトしてたしな。
「そして、四十二区には愛が溢れていると」
愛情を溢れさせてだらだら垂れ流してるのはお前の方だ。とある一人に対してだけどな。
「その帽子素敵だね。それは自分で?」
エステラがすごく爽やかな笑顔で話題を変えやがった。
そうかそうか、ストーカーのアクティブな情報は聞きたくないか。おっかないもんな。
トレーシーのヤツ、情報紙発行会との会合に参加できなかったこと、すごく残念がってたらしいしな。
ネネが参加した四十二区へ行こうツアーにも、変装して参加すると駄々をこねていたらしいし。絶対バレるから……エステラを見つけた途端暴走する様が目に浮かぶ。
それで、今現在『リボーン』の普及に全力なのだろう。
「ご褒美に大衆浴場へ誘ってやったらどうだ?」
「そのリボンは、君の好きな色なのかな?」
意地でもトレーシーの話題には食いつかない姿勢のようだ。
「はい。『リボーン』を見て、作ってみたんです。その……自分が好きな色で飾りをつけて」
「よく似合ってるよ」
「……えへへ。ありがとうございます」
ここ最近、『BU』っ子たちが『流行』以外の物を身に着けるようになっていた。
今はまだ『流行』をベースに、ちょっとだけオリジナリティを入れている程度だが、四十二区に近い二十九区や二十四区では、もうすっかりと『流行』は色褪せてしまっている。
ちょっと変な方向に振り切れて奇抜な格好になってるヤツもちらほらいるが、そこはそれ、ファッションに目覚めたばかりの者が必ず通る道だ。
これから磨いていけばいい。ウクリネスが張り切っていたから、素人でも出来る着こなし術とかどんどん発信されていくだろうし。
これで『BU』は変わる。
奇しくも、ずっと以前からマーゥルが望んでいたように、個性的で面白い街へと。
……ったく、なんだかんだ欲しいものは全部手に入れやがるんだからなぁ、あのオバハンは。
次の『リボーン』には、もっと多額の寄付をさせてやろう。そうしよう。
「そういえば、そろそろ連中が来る頃だな」
「あ、もうそんな時間だね」
『BU』っ子をナンパしていたエステラが軽く外を窺う。
今日は、前回の遠い四十二区まで情報紙を買いに行こうツアー(正式名称なんかとっくに忘れた)において『BU』っ子たちをうまく先導してくれたソフィーたちを招いて慰労会が行われるのだ。『リボーン』の売れ行きも好調だし、その祝賀会も兼ねて。
なのでまぁ、呼んでない木こりや領主がわんさかやって来るんだろうな……
とか思っていると、そいつがやって来た。
勢いよくドアを開けて飛び込んできたかと思うと、一直線にエステラのもとへと駆け寄り飛びつき抱きついて、下腹部に顔をすりすりし始めた。
「エステラ様! 此度はウチの給仕長ネネのためにこのような素晴らしい会を開いてくださるということで、これは主たる私が直接お礼を申し上げなければ筋が通らないと思い、誰よりも早く馳せ参じた次第です! 今度こそ、正真正銘の一番乗りです! あはぁ、いい香りがしますエステラ様っ、くんかくんか!」
「トレーシーさん! 他所の区の人もいるから、自重して!」
「無理です! 拒否です! 不許可です!」
「変なところで領主っぽさ出さないで!?」
重症患者の痴態に、『トレーシー・マッカリー様』なんて敬っていた『BU』っ子が硬直している。
そうか、知らなかったか。……これがヤツの本性だ。
「トレーシー様! お一人で行動するのはお控えくださいと申し上げているではないですか!」
少し遅れて飛び込んできたネネに叱られても、トレーシーは止まらない。
今日はもう、一日エステラに引っ付いて離れないだろうな。
そうこうしているうちに、各地から招待客と、勝手についてきた連中が集まって、慰労会&祝賀会が開催された。
ついでとばかりに、たまたま来ていた『BU』っ子たちも参加させてやった。別名『道連れ』とも言う。
そうして楽しい時間が流れ、新しい情報誌『リボーン』は歓迎されて――
情報紙は、その権威を徐々に、徐々にと、はぎ取られていった。
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