296話 本日の来訪者は泥と雲 -1-
「ちょっと、どういうことよ!?」
とある昼下がり、きんきんと耳障りな奇声を発しながら、どこかで見た顔の女が陽だまり亭に乗り込んできた。
よく見れば、そいつは情報紙発行会のド三流女記者だった。
「こんな物を発行して、情報紙の妨害をするつもりなの!?」
バシッとテーブルに叩きつけられたのはご存じ『リボーン』。
「お、買ってくれたのか。まいどあり~」
「買ってないわよ!」
「じゃあ盗んだのか? ロレッタ、自警団を――」
「編集長が買ったのを借りてきたのよ!」
「じゃ、編集長に伝えといてくれ、まいどあり~って」
「ふざけんじゃないわよ!」
怒り任せにテーブルをバンバン叩くド三流記者。
「……あ~、マグダは突然体操をしたくなったなぁ」
言いながら、マグダがド三流記者の鼻先を掠めるように回し蹴りを放つ。
振り抜かれた脚が起こした風で、ド三流記者の前髪が揺れる。
「……まだまだメドラママの域には達していない。精進が必要」
いや、あの域には是非とも達しないでくれ。
「……力強く物に当たっても謝罪は必要ないタイプ?」
「う……ぐっ…………悪かったわよ」
まったく学習していないド三流記者が、苦虫を噛み潰したような顔で謝罪っぽい言葉を述べる。反省の色は皆無だけれど。
「記者さん、クーポン券を持ってきたということは、『陽だまり亭懐石~彩り~』をご注文です?」
「誰が注文なんかするもんですか!」
「じゃあ、お客さんじゃないですね。営業妨害ですから今すぐとっととお帰りくださいです。あたしに叩き出されないうちに」
にっこりと微笑むロレッタの顔の迫力がすごいっ!?
お前、そんなに腹立ててたのか? お前はそんなタイプじゃなかったよな? やりたいことが思い通りに出来なくて「むきぃー!」って両腕ぶんぶん振り回すようなおとぼけキャラのはずだろ、ロレッタってのは!?
え、なに? マーゥルとかルシアといる時間が増えたから伝染した? あいつら出禁にしようか?
「四十二区のみなさんは、とっても心が広くていい人ばかりですから直接的なことは言わないですけど、あたしは幼い弟妹をたくさん抱える長女としてはっきりと言っておきたいです――」
ずいっと、ド三流記者に詰め寄り、にっこり笑顔のまま奥歯をギラつかせて凄んだ声で言う。
「嘘や誤魔化しがまかり通るような街は教育上よくないんですよ。そうやって気に入らないことがある度にギャーギャー騒いで相手を脅迫するやり方も、ウチの弟妹たちには見せたくないです。つまり、あなた方の一挙手一投足が、頭の先からつま先まで、徹頭徹尾、一から十まで、みんなひっくるめて悪影響なんで自重してくれないですかね? 一読者からの希望として記憶の片隅に留めておいてくれると嬉しいです」
すべてを笑顔で言って、指一本触れることなく、すっと体を引く。
そして、全身に纏っていた怒気を一瞬で霧散させ、いつもの爛漫なロレッタスマイルで両腕を広げる。
「ですが、陽だまり亭は来るお客さんを拒むようなことはしないですから、美味しい料理と癒やしの時間を堪能したくなったらいつでもおいでくださいです。従業員一同、温かくお迎えする所存です」
個人的には大っ嫌いだが、それは陽だまり亭の総意ではない。
ロレッタも十分に譲歩した。これがパウラやデリアなら「テメェなんざ客じゃねぇ! 出てけ! 二度と来るな!」って塩をぶち撒けていたところだろう。
そこはやっぱ、この店の店長の意向が色濃く影響しているのかねぇ。
「お節介かもしれんが、ケーキの一つでも食っていったらどうだ?」
「誰が――」
「ロレッタも言ったろ? 『お客様は歓迎する』……が、客でもなく店で騒ぐだけの部外者はその限りじゃないぞ?」
「…………っ。分かったわよ。メニュー見せなさいよ」
ド三流記者は俺をじっくりたっぷりと睨みつけた後、近くの席へと腰を下ろした。
メニューは壁に掛かってるから好きに見ろ。
「……いっぱいあるのね。……どれにしようかしら」
文句を垂れながらも、じっくりと悩んでやがる。
俺なら、気に入らない店の物を堪能するつもりにはなれず、一番上にある物を頼むか「コーヒー」の一言で済ませるけどな。
少しでも損をしたくない。そんな性格がにじみ出してるんだよなぁ、この手の人間ってのは。
「おすすめは?」
「陽だまり亭懐石~彩り~だな」
「それ、高いヤツでしょう!?」
「まぁな。だが……それを頼めば、この店に200Rbの負担を強いることが出来るぞ。そのクーポン券の割引って、店の自腹なんだよなぁ。店長がサービスし過ぎて赤字出まくりなんだよ……ったく」
と、不服そうに漏らせば、ド三流記者は嬉しそうな顔をして「じゃあ、それにするわ」と邪悪に笑った。
こっちへ嫌がらせが出来ると聞いて飛びついたか……バカめ。
陽だまり亭で一番安いケーキは10Rbだ。ガキでも気軽に食えるようにと、安いケーキも用意してある。
それにしておけばお前の負担は10Rbで済んだのに、こっちへ嫌がらせしてやろうなんて邪心を抱くから40Rb多く支払う羽目になったんだ。
出てくる物の質は陽だまり亭懐石の方が断然上だが、こんな『嫌がらせのために頼んでやる』なんて気持ちで食う料理は美味くはないだろう。
堪能できない物に支払う金なら、安い方がいいだろうに。
そうやって、満たされないままに金を失っていくんだよ、お前みたいな性格のヤツはな。
「ジネット。懐石一つだ」
「はぁ~い! しばらくお待ちください」
厨房から嬉しそうな声が聞こえてくる。
お前の50Rbでウチの店長の機嫌がよくなったよ、ありがとよ。
「で、今お前も活用しているそのお役立ち情報誌がなんだって?」
「だっ、誰が活用なんか――!?」
「使わないのか? 使わないと250Rbだけど?」
「…………使うわよ」
「いい雑誌だろ、それ?」
笑顔で言ってやればド三流記者は黙ってしまった。
今し方、自分自身でその雑誌の有用性を証明してしまったんだ、「ぐぬぬ……っ」と歯を食いしばって睨み返すしか出来ないよな。
「なんだよ、こんなもん!」
『リボーン』を持った手を高く掲げてテーブルに叩きつけようとした、まさにその時――ド三流記者の目の前にナイフがぬっと突き出された。
「ひっ!?」と、短い悲鳴を漏らしてド三流記者が後方に倒れる。
椅子が派手な音を立ててド三流がズッコケる。
「な、なによ!? 脅迫しようっていうわけ!?」
すっ転んだド三流記者が目を血走らせてナイフを握るマグダを睨み上げる。
だが、マグダは涼しい顔で――つか、まったく表情が変わってないんだけど――コケた拍子に握り潰された『リボーン』をド三流記者からさらっと奪い取る。
「……勘違いして騒いでいるところ悪いけれど、クーポン券は切り離さないと使用できないルール。それとも、クーポン券は使用しない? その場合定価の250Rb――」
「使うって言ってるでしょ!? 切るならさっさと切りなさいよ!」
あ~ぁ。そんな言い方して、お前がそのうち『キル』されても知らないぞ?
最近知ったんだが、狩猟ギルド内でマグダのファンが増えつつあるらしいからな。メドラがマグダを気に入った影響らしいんだけど。
……狩人どもにはしっかり言い聞かせておかないとな。
マグダに手を出したら『メドラの刑』だと。
ナイフを器用に使ってクーポン券を綺麗に切り取るマグダ。
切り取り線から1mmもはみ出していない。マグダは密かにパワー系から技巧系へシフトチェンジしようと特訓しているらしいのだ。
目指すは、デリアのパワーとノーマの技を併せ持つ最強の獣人族。
実はこっそりとナタリアに対抗心を抱いているとかいないとか。
これの切り取りが下手なヤツが多くてな。
なので、クーポン券は上下左右すべてに「ホンモノ」の文字が現れるようになっているのだ。
最低でも二カ所合致すれば本物と判断していいだろう。
マグダが切ったクーポン券は、見事なまでに台紙のフレームにぴったりだった。
そっと拍手を送っておく。
あ、尻尾が立った。嬉しかったらしい。
「っていうかさぁ」
椅子に座り直し、『リボーン』の表紙を指で弾いてわざとらしく息を吐くド三流。
「よくこんな記事で通したよね? デスクとかいないの~って、驚いちゃった」
指で『リボーン』をつまんでぷらぷらと馬鹿にしたように揺らす。
「文章が素人っぽいっていうか、『え、こいつ何流?』みたいな?」
うん。ド三流って言われたの、そーとー腹立ったみたいだな。
誰かに言い返したくて仕方ないくらいに突き刺さっていたようだ。
「ただ事実を書いてるだけで情景が見えないっていうの? 『だから何?』って感想しか抱けないっていうかさぁ~!」
興が乗ってきたのか、ド三流記者の舌が回り出し、同時に声もデカくなり、得意げにべらべらと語り始めた。そんなタイミングで、ド三流記者の前に「たんっ!」と、水が置かれる。
静かに怒気を放つロレッタによって。
「さすがプロの記者さんですね、よく回る舌です。こんなところで無駄に言葉を浪費してないでそれを記事にすればいいですのに」
にっこりと笑ってロレッタが――いや、笑えてないぞロレッタ!? 血管! 血管が浮き出てるから!? 女の子がしちゃいけない顔になってるよ!?
「ただ、あんたみたいなのがプロだと言うなら、四十二区には一人もプロはいらないです」
テーブルに置いたコップを握ったまま、ロレッタがド三流記者を見ずに、テーブルを凝視しながら言葉を吐き出していく。
「四十二区では、いろんな場所にウチの弟妹がお手伝いに行くです。だから、あんたみたいな『プロさん』がいる場所にも行くことがあるかもしれないです。でもそれはさすがに長女として看過できないです。ウチの弟妹は手が付けられないくらいにヤンチャで困った子たちですけど、心根は綺麗で、まっすぐで、みんないい子なんです。あんたみたいな『プロさん』がいるような場所のお手伝いなんかさせて、あの子たちの心が穢れたら一大事です。大事件です。あたし号泣しちゃうです。絶対許せないし、許さないです。『ウチの弟妹になんてことしてくれるですか!』って怒鳴り込むです。だって、間違ってもウチの弟妹にはあんたみたいな人間にはなってほしくないです!」
ここで、ロレッタがド三流記者の顔を見る。
目が合った瞬間、ド三流記者の肩が跳ね、椅子ごと体が後方へ逃げた。
「あんたの記事全部読んだです。ろくでもなかったです。どんないい物でも粗探しして、無理やりにでも欠点を探し出して、相手を悪く言う記事ばっかりだったです。あたしはあの子たちに、他人のいいところたくさん見つけられる子に育ってほしいです。間違っても、優しくしてくれた人の粗探しをするようなつまらない人間にはなってほしくないです! だからはっきり言うです」
ド三流を睨みながら、ロレッタはエプロンを脱ぐ。
「陽だまり亭の店員ではなく、あの子たちを守る長女のロレッタとして、あんたに忠告するです。ウチの弟妹に近付くと――容赦しないです」
コップを握ったままの手に力が入っている。
ド三流がふざけたことを抜かせば、あの水をぶっかけるかもしれない。
「……な…………に、よ」
震える唇でド三流が音を漏らす。
反論できないようだ。
「ロレッタ」
強く握られたロレッタの手に触れる。
ビクッと揺れて、そろりとコップから指が離れていく。
「仕事中だ。エプロンを着けとけ」
「でも……」
エプロンを着けている間は陽だまり亭のウェイトレスとしての責任を背負って行動する。
ウチの従業員たちはそれを徹底している。
でも大丈夫だ。
「さっきのは陽だまり亭の総意だから」
お前だけじゃねぇよ。
「ハムっ子に悪影響を与えると――」
にっこりと笑って、ド三流に忠告しておいてやる。
「――四十二区が総出で『お前を』潰しに行くぞ?」
あいつらの溌溂さは、もはや四十二区には欠かせないものだからな。
俺が笑顔を向け、ロレッタがちゃんとエプロンを着け直すまで、ド三流記者は俯いて、一言も言葉を発さなかった。
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