295話 民よ、生まれ変われ -1-

 陽だまり亭出張所の壁際が、殺伐とした空気に包まれる。


 騒ぎを聞きつけた者たちが「何事だ?」と店へ入ってきて、壁に貼られた情報紙を黙読し「はぁぁあ!?」と、同じように声を漏らす。

 中には、知り合いを呼びに飛び出していった者もいる。


 それからしばらくして、多くの者たちが陽だまり亭出張所にやって来て、壁に貼られた情報紙を目にした。


 重い沈黙が辺りを包む。


「え、ちょっと待って……なに、これ?」


 そんな小さな囁きが重苦しかった空気にさざ波を起こし、その小さな波は波紋が広がるようにざわめきへと成長していった。


「ここに書かれてるのって、四十二区の話……だよ、ね?」

「殺伐と……してる?」

「え、どこが?」


 つい先ほどまで、未体験な出来事に触れてテンションが上がり、オシャレなカフェでまったり過ごしていた彼ら彼女らにとって、『殺伐』という言葉は四十二区とはかけ離れたものに感じられるだろう。


「っていうかさ、なんかこれ……貶めようとしてない?」


 オシャレをした女の子が、眉間に深いしわを刻み込む。

 手に持ったクレープが、気持ちひしゃげている。


 感じたことはないだろうか。

 見当違いの正義を振りかざし、おのれの主張こそが正しいのだと声高に叫ぶ者を第三者的に見た時のうすら寒さを。

 おのれの正義を妄信する者は賛同しない者へも敵意を向ける。故に、主張が一層激しく、時に過激になっていく。


 ○○は悪だ!

 排除せよ!

 存在してはならないものだ!

 そんなことも分からないのか!?

 バカは黙って俺の言うことを聞いていればいいんだ!

 俺が悪だと言ったら悪なのだ! 異論は認めない! 排除! 排除! 排除! 賛同しないヤツもまとめて敵だ!


 ……と、おのれの正義に酔いしれて騒ぐ者たちを見て、普通の人間は思うのだ。

「いや、害悪はお前らだろ」って。


 今まさに、情報紙はここにいる『BU』っ子たちにそのような目で見られているわけだ。

 これまで妄信していた情報紙に対して、どうしてこんなにあっさりと意見が翻ったかって?

 そんなもん、「○○らしいよ」「実は○○なんだよ」なんて第三者からもたらされる噂話よりも、自分自身が実際に見聞き体験したものの方が信用できるからに決まっている。


「うは~、このコンビニのプリン、めっちゃ美味~」「あ、そこのコンビニのプリンクッソ不味いらしいから食べるのやめた方がいいよ」

 こんな状況、「腹が立つ」以外のどんな言葉で表現すればいいのか、俺は知らん。

「今実際食って、美味いって言ってんだろ!?」「あぁ~、じゃあ舌がバカなんだね」――こんなもん、ケンカだろ、この後。


 だが、情報紙がやっていることは、まさにそういうことなのだ。

 ただ、連中が気付いていないことが一つある。

 それは――



『読者はバカじゃない』ってことだ。



 連中は「情報紙に載せれば読者はそれを無条件で信じ、自分たちの味方になってくれる」と思い込んでいる。

 情報紙に反する行為は多数派に反することと同意であり、それは『BU』においては罪ですらある――と、そんな風に思っているのだ。


 実際、これまではそうだったのだろう。

 誰もが「おかしい」と思いながらも改革しようとすらしなかった豆問題を見ても分かる通り、『BU』の中において『異を唱える』という行為は自殺行為にも等しかった。


 だが、人には感情がある。

 全員が同じ格好をして、同じ流行を追い、同じものを好きだと言っていても、心や感情までもがまったく同じということはない。あり得ない。

 こいつらは人間なんだ。

 いくら周りから逸脱してはいけないと刷り込まれていようと、不愉快なことに遭遇すれば気分を害するし、怒りも覚える。不満も溜まるし、鬱憤だって蓄積される。


 いやむしろ、鬱憤なんてものは抑圧され統率され続けてきたこいつらにこそ溜まっているはずだ。


「なんでこんな嘘が書いてあるの?」


 誰かの呟きに、緊張が走った。

 それを認めていいのか。

 でも認めざるを得ないんじゃないか。

 でもでも、もしそれを認めてしまえば、自分たちはこれまで何を信じてきたことになるんだろうか……


 そんな逡巡が垣間見えた躊躇いは、蓄積された鬱憤に押しやられ、押し流されていく。


「嘘……じゃない? ここに書いてあること……嘘、だよね?」

「嘘だよ! 出鱈目じゃん!」

「あり得なくない!?」

「この街のどこが荒んでんの!?」

「っていうか、白昼の惨殺魔って……」


 誰かが言いかけて、その場にいた者たちの視線が俺に集中する。


「あ、イタタタ……傷が疼き出しちゃった……」


 絶妙なタイミングで、腕の傷をアピールしておく。

 めそめそ。涙が出ちゃうなぁ~しくしく。


「全然そんな風に見えないんだけど!?」

「っていうか、この人めっちゃ親切だったじゃん! オシャレなお店教えてくれたしさぁ!」


 熱弁を振るっているのは、彼女らが変身するきっかけになればと俺がちょこっと全力を出し過ぎたせいで腰が抜けてしまった、あの女の子だった。

 ドキドキをプレゼントしたら、物凄く味方してくれるようになった。


「……お兄ちゃん、いい加減にしないと刺されるですよ」

「……他区の女子は、ヤシロに免疫がないから危険」


 待て待て。

 別に結婚詐欺を働いたわけでも、誑し込んで金品を巻き上げたわけでもないだろうが。

 そんな「あ~ぁ……」みたいな目で俺を見るな。

 ……ちゃんと、あとでフォローしておくっつの。


「あの、みなさん!」


 ざわめく『BU』っ子たちの前に、ゴロッツが進み出る。

 視線を集め、キラキラとした瞳で語り始める。


「僕、実は数日前までゴロつきだったんです」


 そんな告白に、『BU』っ子たちは息をのむ。

 無理もない。ゴロつきをやめたゴロッツは、数日前の荒んだ顔が嘘だったみたいにすっきりと爽やかに変貌している。

 しかめっ面が癖になったようなしわがなくなり、脂ぎっていた髪もさらさらになってキューティクルも復活。

 紙を近付ければスパッと切れそうだった鋭い目元は、赤ちゃんが見て微笑みを返しそうなくらいに丸く柔らかくなっている。


 もはや別人だ。

「髪をさっぱり切りたい」と言ったのを「似顔絵とかけ離れ過ぎる!」と我慢させたくらいだ。

 面影すらなくなりそうな勢いで顔つきが変わっていた。


 そんなゴロッツが、『BU』っ子に訴える。


「ゴロつきだった僕は、お金のために四十二区に嫌がらせをしていました。そうすることで、得をする人たちがいるからです」


 その話はにわかに信じがたいようで、『BU』っ子たちの表情が曇る。


「ゴロつきだった頃の僕は、お金さえ手に入ればそれでいいと思っていました。誰かに迷惑をかけても、誰かから奪い取った金でも、自分が得をするならそれでいいと。――でも、そんな僕の目を覚まさせてくれた人がいたんです。それが、ヤシロさんです!」


 ……しまった。

 こいつには当たり障りのない脚本でも渡しておくべきだった。

 持ち上げ過ぎだ。

 ヤシロ教の布教じゃねぇんだぞ。適当でいいんだ、その辺は。


「その身を張って、自分らしく生きることがどんなに大切かを教えてくれたのが、ヤシロさんです! 誰かに誇れるような生き方じゃなきゃ、折角の人生がもったいないと教えてくれたのが、ヤシロさんなんです!」


 なんか思いっきり美談に変換されてる!?

 俺、そんなクサいこと言ってないんだけどなぁ!?

 あぁ、アレかなぁ!? 傷めつけ過ぎて心が壊れないように、合間合間にベルティーナの説教を挟み込んだせいかな!?

 だとしたら、そこら辺の教えはベルティーナ発信なんじゃないかねぇ? ねぇ、君?


「ゴロつきをやめてよかったって、今、心から思います!」


 ゴロッツの目に、涙が浮かぶ。

 流れ出さなかったが、ゆらゆら揺れる薄い膜ははっきりと確認できた。


 涙ながらに訴えるゴロッツの言葉に、『BU』っ子たちが胸を打たれる。

 もらい泣きしている女子もいる。

「自分らしく……か」なんて呟いている男子もいる。


 そうして、共感を得たところでゴロッツが言う。……というか、俺が言わせてるんだが、とにかく、重要なことなのでよく聞いておくように、諸君。



「それを快く思わない人らが、いるんですよ」



 誰とは言わない。

 名指しすれば、そこに摩擦が生まれる。

 だから、誰がとは言わないが……まぁ、分かるよな?


「だから……こんな記事を?」

「え、それって……」


 うすら寒い空気が流れる。

 利益のために、無実の人間を犯罪者に貶めるような記事が、今目の前に貼り出されている。

 何も知らない自分たちを騙し、そしてその目論見に加担させようとしている組織がある。

 自分たちは、そんな得体の知れない者たちによって都合がいいように操られているんじゃないのだろうか……


 そんなことを考えたのか、『BU』っ子たちは青ざめた顔で情報紙を眺めていた。






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