289話 物事は水面下で動く -1-
「えっと、お兄ちゃん。話が難しくてちょっとついていけてないんですが……二十二区が悪者ですか?」
悪者ってのは、随分と短絡的な分類ではあるが――
「その可能性が高い。というか、そうであればしっくりくるって感じだな」
「むむむ……分からないです」
今回の件で、とても怒っているロレッタは、頑張って俺たちの話についてこようとしているが、まだよく分かっていないようだ。
「まず、地理をもう一度よく整理してみろ」
「えっと、三十区は二十三区と二十九区と接してるです」
「そう。で、その先にあるのは?」
「十一区と二十二区です」
「三十区には街門があるから、外からやって来た商人は三十区、二十九区、二十二区のルートか、三十区、二十三区、十一区のルート、どちらかを通って中央区へ向かう。これは分かるな?」
「はいです」
二十三区にも二十九区にも、あからさまではないにせよ関所のような施設が設けられていて、そこで通行税の徴収が行われている。
行商人にしてみれば、街門を入る時に入門税を取られ、『BU』を通る時に通行税を取られるわけで、かなり気分が悪いだろうな。
「二回も税金を払いたくないと思ったら、ロレッタならどうする?」
「三十区で品物を全部売っちゃうです!」
おぉっと、優等生!?
そうか、こいつの頭の中には不正をするって選択肢がないのか。
「ロレッタはいい子だね」
「うむ。さすがは私のお義姉様だ」
エステラとルシアが微笑ましそうに笑みを浮かべ、アッスントが苦笑を漏らす。
「へ? な、何か違うですか? あたし、間違ったですか?」
「いいや。お前は正しい。お前だけが正しいよ」
こっちサイドの人間は性根が腐りきっているのだろう。
俺は詐欺師なので望むところではあるが、清廉潔白を謳う領主や行商ギルドがそうなのはちょっとどうなんだろうなぁ、おい?
「だが、この場合の解答は『力のあるヤツに賄賂を渡して脱税する』だ」
「そんなのダメじゃないですか!?」
「だが、その方が儲かる」
そして、そういう儲け話に飛びつくヤツはこの世界に五万といる。
「通行税で1000Rb取られるとしよう。『なんとか通行税を回避するために協力してください』と権力者に500Rb渡して脱税をすれば、500Rb浮く。商人も権力者も双方が500Rb儲けるWin-Winな結果になる」
「『BU』が損してるですよね!?」
「あぁ。だが、他所の区のことだし、どーでもいいんだろ」
実際、無関係な区の領主が破綻しようが、俺らには関係のない話だ。
そっちで適当にうまくやれよってなもんだ。
「で、その脱税の最も簡単な方法は、『誰にも見つからない秘密の通路』を作ることだ」
「ロレッタさん。ニューロードを作る際、ヤシロさんは誰と誰に許可を得ましたか?」
アッスントの問いに、ロレッタは少し考えて回答を口にする。
「エステラさんとマーゥルさんです」
「そうです。入り口と出口、それぞれを管理する権力者に話を通せば通路は開通するんです」
つまり、三十区は十一区か二十二区の貴族と結託すれば脱税し放題って訳だ。
「そこで協力者の存在です」
興が乗ってきたのか、アッスントが俺に代わって解説役を始める。
「たとえば、ロレッタさん。あなたは陽だまり亭に不利益を及ぼす計画に協力をしますか?」
「絶対しないです! むしろ潰してやるですよ、そんな計画!」
「そうですね。では、ライバル店が不利益を被る場合は?」
「それでも、あたしは協力なんかしないです」
「もし、そのライバル店を潰した跡地をロレッタさんに譲るという話でしたらいかがでしょうか? ご自分のお店が持てますよ?」
あ、アッスント。それはダメだ。
「そんなの、全然嬉しくないです! 陽だまり亭分店は、誰かの悲しみの上には成り立たないです! 誰かの幸せと温かい笑顔が集まる場所、それが陽だまり亭です!」
「……そ、そう、ですね」
な?
ロレッタはそういうヤツなんだから、たとえに使おうとしてもダメなんだよ。
「……ロレッタ、よく言った。マグダも同じ考え」
「うふふ。みんな一緒ですね」
「ね?」とジネットが俺に視線を寄越す。
いや、俺は誰かの屍の上でも自分の幸せを謳歌できるけども?
……まぁ、陽だまり亭はそういう腐った土壌では育たないかもな。
「失敗しましたね。ヤシロさん、軌道修正をお願いします」
……ったく。
「四十二区ならそういう発想になるんだろうが、外に行けばそうじゃないヤツがたくさんいる。この情報紙を書いたようなヤツがな」
おのれの利益のために、平気で他人を蹴落とせるヤツはうんざりするほどたくさんいる。
「他人を陥れるのは、自分に刃が向く危険を常に伴っている。そんな危ないこと、なんの見返りもなくやるヤツがいるか? 何かしら旨みがあり、それにまんまと乗っかったバカがいるんだよ」
「それが、二十二区ですか?」
「いや、二十九区の方だな」
「はぅ……なんか、いっぱい出てきて混乱したです」
頭を押さえるロレッタに、ゆっくりと教えてやる。
「三十区と繋がることで直接的に利益が上がるのは二十二区か十一区だ。どっちが下手人かを判断する時は、間接的に利益を得るヤツを調べればいい」
「それが、二十九区なんですか?」
「二十九区の貴族が組合を使って四十二区に嫌がらせをしているとするなら、それはウィシャートの思惑に合致していることになる」
偶然に悪意が同時多発するなんてことは滅多にない。大抵はその裏に意図的な何かが蠢いているもんだ。
なんらかの目的のために、複数の者が行動を起こしている。そう考えるのが自然だ。
「では、二十九区の貴族が得られる間接的な利益とは何か……?」
「えっと……脱税されると『BU』にはお金が入らないですよね…………あれ? 損してないです? だったら、下手人は十一区の方じゃないですかね? 二十九区が損をして潰れたら、二十三区から十一区へのルートに商人が集まって儲けられるですよね?」
なるほど。
そういう発想になるのか。
損をすれば潰れるってところまでは合ってるんだけどな。
「通行税が減って不利益を被るのは二十九区ではなく、二十九区領主だ」
「へ? 何が違うですか? 二十九区の領主が二十九区を運営するですよね?」
「あぁ。それが出来なくなると区は破綻、領主はその権限を剥奪されるだろうな」
ロレッタの勘違いは二つ。
二十九区領主と、二十九区の貴族が同じ立ち位置にいるという勘違い。
双方が二十九区をよくしようと協力関係にあると思っているのだろうが、そんなお人好しが集まってるのは四十二区くらいだ。
他所では足の引っ張り合いが横行してるだろうよ。
そしてもう一つは、二十九区の貴族が脱税に協力しているという勘違い。
脱税に関与しているのは、秘密のルートの入り口と出口の二つの区だけだ。
二十九区の貴族は『その脱税に起因する利益』を享受するために協力しているに過ぎない。
「区が破綻して領主がクビになったら、二十九区の領主というポジションが空くよな? そうしたら、他の誰かが領主にならなければいけない。その際、『近隣の区ととても仲のよい貴族』が区内にいたら――そいつが推薦されると思わないか?」
「え……」
ロレッタの顔が青くなる。
そんな事実は信じたくないと、そんな人がいるなんて認めたくないという表情だ。
そうだよな。お前の気持ちは分かるよ。
でもな、いるんだよ。そういうクズは、うんざりするほどな。
「……二十九区の、その貴族は、わざと二十九区の領主を……マーゥルさんを追い出そうとしてるですか……?」
二十九区領主、エーリン家が破綻すれば、その後釜に収まりたいと思う貴族は大勢いるだろう。
そのためになら、なんでもするってヤツがな。
「だから、秘密のルートがあるのは三十区と二十二区の間である可能性が高いんだ」
通行税が減れば、二十九区への打撃は大きい。
『BU』が共同体という形を取り補填し合っていなければ、もっと早くに潰されていたかもしれない。
その共同体も、四十二区との衝突で若干形を変えた。
仕掛けるチャンスだと思われたのかもしれない。
「二十九区が潰れることで得をする協力者がいて、そいつが今現在張り切って四十二区に嫌がらせを行っているってことは、つまりそういうことなんじゃないかって……こっちの腹の黒い三十五区の領主と行商ギルドのブタは言ってるんだよ」
「待て! 貴様にだけは言われたくないぞ、カタクチイワシ!」
「まったくその通りですよ、心外です」
腹の黒い人の反論をスルーする。
「まぁ、まだ確定ではなく、その確率が高いってだけだ。せいぜい90%ってとこか?」
「もうほとんど確定じゃないですか!?」
だって、そうじゃないと二十九区の貴族がこんなに張り切って稼ぎ頭のトルベック工務店に攻撃してくる理由が見当たらないんだもんよ。
ウィシャートの憂さ晴らしだぞ?
専属を断ったからって理由でここまで大事にしたんだぞ?
相当な見返りがあるとしか思えない。
「……なんか、怖いです。貴族の考えることは」
自身の体を抱き、ぶるっと身を震わせるロレッタ。
そのロレッタに、ロレッタと同じくらい青い顔をしたエステラが話しかける。
「うん、貴族は怖いんだよ。だからね、ロレッタ――」
ロレッタの肩に手を乗せ、ゆっくりと言い聞かせる。
「二十九区の領主はゲラーシー・エーリン。マーゥルさんじゃないから、他所では絶対間違えないでね」
あ、やっぱそこ引っかかってた?
他所でそんな失言されると後々面倒なことになるもんな。
マーゥルが領主の座を狙ってるなんて噂が四十二区のせいで広まったら……あとが怖いよなぁ。
エステラの気迫に、ロレッタは無言で「こくこくっ!」っと頷いていた。
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