288話 貴族というもの -3-

「というわけで、ナタリア、ギルベルタ。ウーマロたちと港の工事に関する契約書を作り直してくれ。オマールもそれでいいよな?」

「え? あぁ、もちろんだ。組合側に残るよりトルベック工務店につく方が、俺たちにとっちゃメリットがでかいからな」

「やはは……、相互扶助ッスよ? こっちもメリットはあるッスから、お互い様ッス」


 ウーマロはあくまで謙虚だ。

 巻き込んじまったって気持ちがあるんだろう。

 こりゃ、今後全力でフォローするんだろうな。どんだけ抱え込む気だよお前は。


「このお人好し」

「ヤシロさんほどじゃないッスよ」


 こっちこそが、お前ほどじゃねぇっつの。


「では、書類の作成に取り掛かります。皆様こちらへ」

「集まってほしい、すり合わせるために、条件を」


 俺たちから少し離れたテーブルに準備を整え、両給仕長が関係者を集める。

 本来、領主の館の執務室等、密閉された空間で行うべき契約の締結が大衆食堂の一角で行われている。

 いいのかお前ら、それで。


「みなさん、お待たせしました」


 こちらの話が終わったころ、ジネットが厨房から料理を持って出てくる。


「マーシャさんから魚介類をたくさんいただいたので、ブイヤベースにしてみました」


 トマトベースのスープに浮かぶごろっとした魚介類。かなり贅沢な見た目と、ほのかに漂うオリーブとニンニクの香りが食欲をそそる。


 しかしまぁ……


「すげぇくれたな」

「守ってくれたお礼だそうで」


 にこっと笑って、料理をテーブルに置いた後ぐぐっと身を寄せ、そっと耳元で教えてくれた。


「ヤシロさんに、美味しい料理を食べさせてあげてほしいと、お願いされちゃいました」


 そして、腕によりをかけて作ったのが、このブイヤベースか。

 見るからに美味そうで、堪らなく美味そうな香りがしていて、食べれば間違いなく美味いのだろう。


「港が出来たら、もっとたくさんお魚料理が作れますね」


 嬉しそうに言って、そして、きょろきょろと素早く辺りを見渡して、再びこそっと俺に耳打ちしてくる。


「鯵の尾頭付きだって、つまみ食い出来ちゃいますね」


 言って、くすくすと笑う。

 普通に食えばいいだろうにとは思うものの、つまみ食いという秘密の行動がなんだか楽しいのだろう。

 豪雪期明けにしたカンパチのつまみ食いが楽しかったんだな。顔にそう書いてある。


「だったら、今度タコわさを教えてやるよ」

「なんですか、タコわさって? お料理ですか?」

「料理ってほど大したもんじゃないんだが、生のタコをぶつ切りにして、出汁と醤油とみりんで味を調え、ワサビと鷹の爪でピリッと辛いアクセントをつけるんだ。結構美味いぞ。酒のあてにしてもいいし、飯も進む」


 そして今度は俺がジネットの耳元へ口を持っていき、悪魔の誘惑のように囁く。


「何より、つまみ食いがバレにくい」


 驚いたように目をまん丸くしてこちらを向き、数瞬後には笑い出す。


「もう、わたし、そんなに食いしん坊じゃありませんよ」


 いやいや、つまみ食いを期待している時点で食いしん坊だよ。

 何より、母親がアレだからな。絶対に遺伝している。血の繋がりよりも強固な絆で結ばれているこいつら母娘なら確実に。


「うふふ……。でも、海魚は好きなので、ちょっと食いしん坊になっちゃいそうです、わたし」


 海魚が好き。

 そう言えばそんなことを言っていたような気がする。


「祖父さんが食わせてくれたんだっけ?」

「はい。『今日はご馳走だぞ』って、……ふふ、毎回同じことを言って……きっと、お祖父さんも海魚がお好きだったんでしょうね。今思えば、子供のようなキラキラした目をしていたような気がします」


 楽しい思い出がある料理は一層美味しく感じる。

 祖父さんとの特別な食事だった海魚は、ジネットにとって、これからもご馳走であり続けるのだろう。

 俺にとってのアップルパイのように。


「じゃあ、今後は海魚料理をもっと食べるとするか」


 外から聞き慣れた荷車の音が聞こえ、俺はことさら大きな声で言う。


「行商ギルドを通さず、マーシャから直接もらえば安くつくし」

「聞こえましたよ、ヤシロさん」


「んふふ」と笑いながら、アッスントが店へと入ってくる。

 まぁ、アッスントが来たと分かったから言ったんだけど。


「多少はお目こぼしできますが、港が出来たらきちんと行商ギルドを通してくださいね」

「え~、俺らにメリットないじゃん」

「あなたの親友である私が儲けられて幸せな気分になれます」

「それ、俺のメリットじゃねぇし」


 つか、親友って何?

 なに勝手に名乗ってんの?

「この中で親友のいる人~?」ってクラスで聞かれて、自分は手を上げたのに親友だと思ってる相手は手を上げなかったっていう衝撃的な物悲しさを味わいたいわけ?


「珍しいな、こんな時間に」


 時刻は昼過ぎ。

 アッスントが陽だまり亭に顔を出すのは、大抵店を開ける前。早朝だ。


「お前、売りつけるだけで全っ然食いに来ないのにさ」

「いえ、あの……売りつけるではなくご注文の品をお届けに来ているだけなんですが……いやまぁ、ついでにお得な商品をお勧めさせてもらってはおりますが」


 こっちは金を払う一方だ。

 不愉快だ。


「私には妻がおりますもので、基本的に食事は家でとっているのですよ」

「『主食は私の妻です』って? 卑猥の権化か、こんな真っ昼間から」

「言ってませんよ、そんなことは!?」


 ジネットがほのかに赤い顔をして、アッスントからそそっと離れていく。

 うんうん。離れなさい。距離を取りなさい、こんな金も落とさないエロブタからは。


「で、今日は何を売りつけに来たんだよ?」


 また氷室か?

 あれは今検討中だぞ。……ちょっと欲しいと思ってしまっているから始末に負えない。あぁ、くやしい。


「いえ、今日は贈り物をお届けに来たんですよ」

「離婚届か? 待ってろ、今エステラを呼んでくる」

「違いますし、誰が喜ぶんですか、そんなもの!?」


 俺はなんとなくハッピーになれると思うが?

 そもそも、アッスントに嫁がいるって事実が地味に腹立つからな。


「呼んだかい?」

「なんでもありませんよ、エステラさん。どうぞ、そちらのお話を続けてください」

「なに、気にするでない。こちらはもうほとんど話し合うことなどはないのだ。トルベック工務店の申し出は、こちらにとって願ってもないことばかりなのでな。都合が良過ぎて申し訳ないくらいだ」


 エステラに続いて、ルシアまでもが話し合いの席を立ってこちらへやって来る。

 二人の給仕長と、二人の棟梁があーだこーだ言いながら書類をまとめている。


「離婚するの?」

「しませんよ。私は、一生を妻と添い遂げると誓ったのです」

「よし、エステラ。アッスントの嫁にジゴロをあてがって離婚させ、アッスントを『精霊の審判』でブタにしてやろうぜ!」

「なぜそんなに意欲に燃えているんですか……の前に、『精霊の審判』ではブタにはなりませんし、もうブタですし!」

「……アッスント。店内では静かに」

「おたくの店員さんですよ、私に声を荒らげさせているのは……」


 正論を言うマグダを見てため息を吐くアッスント。

 小さな女の子に諭されてるんじゃねぇよ、みっともない。


「……離婚したら、ウーマロに単身者用の家を作ってもらえばいい」

「離婚しませんし、なぜ私が家を追い出される前提なんですか? あれは私の持ち家ですので、出て行くなら妻の方ですよ」

「アッスントさん、奥さんを家から追い出すつもりなんですか!? 酷いです! 言い触らしてくるです!」

「追い出しませんよ!? ずっと一生添い遂げる所存です!」


 飛び出そうとしたロレッタを必死に止めるアッスント。

 あいつが走り出したら、小一時間で四十二区中に知れ渡るからな。


「……やめて、アッスント。そんな乱暴にロレッタの服を……あぁっ」

「『会話記録カンバセーション・レコード』に、なに不穏なセリフを残そうとしてるんですか、マグダさん!? いいですか、エナ!? たぶんここら辺読むでしょうけれど、私は誤った情報を発信しようとしたロレッタさんのエプロンを掴んだだけですからね!?」


 そんな言い訳を、ここにはいない妻(実在するかは未確認)にしているアッスント。

 え、なに?

 お前んとこの嫁、『会話記録カンバセーション・レコード』のチェックなんかするの?

 彼氏のメールチェックする束縛彼女みたいに?

 うわぁ……


「お前、信用ないんだな」

「妻が『会話記録カンバセーション・レコード』を見たがる原因の八割以上があなたのせいなんですよ、ヤシロさん」


 どうやらアッスントの嫁は、俺とアッスントの会話を読むのが好きなようだ。

「なんでも楽しそうに見えるようで……困ったものです」と、アッスントがため息を漏らした。

 こいつ、嫁には頭が上がらないんだな。

 尻に敷かれっぱなしか。ずっと尻の下。


「嫁の尻触り放題か、この卑猥の権化」

「なんの話ですか!? やめてください、ここを読んだ妻が小間使いたちに言い触らしますので!」


 アッスントは、家でもオモチャにされているらしい。


「……さすがアッスント」

「自分のポジションをよく理解しているです」

「そのポジション、是非とも辞退させていただきたいんですが……」


 マグダとロレッタの言葉にげんなりするアッスント。

 まぁ、諦めろ。お前はみんなのオモチャになってるくらいがちょうどいい。

 ただでさえ腹の黒さが知れ渡ってるんだから。


「グーズーヤ。腹が黒いっていうのは、こういうヤツのことを言うんだぞ」

「まだ気にしてるんですか、ヤシロさん……もう忘れてくださいよ」


 すみっこの方で大人しくしていたグーズーヤにしっかりと教えておく。

 そして、俺は絶対忘れない。


「それで、君の持ってきた贈り物って、なんなんだい?」


 こちらの遊びが一段落したと見て、エステラがアッスントに話を振る。

 それを待っていたとばかりに、アッスントは自信たっぷりに息をのみ、潜めた声で言葉を発する。


「デイグレア・ウィシャートの背後を洗ってきましたよ」


 どうやら、贈り物ってのは情報らしい。






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