287話 手に手を取って -1-

「すみませんでした。反省します。ゴメンナサイ……」


 グーズーヤが陽だまり亭のフロアの端っこの方で三角座りをして泣いている。


「エステラにいじめられたせいで」

「六割は君のせいだよ」

「……四割は認めた微笑みの領主なのであった」

「あんまり意地悪をしてはダメですよ」


 もともと、グーズーヤの失言が原因だ。自業自得だろう。


「そもそも、君のおなかが黒いからボクにまで偏見の目が向けられるんだよ」

「お前がだろう? ちょっと腹見せてみろよ。きっと内側の黒さが透けて見えてるぞ」

「残念ながら、ボクのお腹は新雪のように真っ白だよ。レディだからね、日焼けには気を遣っているんだ」

「ほぅ、どれどれ?」

「見せないよ」


 腕を伸ばすと、ぎゅっと手首を掴まれた。

 なんだよ、腹くらい。水着の時は散々見られただろうに。


「まったく、『会話記録カンバセーション・レコード』は欠陥品だな。なぜ見た風景まで記録しておけないのか……」

「卑猥な目的でしか利用しないだろう、君なら。なくて正解だよ、そんな機能」


 ラッキースケベを半永久的に記録保存できるなんて、夢のような機能だと思うがなぁ。


「もし、そのような機能があれば、もう会えなくなってしまった人の笑顔を見られていいかもしれませんね」


 少し寂しそうにジネットが言う。


「でも、会いたくなってしまって、やっぱりダメかもしれませんね」


 写真やビデオがあれば、在りし日の姿は見られる。

 けれど、どうやっても会うことは出来ない。会話することは出来ない。

 それは寂しさを増長させるかもしれない。


 もしかしたら、ジネットは独りぼっちだった頃、祖父さんとの会話を『会話記録カンバセーション・レコード』で読み返したりしていたのかもしれないな。


「ジネットだったら、地面がたくさん記録されるんじゃないか? よく転ぶから」

「むぅ。そんなことないですもん」


 ほっぺたを膨らませて、そしてにこりと笑う。

 寂しさが少しは抜けていっただろうか。


「でも、過去の風景を記録することが出来ていたら……」


 両手を合わせて、ジネットが俺を見る。

 時折見せる、今よりも少し遠い過去を見つめるような瞳で。


「この付近が賑やかだったころの風景を見せてあげられましたのに。ちょっと残念です」


 ジネットにとって、とても楽しかった記憶なのだろう。

 道を歩けば顔なじみがたくさんいて、陽だまり亭の周りにも家がたくさん建っていて……


「いや、別に見せなくていいよ」


 写真の一枚でもあったなら見せてもらったが、ないものを見たかったと言っても寂しさを思い出させてしまうだけだ。


「今でも十分賑やかだからな、この辺は」


 毎日毎日誰かしらがやって来て、そいつらがいちいち大騒ぎをしていく。

 ここくらいだぞ?

 他区の領主が風呂上がりに集まってきてわいわい騒ぐ食堂なんて。


「ふふ。そうですね」


 ジネットの笑みに温かさが戻る。

 過去は変えられないが、未来なら自由自在だ。存分に楽しんでやればいい。


 それに、どうせすぐ賑やかになるだろうしな、この辺も。

 ウーマロたちがこの辺に家を建てれば、住みたいってヤツは大勢出てくるだろう。

 そうなったら毎日毎日騒がしくて堪らなくなる。


 変なヤツが住み着かないように、この辺の地価を上げておかなきゃな。

 ……あ、ダメだ。

 この街は金を持ってるヤツほど変なヤツが多いんだった。

 ルシアやハビエルやマーゥルみたいなのが集結したら目も当てられない。

 紹介制にしようかな。陽だまり亭の審査に通った者だけが住むことを許されるようにした方が安心だ。


「ジネット。あらかじめこの付近の土地を買い占めておこう。変なヤツが引っ越してこないように」

「うふふ。面白い方が引っ越してこられたら楽しいじゃないですか」

「ドニスやルシアみたいな変態だったらどうする!?」

「ヤシロ。他区の領主に暴言を吐かないように」

「ぺったんこ」

「自区の領主にも暴言吐くな!」


 テーブルを飛び越えてエステラが俺の首を絞めてくる。

 ほらな。

 こういう危険人物が引っ越してきたら大変だろう?

 だから、周りの土地を買い占めておくんだよ。


「で、どうしてもこの辺に住みたいというのなら、四倍くらいの値段で売りつけてやればいい。今後の迷惑料も込みにして……ふふふ、暴利って、いい言葉だよな」

「君は、そんな発想を持ちながらよく自分の腹が黒くないだなんて主張できるよね」


 バカモノ。

 価値ある土地を高く売るのは普通のことだ。


「いっそのこと、マンションを建ててオーナーになるか。そうすれば賃貸収入でウハウハだ」


 オーナーなら、気に入らないヤツを拒否することも出来るし、あとから追い出すことも可能だし。


「何より、無料でマンションを建ててくれる知り合いが、俺にはいるし☆」

「待ってッス、待ってッス! その『マンション』っていうの、ニュータウンの寮みたいな規模の集合住宅ッスよね? それを無料ではキツいッスよ!? せめて二階建てで八世帯程度に留めてほしいッス!」

「……そこまでだったら無料でやってもいいと思ってしまっているウーマロは、もう末期」

「ウーマロ。君は少しヤシロに会う頻度を落とした方がいいかもしれないね」

「そんなっ!? マグダたんに会えなくなるくらいなら、オイラヤシロさん色に染められた方がマシッス!」

「やめろ、ウーマロ。……レジーナが来る」


 発言には気を付けろ、バカ。

 あいつが引っ越してきたらどうするんだ。レジーナなら、他人の家で引きこもるくらいのことは平気でやりかねないんだぞ。

 陽だまり亭に住み着かれたら駆除が大変だ。


「レジーナさんがご近所さんになると、今よりたくさん会えるようになって嬉しいですね」

「やめとけ。下着を干す度に一枚二枚行方知れずになるぞ」

「その危険は今現在も変わらないんじゃないのかい?」

「……最近、ジネットが巧妙になってな……」


 気付いたら干し終わってるんだ。

 なぜだ?

 俺がジネットの行動を読めないだなんて……っ!


「……店長が下着を干す時は、マグダがヤシロを外へ連れ出している」

「なっ!? そんなことしてたのか!?」

「……ノーマやデリアにも協力を要請している」

「だからたまにしょーもないことで呼び出されるのか、俺は!?」


 いや、でもまぁ、結局行ったら行ったで結構話し込んじゃうんだけども。

 だって、ノーマが歯車とか見せてくるからさぁ、それを何に活用するかとか、話は尽きないわけで。


「そんなに警戒しなくても盗らないのに」

「ヤシロさんは……前科があるからダメです」


 違うもん。

 前のは落ちてたヤツを拾っただけだもん。

 落ちた桃は持ってっていいって桃農家の人が言ってたもん。

 パンツ農家の人だって落ちたパンツは持ってっていいって言うに決まってるもん。


「チェアベッドを持ち込んで、優雅に眺めるだけだって」

「見るのもダメです、もう!」


 美しい風景は、心に焼きつけておきたいものだろうに。

 写真もないこの世界でなら、なおさらな。


「君は腹が黒いだけでなく、頭の中は桃色なんだね」

「じゃあ、お前のお尻は青いのか?」

「失敬な!」

「そっくりそのまま返してやるよ」


 ケツの青い新米領主ってのが、他区からの評価っぽいぞ。

 ほれ見せてみろ。本当に青くないか確認してやろう。


「……ウッセは腹が黒い。本当に」


 マグダがぽつりと言う。

 ウッセは腹黒というよりただのバカだと思うが……


「……ウッセは上半身裸で解体場をうろついていることが多い。なので焼けている」


 くっそ重たい魔獣を運んで、解体するのは相当体力を使うのだろう。

 服を脱ぎたくなるくらいに汗もかくのだろう。

 想像したところで、まったく面白くともなんともない光景だな。


「……ヤシロも、少しは焼いた方がたくましく見える」


 とかなんとか言いながら、俺の服の裾をぺろ~んとめくり上げるマグダ。

 俺の腹筋があらわになり、同時にジネットとエステラが短い悲鳴を上げた。


「な、何をしてるんだい、マグダ!?」

「だ、だめですよ、そのようなことをしては!」


 顔を背け、手で目元を覆いながら、指の隙間から視線だけをこちらに向ける二人。

 あぁ、なるほど。

 チラ見って、こんな感じでバレるんだ……

 いや、腹筋くらい見られても別にいいんだが。


「俺が日焼けすると、『やっぱり腹が黒い』って面白くもない面倒な絡み方をしてくるヤツが出てきて鬱陶しいだろ?」

「……確かに。エステラの幼馴染とか、言ってきそう」

「ボクの幼馴染はジネットちゃんとマーシャだから、そんなことは言わないよ」


 どんなに目を逸らしても、リカルドはお前の幼馴染だぞ、エステラ。

 諦めろ。


「あ、あの、やしっ、やしろさん、その、服を、戻しましょう、ね?」

「ん? あぁ、悪い」


 リカルドの話題が出て、すぐさま冷静さを取り戻したエステラとは異なり、ジネットはずっとあわあわしている。

 目に毒ってヤツだな。


 ……の、割にはチラチラ見てたなぁ。


「……ジネットのエッチ」

「はぅっ!? そ、そんなことは…………はぅぅ、懺悔します」


 見ていたという自覚はあるのだろう。

 ジネットが項垂れる。

 と、同時にエステラに頭をぽふっと叩かれた。


「イジメないの。マグダも、レディとして嗜みある行動をするようにね」

「……分かった、善処する。『チラ見の領主様』の言うとおりに」

「よぉし、その反抗的な態度を悔い改めさせてあげよう!」


 と、エステラが腕まくりをした時、外から馬車の音が聞こえてきた。

 そうして、程なくロレッタが陽だまり亭へと戻ってくる。


「ただいまです! お手紙届けてきたです!」


 ルシアのところへ手紙を届けに行ったロレッタ。

 どうやら、その返事をもらってきたようだ――本人ごと。


「邪魔をするぞ、カタクチイワシ」


 ルシアが四十二区に乗り込んできた。






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