287話 手に手を取って -2-
「ルシアさん、いらっしゃいませ」
「うむ。邪魔をするぞ、ジネぷー」
ジネットがルシアに席を勧める。
「ギルベルタさんも、どうぞ。今、お茶をお持ちしますね」
「ありがとう思う、友達のジネット」
「じゃあマグダ、ロレッタ。ちょっと手伝ってくれ。テーブルをくっつける」
「……任せて」
「お手伝いするです」
俺たちがテーブルの移動を始めた時、エステラが外を指さした。
「ごめん。ちょっとナタリアを呼んでくるよ。ルシアさんが来てくれたなら、工事関連で書類を作りたいから」
「それなら行く、私が」
「ギルベルタはルシアさんのそばにいなきゃダメだよ。一応、四十二区は他所の区なんだから」
「感謝する、心遣いに、微笑みの領主様の」
「……なら、微笑みの領主呼びをやめてくれると嬉しいんだけどね」
乾いた笑いを漏らすエステラ。
そのまま外へ出ようとするエステラを、ロレッタが呼び止める。
「待ってです、エステラさん。ナタリアさんなら、あたしが呼んでくるです」
「いや、でもロレッタは今帰ってきたばかりじゃないか。三十五区は遠かっただろ?」
「平気です! あたしまだまだ元気ですから」
何か役に立ちたい。
そんな気持ちが顔に滲み出している。
「じゃあ、お願いできるかな? ありがとう」
「いえいえ。では、行ってくるです」
エステラも、ロレッタの気持ちを汲んだようだ。
何かしたいって気持ちが急いている時は、動いている方が気分的に楽だからな。
今、ロレッタはちょうどそんな感じなんだろう。
エステラがロレッタと話をしている間に、マグダとギルベルタがテーブルを準備してくれた。俺もちょこっと手伝った。
「ウーマロ。お前も座れ。おそらく組合の話だ」
「はいッス。じゃあ、お邪魔するッス」
「ギルベルタ。オマールを呼んで参るのだ」
「了解した、私は」
オマールは三十五区の大工だが、最近は港の工事のため四十二区に泊まり込んでいる。
ニュータウンにある空きアパートをカワヤ工務店に丸々一棟貸し与えているのだ。
「これからニュータウンに行くのか?」
「違うと答える、私は。いる、外の馬車の中に」
「外の馬車に?」
なんで四十二区に滞在しているオマールがルシアの乗ってきた馬車に乗ってんだよ?
「昨日のゴロツキとの一件を報告に来ておったのだ。そうしたら、エステラからの手紙でトルベックが大変だと聞いてな。カワヤを引き連れてやって来たというわけだ」
三十五区は三十五区でバタバタしたらしいな。
「なんで一緒に入ってこなかったんだよ?」
「私の馬車に同乗させてやったら、緊張のあまり目を回してしまってな。馬車の中で寝かせてやっているのだ」
「……どんだけ肝っ玉小さいんだよ」
そういえば三十五区の領民って、みんなルシアを恐れていて、ルールに厳格で若干融通が利かない性質だったっけなぁ。
花園にいる間はルシアにもフランクで、花園を一歩出ると兵隊みたいにかしこまるような極端なヤツもいた。
「すげぇ怖がられてんだな」
「違う。緊張から来る心労だ」
「無礼を働いたら何されるか分からないもんなぁ……あ~怖い怖い」
「無礼しか働かぬ貴様に言われる筋合いはないわ! 私ほど寛容な領主はそうそうおらぬだろうが!」
領民との距離が大きいのがこいつの密かな悩みだ。
そういう面では、エステラに憧れていたりするのかもしれないな、こいつは。
「す、すみません……醜態をさらしてしまいまして」
真っ青な顔でふらふらとやって来るカワヤ工務店代表、オマール・カワヤ。
吐きそうか?
トイレ行くか? 好きだろ、トイレ?
「遅くなりました」
ふらつくオマールが席に着くより早く、ナタリアが陽だまり亭へとやって来た。
ロレッタにおんぶされて。
「あのっ、そろそろ降りてほしいです!」
「やだPi☆」
「そのイラッてするの、効果ないって学習したですよね!? 生みの親であるマーシャさんだって『あ、これダメだ』ってぽろっと言ってたですよ!」
だからこそあえて使ってんだよ、ナタリアは。
つか、随分早く着いたと思ったら……何やってんだよ、お前らは。
「ナタリア。後ろから見るとお尻のライン丸出しですげぇ卑猥な格好になってるぞ、それ」
「では降りましょう。無料サービスするのはもったいないですので」
すっと降り立ち、スカートの裾を払うとたちまち給仕長の雰囲気を纏う。
なぜ公私がここまで極端に真逆なのか……
「おや? 大丈夫ですか?」
目の前をふらふらと歩くオマールを見つけ、ナタリアが声をかける。
「あなたは三十五区の、たしか……トイレット・ハバカリさん、ですよね?」
「惜しいけど違うよ!?」
意味はほぼ一緒だね!
でも、そういうことじゃないんだ、名前って。
「とりあえず座ってくれるかい、ミスター・カワヤ」
「そ、そんな!? 微笑みの領主様にそんな敬称なんて……恐れ多いですっ!」
一応、こっちの影響で迷惑をかけるからと「ミスター」呼びをしたところ、想像以上に熱量の高い返事をもらって頬を引きつらせるエステラ。
なんか、ルシアに対してよりも緊張してないか、このオッサン。
「あ、うん……じゃあ、オマールって呼ばせてもらう、ね?」
「微笑みの領主様に名前を!? あの愛くるしい唇から、俺なんかの名前が!? 尊い! 尊過ぎて死ぬ!」
「うん、ごめん。ちょっと一回黙ってくれるかな!?」
俺の勘違いだった。
オマールは緊張しているんじゃない。
発症していたんだ。
「エステラ……患者を増やすなよ」
「ボクのせいじゃなくないかな……?」
症例がトレーシーとそっくりなんだから、きっとこれはエステラ症候群に違いない。
「とりあえず、普段通りにしてくれるかな」
「はい! 領主様!」
いや、お前の領主は隣の怖い顔をしたルシアの方だろうが。
「エステラよ……盗るな」
「盗ってませんよ!?」
領民の流出は収入にも響くからな。
「仕方ないので、ハム摩呂たんと交換ということで――」
「さぁ、さっさと話を始めるですよ!」
ルシアの話をロレッタが遮る。
よ、ナイス長女。弟を守るよく出来た姉だな。
ぷりぷり怒るロレッタを見て、ルシアが「これはこれで……」みたいなにんまりした笑みを浮かべる。
末期め。
そんな末期患者が表情を引き締める。
「まず、知らせてくれたことに礼を言う」
「いえ、必要だと判断しましたので。簡略化した手紙で失礼しました」
「気にするな。私とそなたの仲だ」
領主的な笑みを交わす二人。
その奥に、もう少しだけ柔らかい表情が見え隠れしている。
「ゴロツキどもの対策が必要になるだろうなと思っていた矢先にこれだ……思ったよりも行動が早かったな」
ウィシャートが行動を急いだ理由には、なんとなく見当が付く。
「港の工事が進むほど、後乗りは難しくなるからな。工事の初期段階で止めたかったんだろうよ」
「相談や援助という形で障害を取り除く手助けをすれば、少なからず関係は繋げるということか……」
あからさまな嫌がらせを見せつけておいて、それを自分で治める。そして手を差し出して、「この手を取らないと、また同じことが起こるぞ」と脅してくる。
いわゆる『みかじめ料』ってヤツだな。
「しかし性急であったと思わぬか? あまりにあからさまな行動を起こせば、咎が自分に向くことになろうに」
「エステラに――四十二区に何を言われようと突っぱねられると思ってんじゃないのか?」
「我が三十五区や『BU』、それに三大ギルドが結託していると理解した上でか?」
「被害はまだ四十二区にしか出ていないからな」
自区の民を危険にさらしてまで揉め事の渦中に飛び込もうとする領主はいない。
いるとしたら、もしいたら、そいつは領主失格だ。
エステラなら、ルシアやデミリーが誰かに苦しめられていれば、頼まれる前に渦中へと飛び込んでいきそうだが、そんな領主は少数、いや唯一と言ってもいいかもしれない。
「それに、ウィシャートが関わっている証拠は、今のところ存在しないしな」
俺らの中ではクロ確定だが、ヤツを組み伏せるだけの物的証拠は何もない。
おまけに被害を受けているのは四十二区だけ。
他所の区を引っ張り込むには弱過ぎる。
「あとは、世論を味方に付けて四十二区領主の行動を封じる腹づもりなんだろう」
「世論だと? ゴロツキを操って騒ぎを起こすような者を支持する者などいるはずがなかろう」
「それが、そうでもねぇんだよ」
最新の情報紙をルシアへ渡す。
ざっと目を通し、ルシアが額に青筋を浮かべた。
無言で情報紙をオマールへと渡すルシア。
オマールもざっと目を通して「……ひでぇ」と呟きを漏らす。
「……組合め」
目を伏せたまま、ルシアが低く唸る。
「こちらの都合で申し訳ないのですが、おそらく組合から四十二区に協力するなという圧力がかけられると思います。カワヤ工務店にはいろいろ勉強させてもらえると思っていたので残念ですが、今回は自分たちでなんとかしてみます。ルシアさんの気遣いを無駄にしてしまって心苦しいのですが」
トルベックとカワヤ、両工務店の大工がうまくやれるようにとルシアはいろいろ骨を折ってくれた。
それらが全部無駄になったのだ。
「なぁに、むしろちょうどよいくらいだ」
ルシアが邪悪な笑みを浮かべ、エステラが「……え」と、ちょっと引いた声を漏らす。
「トルベック工務店のあらぬ噂を吹聴し、我が区の大工や貴族たちに微妙な圧力をかけてきている節があったものでな、組合との付き合い方は見直さねばならぬなと、そこのオマールと話しておったところだったのだ」
低く、微かに笑みを含む声でルシアが言い、研ぎ澄まされたナイフのような目つきで顔を上げる。
「言ってやるのだ、オマールよ」
「はい」
情報紙をテーブルに置き、オマールが胸を張って言う。
「俺らも、組合を抜けます!」
「「はぁ!?」」
エステラとウーマロが揃って声を上げる。
「というか、もう抜けてきた。連中がこちらに接触するより早く、絶縁状を叩きつけてきてやったわ」
爛々と輝く瞳が怖ぇよ、ルシア。
甘ちゃん領主は、エステラだけじゃなかったようだ。
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