286話 決断の時 -3-
『白昼堂々乱闘騒ぎ!
現在、新たな港を建設中の四十二区で信じられないような事件が発生した。
港の建設に携わるトルベック工務店の大工と、安全性に疑問を抱く住民との間で白昼堂々と乱闘騒ぎが発生したのだ。
流血沙汰にまで発展したその事件は少なくない住民に衝撃を与え、安全を掲げる領主の信頼へ大きな打撃を与えることとなった。
目撃した者は「とても恐ろしく感じました」「今までこんな事件起こったことがなかったのに」「最近街門付近の治安が悪化しているような気がする」などと述べ、不安の色が隠せない様子だった』
グーズーヤが怪我をした翌日。
イメルダが持ち込んだ『情報紙』の最新号に、そのような記事が掲載されていた。
「君の言った通りだね、ヤシロ。まんまと視点を変えられている」
エステラが奥歯を噛みしめる。
乱闘騒ぎが起こり、流血沙汰になったのは本当だ。
だがこの記事は、さも『トルベック工務店の大工が暴力沙汰を起こした』と思わせるようにミスリードされている。
「まったく呆れますわ。目撃証言に関しても、最近増えたゴロツキらしき風体の悪い男たちに対しての不安ですのに、まるでトルベック工務店のせいでい治安が悪化したような印象操作をされていますわね」
この記事を読んで大層憤慨しているらしいイメルダが、整った美貌に深いシワを刻み込んで顔を顰めている。
ここまではっきりと不快感をあらわにすることは珍しい。
「すぐに抗議をするよ」
「待て」
立ち上がるエステラを落ち着かせる。
「正面から行っても、『そんな意図はなかった』って言われるだけだ」
「でも、こんなあからさまな――!」
「『記者が未熟で、こちらの真意が伝わりにくい文章になってしまった。以後気を付ける』――って返事が来たら、次はどう攻める気だ?」
「う……か、書き直しを要求する」
「同じ記者にか? きっと、『大層ご立腹な領主から抗議があったため修正します』ってことをこれ見よがしに書かれて、お前が事実を隠蔽しようとしている風に印象操作されちまうぞ」
「なら、『情報紙』を発行している本部に乗り込んで――」
「お待ちなさいまし」
扇子でエステラの肩を叩き、イメルダが情報紙を取り上げる。
「ここを御覧なさいまし」
記事の下の方。
そこには、『土木ギルド組合の関係者は、「トルベック工務店は最近よくない噂が絶えない」とし、「これ以上問題行為が続くようでは処分も検討しなければならない」と本紙記者に語った』と書かれていた。
「事は、『情報紙』だけには留まっておりませんのよ」
「……また組合かっ」
固く握った拳を、自身の手のひらへ打ち付けるエステラ。
ここまで立て続けに足を引っ張られるのは相当フラストレーションが溜まるだろう。
他所からの妨害がなければ、工事はもっと順調に進んでいるはずなのだ。
……始まったばかりではあるが、このまま妨害が続けば工期はどんどん延びていく。
工期が延びれば延びるほど、支出は増える。
地味に痛いぞ、これは。
「ヤシロさん!」
陽だまり亭へ、グーズーヤが駆け込んでくる。
顔が真っ青で、若干泣きそうだ。
「棟梁が、組合に呼び出されて本部に行ったんです!」
「ウーマロが!?」
「はい! 昨日の件で、詳しい説明を求めるって……日も昇らないうちに馬車で迎えを寄越して……」
工事開始の時間になってもウーマロが現れないため、ウーマロの家に行ってみたところ書置きがあったらしい。
「それで今、ヤンボルドさんが本部に行くって出発して……それであの、とりあえずヤシロさんにも知らせた方がいいだろうって……だから!」
「いいから落ち着け。ジネット、グーズーヤに水を」
「はい」
どんな無茶な全力疾走をしたのか、膝が震えて床にへたり込むグーズーヤ。
マグダがその背中を撫でてやっている。
「昨日のことは話したんだよな?」
「はい……マグダたんも、一緒に来てくれて」
「……詳細を説明した」
事情は伝わっている。
だが、この『情報紙』のことは知らないだろう。
こちらに情報を十分与えないうちに、当事者ではない責任者を呼びつけ、判断基準があいまいなまま上から詰問して疲弊させる腹積もりか。
現場にいなかったウーマロは詳細が分からず、答えられないことが多々あるだろう。
それを「隠蔽するつもりか」と詰り、追い込み、とりあえずであろうと頭を下げさせれば向こうの勝利。非を認めたと大手を振って追い詰められる。
事実を捻じ曲げ大ごとにして喧伝できるってわけだ。
ウーマロが帰ってきてから『情報紙』を見て、「なんだこれは」と憤ったところで、先に謝罪をしてしまっていては、あとから行う抗議の効力は薄れてしまう。
「先ほど非を認めたではないか」と言われて終わりだ。
「……こうもあっちこっちからちょっかいをかけられるのは、面倒だね」
エステラが歯噛みする。
あっちこっち……ね。
確かに多方面から同時多発的に攻撃されているように見える。
が、……根っこは全部ウィシャートに繋がっている。
専属を断ったトルベック工務店への嫌がらせ。
利益へ食い込むことを拒絶した四十二区への嫌がらせ。
そして、俺が大々的に守ると宣言した港の工事の妨害。
そのすべてが、ウィシャートの意思に添っている。
俺は公明正大な法の番人じゃないんでな。根拠や証拠なんざ、状況証拠だけで充分だ。
もしこれが見当違いで黒幕が他にいるのだとしたら、そん時ゃ「ごめんちゃい☆」って言ってやるよ。
「なんにせよ、組合が港の工事の妨害行為をしたって事実はどう言い繕おうが消えない」
今回、組合は明確に四十二区の足を引っ張った。
ウーマロに任せておこうと、かーなーりー甘い判断に留めておいてやったというのに、連中は自ら戦火を巻き散らかしやがった。
「ウーマロが帰ってきたら説得だな」
「相談じゃなくて、かい?」
疑問形で聞きながらも、エステラ自身も腹は決まっている様子だ。
「トルベック工務店には、組合を抜けてもらう。百害あって一利なしだ」
「同感だね。それで生まれる損失は、四十二区領主が補填しても構わない」
「そこまでしてもらわなくても、僕らが棟梁に訴えますよ! もう我慢するのはやめましょうって! ヤンボルドさんだって、かなり限界に来てたんですから! 他の大工仲間だってそうですよ!」
「……マグダが言えば、イチコロ」
今回の先走った行動は悪手だったな。
ここまで状態を維持できていたのはこちら側の大いなる譲歩があってこそだ。
特別に与えられていた恩恵を当たり前だと勘違いし、その価値を見誤った。
組織をまとめる者としてお粗末過ぎる。そいつがトップじゃないにしても、そいつの悪行を止められなかった首脳陣が無能過ぎるという証左に過ぎない。
「ルシアさんに手紙を書いてくるよ」
おそらく、トルベック工務店が組合を抜ければ三十五区の大工たちにも影響が出る。
組合からの妨害で、「四十二区には組合員は貸し出さない」と言い出す可能性は極めて高い。
カワヤ工務店の連中は、そこまで大きな力を持っているわけではない。
こっちの都合に巻き込むのは申し訳ない。責任も取れない。
なので、今回は手を引いてもらうほかない。
港の建設はトルベック工務店だけで行うことになるだろう。
ルシアが文句を言いそうだが、自区の領民を守るためなら握った拳を下ろしてくれるはずだ。
「エステラさん。あたし、ルシアさんのところへ行ってくるです」
ロレッタがきりりっと眉毛を吊り上げてエステラに進言する。
「こういうのは、早さが命です。すぐに連絡して、すぐに連携するべきです。ね、お兄ちゃん?」
「ん? まぁ、それはそうだが……」
ロレッタが若干前のめりになり過ぎている感じがする。
というか……怒ってる、よな? 確実に。
「ウーマロさんは……トルベック工務店は、あたしの弟妹を受け入れてくれて、信用してくれて、仕事を与えてくれて……可能性を広げてくれた恩人です! そのトルベック工務店に弓を引く人間は誰であろうと許さないです。フルボッコです!」
ハムっ子たちが領民の信頼を得るきっかけを作ったのは、一流と言われるトルベック工務店で仕事をさせてもらったからだ。
あれがあったから、今のハムっ子がある。
どこに行っても信頼して仕事を任せてもらえている。
ロレッタは、その恩をずっと大切にしている。
どんなに仲良くなろうとも、受けた恩は忘れない。なくさない。蔑ろにしない。
こいつは、そういうヤツだ。
「分かった。ここですぐに手紙を書くから、それを超特急で届けてくれるかい?」
「はいです!」
エステラもそれが分かっているから、ロレッタに任せる。
ルシアも、ロレッタのことは気に入っているようだし、時間のロスなく情報の共有が出来るだろう。
「あの、ロレッタさん。弟さんたちの方が、ロレッタさんより足が速いのではありませんでしたか?」
「弟たちをルシアさんのところへ送るのは危険なので、あたしが行くです!」
うん。ルシアに対する信頼は、まだちょっと薄いらしい。
そしてその危惧するところは、きっと現実のものとなるだろう。
賢明な判断だ、ロレッタ。
「よし。随分と簡略化しちゃったけど、ルシアさんなら分かってくれるだろう。ロレッタ、よろしく頼むよ」
「はいです! じゃあ、店長さん。ちょっと仕事を抜けるです」
「はい。ロレッタさん、道中何事もなく、無事に帰ってきてくださいね」
「あは、マグダっちょがいつもやってもらってるやつです……」
ジネットの祈りを受けて、ロレッタが嬉しそうにはにかむ。
「元気百倍です! バッと行ってタタッと帰ってくるです!」
エステラの手紙を胸にしまい、ロレッタがドアを開ける。
「ウーマロさんが帰ってきたら、あたしはウーマロさんの味方ですって伝えておいてです」
言い残して、ロレッタが駆け出す。
砂埃が舞い上がり、すごい速度で足音が遠ざかっていった。
「はい。必ず伝えておきますね」
ロレッタを見送り、ジネットがそう呟いた。
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