286話 決断の時 -2-
「あ……いたたた……」
貴族の陰湿さに触れ、エステラの表情がどよ~んと曇ったすぐ後、一人の怪我人が陽だまり亭へ担ぎ込まれてきた。
「おい、どうしたグーズーヤ?」
そいつは、トルベック工務店の大工であり、陽だまり亭とは因縁深いひょろっと細長い男だ。
まぁ、過去の食い逃げは精算されているので今さらどうこう言うつもりはない。
そもそも、こいつが食い逃げを踏み倒そうとしたおかげでウーマロと出会えたんだからな。
縁ってのは、どんなところに転がっているのか、分かったもんじゃないな。
で、そんなひょろ長グーズーヤが肩を押さえている。
見れば薄らと血が滲んでいる。
「どうした? 魔獣にでもやられたか」
「あ、ヤシロさん! 違うんですよ!」
随分と興奮しているグーズーヤ。
グーズーヤに肩を貸してここまで運んできたもう一人の大工が「まぁまぁ」と宥めている。
「何があったんだ?」
比較的落ち着いているもう一人の大工に話を聞けば、休憩を終えて持ち場へ戻ろうとしたグーズーヤを笑う男たちがいたらしい。
「なんだあのガリガリ?」「あんなんで仕事になるのか?」「お荷物を抱えて、トルベックは大変だなぁ」「なぁ~に、あんな軟弱男、そのうち魔獣に食われてくたばるだろうよ」と。
グーズーヤは頭にきたが、相手は四人いた。
おまけにどいつもこいつもグーズーヤよりもガタイがいいガラの悪い男たちだったため、グーズーヤは何も言わずに立ち去ろうとした。
だが、男たちは「何見てんだ、テメェ!?」と難癖を付けてきて、グーズーヤに襲い掛かってきたのだという。
「狩猟ギルドが駆けつけてくれたおかげで大事にならずに済みましたけど、グーズーヤさん、逃げる時に転んじゃって……」
それで、手当てをするために陽だまり亭へやって来たと。
「……大工の腕に怪我をさせるなんて……なんて酷い連中だ」
エステラが拳を握って怒っている。
「グーズーヤ。男たちの顔は覚えているかい?」
「まぁ、一応。見れば分かると思います」
「なら、もしまた見かけたらすぐに衛兵に報告してほしい。君に怪我をさせた者たちを、ボクは許さない」
「いや、それが……」
歯切れの悪いグーズーヤ。
その理由を聞けば――
「連中、『勝手に転んで怪我しやがった』ってことをことさら強調してたんです。……確かに、怪我したのは転んだからですし、たぶん『精霊の審判』でも連中を裁くことは出来ないんじゃないかって……」
「関係ないよ。ボクの街で好き勝手はさせない――」
たとえ、他所の領主を敵に回しても。
そんな決意がエステラの瞳に宿っていた。
「ヤシロさん。薬箱です」
ジネットが薬箱を持ってきてくれる。
「痛みますか、グーズーヤさん?」
「い、いえ。ホント、自分で転んだだけなんで……」
「無理をしてはいけませんよ? 大人の男性だって、誰かに甘えたい時があったっていいと思います」
「あはは。ありがとうございます、店長さん」
にこっと笑うジネットの顔に、グーズーヤはぺこりと頭を下げる。
消毒液とガーゼを取り出し、グーズーヤの傷の手当てを始める。
酷い怪我はしていないようだが、捻挫や打ち身は時間が経ってから症状が酷くなる。
油断は出来ない。
「今までも、そんなことはあったのか?」
「いや、……まぁ、胡散臭い連中がうろついているなぁとは思ってましたけど。でも、ずっとこっちを見ているだけだったんで、特に気にしないようにしてたんですけど……」
手当てをしながら尋ねると、眉間にシワを寄せてグーズーヤが唸る。
問題を避けるためとはいえ、逃げるしか出来なかったのが悔しいのだろう。
男だもんな。
「あいつら、棟梁とヤンボルドさんがいない時を狙ったんですよ」
グーズーヤを運んできた、比較的落ち着いていたもう一人の大工が鼻息荒く捲し立てる。
こいつも結構頭にきているようだ。
「棟梁たちがいる時は、あいつらなんもしてきませんから」
「いないところではちょっかいかけられてるのか?」
「まぁ……くすくす笑われたり、指差されて内緒話されたり」
……それはまたなんとも。
「それもガスライティングの一種だな」
そうやって見せることで「自分は笑われるようなことをしているのでは?」と不安にさせるのだ。
……その連中、トルベック工務店を攻撃していた黒幕と根っこが同じだって自白したようなもんだな。
「気にするな。連中はそれしか出来ないクズだって大工仲間に言っておけ。お前らを笑うヤツがいたら『あぁ、言われたことしか出来ないバカがいるなぁ』とでも思って心の中で笑っておけ」
無視できるなら無視するのが一番だ。
「それからな、グーズーヤ」
「……はい?」
いまだスッキリしない表情のグーズーヤに教えておいてやる。
「大したもんだよ、お前は」
お前の取った行動がいかに正しいかってことを。
「よく我慢したな。カッコいいよ、お前は」
「え? いや、でも僕、逃げただけで――」
「『相手にしない』ってのは、相当しんどいよな? それをよく我慢したって言ってんだよ」
「我慢って……」
「確かに、腹が立った時に暴力を働くっていうのは、一番手っ取り早いストレス発散法ではあるよね。『スッキリした』以外のすべてを最悪の状態にしてしまう愚行だけれどね」
エステラも分かっているのだろう。
こっちが悪くなくとも頭を下げなければいけない時。
理不尽に対し、拳を引かなければいけない時。
そんな時があり、それがいかにストレスの溜まることか。
「お前が殴りかかってたら、トルベック工務店は暴力的だって大々的に攻撃されていただろうな。最悪、組合からの除名とか、謹慎とか、棟梁の首をすげ替えろとか、やいやい言われたかもしれん」
「そん……なっ!? だって、向こうがケンカを仕掛けてきて――!」
「トルベック工務店が仕掛けられていたガスライティングと一緒だ。こっちの暴発を誘ってやがったんだよ。事実なんかいくらでもねじ曲げられる」
嘘を吐かないのは、割と簡単なのだ。
真実を覆い隠すのは、この街でも容易に出来る。
そして、それを悪用しているクズは、この街にも大勢いる。
「お前はそれを封じたんだ。お前が、いいか、他の誰でもないお前が、トルベック工務店への攻撃を未然に防いだんだよ。もっと胸を張れ」
「はい。わたしも、グーズーヤさんは素晴らしい判断をされたと思います」
「ボクも同意見だよ。慧眼だったね、グーズーヤ」
「みな……さん…………うぐっ! ぼ、僕……ホントは、すっげぇ悔しくて…………でも、みなさんがそう言ってくれるなら……ズビィィイイ! 僕、胸張ります!」
「おうよ! それでこそ男だ、トルベックの若いの!」
んばっしーん! と、ハビエルがグーズーヤの背中を張り倒す。
「あんぎゃぁぁああ!」というグーズーヤの悲鳴が轟き、俺は嘆息する。
治療する箇所増やしてんじゃねぇよ。
「……グーズーヤ。グーズーヤが間違っていなかったことは、マグダがウーマロに証言してあげる」
「マジっすか、マグダたん!? やったぁ! マグダたんの証言があったら絶対怒られない! むしろ昇進しちゃうかも!」
どんな昇進システムなんだよ、お前んとこ?
「むはぁああ! グーズーヤのおかげでマグダたんに話しかけてもらえたッスー! お前、昇進ッス!」って? 潰れてしまえ、そんな腐敗した組織。
ともあれ、木こりと狩人、そして衛兵には今回のことを伝え、警備を強化してもらおう。
……ったくよぉ。余計な手間を掛けさせやがって。
なぁ、黒幕さんよぉ。
もしその尻尾を捕まえた暁には、これまでの分きっちりと払ってもらうからな?
覚悟しておけよ。
だが翌日。
俺たちのストレスをさらに倍増させる出来事が起こってしまったのだった。
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