280話 泳がせて釣り上げる -2-
「俺は若干怒っていてな……」
領主の注目が集まる中、顔を笑みから冷徹な無表情へと変化させる。
「俺の大切な者に怪我を負わせたヤツを絶対に許さない。必ず見つけ出して報いを受けさせてやる」
そして、もう一度口を笑みの形へと変化させる。
にやりと持ち上げ、底冷えするような明るい声を漏らす。
「どんなに素早く逃げようとも、どんなに巧妙に身を隠そうとも、絶対にな」
そう言って、森へと視線を移す。
それだけだ。
森を見て何をするわけでもない。
だが、森を見たことでそこにある思い込みが発生する。
黒幕以外がうっかり勘違いを引き起こしてしまうような、些細な罠が。
仕掛けは上々。
あとは、うまく誘い込むだけだ。
「デリア、傷は痛むか?」
「…………」
汚れたドレスを隠すように背を丸め、小さくなっているデリアが首を振る。
口を閉じたまま、泣きそうな目で。
メドラが心配するようにデリアの頭を撫でる。優しく、壊れ物を触るように。
「無理はするなよ」
「……うん」
小さな声が返ってくる。
それと同時に、小さく頷くデリア。
今度はマーシャがデリアの頭を撫で――られないので、服を引っ張ってしゃがむように要求している。
デリアが水槽の隣にしゃがむと、両腕で頭を抱きかかえるようにして、いいこいいこと頭を撫でる。慈しむように。
そんな光景を領主たちが見ている。
そろそろいいか。
というわけで、変に緊張しているエステラに声をかける。
「その時は協力してくれよ、エステラ」
「え? ……あ、あぁ。うん。もちろんだよ」
エステラと、いつものトーンで会話を交わしたことで、ナタリアが俺のそばを離れた。
もっとも、「な~んて言い出すヤツが~」辺りで、拘束はもう解かれていたけれどな。おそらく、俺が危険なことをしていると判断してそばにいてくれたのだろう。
悪事をバラされそうになった悪党は短絡的な強行に走るってのは、出会った当初のウッセで証明済みだ。
だがもう大丈夫。
ここでは何も起こらないよ。起こせないさ、これだけ警戒心を植えつけたのだから。
俺が見ているところで小細工をすれば、瞬時に暴いてやるぞってな。
だから、何かが起こるとすれば――また後日だ。
さて、と。
ここから若干狩猟ギルドの株を下げさせてもらう。
きちんとメドラには話を通したし、メドラも「アタシの不注意でマグダに怪我をさせちまったからね」と、泥をかぶることを了承してくれた。
狩猟ギルドの面々も、自分たちの不手際を認め、今回の作戦に協力してくれることになった。
……何より、今現在、「やだっ、大切って言われちゃったっ! んきゅっ、んきゅぅうううっ!」とか、謎の音を漏らしながら幸せそうに身悶えているし、まぁいいだろう。
俺の言った大切な者って、ほとんどマグダのことだからな?
デリアの怪我は、自損事故だし。
……ま、だからってあの暴漢に罪がないとは到底思えないけどな。
あのバカがいなけりゃデリアだって怪我をしなかった。
女の子なのに、あんな目立つところに擦り傷作って……
という怒りの中で、最ぃぃぃ~っ後の方にメドラがちょこっと引っかかるくらいだから、そんな「大切な者」を独占しているような顔で身悶えるな!
テントウムシのジルバを口ずさむな! それ、セロンとウェンディの結婚式の出し物としてアイドルマイスターが歌った、俺が作詞作曲した著作権に一切引っかからない完全オリジナルの結婚式ソング! 数多ある楽曲のどれとも、似ても似つかないオリジナリティ溢れるヤツだから、著作権団体さんは一切気にしないでいいからね!
で、それを口ずさむな、空恐ろしい!
まったく……
「リカルド。責任持って引き取れ」
「俺になんの責任があるんだよ!?」
「引き取るのが嫌なら娶れ」
「もっとイヤだわ! 懲役何年だ!?」
領主の群れの中で、大人しくしていたリカルドがズンズンと前に進み出てくる。
ほぅ、あの位置取り。
あいつ、領主の群れの中にいて、エステラと他領主の間に立ってたのか。
エステラのそばにはマーゥルとルシア。ハビエルとデミリー。そしてドニスにトレーシー。エステラの明確な味方たちが取り囲んで守っていた。
そして、それと他領主の間に、緩衝材のようにゲラーシーとリカルドが立っている。
ゲラーシーはマーゥルの指示だとしても、リカルドのヤツ、エステラを守ろうとしてたんだな。
「リカルド、お前……」
「なんだよ」
「クラスの好きな女子に話しかけたいのに話しかけられないヘタレ男子中学生みたいだな」
「意味が分からん罵倒を寄越すな!」
いやだって、「話しかけたいけど友達に囲まれてるし、でも気になるし、ちらっちらっ」みたいな未練たらしさが滲み出してるからさぁ。
「エステラを守っててくれたんだろ」
ここは小声で。
他の領主の耳に入らないように二人で話す。
「……まぁな。あいつは、成長はしているが、まだまだ新米で危なっかしいからな」
「兄貴風を吹かせると、また酸っぱい顔をされるぞ」
「……あいつのあの顔、ホント腹が立つんだよな。貴様からも注意しておけ」
「えぇ~……」
「酸っぱそうな顔をするな!」
お前見てると、口の中が酸っぱくなってくるんだよ。
「ま、助かったよ。エステラ護衛団(補欠)」
「誰が補欠だ!? むしろ主戦力だろうが!」
「エステラがお前への警戒を解いてないのに!?」
「いや、さすがにもう解いてるだろう!? 心許してる感じ結構あるぞ!?」
あははっ、バカだなぁリカルドは。勘違いだぞ、それ。
「緊張感のない顔をするな、オオバヤシロ」
「よぅ、マーゥルの使い走り」
「誰がだ!? 私が領主で、私がメインだ! ……まぁ、今はまだ教わることが多いので、頭は上がらぬが」
その「今は」は、この先ずぅ~っと続くんだぞ。
いつ追い抜けると思ってんだ? 百年やそこらじゃ無理だぞ、あれは。
「貴様は緊張感というものが持てぬ体質なのか、カタクチイワシ」
「そっちは、大丈夫だったのか、ヤシぴっぴよ」
ルシアとドニスも俺のところへ寄ってくる。
「俺は無事だったが……」
と、背後を振り返る。
マーシャの方へと視線を向ければ、包帯を巻いたメドラとマグダ、そして額に擦り傷を負ったデリアがいる。
デリアの周りには狩猟ギルドの中でもゴツイ男たちを置いてもらっている。
鉄壁の守りに見えるように。
「なぁ、エステラ。メドラがいても怪我人が出ちまったんだ。警備体制に関しては、もう一回話し合った方がいいかもしれない。狩猟ギルドに丸投げして、こっちは知らぬ存ぜぬでは筋が通らねぇからさ」
「それは……うん。そうだね。早急に検討しよう」
エステラを輪の中へと引き込み、決して責めているわけではないと分かるような声音で語りかける。
エステラも素直に非を認め、こちらの意見を聞き入れる。
俺の周りは、気心の知れた領主が集まっている。
……リカルドとゲラーシーは除外したいところだが、今はまぁいい。
その輪の中へ、あの男を誘い込む。
「ミスター・ウィシャートにノウハウを聞いてみたらどうだ? 三十区の街門なら、あぁいう手合いの対処にも慣れているだろうしよ」
「え……」
一瞬、驚いたような表情を見せ、エステラの視線がウィシャートへ向かう。
「なんなら、しばらくの間、研修期間ってことで三十区の門番を派遣してもらったらどうだ? 四十二区の街門は危険だから、当然相応の報酬を用意してさ」
ウィシャートにそんな機会を与えれば、金銭だけでなく、港の利権にも食い込んでくるだろう。
それが分かるから、エステラは安易に返事が出来ず――
「それは妙案であるな」
――ウィシャートが食いついてくる。
街門のノウハウを熟知しているのであろう。
抜け道の作り方も、コネの構築方法も、門兵の買収の仕方も、何もかもを。
自分ならうまくできると確信しているからこそ、容易く踏み込んでくる。
懐に入りさえすれば、掌握できる自信があるから。
「狩猟ギルドの力を過小評価するわけではないが、対人間となれば魔獣とは勝手が違うのであろう。我が街の兵士であれば、その辺りもいろいろ教えられるであろう」
「え……?」
ウィシャートは戸惑うエステラを見て荒事に慣れていない新米の領主、甘ちゃんの女領主と思ったのだろう。
嗜虐的な笑みを浮かべて、わざとらしく声を潜めてウィシャートは言う。
「魔獣とは違い、安易に命を奪うわけにもいかぬであろう、人間相手では。そこに隙が生じ、連中はその隙を最大限生かしてくるのだ」
戸惑いから、大きな瞳を揺らすエステラの顔を見て満足そうに笑みを浮かべ、さらに恐怖心を煽ろうと言葉を重ねる。
「あのメドラ・ロッセルですら、暴漢一人に怪我を負わされる。マーシャ・アシュレイはなんとか守り通せたようだが、それであの大怪我を負わされたのでは代償が大き過ぎる」
エステラの顔が青ざめる。
気が付いていなかったことに、たった今気が付いた。そんな驚きが、手に取るように分かる。
だからこそ、ウィシャートも攻勢をかける。
港の利権に、そして、四十二区の街門に自身の権力を食い込ませるために。
「相応の報酬は、もちろん必要ではあるが、これは決して高い買い物ではない。領民と街の安全こそが何よりも尊いものであろう、ミズ・クレアモナ? ならば、我が三十区の――」
「マーシャが……」
朗々と語り始めたウィシャートの声が、エステラの呟きによって止められる。
おのれが予想していたものとは大きく異なる、不穏な空気を感じ取ったのか、ウィシャートは眉根を寄せてエステラを見る。
軽く、頬が一度ひくついた。
「マーシャが狙われたのですか? それを、メドラさんが身を挺して守ってくれた……」
「ん……? そのように説明を受けたであろう?」
「いえ。ボクはただ、トラブルが起こったとしか」
ウィシャートの頬が盛大に引き攣る。
そして、そこにきてようやく、辺りを包む不穏な空気に気が付いたようだ。
辺りを見渡すウィシャートの目にははっきりと映っただろう。
おのれに向かう、不穏な視線が。
ここにいる誰もが知らないのだ。
俺が勘違いを誘発させたせいで、すっかり騙されているのだ。
「ボクはてっきり、彼女たちは魔獣に襲われたのだと……」
「な……っ!? だ、だが、ヤツはさっき……!?」
言いかけて、ウィシャートが言葉を止める。
そして、明らかに狼狽した表情でこちらへ――俺へと顔を向ける。
「さすがミスター・ウィシャートだ。長年の経験から来る慧眼といったところですかな?」
わざとらしく笑みを浮かべ、わざとらしく拍手を送る。
そして、はっきりそれと分かるように、腹の底にひた隠した感情を顔面に浮かべて言ってやる。
「よく分かりましたね。『暴漢が』『一人で』『マーシャを狙っていた』なんてことが」
まんまと引っかかりやがったな、バーカ。
そんな感情をはっきりと笑顔に載せて。
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