280話 泳がせて釣り上げる -1-

 メドラに守られながら森の道を進み、事件のあった大木の曲がり角へ差し掛かる。

 一同に若干の緊張感が走り、マグダたちがマーシャを囲むように集まる。


 それを、俺は一歩引いたところからしっかりと見つめていた。

 ……今度またふざけたヤツが現れても、すぐに気が付けるように。


 幸い、そんなバカはあのバカ一人しかいなかったようだが。


「しかし、ダーリンが気付いてくれてよかったよ。アタシは魔獣にばかり意識を向けちまってたみたいだね」

「不審者は不審な動きをするものだからな」


 身なりも整えていない男が、着飾った女性に不用意に急接近するなんて、傷害事件でなくともそれだけで十分事案だ。

 痴漢にせよナンパにせよ、相手を考慮しない独りよがりの行動は、取り押さえられるのに十分過ぎる理由になる。


「きれいな花の中にハエが紛れ込んできたから目に付いただけだよ」

「やだよ、きれいな花だなんて! 恥ずかしいじゃないかっ!」

「……メドラ。ラフレシアって知ってる?」


 お前のことじゃなかったんだけどなぁ。

 まぁ、南国には少々変わった危険な花も多いからな。


「ごめんな、マーシャ。あたい、今日全然ダメだ」


 マーシャを守ることも、暴漢を捕まえることも出来ず、汚れたドレスを悲しげに掴み握りしめているデリア。

 いつもなら、誰よりも頼りにされているはずなのに、今日はいいところなしだ――とでも思っているのだろう。


 肩を落として泣きそうな顔をしながら、マーシャの水槽に並んでとぼとぼと歩いている。

 隣にメドラがいるから、肩を落としてうな垂れているデリアは本当に小さく見える。

 離れて見ればロレッタくらいのサイズに見えるかもしれない。

 いや、メドラがデカいから砂糖工場の頼れる妹モリーくらいにだって見えるかも。錯視だな。トリックアートの域だ。


「そんなことないよ~。私は、デリアちゃんがいてくれるって思うだけで、す~っごく安心できるんだから☆」

「……ドレス、脱ごうかな」

「それは、ヤシロ君が喜んじゃうから、ダ・メ☆」


 いや、喜ぶけども!

 デリアがこんなに落ち込んでるのに「おっぱい丸出しだ~!」って喜んでる場合じゃないだろう。

 いや、実際そうなったら確実に喜ぶけどね!


「まぁ、そういう日もある。そうじゃない日もある。それでいいじゃないか」


 メドラが、うな垂れるデリアの頭をぽんぽんと撫でる。

 ……さすがデリアだ。メドラの不意打ちで首を脱臼しないなんて、なんて防御力が高いんだ。

 俺なら首が外れて『生首ころりん、すっとんとん』していたところだろう。


「あんたが活躍できる時に、精一杯守っておやり。今日はアタシたちがいる。大事はなかったんだから、それでよしとしときなよ」

「……うん。マーシャを守ってくれてありがとな、メドラママ」

「はっはっはっ! あんたもママと呼んでくれるのかい? こりゃあ、可愛い娘が出来たみたいで嬉しいねぇ」

「…………あたい、もう可愛くなくてもいい」


 ドレスに浮かれて、十全な力が発揮できなかったことを悔やむデリア。

 だが、そんなもったいないことは周りの者が許さない。


「え~、ダメだよぅ! デリアちゃん、可愛いんだから!」

「そうだよ。もっともっと可愛い服を着て、アタシに見せておくれ。娘の晴れ姿はいくら見たって飽きないものだからね」


 マーシャとメドラが言って、デリアを慰める。


「それに、次のミスコンこそ、二人で決勝戦を戦おうじゃないか――ミスキュートの決勝でさ!」


 いや、うん……励まそうとしているのは十分わかるんだけど……それはどうだろうか。


「デリアさん、愛されてますね」


 そっと、ジネットが俺のそばで囁く。

 失敗して落ち込むデリアを、みんなが見守っている。


「デリアは、いつも誰かのために全力だからな。敵が出来にくいんだよ」

「出来ない、の間違いですよ」


 うふふと、肩を揺らすジネット。

 デリアに敵は出来ない、か。

 デリアが天敵だっていうオメロみたいな生き物は数名いるみたいだけどな。


 しょんぼりと肩を落としながらも、マーシャの隣に張りついているデリア。

 出来ないなら出来ないなりになんとかしようという姿勢はあっぱれだ。

 その思いだけで、マーシャは喜んでると思うぞ。





 大木の角を曲がってからさらに50メートルほど進むと、足に伝わる感触が変わった。

 泥混じりだった土が硬い岩盤になった。

 眼前には、垂直に切り立った崖が見える。


 この崖が、俺が三十区から落ちた崖だとすると、街門を出た後俺たちは南西に向かって歩いていたってわけか。


「ヤシロさん」


 ジネットが俺に身を寄せ、耳元で囁く。

 俺たちを出迎えるように――決して歓迎はされていないようだが――領主たちがずらりと並んでこちらを見ていた。


 おそらく、仕掛けてくるだろう。


「遅い」「何をしていた」「たった一人の暴漢を捕らえるのに時間がかかり過ぎだ」「こんな警備体制で本当に大丈夫なのか」――とな。

 そしてまた、保証だ権利だと騒ぎ立てるのだ。

 それを黙らせて返り討ちにすることは、おそらく可能だろう。


 ちょっとした罠を張ってやれば、面白いように食いついてくれる可能性は高い。

 黒幕がぼろを出したら、それをあげつらって吊し上げて、四十二区の新たな事業に関与できないように弾き出すことも出来るかもしれない。


 ……だが、それでは言い逃れが出来てしまう。


 確たる証拠がなければ、状況証拠を並べ立て理詰めで攻め立てたところで、ミステリー作品の犯人のように素直に自供はしてくれないだろう。

『精霊の審判』をちらつかせたところで、自分に近しい誰かに仲介役を頼んでいたのだとすれば、「あの暴漢とは面識がない」と言い切れてしまう。


 誰かを介していて直接面識さえなければ、いくらでもシラを切り通せる。

 知らぬ存ぜぬを貫けてしまうのだ。

 もちろん、嘘ではないその言葉は『精霊の審判』では裁けない。


 なので、ここで吊るし上げることには大した意味がない。

 非常に疑わしいという疑念を抱く以上のことが出来ない。

 限りなく黒に近い灰色。

 真っ黒であると証明できなければ、罰すら与えられない。


 それこそ、トルベック工務店が組合にやられたのと同じだ。


 限りなく怪しくても尻尾を掴ませない。

 絶対的な証拠がなければ追い詰められない。


 ノートン工務店が怪しいと踏んで敵の本拠地に乗り込んだウーマロたちは、悪意の片鱗を確かに見ていた。

 にもかかわらず、その尻尾を掴めなかった。

 悪意の出所を見誤ったから。

 黒幕が狡猾で、隠れるのがうまいクソ野郎だったから。


 だからこそ、『しばらく泳がせる』のだ。

 そう、こんな風にな――


「どうなっているのだ、領主!?」


 合流するや否や、俺は集団を抜け出し、脇目も振らずに足早にエステラへと詰め寄った。

 途中で、俺の軌道上に割り込んできたナタリアに行く手を阻まれる。

 左腕を曲げ、ヒジを俺の右わき腹に当てつつ左肩を掴む。

 ナタリアの左腕一本で、俺の進行は完全に止められた。おまけにナタリアの右手はフリー状態だから、抵抗を続ければサクッとやられちまうだろう。


 打ち合わせしてないので、これは領主の護衛として従来通りの対応を取ったというところだろう。

 ちらっと視線を向ければ、意図を汲んでくれたのかほんの僅かばかりナタリアが力を抜いた。

 握り潰されるかと思っていた肩から痛みが消える。


 ――が、まだ解放されたわけではない。

 いい具合だ。それくらいの「取り押さえてますよ」と見える感じをキープしていてくれ。


「危うく命を落とすところだったぞ! 警備体制はどうなっているんだ!? 狩猟ギルドとて機能していないではないか!」


 矢継ぎ早に捲し立て、ナタリアの体を避けてエステラに罵声を浴びせる。

 お前の不手際だ。

 どう責任を取るつもりだと。


 そして――


「狩猟ギルドが警護するから大丈夫と言った矢先にこの騒ぎだ。おまけに怪我人まで出る始末。どう落とし前を付ける気だ、領主!?」


 と、エステラを指さし糾弾する。


 次いでメドラたちを指させば、領主たちの視線がそちらへ向かい、皆一様に目を見張る。

 メドラやマグダの傷は癒えたが、演出のために包帯を巻いてもらっている。


 そして、もう一人。

 そこにはドレスを真っ黒に汚して額に擦り傷を作ったデリアがいる。

 お嬢様然としたデリアが顔に怪我をしているのだ。領主たちにはさぞ衝撃映像に見えることだろう。


 無論、こういうことをするってのは、こっちサイドの人間には伝えてある。

 メドラも、狩猟ギルドの連中も、申し訳なさそうな顔でただ俯いている。


「先ほどの話を蒸し返すわけではないが、やはり今一度工事は中止にして警備体制の強化と、万が一の時の保証に関して再検討すべきではないのか!?」


 ――と、捲し立て、呼吸をする風を装って言葉を止める。

 肩を上下させ、呼吸を荒らげる。吐き出す息に怒りを込めて、荒ぶる感情をまき散らす。


 このわずか一瞬で、とある一人の領主が動いた。

 にやりと口角を持ち上げ、短く息を吸い込む。


 先ほど派手に遣り合った俺が被害に遭って自分と同じ立ち位置へと鞍替えをした。

 これは絶好の好機。

 今なら、あのやかましい男を味方に引き込める――なんて思ったのであろうウィシャートが言葉を発する直前の動作を起こす。

 口が開き、横隔膜がへこみ始める。


 その瞬間を狙って、必要以上にデカい声を出す。



「な~んてことを言い出すヤツがいなくて、本当によかった」



 急に変わった声のトーンに、その場にいた誰もが戸惑いを覚えている。

 困惑の表情が浮かんでいる。

 当然、ウィシャートにも。


「だってよ。こんなあからさまなタイミングでトラブルが起こって、それにこれ幸いと乗っかって自分に都合がいい持論を展開するなんてさ――」


 口が半開きのまま表情を固めたウィシャートを見つめて、嘲笑うような声で言う。



「――自分が黒幕ですって自白してるようなもんだもんな」



 お前の魂胆なんかバレバレなんだよ、ターコ。と、言外に込めて笑みを送る。



 妙な緊張感に包まれた静かな森の中で、ウィシャートの歯ぎしりの音が微かに聞こえた。






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