279話 悪意の襲撃 -2-

 ロレッタの指示を受け、弟妹が入れ替わり立ち替わり、バケツリレーの要領で大量の水を運んできてくれた。


「メドラさん、お水かけるよ。痛かったら言ってね」

「あぁ、悪いねぇ、パウラ」

「なに言ってんのよ。一緒のベッドで眠った仲でしょ」

「あははっ。あれは楽しかったね。またお邪魔させてもらうよ」

「え…………う~ん、それは、どうかなぁ……」


 樽から桶で水を掬い、メドラの火傷へ水をかけてやるパウラ。

 ネフェリーと交代で、途切れることなく水をかけ続けて薬品を洗い流す。


「マグダさん、痛みはありませんか?」

「……平気」

「隠すな」

「………………ちょっと、ひりひりする」


 耳が寝ているので痛いのだろうと思ったが、やっぱり無理してたか。


「マグダさん。具合が悪いことを隠すのはダメですよ。わたし、泣いてしまいますから」

「……ごめんなさい。もう、隠さない」

「隠すより、甘えられる方が喜ぶからな、ジネットは」

「はい。たっぷり甘やかしちゃいます」

「……では、後ほど」


 マグダの尻尾がさわりと、ジネットの足を撫でる。


 現在、トラブルが起こった旨をエステラに報告し、俺たちは街門のそばまで引き返して応急処置を施している。

 いくら他に狩人がいるといえど、メドラとマグダがこんな状態で魔獣に遭遇するのは危険だからな。


 街の中へ引き返してもよかったのだが、街の中――街門の向こうには人が大勢待っている。

 式典を終え戻ってきた領主たちを出迎えるために、だ。


 その中に、暴漢の仲間がいないとも限らない。

 件の暴漢は、ノーマに捕らえられた後、四十二区の牢屋へと連れて行かれた。今日の式典が終わり次第取り調べが始まる。

 あっさり話してくれるかどうかは分からんが……

 連れて行かれるまで、ヤツは一切口を開かなかった。

 だから、ヤツが単独犯なのかはたまた仲間がいるのか、現状分からずじまいなのだ。


 そんなわけで、今のところ一番安全なのは街門のすぐ外。ここなのだ。




「ヤシロさん」


 ナタリアへ報告に行っていたイメルダが戻ってくる。

 何度も往復させて悪いな。


「とりあえず、領主のみなさんは港建設予定地で待機してもらうようですわ」


 ナタリアには「危機が完全に払拭されるまでは安心できないので、領主たちは一般客とは離れて待機していてもらうように」と伝えてある。

 この場にいる者の身体検査はさっさと終わらせたが、まだ合流の合図は出さない。


 こちらの処置が終わって万全になるまでは待たせるつもりだ。


 領主たちは先行していた。

 事件が起こったのは領主たちが俺たちと完全に離れた後だ。

 だから、領主たちにはこちらで何が起こったのかは分からない。

 どのような事件が起こり、どのような危険が排除できていないのか。

 それが分からないのだから、待機に不満を漏らす者はいないはずだ。


「こんな危険な場所にいつまでもいられるか! 俺は帰らせてもらうぞ!」なんて、ミステリーでお約束の犠牲者フラグを立てるヤツもいないだろう。

 メドラが負傷したということも伝えてもらった。

 それだけの危機的状況だということは領主連中にも伝わっている。

 癇癪を起こした結果被害に遭って死にました――そんな最期を迎えたいヤツはあの領主たちの中にはいないだろう。


 もし、この状況で不満を口に出来る者がいるとすれば、自身に危害が及ぶことはないと確信していて、誰がどこでどんな事件を起こすのかを事前に知っていた黒幕くらいだ。


「メドラママ、本当にありがとうね。このお礼は、必ずするからね☆」

「やめとくれ! 今アタシはダーリンからの感謝を心で反芻して浸っているんだよ! あんたの軽薄な感謝で汚さないでくれるかい!? ……あぁ、ダーリンの感謝…………尊い……」

「メドラママ、ちょ~さんきゅ~Pi☆」

「なんだい、そのイラッてする感謝は!? 『Pi☆』ってなんだい!? 意味が分かんないよ!」

「可愛いんだよ~☆ やってみたら?」


 などと、マーシャが恐ろしいパスを魔神に渡したものだから――


「ダーリン、泣いちゃイヤだっPi☆」

「ごふっ!」


 ――心に、痛恨の一撃を喰らった。

 くそ……近くにハビエルもウーマロもベッコもいないなんて。

 俺のバリアー……どこ、だ…………がくっ。


「ほ~ら、おもろいことしとらんと、ちゃっちゃと患者さん診せてんか」


 地面に四肢を突きうな垂れる俺の頭上から、カラッとした関西弁が降ってきた。


「よぅ、来てくれたか」

「まさか、街門の外に呼び出されるとは思わへんかったけどなぁ」


 いつものお出かけ往診セットを肩に掛け、それはもう大層立派なパイスラを惜しげもなく日の下に晒して、レジーナが駆けつけてくれた。


「ありがとう、レジーナ!」

「ほなら、早急に荷物降ろそ」


 あぁっ!? パイスラ様が!?


「で、成分は分かったか?」

「まぁな。ちょっと時間かかってもぅて申し訳なかったけどな」

「なぁに、慌てて中途半端な処置をするより、お前に任せた方が確実だからな」

「……自分の期待は、ホンマ重いなぁ」


「にししっ」っと歯を見せて笑い、「失敗できへんやんか」と楽しげに言う。

 失敗なんかされちゃ困るんだけどな。


 レジーナには俺の上着で包んだ空瓶を渡し、中に入っていた液体の成分を分析してもらっていた。

 中身が何か分かれば、正しい処置が出来るからな。


「うん。応急処置はばっちりやね。さすがやな、自分」

「まぁ、劇物が付着した時の基本だしな」

「その基本を知っててくれて助かったわ。放置しとったり、下手に薬塗っとったら悪化しとったやろうしな」


 硫酸などが皮膚について炎症を起こしている時、アルカリ性の強い薬を使用すると中和熱というものが発生して火傷が酷くなる時がある。

 このレベルの炎症ともなると、俺では完全にお手上げだ。専門家に縋るしかなくなる。


「ほな、患部を見せてくれはりますか?」

「あぁ。よろしく頼むよ」

「トラの娘はんも」

「……マグダはあとでいい。メドラママを、早く」


 傷の大小はあれど、マグダだって痛いはずだ。

 なのに、メドラの大怪我を見ていられないのだろう。


「ありがとうよ、マグダ。あんたは優しい子だね」

「……マグダは、甘やかしてもらっている最中だから……それだけ」


 ジネットにぎゅっと抱きつき顔を大きな胸に埋める。

 照れくさかったらしい。

 ………………いいなぁ。


「自分、視線と表情が正直過ぎるさかい、気ぃ付けや?」

「……いいなぁ」

「口まで正直になってもぅたな。ちょっと黙っててんか、真面目にやるさかい」


 レジーナに叱られ、俺は口を閉じる。

 マグダはジネットに任せて、俺も何か手伝うとしよう。今後のためにも、知識が欲しいしな。


「ほなら、まずこの液体を患部にかけるで。ちょっとヒリッとするかもしれへんけど、体に悪いもんやないから、辛抱してな」

「それは薬なのかい?」

「薬っちゅうか……この劇物のライバルみたいなもんやね」


 劇物のライバルってことは、中和するための薬品なのだろう。

 ……大丈夫か?

 レジーナが中和熱のことを知らないことはないと思うが……


「ちょっと、匂いを嗅いでもいいか?」

「え、ウチの? ギルド長はんの?」

「その液体のだ!」


 なんでこの場面で急に匂いフェチが目覚めてんだよ、俺!? ねぇーわ!


「匂い、せぇへんで?」


 薬品が入った小瓶を俺へと差し出すレジーナ。

 俺が心配していることを悟って、要望に応えてくれているのだろう。


 手で扇いで匂いを鼻へと送る。

 ……無臭。

 ってことは。


「炭酸水素ナトリウムか?」

「よぅ無臭で当てたもんやな、自分。びっくりするわ」


 レジーナが持っているのは炭酸水素ナトリウム水溶液だ。

 硫酸などで酷い火傷を負った際、酸をアルカリで中和させる前にこの炭酸水素ナトリウム水溶液で患部を洗ってやるのだ。

 そうすることで、アルカリでの中和の際に中和熱を起こさなくなる。


 濃度は3%か5%……8%だっけ?

 まぁ、そこはレジーナに任せておけばいいだろう。


「なんなんですか、その炭酸……なんとかというのは?」


 胸の中で小さくなっているマグダを抱えて、ジネットが不安げな顔をこちらへ向ける。

 この後、マグダも治療をするので気になるのだろう。


「お前もよく知ってるものだよ」


 安心させるように笑って言ってやる。

 炭酸水素ナトリウムってのはな――


「重曹だ」

「そうなんですか。では、体に害はありませんね」

「ただ、皮膚に付着した酸と化学反応を起こすさかい、若干ヒリつく可能性があるんや。けど、ウチを信じてくれたら、ちゃ~んと治してあげるさかいな」

「はい。レジーナさんを信用します」


 にこっと笑ってマグダの頭を撫でるジネット。

 レジーナも安心したように笑って、メドラへと向き直る。


「ほなら、治療を始めるで」



 見る者を――特に、酷い傷を負って不安を抱える患者を安心させるような頼もしい笑みを浮かべて、レジーナは治療を開始した。






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