279話 悪意の襲撃 -1-

 せめて少しくらいは歩きやすいようにと、木こりたちが頑張って地面に積もっていた落ち葉や枯れ葉、雑草などを取り払ってくれたおかげで、それなりにまともな道が出来ている。

 泥の混じる剥き出しの土は、踏みしめると少し沈んで頃合いのクッション性を発揮する。

 木の根が張り巡らせているようなこともなく、これなら小一時間歩いていても疲れないだろう。


 もっとも、どこから魔獣が飛び出してくるか分からないという恐怖は過度のストレスとなり、胃と毛根に多大なダメージを負わせてくるが。


「もう随分歩いたのにまだ着かないのか?」

「そうは言うですけど、お兄ちゃん」


 ロレッタに背を突かれて振り返ると、すぐそこに門があった。


「門、近っ!?」


 全っ然進んでなかった。


「仕方ないさね。お偉いさんが大勢いるし、万が一があっちゃ事だからねぇ」

「ウチの連中も、いつにも増して慎重になっているようだねぇ。相手が誰であれ、緊張はし過ぎるなと言い聞かせちゃいるんだが……まだまだ尻が青いね」


 メドラが嘆息するが、『BU』と外周区すべての領主が一堂に会しているのだ。緊張するなという方が無茶だ。

 緊張しているというより、慎重になってるって感じか。


 先行し安全を確認するチーム。

 団体の先頭に陣取り前方を警戒するチーム。

 左右に展開し、領主たちを囲むように警護するチーム。

 先攻チームと先頭チームの間を往復して、逐一情報をやり取りするチーム。

 そして、団体の中にいて、何が起こっても即対応できるように常に神経を研ぎ澄ましているチーム。――こいつらが主戦力なんだろうな。

 将棋なら、金や飛車、角あたりか。


 もう十五分ほど歩いている。

 が、おそらく進んだ距離は200メートルくらいだろう。

 牛歩だな。

 蝸牛の歩みだ。


「もしかして、領主の中に死にかけのジジイがいて、歩幅を合わせてるなんてことは……」

「怒られるさよ」


 ノーマに煙管でこめかみを突っつかれた。

 誰が怒るんだよ。

 一番年長のドニスか?

 怖かねぇよ。


「なんかねぇ、一歩進むごとに何か話をしてるみたいだよ?」


 マーシャが前方の団体を指差して言う。

 確かに、エステラの周りには無数の領主が群がり、あれやこれやと話しかけている。


「みんな、四十二区と懇意になりたいみたいだよ~☆」


 耳のいいマーシャがそんな情報を教えてくれる。

 すげぇな。こんだけ離れていると、さすがに聞き取れねぇよ、俺は。


「ルシア姉に、どーしたら四十二区と仲良くなれるのかって聞いてる人もいるみたい☆」


 くすくすと肩を揺らすマーシャ。

 エステラにルシア。懇意にしている領主二人が対応に追われている様が面白いらしい。……ドSか。


「あ、ヤシロさん。エステラさんたちが曲がりましたよ」


 ジネットが前方を指差す。

 領主たちの一団が西側へと角度を変える。


 領主グループに一般人たる俺たちが近付くとろくなことがないと、相応に距離を取っていたのだが、視界から消えるのは避けた方がいい。


「じゃあ、俺たちも行くか」

「はい」

「それじゃあ、全員アタシについておいで。アタシが魔獣から守ってやるからさ」


 頼もしいメドラの言葉に、多くの者が笑みを浮かべる。

 メドラに水槽を押してもらっているマーシャも、後方のメドラを見上げてにこにこしている。

 メドラはその視線を感じているはずだが、頑なに視線を合わせようとしない。

 どうやら、一方的にメドラがマーシャをライバル視しているようだ。

 ……ガキみたいなことすんなよなぁ。


「それじゃあ、そこの木を曲がるからもっと近くに寄りな。アタシの視界から消えると危険だよ」


 メドラが大木を曲がって目が届かなくなった瞬間、待ってましたとばかりに魔獣が襲いかかってきては大変だ。

 そんな感じで、多くの者がメドラの周りへと詰め寄る。

 危機感というより、この非日常を楽しんでいるようだ。

 危険な森の中に足を踏み入れているこの状況と、オールブルーム最強の狩人メドラ・ロッセルに護衛してもらえるという今だけの贅沢な時間を。


 押し合いへし合い、ひしめき合わない程度に人々が密集していく。

 オシャレをしている俺たち以外にも一般参加者はいる。

 俺たちはウクリネスの強い要望でめかし込んでいるので後ろ姿でも、遠目でもはっきり分かる。


 逆に言えば、めかし込んでいないごく平凡な一般人が俺たちの中に紛れ込むと目を引いてしまうわけで――



「オイ」



 俺は、必要以上に輪の中へと割り込んでいく不審なその男にすぐ気付くことが出来た。


「……チッ!」


 俺が声をかけると、その男は手に持っていた何かを乱暴に放り投げた。

 マーシャのいる方向へ。


 視線が一瞬、投げられた小瓶へ向かった隙に男は踵を返して街門の方向へ駆け出した。


「門番! そいつを通すな!」

「必要ないさね!」


 俺が叫ぶのと同時に、俺の両サイドを突風が吹き抜けていった。

 ノーマとデリアがトップスピードで駆け出し――


「ぅわっ!?」


 ――デリアが広がったスカートの裾に足を取られてすっ転んだ。

 ……うわぁ、顔面から落ちた。痛そう。


「くそっ! 動きにくいなぁ!」


 デリアは普段短パンとチューブトップだもんな。

 袖とか裾に慣れていないのだ。

 ひらひらしたドレスを着ていつもと同じ動きをしようとすればそうなるよな。


 一方のノーマはドレスアップにも慣れているようで、どんな服を着ていても普段通りの動きが出来るようだ。

 ノーマは普段から着物の亜種みたいな、裾や袖の長い服を着ているからな。


「捕らえたさよ!」


 街門に届く前に、暴漢はノーマによって取り押さえられた。


「マーシャは?」

「平気だよ~☆ みんなありがとうね~☆」


 マーシャに怪我はないようだ。

 だが。


「メドラ……大丈夫か?」

「なぁに、これくらい大したことじゃないさ」


 メドラの腕が焼け爛れていた。

 あの小瓶に入っていた液体のせいか。


「それより、マグダは平気かい?」


 痛々しい自身の腕の傷を気にも留めず、マグダの様子を窺うメドラ。

 どうやら、マーシャに向かって投げられた小瓶を受け止めたのはマグダのようだ。


「……平気」


 空になった小瓶を手に持ったマグダがこちらを向く。


「……口が開いていたため、少し指に付いただけ」


 ジネットの目が見開かれる。

 マグダの人差し指の第二関節付近が赤く爛れている。


「マグダ、すぐにその瓶を離すんだ。液が垂れてくるかもしれん」


 上着を脱ぎ、それで小瓶を包んでマグダから取り上げる。

 中身が何か分からない以上、そこら辺に捨てるのも危険だ。

 もし、魔草を急成長させる成分でも含まれていれば、この場所が危険地帯になってしまう。


「ジネット、水筒は持ってるか?」

「は、はい!」

「マグダの火傷にかけてやってくれ。ゆっくりと、たっぷりと」

「はい」


 薬品が皮膚に付いた時は、すぐさま大量の水で洗い流すのが鉄則だ。


「ロレッタ」

「はいです! レジーナさんを呼んでくるです! あと、弟妹総動員で綺麗なお水を大量に持ってくるです! メドラさん、ちょっとだけ待っててです!」

「アタシは平気だから、慌てるんじゃ――」

「メドラさんが平気でも、メドラさんに何かあればお兄ちゃんが平気じゃなくなるです! 超特急です!」


 凄まじい速度でロレッタが駆け抜けていく。

 まずは水だ。

 街門のそばの川に向かう方がいいか?


「イメルダ。ナタリアに報告を頼めるか」

「かしこまりましたわ」

「ただし、『騒動が起こった』とだけ伝えて、詳細は伏せてくれ。俺の指示だと言えば、ナタリアはそれ以上聞いてこないだろう」

「そのように伝えますわ」


 優雅さを損なわないように、それでもかなりの早足でイメルダが駆けていく。


「メドラ」


 こいつは約束を守ってくれた。

 俺が、マーシャを守ってやってほしいと言ったから。

 メドラは、体を張って守ってくれた。


「ありがとう。恩に着る」


 深く頭を下げる。

 メドラの心意気に、全身全霊の敬意を表して。


「や、やめとくれよ、ダーリン。これが、アタシの仕事なんだよ」


 だとしても、だ。


「メドラがいてくれて、本当によかった」


 顔を上げると、微かに世界が歪んでいた。

 大丈夫だ。メドラはこんなことでは死なない。殺したって死にゃしない。

 メドラを殺せる生物なんて、この世界にもどこの異世界にも存在しない。


 けれど、顔を上げた時にそこにちょっと困ったような顔があって、すげぇほっとした。


 命にかかわるような大事にならなくて、本当によかった。


「だ、だーりん……」


 らしくもなく、呆けたような表情をさらすメドラ。

 どんな時も油断なく研ぎ澄まされている狩人の鋭い視線は見る影もなく、寝起きの子猫のような無防備な瞳がこちらを見ている。


「だ、大丈夫だからね? だから、そんな、ほら……泣かないで……」

「泣いてねぇよ」


 これは、ちょっといろいろ思い出しちまっただけだ。

 だが……


「お前に何かあれば泣くかもしれんから、無理と我慢はするなよ」


 レジーナに頼んで、俺が責任を持って手当てをしてやる。

 火傷の痕一つ残さず、綺麗な腕に戻してやる。


 と、そんな意気込みをおのれの中で確かめていると、メドラがぺたんと地べたに女の子座りして、デカい両手で顔を覆い隠した。



「あぁ……もぅ………………好き過ぎる……っ」



 太い指の間から漏れ出てきた吐息と声は、覚えたての恋に戸惑う少女のようで……ギャップが、えぐいよね。


「これは、うん。しょ~がないよ、ヤシロ君☆」


 少女になったメドラを見下ろす俺の肩を、マーシャがぽすっと叩く。

 まぁ、今は……それもしょうがないさ。


 今は、メドラへの感謝の方が強いからな。






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