275話 錚々たる面々、続々と -4-

「ところで、あの軽薄な海漁のはどうしたんだい?」


 メドラがぐるりと居並ぶメンバーを見渡して言う。


「マーシャなら、式典の二時間ほど前に四十二区入りする予定ですよ」

「ふん。随分と悠長なもんだね。これだけのメンツが雁首揃えてるってのに、一番恩恵を受ける海漁ギルドのトップが遅れて来るなんてさ」


 どうにも、メドラはマーシャと相性が悪いらしい。

 以前もちょっと食ってかかってたっけな。

 まぁ、マーシャみたいなタイプが気に入らないって同性は、それなりの数いそうではあるが。

 本人は特に気にもしそうにないな、そういう同性からのやっかみは。


「彼女は、移動するのにも誰かの補佐が必要ですから、個人の感情で無茶は出来ないんですよ。きっと、本人はもっと早く来たがっていると思いますよ」

「マーシャさんでしたら、お泊まりしたいと思っていたかもしれませんね」

「『かも』じゃないよ、ジネットちゃん。随分とごねられたもんさ。止めるのに苦労したんだから」


 エステラがげんなりしている。

 やっぱ前ノリしたがっていたのか。


「今日はボクも忙しいからね、マーシャにばかり時間を使えないんだよ」

「まぁ、警備が手薄になるのも困るしねぇ」


 エステラが言わなかった部分を、デミリーが汲み取り言葉にする。


 マーシャは子供ではないので一人で放置しておいてもどうこうなるわけではない。

 海水の入った水槽さえあれば死にはしないし、一晩二晩放置してもケロッとしているだろう。

 陸の上でも丸一日元気に過ごせるそうだし、人魚ってのは結構タフなのだ。


 だが、陸の上では早く移動できない。

 もし仮に、暴漢に襲われでもしたら逃げ切ることは不可能だろう。


「新たな港が出来るというのは、新たな街門が誕生するということ以上に革新的な出来事であるからな。一見賛同しているように見える者であっても、腹の底ではどう思っているのかなど分かりようもない……」


 ルシアが静かな声で言って、目つきを鋭くさせる。


「港の建設を中止に追い込みたい者がいるとすれば、まず真っ先に狙われるのはマーたんであろうな」

「海漁ギルドが音頭を取り、ワシらやメドラたちはそれに賛同したという形になっているからなぁ。潰すなら海漁って発想になるのは仕方ねぇのかもな」

「ふん! 仮に音頭を取っていたのがアタシの狩猟ギルドやあんたんとこの木こりギルドだったら、どんな相手にも後れは取らないけどね」

「ワシらならそうかもしれんがな。まぁ、そう言うなメドラよ。だからこそ、海漁ギルドをギリギリまで四十二区に入れないようにしたんだろうしな」

「分かっているさ。エステラの判断は賢明だったってことはね」


 ルシアの言葉に、ハビエルとメドラが賛同する。


 これだけ多くの来賓がいる中だと、どうしてもマーシャに割けるリソースは普段よりも落ちてしまう。

 マーシャに掛かりっきりで他の連中を蔑ろにするわけにもいかない。


 この輪の中に入れちまえばメドラにハビエル、それにナタリアやギルベルタがいて安全かもしれないが、こいつらはそれぞれに優先すべき事柄があり、それは決してマーシャの護衛ではない。


 俺が暴漢なら、群れだからこそその中で混乱を起こしてその隙にマーシャに危害を加える方法を取る。

 それが分かっているから、ナタリアはそれを許容しないのだろう。


 ルシアのセリフを肯定するわけではないが、この中にも、実は四十二区の港建設を快く思っていない者がいるかもしれない。

 可能性を否定するのは平和ボケしたお気楽者か、周りが見えていない愚か者だ。

 おそらくエステラは、式典の準備が完了し、自分が身軽になるタイミングでマーシャを招くつもりなのだろう。

 その頃にはマグダもデリアも万全の体制が取れているだろうし、狩猟ギルドの護衛も揃っているはずだ。


 今日だけは、マーシャの護衛に全力を注ぐつもりなのだろう。

 厳重過ぎるほどに。

 あからさまに守りを固めて、暴漢に「あ、これは無理だわ」と思わせるくらいにな。


 バレバレのセキュリティは、ある一定の抑止力にもなり得る。


 メドラなら、そんなことは百も承知のはずだ。

 なのになぜわざわざそんな分かりきったことを口にしたのか。

 それは――


「まぁ、そういう理由ならしょうがないね」


 ここにいる他の者への説明が目的だったのだろう。

 港の建設なのに海漁ギルドのギルド長がいないのはどういうことだと、よく理解もしていない貴族が騒ぎ出す前にここにいる連中にその理由を明確に知らしめたのだ。

 騒ぎが起こってから説明したのでは言い訳臭くなるからな。


 ここにいる連中が「それはこういう理由なのだよ」と説明役に回ってくれりゃ、マーシャ本人の耳に届く前に沈静化できる。


 そして、もう一つ。


「ダーリンたちが出る式典はアタシがばっちり護衛してあげるよ。まぁ、ついでにあの人魚も見といてやるけどさ。ついでだしね。世話の焼ける女だよ、まったく」

「メドラさんに見ていてもらえるなら、これ以上もないほど心強いですよ」

「まぁ、アタシがムカついちまってあのこまっしゃくれた頭をひねっちまったら申し訳ないけどねぇ」

「あはは……それは、誰も止められないので、可能な限り自制してください」

「約束は出来ないねぇ。アタシはあの女とはソリが合わないんでね」


 あくどい笑みでメドラは言っているが、それはまさしくマーシャを守る宣言に他ならなかった。

 仮に、この中に港の建設に反対する者が潜んでいたとしたら、メドラが守ると宣言したマーシャへの手出しは不可能だと思って尻込みするか、諦めるかもしれない。

 メドラと敵対するのは自殺行為だからな。


 俺たちは、ここにいる連中と個別に付き合いがあり、人となりを知っているため相応に信頼関係を築けている。

 だが、メドラとマーゥルやハビエルとドニスのように、そうではない者たちもいるのだ。

 こういう牽制は必要なのだろう。


 俺らには友好的だが、俺らの知人にまで友好的かと言われればその限りではない。――なんてヤツもいるかもしれないしな。


 かくいう俺たちだって、こいつらの腹の底まで熟知しているわけではない。

 マーゥルなんか特に、腹の底が読めない人物だ。

 これまでの友好関係がすべて演技で、最後の最後で逆転の一手を打つための布石だったと言われても、マーゥルなら納得してしまいそうだ。


 疑い出せばキリがない。

 だから、どこかで線を引いて『とりあえず、今は信頼できる』という関係に腰を落ち着けるのが得策だ。


 わざわざ言葉にして、この場にいる者に「その認識で間違いないな?」と暗に投げかける。

 異論が出なければ、今回はその認識で問題がないと了承したことになる。


 つまり、「マーシャに危害は加えさせない」――それが、この場にいる全員の共通認識となったわけだ。


 港の建設が始まる前に躓くわけにはいかないからな。


 テーブルの端ではらはらした顔をしていたジネットだったが、場の空気が穏やかになったのを感じたのか、表情を緩めてほっと息を吐いていた。

 隣にいないから、連中の思惑を説明してやれなかったんだよな。

 とりあえず安心しとけ。大丈夫だから。


「今回はあの人魚を守ってやるけどね……でもダーリン! あの人魚には気を付けるんだよ」


 ぐりんっとメドラが体ごとこちらを向く。

 どんなお化け屋敷よりも怖かった。


「あの軽薄人魚は、男と見ればにゃんにゃんにゃんにゃん甘ったるい声で話しかけて手玉に取ろうとするんだ。ダーリンはあぁいう露骨なエロさに弱い時があるから、アタシは心配だよ」

「あの、メドラさん。親友として擁護しますが、マーシャは男性に対してそのようなことはしませんよ」

「うむ。マーたんは女である私にさえおっぱいを突かせてはくれぬのだ」

「少し黙ってほしい思う、ルシア様」

「確かに、人好きしそうな笑顔は振り撒いてるが、それ以上何かあるって感じさせるようなことはしてねぇなぁ」


 エステラの擁護に続いて、ギルド長同士顔を合わせる機会が多そうなハビエルがマーシャを擁護する。

 ん? ルシアの意見なんぞなんの価値もないから無視だ無視。


「それはあんたがオッサンだからだよ。あの女はね、ダーリンを見る度にこうして両腕を上げて、乳を揺らすようにして手を振って、ダーリンに色目を使いやがるのさ! こんな風に、乳を揺らしてね!」

「くっ! こんなそばでこんなにも揺れているのに四割くらいしか楽しめないと歯噛みするべきか、メドラ相手なのに四割も楽しめてしまっているとおのれの業を嘆くべきか……悩ましい!」

「ジネットちゃん、懺悔室の予約しといて」

「はい。あとで懺悔してもらいます……もぅ、ヤシロさんは」


 俺の苦悩を理解もせず、エステラが勝手なことを言う。

 お前には分からんだろうな。

 電車で目の前に座っているオバハンのパンチラに、つい視線を向けてしまった時の「どーした俺の無自覚!? バグか!?」という焦りと絶望感。

 平時なら「絶対ねーよ」な相手でも、咄嗟の時に体が動いてしまう男のさがの悲しさよ!

 パンツにはロマンがある。そこに強烈なまでに惹かれてしまうのが男という生き物なのだ。

 この悲しいまでにパンツに惹きつけられてしまう男の性を、『ロマンシング・サガ』と呼ぶ。


「式典だからね、あの人魚も正装をしてくるだろう。そうしたら、いの一番にダーリンのところに来て乳を揺らすはずだよ」

「おぉ、今から楽しみ☆」

「ジネットちゃん。式典ギリギリまで懺悔室借りられるかな?」

「シスターにご相談してみます」


 やめて。

 そんなことされたら俺、式典サボってふて寝しちゃう。


「今日は一日、あの人魚に目を光らせて、ダーリンを毒牙から守ってあげるからね」


 今日一日、マーシャに目を光らせて――ね。


「メドラ」

「なんだい、ダーリン」

「マーシャは俺にとっても大切な友人なんだ」

「うんうん、あくまで友人だね! 分かってるよ、友人止まりさ!」

「だから、ありがとな」

「……へ?」


 メドラは宣言してくれたのだ。

 マーシャを守ると。他の誰でもないメドラ自身が。

 メドラが一日中目を光らせていれば、これ以上に安心できることはない。


「頼りにしてるぞ」

「……ふん。ダーリンが進めている事業の邪魔をさせないためにだよ」


 そっぽを向いてそんなことを言うメドラは、素直じゃない風を装ってとても素直に頬を赤らめていた。

 頼もしいボディーガードだ。何が起こっても大丈夫だろう。



 何事も起こらないのが一番だけれどな。






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