追想編15 ジネット -3-

「ありがとうございます。満足しました」


 お礼を述べて頭を下げる。

 面倒くさいお願いをしてしまったかもしれません。

 暗い道を歩かせて。


 けれど、ヤシロさんはそれを咎めることも責めることもなく……


「それじゃあ、そろそろ帰るか。さすがにちょっと冷えてきた」


 そんな言葉で許してくださるんです。


「はい。そうですね。帰りましょう」


 いまだ、手は繋いだまま。

 ヤシロさんの温もりを感じます。



 空いた方の手でご自身の腕をさすり、ヤシロさんは寒そうなジェスチャーをします。

 どこか楽しげに。


 あ……

 うん。

 そうですね。

 寒いのでしたら……


「でしたら、絶対に手を離さないでくださいね」

「へ?」

「お祭りの後にやったように、二人の手を繋いで、温め合いながら、帰りましょう」


 繋いだ手はとても温かいですから。


「ん…………あぁ、そう、だな」


 こういう時、ヤシロさんは照れくさそうに笑います。

 その表情を見ると、思わず抱きしめたくなります。いつも、その衝動を抑えるのが大変なんです。


 しっかりと手を繋ぎ、来た道を引き返していきます。


 行きよりも、帰り道は早く感じてしまうものです。

 きっと、このお散歩もすぐに終わってしまうのでしょう。


 家に帰れば、今日という日が終わって、明日からまた変わらない毎日が続く…………



 変わらない毎日が、続く、はずです。



 また胸が苦しくなって、喉の奥がきゅっと締めつけられる。

 おしゃべりをしたいのに、言葉が出てきません……もうすぐお散歩は終わってしまうのに。



 しばらく無言で歩いていると、ヤシロさんが静かに話を始めました。

 それはこの街へ来た時のことで……


「俺も、あそこの崖を落ちてな……死ぬかと思ったんだが、なんとか生きてた」


 そんなことがあったんですか……

 精霊神様に感謝しなくてはいけませんね。

 もし精霊神様がいなければ……ヤシロさんがどうなっていたか分かりませんから。


「湿地帯を抜けて、走って走って……ここら辺本当に真っ暗だったからな……全速力で走ったよ」


 闇が怖いヤシロさんらしいエピソードに、少し悪いのですが……くすりと笑ってしまいました。


「そして、空腹でもう走れねぇ! ……ってなった時に、食堂を見つけた…………そう」


 一瞬、ヤシロさんの眉間にしわが寄り、そして、どこか晴れやかな表情に変わりました。


「……そう。陽だまり亭を」


 もしかしたら、陽だまり亭の記憶も失いかけていたのかもしれません。

 危なかったです、思い出してもらえてよかったです。


 そして、それは……ヤシロさんが陽だまり亭をそこまで大切に思ってくださっているという証拠でもあって……ちょっと、嬉しいです。


 その後は、他愛もない、ほんの少しだけ懐かしいお話をしながら私とヤシロさんは街道を歩きました。

 手を繋いで。


 本当に、楽しいひと時でした。


「見えてきたな」


 ヤシロさんが言うように。前方に陽だまり亭が見えてきました。

 お散歩はもうおしまい。

 また今度。


 ……その『今度』の時に、ヤシロさんがわたしを覚えていれば、ですけれど。


「あ……」


 ふと、わたしの脳裏にとあるアイディアが浮かび、そして、それをどうしても実行したいという欲求が湧き上がってきました。

 小さなイタズラ。

 お遊び。


 本当に、くだらないことかもしれませんが、それをわたしは、どうしてもやってみたい。


 小さなたくらみを胸に秘め、わたしはヤシロさんと並んで陽だまり亭へ帰ってきました。

 そして、ヤシロさんがドアを開いてくれた瞬間に駆け出し、先に店内へ入りました。


 急に駆け出したわたしに驚いて、入り口で立ち尽くすヤシロさん。

 そんなヤシロさんに向かって、わたしは深々と、可愛らしく、礼儀正しく、お辞儀をしました。



「ようこそ、陽だまり亭へ」



 先ほど、ヤシロさんが帰ってこられた時には出来なかったので、どうしても、今、やりたくなってしまったんです。


 うふふ……くだらないおふざけですよね。


「……なんだよ。ビックリしたな」

「うふふ。すみません。どうしてもやってみたかったんです」


 くすくすと笑い合い、ふと時計を見る。


 もう、お休みの時間ですね。



 ……結局、名前は、呼んでもらえませんでした。



「ヤシロさん」



 もしかしたら、明日目覚めた時、あなたはわたしを覚えていないかもしれない。

 それでも、わたしは……



「また明日も、一緒にご飯を食べましょうね」



 あなたと一緒にいたいです。

 この、陽だまり亭に。



「……おやすみなさい」



 涙は流しません。

 ヤシロさんが、悪いわけではないですから。

 一番つらいのは、ヤシロさん、なんですから。


 ぺこりと頭を下げて、厨房へ向かいます。

 カウンターの段差を超えて、厨房の入り口をくぐる…………


「悪い、一つ言い忘れた」


 ……え。


 振り返ると、カウンターの前でヤシロさんが笑っていました。

 そして、申し訳なさそうな顔をしてから、笑みを浮かべました。



「ただいま、ジネット」



 名前を呼ばれた瞬間、わたしは何も考えられずに、駆け出し、カウンターに腰をぶつけ、ボトルをたくさん落下させ、それらのすべてを無視して……


 ヤシロさんの胸に飛び込みました。


 伸ばせるだけ腕を伸ばし、ヤシロさんを捕まえると、今度は縮められるだけ腕を縮めてヤシロさんを抱きしめました。



「…………おかえり、なさい。ヤシロさん」



 おかえりなさいと、言葉にした瞬間の安心感といったら……人間の幸せはこの一言に集約されているのではないかと思えるほどです。


 大切な人がきちんと自分のところへ帰ってきてくれたという証明。



「…………おかえりなさい……ヤシロさん…………おかえり……なさ……」

「ただいま、ジネット。遅くなって、悪かったな」

「いえ……大丈夫です」


 わたしは、いつだってここにいますから。

 いつだって、どんな時だって、この陽だまり亭で、あなたの帰りを待っていますから。


「ヤシロさん……」


 カツンと、硬質な物が床に落下した音がして、ヤシロさんが「……あぁ、やっと終わったな」と呟いて……よく分からないけれど、わたしはそれでとても安心できて…………



「やしろさぁぁん…………」



 泣き出してしまいました。

 子供のように。

 ヤシロさんに縋りついて。


「心配かけたな」

「…………はい。心配、しました」


 怖かったです。

 ヤシロさんに忘れられることが。


 寂しかったです。

 ヤシロさんがいなかった時間のすべてが。


 苦しかったです。

 ずっとずっと、苦しかったです。


「悪かったな」

「いえ…………いいえ」


 悪くなんてないです。


「心配なら、いくらでも、します…………その代わり……」


 きっと、涙や鼻水でみっともない顔になっているのでしょうが、どうしても、ヤシロさんの顔を見たくて、笑われませんようにとだけ祈って、顔を上げました。


 そして、出来る限りの想いを込めて精一杯の笑顔をヤシロさんへ向けました。


「必ず、帰ってきてください。ここへ。この陽だまり亭へ…………」



 わたしは、ずっと……ここであなたを待っていますから。



「……あぁ」


 短い声は、肯定とも躊躇いとも取れましたが……少なくとも否定ではなさそうでしたので……安心、しました。


 ひとしきり泣いて、落ち着くまでヤシロさんに甘えて……泣き止んだ直後に恥ずかしさが込み上げてきました。

 これは…………照れます。


 ど、どうしましょうか?


「…………ジネット」

「は、はい!?」


 厨房の入り口に立ち、こちらに背中を向けたまま、ヤシロさんは小さな声で言いました。


「さっき言ってたお前の願い……なるべく叶えられるようにするから……」

「へ……」

「じゃ、おやすみ」


 それだけ言うと、ヤシロさんは足早に厨房へと入ってしまわれました。

 遠ざかっていく足音。



 さっき言ったわたしの願いとは、一体…………はっ。

 心当たりがあるとすれば……、ヤシロさんに聞こえないように呟いた……



「ずっと、わたしの一番そばにいてください……」



 けれど、まさか……あんな小さな声が聞こえているとは思えませんし…………

 でももし、それのことだとするのなら…………


 あぁ……どうしましょう、顔がチョコレートのように溶けてしまいそうです。



 そうと決まったわけではないのに……そうであったならどれだけ嬉しいかと思うだけで…………


「詳細は、いいです」


 ヤシロさんが言った言葉が何を指すのか、それは分からなくてもいいです。

 それでもきっと、ヤシロさんなら……



「ヤシロさん。また明日からも、頑張りましょうね」



 ヤシロさんの部屋に向かって頭を下げ、わたしも眠ることにしました。


 今日はきっと、素敵な夢が見られるはずです。






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