追想編15 ジネット -2-

「お待たせして申し訳ありませんでした」


 随分と待たせてしまったことを詫び、頭を下げます。

 すると、ヤシロさんが「あれ?」という表情を見せました。


 あ、髪飾りに気が付いてくれたのでしょうか……


「なぁ、……ちょっと、いいか?」

「へ? あ、はい」


 真剣な表情をして、ヤシロさんがわたしの顔を覗き込んできます。


 か、顔が近くて……緊張します。

 それに、こんなにキリッとした表情は…………その……素敵で…………あの……っ。


「うん。やっぱ違うな」


 言うなり、ヤシロさんはわたしの頭に触れました。

 髪飾りを外し、わたしの前髪を手で梳き、後頭部をぺたぺたと撫でて……


 そうされている間にも、わたしの心拍数はどんどんと上昇していくのですが……ヤシロさんがとても真剣な表情をなさっているので口を挟めません……


「うん。これでよし」


 体を引いて、わたしを見つめ、満足げに頷くヤシロさん。

 しばらくわたしを見つめた後で、こんなことをおっしゃいました。


「さっきのじゃ、お前の顔が隠れちまってたからな。こっちの方がいい」


 ソレイユの髪飾りを少し後方へずらし、わたしの顔がよく見えるようにと、整えてくださったようです。


「そ、そうですか? わたしは、ソレイユの髪飾りがとても綺麗ですので、そちらを見ていただいた方がいいのではと……」

「何言ってんだよ。髪飾りはあくまで引き立て役だ。メインに持ってくるもんじゃない」


 そうは言っても、こんなに綺麗な髪飾りですので、その……浅ましいですけれど、自慢とか、したいですし……


「それに、髪飾りよりお前の方が綺麗だしな」

「へ……っ?」

「あっ!」


 慌てた様子で、ヤシロさんが背中を向けました。


 ドッドッドッドッドッドッドッドッ…………と、わたしの胸を、心臓が打ちます。打ちつけます。

 い、今のは、その……失言、なのでしょうか?

 言い間違え?

 気の迷い…………本、音?


 ドドドドドドドド…………いまだかつてないほど、わたしの全身に血液が流れていきます。激流です。大雨の後の川のように轟々と音を鳴らしているようです。


 ……鼻血が出たら、みっともないでしょうか? 気を付けます。


「ア、アクセサリーは、じょ、女性を綺麗に見せるための物だからな! アクセサリーをつければ綺麗に見えるのは当然だ!」

「そ、そうですよねっ。はい! 分かります!」


 心臓が痛くて、おかしな声が出てしまいます。

 それに思考がまとまらなくて、思いつきのまま……いえ、思ってもいないことまでもが勝手に口から零れていきます。


「わ、わたしでも、素晴らしいアクセサリーをつければ、多少は綺麗になれるんですね。初めて知りました!」


 空気が変わったと感じたのは、そんなことを発言した直後でした。


 ヤシロさんがこちらを向き、とても落ち着いた……少しばかり不機嫌そうな目でわたしを見ます。


「アクセサリーが女性を綺麗にするってのは本当だけどな」

「……はい」


 怒られているような息苦しさと、考えなしに発言した後悔が胸を締めつけます。

 もしかしたらわたしは、ヤシロさんに不愉快な思いを……


「お前が綺麗だってのも本当だ」

「…………」


 ………………

 ………………

 ………………


「………………へ?」

「さ、さぁ、散歩に行こうか!」

「あ……は、はい!」


 先に歩き出してしまったヤシロさんを追いかけ、隣に並び、歩調を合わせて……少しだけ後ろから付いていきます。


 ドッドッドッドッドッドッドッドッド……

 ドッドッドッドッドッドッドッドッド……


 ヤシロさん…………わたし、倒れそうです。

 こ、こういうのは……わたし、あまり経験がなくて、どう反応していいのか、困ってしまいます。


 素直な気持ちを言えば、ただただ、嬉しいです。

 ヤシロさんに綺麗だなんて言葉を言ってもらえるなんて……一生に一度でも、そんな言葉を、この耳で聞くことが出来るなんて。

 とても、嬉しいです。


 でも…………とっても、恥ずかしいです。


 そっと、ヤシロさんの後頭部を見上げると、……ほのかに、耳の先が赤く染まっていました。

 くす……っ。

 ヤシロさん…………かわいいです。



 わたしたちは、静かな街道を、光に照らされながら、ゆっくりと歩きました。

 風の音が清らかで、夜の香りは澄んでいて。

 お散歩するにはとても気持ちのいい気候です。


「ヤシロさん」

「……ん?」

「…………わたし、今、楽しいです」

「そうか」

「はい。そうです」

「うん……」


 そんな、何気ない会話を交わして、同じ歩幅で歩く。

 わたしはどん臭く、足も遅いので、いつもヤシロさんが合わせてくれています。

 申し訳ないとは思うのですが、その反面……なんだか大切にされていると感じられて、嬉しいんです。

 浅ましいでしょうか。このようなことで、満たされた気持ちになることは。


「どうする? 門の方へ行くか?」


 街道を歩きながら、ヤシロさんが問いかけてきました。

 このまま街道を歩くのも楽しいとは思うのですが……


「あの……湿地帯の方へ、行っても構いませんか?」


 いつもは行かない小道を指さして、わたしはおねだりをしました。

 どうしても、今、ヤシロさんと二人で湿地帯を見たかったんです。


「暗いから、気を付けろよ」

「はい」


 街道を逸れてしばらく進むと、畦道になりました。

 昔は、どこもこのくらいの凹凸があり、砂利を踏みしめて歩くのが当たり前だったのに、今では『足元を気を付けろ』と言ってもらうような道になったんですね。


 ヤシロさんが来てから、本当に何もかもが変わりました。

 それも、いい方にです。


 わたしは、心底ヤシロさんを誇りに思います。

 そして、そんな偉業を数々成し遂げてもなお、謙虚であり続けるヤシロさんを尊敬します。


 わたしの生涯において、最も尊敬できると思っていたシスターとお祖父さん。

 もしかしたら、ヤシロさんはその二人をも超えるかもしれません。もう、超えているのかもしれません。


 今、わたしがこうして生きていられるのは、シスターとお祖父さんのおかげです。

 でも……


 これから先の未来を、わたしが生きていくには……ヤシロさんが必要なんです。

 いてくれないと、困るんです。


 ヤシロさんは、わたしにとって、特別な方――ですから。


 少し斜め後ろから、広い背中を見つめ私は呟きます。


「……ヤシロさん」


 出来ることなら……


「ずっと、わたしの一番そばにいてください……」


 風に紛れて消えたその声は、きっとヤシロさんには届いていないでしょう。

 それでいいんです。

 今のはただの、自己満足ですから。



 それから、川を超えてさらに進み、道がさらにでこぼこになってきたところで、わたしたちは立ち止まりました。


「相変わらず辛気臭い場所だな」


 湿地帯に入る手前。

 生い茂る原生林を眺めて、ヤシロさんはそんな言葉を口にしました。


 確かに、じめじめとしていて辛気臭い。

 夜中に見ると恐怖すら覚えるそんな場所です。


 けれど……


「ここが、わたしのはじまりの地なんです」


 わたしは、幼い頃に湿地帯へと捨てられていたそうです。

 おそらく三十区の崖の上から投げ捨てられたのだろうと、シスターはおっしゃっていました。


 そこへ捨てれば、いらない子はいなくなる……


「……ぇ」


 不意に、ヤシロさんに手を掴まれました。

 力強く、多少強引に、右手をギュッとされました。


 ……あぁ。きっと、わたしの顔に憂いがあらわれたのでしょうね。


 また、お気を遣わせてしまいました。


「……大丈夫です。わたし、今……とっても幸せですから」


 出自を語れば、確かにわたしは不幸な身の上なのかもしれません。

 ですが……「そのおかげで」というのは変ですけれど……今のわたしは素敵な人たちに囲まれて、とても幸せに暮らしています。

 精霊神様に、シスターやお祖父さん、これまでわたしに関わってくださった皆様に……エステラさんたちお友達に……そして、ヤシロさんに……

 いくら感謝しても足りないくらいに、本当に多くの幸せをいただいて……


「わたしは、幸せ者です」


 わたしの手を握るヤシロさんの手を、強く握り返します。

 このまま、二度と手放したりはしないように。

 この手の中から、するりと逃げていってしまわないように。


「知っていますか? この湿地帯には、精霊神様の慈悲の魔法がかけられているんですよ?」

「え、そうなのか?」

「はい」


 険しい表情が晴れ、いつもの明るいヤシロさんの表情が戻ってきました。


「ここと三十区との間の崖は最長で37メートルあるそうです」

「そんなにあんのかよ……」

「そこから赤ちゃんを落とせば、普通は助からないと、シスターはおっしゃっていました」

「まぁ……いくら下が沼だからって……無理だろうな」

「ですが、ここに捨てられた赤ちゃんは、とても健康な状態で誰かに見つけてもらえるんです」


 崖から落ちても、怪我一つしない。

 それだけでなく、湿地帯に赤ちゃんが投げ捨てられた日は、シスターが『何かを感じる』とおっしゃっていました。そして、そう言って出かけて行かれた日は、必ず教会に新しい弟妹が誕生しました。

 きっと、精霊神様が心優しいシスターにお報せになっているのでしょう。


「そうか……だから俺も……」


 顔を撫でて、何かをぶつぶつと呟くヤシロさん。


 そんな横顔に、わたしは話しかけます。

 おしゃべりを楽しむように。


「ここ一年は来る機会がぐっと減りましたけど……以前はよくここに来て、この景色を眺めていたんです」


 つらいことがあった時や、堪らなく寂しくなった時……私はよくここで一人、この景色を見つめていました。

 わたしのはじまりの地。

 そう思うと、心が穏やかになっていくような、そんな気がしたんです。


 そんな、特別な景色なんです、ここは。



 その景色を、今はヤシロさんと二人で見つめている。



 わたしの中の思い出は、ヤシロさんと過ごす時間が増えるほどに、どんどん楽しい色合いに塗り替えられていきます。

 幸せな、温かい、優しい……そんな記憶で埋め尽くされていきます。


 一緒に見られてよかった。


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